昨日に続いての「千葉神社」。生憎と駐車場が満車で車の置き場所が無く、ご亭主殿は何時でも移動できるように離れた場所の車内で待機。それもあって時間に急かれての撮影。画像としては今一つなものが多いと後で見直せば出てくる不満。ともあれ、妙見池に架かる「ねがい橋・かない橋」の奥に鎮座される「末社12社」からスタート。
橋の先には岩屋風の「御嶽神社」。頂上に『国常立尊、大山祇神、瓊瓊杵尊』、御三方の銅像が祀られています。
左から「神明社」・「三峯神社」・「日枝神社」・「天神社」・「八幡神社」が鎮座。 「八幡神社」が養和元年(1181)と最も古い勧請。「日枝神社、天神社」が寿永元年(1182)、「三峯神社」が文政5年(1822)、旧・横町より移転した「神明社」が明治15年(1882)と記されています。
天明2年(1782)、兵庫県の西宮神社の御本社より勧請した「西之宮」、御祭神は『恵比寿神』。 天保11年(1840)勧請の「金刀比羅宮」には、『金山彦神、大物主命』の二神。
「金刀比羅宮」の前より神域を守護されるのは、例の、桃鉄に登場する○○神に似た狛犬さん。 阿形さんの傍らには、将来絶対に親狛と同じ顔になること間違い無しの仔狛も大人しく控えていました。
吽形さんは、仔狛の為の鞠を手にして得意満面な顔。「この毬をGetするのに、ものすご~~~くガンバッタんだぞ!!」みたいな😊
治承3年(1179)勧請の「稲荷神社」には、『稲倉魂命、保倉神、稚産霊神』。 寿永元年(1182)勧請の「星神社」には、『星香々背男 (あめのかがせお)神』。
御本社の妙見様と同時期の勧請とされる「姥神社」には、『妙見様の姥(乳母)』。 寿永元年(1182)勧請の「厳島神社」には、『市杵嶋姫命(別名:弁財天)』が祀られます。
姥神さまの前より神域を守護されるのは、阿吽それぞれが別の石工の作と思われる一対。
鋭くとがった牙など、どことなく「狼」を思わせる風貌は、間違いなく見覚えのある顔立ち。どこだったかな・・・
ラストは「千葉神社」の目的だった芭蕉の句碑(見つけられず、巫女さんにお聞きしました)。碑には元禄5年に金沢の門人『句空』に贈った『芭蕉』の句と、江戸後期の俳人で伊勢津藩士であった『完来』の句が刻まれています
参拝日:2019年3月19日
今回の「千葉神社」ですが、先にも書いたように珍しく一人で参拝しています。 いずこも同じですが、駐車場が不便な場所はよほどでない限り避けることにしています。ここへの目的は、鳥居前のマンホール撮影と、境内の奥にある「芭蕉の句碑」だけ。多分、ものの数分も有れば済むだろうという事でご亭主殿は車で待機。気持ちは焦るし、画像に残したいものは「獅子児鍛錬像」を筆頭に枚挙にいとまがないほど。この神社に関しては調査不足でした。
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