昨日に続いて、蓬莱橋のご利益スポット(縁起の良いスポット)の紹介は、仲良く寄り添う「愛和同祖神」。同祖神は外から来る魔・災いを防いでくれる守り神。 ここでは「旅人の安全を守る神」「男女愛和縁結びの神」「安産子供の守り神」と紹介されています。
縁起が良く、しかも長寿の代表とされる鶴。これは天に羽ばたく鶴を刻んだ「昇天鶴の像」。 ちなみに近くに「萬年亀」なる亀の像もあった筈なのですが・・・(^^;)
「高砂」は、目出度い場所によく使われるもので、関西では結婚式場や結納などでも登場します。 「尉と姥像」は【お前掃く(白)まで わしも九十九(熊手)まで 共に白髪の生ゆるまで】 私たちもそうありたいと願っています。ずっと昔から謡われてきたお目出度い言葉遊びですが、こういう日本人の感性って大好き。
「尉の松(黒松)」・・・はて?「姥の松」はあったかしら??
「蓬莱の島台」から時折聞こえてくる澄み切った音は、長寿を願って鳴らす「長寿の鐘」。 「蓬莱に 不死の仙薬無けれども 長生き橋(長い木橋)にあやかりて 長寿祈願の鐘一つ打つ」 お互いに健康で何時までも旅が楽しめるように・・・
「長寿の鐘」のすぐ側にあるのは、籠の中に保存された「貝群化石」。250万年前のものだとか。 どのような経緯をへてここにあるのか詳細は不明ですが、まさに太古の大井川の象徴です。
「蓬莱七福神散策道」、恵比寿様に大黒天、ここまではそんなに大変ではなかったのですが・・
蓬莱橋の対岸から「法林寺」までは約30分の道程で、道はまだ続いています。Jさんはすっかり歩きつかれて行きたくないと言うし、行ったらまた橋を渡って帰らなきゃいけないし・・ という事で、三分ばかりの協議の結果「蓬莱七福神巡り」はこの二神で終わり(笑)
さぁ、眼下に伸びる蓬莱橋が私たちを手招きしています。名残は惜しいけどまたいつかを期待して。
ほらほら、待ちくたびれたご亭主殿が「ど真ん中」で手招きをしていますよ。
蓬莱橋の近くで見つけた詩碑と文学碑。理論物理学者で歌人でもあった作者が蓬莱橋のほとりで晩涼のひとときを楽しんだときの詩です。
【 五百五十間の 長い木橋が ゆらゆらと揺れる… 】『石原純』
【春のみ山路】は、鎌倉時代中期から後期にかけての公家で、歌人でもあった『飛鳥井雅有』の文学碑。【 こえはてて ゆひという所すぎて 又あまのしほや 五六ばかりなる所は こかげあり とへがせぎさわとぞ云うなり あまのすむ里おば こがねとぞ申 うみすらを四里ばかりゆきて 神原という宿にとどまりぬ はるかにきかざりし浪の音 ただ枕の下にきこゆ 】
更新世の時代(180万年前から1万年前)よりも更に遠い、太古の時代から存在すると云う「大井川」。「太古の大井川玉石」と刻まれた石が実際にどれほどの時代を経てきたのか、私にはわかりません。 それでも石肌に触れて、悠久の時の流れに思いを馳せる事が出来るなら、ちょっと素敵ですね。
お気に入りの場所と言うのは、どれだけ時間を過ごしても、何度見直しても名残はつきません。 もう一枚、もう一箇所だけと言いながら、何枚同じようなアングルで写真を写したことか(笑)
「また来ようよ」というご亭主殿の声を合図に、半ばしぶしぶ(笑)車に。ラスト画像は「大井川 記念碑のイメージ」
渡り来た橋過去であり(蓬莱吉祥天女で厄払い)無病息災長寿を願い これから渡る未来への橋(八九七・四米 世界一長い木橋) 蓬莱とは不死の仙人が住む幻の霊山 不老不死千秋万世
訪問日:2011年11月14日&2016年12月12日
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