揖斐郡揖斐川町(いびがわちょう)は岐阜県の最西部に位置する町です。2005年1月31日、旧揖斐郡揖斐川町、谷汲村、久瀬村、春日村、坂内村、藤橋村と合併し、新たに揖斐川町として発足しました。南は不破郡垂井町、関ケ原町、揖斐郡大野町、池田町に、東は本巣市に。さらに県を跨いで西は滋賀県米原市、長浜市。北は福井県大野市、今立郡池田町、南条郡南越前町に隣接。町の南西部から北西部にかけては、標高1,100~1,300m前後の山々がそびえ、その山間を縫うように揖斐川、坂内川、日坂川、根尾川、粕川などが流れています。山間部を流れる河川は揖斐川に注ぎ、根尾川は大野町南部で揖斐川に合流。また町の南東部は、濃尾平野の最北端に位置する平坦地となっており、市街地および田園地帯となっています。町域の91.1%が森林で、徳山ダム、横山ダム、久瀬ダム、西平ダムがあり、水力発電による電力供給と治水の役割を果たすとともに、日本最大の総貯水量を誇る徳山ダムのダム湖が観光の場として期待されています。「町の木:けやき」「町の花:花桃」を制定。
キャッチフレーズは「自然と歴史が育む ふれあいと活力のある健康文化都市」
2005年7月1日制定の町章は「ひらがなの「い」をモチーフに揖斐川の流れと新町の将来像から人々のふれあいと大人も子供も安心できる健康文化都市を表しています。また、らせんを描くカーブは次世代につなぐ自然と歴史を表しています。」公式HPより
見つけたマンホールは、ASD加工の耐スリップマンホールのみですが、一応下部に「いびがわ」の文字が刻まれています。
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旧揖斐郡揖斐川町(いびがわちょう)は岐阜県西部に位置した町です。揖斐郡久瀬村、藤橋村、大野町、谷汲村、養基村、春日村、池田町に、また県を跨いで福井県南条郡今庄町に。さらに滋賀県伊香郡余呉町・木之本町、東浅井郡 浅井町、坂田郡伊吹町に隣接。城台山頂上には、かって土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城とした「揖斐城(いびじょう)」が有りましたが、織田信長の美濃国侵攻に伴い、稲葉良通によって城は陥落。現在は城台山公園として整備されています。町域を流れる揖斐川は「あゆ釣り」が盛んで、揖斐川町三輪の桂川橋には、活きの良い鮎が飛び跳ねています。
明治22年(1889)、町村制の施行により、揖斐郡揖斐町・大和村・養基村、大野郡清水村・極楽寺村・房島村・上南方村・若松村、池田郡小島村・上野村・岡村・和田村・上東野村・市場村・瑞岩寺村・白樫村・新宮村・黒田村・粕河原村・田中村・沓井村・脛永村が発足。
1897年、郡制の施行により、大野郡の一部と池田郡が合併、揖斐郡となる。
1897年、極楽寺村、房島村、上南方村、若松村が合併、揖斐郡北方村が発足。
1897年、小島村、上野村、岡村、和田村、上東野村、市場村、瑞岩寺村、白樫村、新宮村、黒田村が合併、揖斐郡小島村となる。
1897年、粕河原村、田中村、沓井村、脛永村が合併、揖斐郡養基村(やぎむら)となる。
1955年、揖斐町、北方村、大和村、清水村、小島村が合併、揖斐郡揖斐川町が発足。
1956年、揖斐川町が養基村脛永地区を編入、他地区は池田町に編入。
昭和30年(1955)7月1日制定の町章は「「川」を中心にし、五つの「ビ」を円形に配し、「いび」を表したもの」
ここまで何も見つけられないと、いっそ清々しい・・筈がない!!😡
撮影日:2012年5月22日
(※)旧揖斐郡久瀬村・坂内村・藤橋村の3村は未訪問の為、マンホールは未確認。
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