丹波市山南町上滝字八ヶ坪、川代渓谷沿いにある「旧上久下村営上滝発電所記念館」。周囲を450メートル前後の山々に囲まれた篠山川沿いの一画に立つ赤レンガの建物は、存在そのものが灯りとなって私たちを導きます。
大正9年(1920)、当時ランプ生活であった氷上郡上久下村では、村長の平藤徳蔵氏たちの尽力により、同年12月に水力発電所の工事に着工。大正11年(1922)6月に上久下村営上滝発電所が竣工。翌大正12年1月8日から送電が開始され、山南町となった昭和38年までの40年間、地域の生活を支える重要な施設として稼働してきました。
ランプの明かりから白熱球の明かりに変わったその時、村人はどのような思いを抱いたのでしょうか。想像の域を超えない事は承知の上で、それは明日に続く希望そのものだったと思えるのです。
夜を昼にと変えた・・発電所祝い歌の一節が、深く胸に染み込みます。
「市南部を東西に流れる篠山川の右岸に築かれた旧水力発電所施設。桁行9.2m梁間6.5m、切妻造、煉瓦造2階建で、外装イギリス積とし、1階に長方形上下窓、2階には欠円アーチ形の窓を配する。村が独自で建設、運営した近代水力発電施設の一つである。2008年4月18日 登録有形文化財(建造物)とする。」文化遺産オンラインより
川代(かわしろ)渓谷は、篠山盆地より流れ出た篠山川の上流、東西4kmに渡って延び、篠山盆地より溢れ出た奔流により築かれた渓谷です。
篠山川流域に分布する1億2千年前以上の白亜紀の 陸成の主として礫岩・砂岩・泥岩からなる地層で篠山層群とも呼ばれます。
「岩脈(がんみゃく)は、地層や岩石の割れ目にマグマが貫入して板状に固まった火成岩体。中心火道から放射状に伸びる岩脈がしばしば見られる。露頭で目にするのはその板状の岩体の断面のことが多いため、筋のようなものと思いがちである。」現地説明
断層(だんそう)とは、岩石または地層が断ち切られて、その面(断層面)を境に両側がずれている現象。 また、それによってできた割れ目。
渓谷の岩面についての説明があまりにも分かりやすかったので、ついつい、話がそれてしまいましたが(笑)、2006年8月、この川代渓谷にて恐竜の化石が発見されました。白いコンクリートの上にピンクの恐竜の絵がある部分が、丹波竜発見の地層群です。
丹波市のマスコットキャラクターにもなった「丹波竜」は、竜脚類である大型草食恐竜ティタノサウルスと同種のものといわれ、大きさは10m以上もあり、国内最大級と考えられています。
丹波市のHPなどを読んでいると、ついつい時間を忘れてしまいそうなほど、発掘作業の様子は壮大で緻密で、男子ならずとも胸がワクワク。この白いコンクリートの下に、もしかしたらその恐竜の欠片が残っているかもしれない・・そう思うだけで、胸がドキドキします(⌒∇⌒)
福知山線「下滝駅」。思い込みが強くなると、建物の全体像まで恐竜に見えてきます(笑)
下滝駅前の恐竜の親子
恐竜化石発見地の案内板と顔出し
丹波竜の里公園のモニュメント
見るもの聞くものすべてが興味深く、予想外に時間が過ぎてしまいました。あれこれと見たいものもあったのですが、時間切れ。あてにならない「またいつか」を願って、丹波市を後にします。
訪問日:2014年11月19日
勝手に書き込みいたしますがご返事は結構です。
駄文が体調回復の一助になれば幸いです。
丹波竜についてもあれこれ言いたいところですが、発電所が出てくると話は別。笑
戦前の発電事業は完全な自由競争で「五大電力」と呼ばれる大手5社を中心にさながら戦国時代の国盗り物語のような激烈熾烈な興亡が繰り広げられていました。
一方で当地のように地元の名士たちの尽力で設立された発電所も多々あり、これを支えたのはここに何度も登場した『篤志家』たちです。
富裕層や成功者たちは社会貢献をもって徳となし、それによって得られる栄誉を一番の誇りとしていました。
「出る釘は打たれる」という諺のように日本人は他人の成功や栄達を僻み嫉妬することが多いと言われますが、それはむしろ戦後の偽善的形式的平等主義での話であり、戦前は成功すれば社会に恩を返すという価値観がもっと広く浸透していたように思います。
こうした人たちの想いによってもたらされた様々な形の「富」を、歪曲し、足蹴にしてきたのは、悪しき平等論ではないかと思います。
やがて時代を経るごとに、どんどんおかしな方向にねじ曲がり、一般教育にまで及び
なんでもかんでも平等、なんでもかんでもみんな一緒。
出来る子もできない子もみんな一緒、それが平等なんだと
・・・絶対に間違っている
みんな一緒の筈がない・・なんてうっかり口にしたら、PTAなんぞで吊るし上げられます。
・・・深くは語れない経験談です(笑)