萩市椿東に鎮座される「松陰神社」。御祭神は『吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)』
由緒「明治23年(1890)、松下村塾出身者らにより松下村塾の改修が行われた際、実家:杉家の手で松陰神社の前身である土蔵造りの祠を建立。明治40年(1907)、伊藤博文や野村靖が中心となり、祠を公の神社として創建すべく、山口県に請願書を提出。同年10月、県社の社格をもって創建が許可、祠を松下村塾南隣に移して本殿とし、元萩城の鎮守「宮崎八幡宮」の拝殿を譲り受け移築。昭和17年(1942)には桧皮葺の社殿が竣功するが遷座されず終戦を迎え、昭和30年(1955)10月26日に新社殿に遷座。」公式HPより
「翌31年、旧社殿を新社殿北隣に移し、塾生、門下生42柱を祭神とする末社・松門神社を建立。2010年に10柱を追合祀。2015年、沼崎吉五郎命を合祀。」公式HPより
境内には、松陰先生が杉家の物置小屋を改築して安政4年(1857)年に主宰した、私塾「松下村塾」が往時のままに残されています。
「吉田松陰幽囚(ゆうしゅう)ノ旧宅」。天保年間築の杉家旧宅。
安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した松陰は、この邸内の3畳半の1室に幽囚。松陰はここで家族などに対して講義を行い、やがてその波は松下村塾の教育へと発展。明治維新を成し遂げた数多くの人材がこの塾より巣立っていきました。
萩市椿鹿背ケ坂にある「道の駅:萩往還」に設置された「松陰記念館」
館内には、松下村塾を再現したコーナーが展示されています。
「幽囚室」
「松下村塾の控えの間」
「吉田松陰幽囚ノ旧宅西面 式台玄関」 松下村塾は2015年7月5日、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
「吉田松陰歌碑」:昭和37年(1962)建立。安政6年(1859)10月20日付けで家族に宛てた遺書の中で詠われた和歌が彫られています。
【親思ふ こころにまさる親ごごろ けふの音づれ 何ときくらん】
「皇太子殿下行啓之所 大正十五年(1925)五月三十日」
「明治維新胎動之地」昭和43年(1968)、明治維新100年を記念して建立。揮毫は故佐藤栄作元総理。
松陰記念館の前に並ぶのは『伊藤博文・山県有朋・木戸孝允』『天野清三郎・野村和作』の銅像。
『品川弥二郎・山田顕義』とご亭主殿。私は当然😍『高杉晋作様・吉田松陰・久坂玄瑞』。ちょっと偉そうにポーズをとってみました(笑)
参拝日:2012年11月12日
明日は松下村塾界隈に残る史跡などを紹介します🍀
おはようございます!
素敵なところですね🤭😭
北海道の松前城見たいですねぇ🤭
北海道の松前城って
木造天守と本丸御門と東塀が
国宝指定されてますね
北海道・・・
行ってみたかったな
昭和45年、私が会社の仲間と訪ねた時、松蔭記念館も5人の方の銅像もなく、廃屋となった松下村塾があるだけでした。観光客の姿もなく、荒れた武家屋敷という風景でした。
それがいつの間にか、こんなに立派になり、ユネスコの世界遺産に間で登録されていたとは・・・時代の流れの不思議さですね。
日本の保守知識人に帰るとしたら、福沢諭吉という人がいますが、私は吉田松陰と思っています。賀茂真淵や本居宣長かもしれませんが、私は不勉強で、このお二人のご先祖さまについてまだ知りません。
次回も楽しみにしています。
松下村塾・松陰神社の紹介と合わせて紹介しました。
onecat様が訪問された昭和45年からだと、私達の訪問は実に42年後なんですね・・
松陰神社には若い方が多く参拝されており
何もかもを合わせて、心地よい時間を過ごすことが出来ました。
国思う人の心や姿は、それがいずれの側であろうとも美しいものだと、改めて感じさせられました。