愛知県清須市西枇杷島町に鎮座される「橋詰神社」、御祭神は『須佐之男命』
「もと、一六五四年創建の神明社。のち牛頭天皇を合わせ祭り、天王社が主となった。その後、この地が橋詰町であったことから橋詰神社と呼ばれるようになる。古来より天王社に因み、西枇杷島地方で唯一、幼子の守護神として近郷の人々に広く崇められ「虫封じ」神事が行われている。」
「天王宮」社号額
拝殿前青銅製二の鳥居の左右より神域を守護されるのは、大正14年(1925)6月建立の浪花型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは毬に手を置いて売ます。
口を閉ざす吽形仔狛さん、ぐいと反り返って後方を確認する姿は将来の大物素質充分。
境内入り口近く、大きく枝を広げる楠の御神木前に鎮座される摂社「金刀比羅社・秋葉社」
文政十年(1827)、旧枇杷島橋小橋のたもとに建てられていた「美濃路道標」
四面それぞれに「東 西ハつし満てん王うきよす宿みち」「西 飛(ひ)がしハとうかゐだうなごや道」「南 文政十年丁亥七月吉日」「北 い王くら道」の刻
道標の斜め後ろに建てられた、巨大な大根を担ぐ「にしび夢大根」像
「尾張名所図会:小田切春江(おだぎりしゅんこう)」作「青物市」「 江戸時代初期、枇杷島橋が架かるのと同時に、徳川家康の命により、市兵衛と九左衛門によって青物市場が開かれ、38軒の青物問屋が軒を連ね、尾張内外から多くの荷が集まり、やがて日本三大市場の一つとなったと言う。」
「尾張名所図会」プレート
参拝日:2011年4月24日
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