茂原市本納に鎮座される「橘樹(たちばな)神社」。式内社で上総国二宮、御神紋は「橘」。
御祭神は『弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと) 』。相殿に『日本武尊・忍山宿禰(おしやまのすくね)』。 おそらく、この項が初登場と思われる『忍山宿禰(穂積忍山宿禰)』ですが、『弟橘媛』の父とされる方。寛政12年(1800)造営の「社殿」は、本殿、幣殿、拝殿ともに、銅板葺神明造。 拝殿屋根に見られる千木は、女神が祀られている事を示す内削ぎ。鰹木は7本で男神を表します。
社伝では【日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。】 また『古事記』には【「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき。】と記されています。
入水を決めた弟橘比売が、その最期を前に日本武尊に残した歌はあまりに有名で、そらんじられるほどですが、何ど聞いても切なく、胸を打たれます。
【さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも】(相模の野原、燃えさかる火の中に立ちながらも、貴方は私を気遣って声をかけて下さった。 お別れです・・愛しい貴方よ・・)
神社の絵馬には、相模の野中で焼き討ちにあった故事と、その時の二人の姿が描かれています。
本殿の背後には「弟橘比売命御陵」とされる古墳があり、神域の中に橘の木が植えられています。 頼りない私の足ではそこまで行くのは無理と判断し、下から手を合わせるにとどめました🙏🙏
上総國に上陸した『日本武尊』は、入水した『弟橘媛』を思って「吾妻はや!」と嘆き悲しんだと云います。 境内の「吾妻池」はその故事に因んで名づけられたそうですが、一説には墳墓を掘った跡とも伝えられています。
拝殿前から神域を守護されるのは、すっきりとした江戸流れ狛犬さん。それぞれに仔狛と鞠を持っています。 台座からお尻半分落ちかけた仔狛は、親狛の手に必死でしがみつき、よじ登ろうとしているように見えます。
その様子を見守る吽形さんの手には、仔狛に負けないほど大きな鞠、鞠には長い紐がついています。
拝殿の更に近くにも一対いますが、阿形さんのお顔は何らかの事情で、そぎ落ちていました。 それでも境内の片隅ではなく、拝殿の間近で神域の守護を任されている姿には心が温まります。
狛犬に話しかける私の側では、きれいな毛並みの黒猫さんが何の警戒心も無い顔で足元にすり寄り歓迎してくれました。 社務所のガラス戸の中にも白黒の可愛い猫さんの姿が見えたし、きっとこちらの猫さんでしょう。
境内には、鳥居の直ぐ内にも一対の狛犬さんと、幾つかの末社が祀られていますが、続きは明日に。
参拝日:2019年3月9日
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