二日に渡った境内紹介、龍の口から御神水が流れ出ている「神龍泉」、とは言えお水取りが出来そうな量ではありません。 龍のお顔は何と言うか・・・真っ直ぐに立っているのは顎が疲れるのか、つっかい棒が必須ですね。
「飯香岡八幡宮」の境内には多くの文学碑や記念碑、銅像などが建立されており、どっちかというと「碑・像」マニアに近い私は境内を走り回っております😄 こちらの石碑は安政2年(1855)建立の「林文暁伝碑」【姓は岸本、名は信成、字祐助、文暁はその号なり。竹を愛して此君、林と称し、狂歌を嗜て有磯、浜人と号す。越中富山の城主佐々蔵助成政の胤なり。・・~中略~・・清貧に安んずること二十余年、天保十五季(年)甲辰の四月二日病を得て終に没す。八幡郷に住すること三十八年、齢八十二・・】
「林文暁伝碑」の隣には、享和三亥(1803)十二月吉日建立の石祠が奉祭された「道祖神」があります。
こちらの碑は明治40年(1907)建立で、元千葉県知事『月洲庵知雪』の句。
【名月や あさなき鳥も おきている】
拝殿近くには、二・二六事件を題材にした小説「叛乱」で直木賞を受賞した『立野信之』の文学碑。 ご亭主殿に聞いたところ、一応「叛乱」話題になった折に読んだそうです。
「日露戦役記念碑」と刻まれた石碑は、境内の裏手のほうにひっそりと建立されていました。
ここからは私の大好きな句碑・歌碑が続きますが、嬉しい事に碑の文字が全部解明されてます。安政二年乙卯(1855)正月建立で『長四郎 一徳』
【御神楽の 拍子に昇る 初日かな】
安政二年乙卯(1855)四月建立の碑は【息災て 古稀の美空や はつ鴉】
【ほととぎす 鳴き入る山の 月寂し】天名地鎮庵宗匠俳句碑
従一位源朝臣建通八十六齢 明治三十三年(1900)、飯香岡はかって御影山と称されていました。 【御影山 神のめてにし飯香岡 むかしをかけく 世に匂いけり】
万葉宗匠の句碑【見わたせば 花たたずむは さくらかな】
ここからは「銅像(胸像)」の紹介。トップは八幡の教育に貢献した『川上規矩(南洞)』先生。 明治31年(1898)、私財を投じて千葉県皇典講究所普通学郡を設立、子弟の教育に専念した人物です。
八幡町出身の『菅野儀作』像、参議院議員を3期勤め「県政界のドン」と評された人物だそうです。
『楠原三之助』像、神社に多大な貢献をされた人物ということですが、それ以外はよくわかりません。
『大岩幸男先生』は、潮干狩りで溺れた児童を助けようとして遭難、殉職した教師だそうです。 よく似た教師の殉職碑・・横芝光町の「成田山御本尊上陸の地」の近くでも見かけました。
参拝日:2019年3月19日
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