旧勝田郡勝北町(しょうぼくちょう)は岡山県の北東部に位置した町です。津山市、苫田郡加茂町、勝田郡勝央町、奈義町に。さらに県を跨いで鳥取県八頭郡智頭町に隣接。町名は勝北郡(=勝田郡の北部)で、構成する旧3村がすべて古くよりこの郡に属していたことに由来。町の南部は津山盆地の北東部にあたり、平坦で水田が広がり溜池も多く、北部は中国山地の一部で750m~1100m級の山岳地帯で氷ノ山後山那岐山国定公園に属します。また、東部には日本原演習場が南北に広がっています。「町の木:ケヤキ」「町の花:サツキ」「町の鳥:ウグイス」を制定。北部の中国山地と南西部の丘陵地との間に南北に開けている。
旧キャッチフレーズは「太陽燦燦! つながる心 広がる未来」
明治22年(1889)、町村制の施行により、勝北郡新野村・広戸村・勝加茂村が発足。
1900年、郡制の施行により勝北郡と勝南郡が合併、勝田郡となる。
1955年、新野村、広戸村、勝加茂村が合併、町制を施行、勝田郡勝北町が発足。
2005年、苫田郡阿波村、加茂町、久米郡久米町とともに津山市に編入されました。
マンホールのデザインは「血液サラサラ運動」のシンボルマーク。血液の一滴とその中に人を配し、周囲に手を繋ぐ人々で、互いに助け合う様子がデザインされています。
昭和33年(1958)11月制定の町章は「SHOBOKUの頭文字Sを外円にして飛躍的な北を配したもので、円満、調和、飛躍、発展を象徴し、静と動を兼ね備え町をイメージして制定しました。」旧公式HPより
「勝北 黒媛の里」のいわれ。「水原古墳(伝黒媛塚)昭和12年に発掘した横穴式石室の古墳、陶棺(長さ222㎝高さ84㎝)勾玉、管玉、ガラス玉、銀環銅環、刀子などの出土品は東京国立博物館に保管。古事記下巻にある吉備の山県における仁徳天皇と黒媛の美しいロマンは、山形の地名が遺るこの地の物語と古くから語り伝えられており、この古墳を黒媛塚という。」勝北町教育委員会
撮影日:2010年3月1日&2015年4月24日
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