大町市社宮本に鎮座される「仁科(にしな)神明宮」。御祭神は『天照皇大神』
「その昔、皇大神宮御領であった仁科御厨の地に勧請された社。創始年代は不詳ですが、神宮雑例集によると後冷泉天皇の永正年にはじめて 信濃に御厨が建立されていた記事があり、この時にはすでに建立されていたのではないかと考えられます。建久3年の神宮雑書信濃御厨の記事にも、麻績、藤長、長田の御厨とともに仁科御厨の名がつらねており、しかも仁科御厨にかぎり、「件御厨往古建立也」と注記があり、信濃でも一番古いことが伺われます。」公式HPより
「国宝本殿は桁行3間、梁間2間、軒高6.6m、棟木の長さ8.3m余、戸前は中央一戸四方に擬宝珠勾欄を廻らし、左右に特有の棟持柱が立ち、屋根檜皮葺、千木高く棟木の上には巴紋をつけた勝男木6本が置かれた平入の建造物で、内宮式神明造である。破風板は、そのまま延びて千木となり、破風板にはそれぞれ4本の鞭懸があり、妻には棟持柱があるなど構造手法に古式がうかがわれ、神明造りの原形式を保存している点で、建築史上貴重な遺構である。細部は概ね室町時代の様式を伝えている。」Wikipediaより
反対側から本殿と釣屋
「釣屋は、本殿と中門との間をその屋根の中段から両下造にして連ねており、屋根は板葺で棟木を置き、柱を用いてない。垂木は疎で小舞を打ち、化粧屋根裏となっている。釣屋の下に張られてある濱縁は維新前までは拝殿と称され専ら祭事を執り行ったところであって、検校・左近・権頭の所謂三新主のみがここに奉仕し、詞官祝を始め12人の小祝は遥か下の神楽殿に詰めていた。」Wikipediaより
「国宝中門(前殿)は単層平入の四脚門で、屋根切妻造・檜皮葺で千木と勝男木とが置かれてある。柱は円柱で、控柱は八角の礎石の上に立っている。根太貫を通して上に床を張り、更に門柱に唐居敷を切り込み、蹴放を置き、方立を立て、両開きの格子附吹寄舞良戸が吊ってある。柱上には冠木を載せ、それと直角に肘木を組み、その上に梁を置いて控柱を連ねてある。梁の上には前時代に見るような丈の高い美しい曲線をもった板蟇股が置いてあり、更にその上に本殿と同様な美しい舟肘木を組んで棟木を受けている。垂木は疎垂木で小舞を打ち化粧屋根裏となっている。屋根の形式は本殿とほぼ同じであるが、勝男木が四本であることと勾配の緩やかであることとが異なっている。」Wikipediaより
拝殿より本殿を仰ぐ
神門左手に並ぶ境内社
神門左手に「元御神木」と「仁科神明宮 元御神木」の碑
神楽殿
「御即位記念神苑 大正四年十一月」碑
社務所内の「大天狗」・・「神明宮境内で倒れそうになって切られた「サワラ」の老木(推定樹齢300年以上)で制作しました。」
社務所内に置かれていた奉納面
「長野県無形文化財:太々神楽」のステンドグラス
参道正面に建つニ之鳥居は、伊勢神宮の遷宮により賜った資材で建立されたもの。
一之鳥居からニ之鳥居に向かう途中の左手に三本杉。昭和54年(1979)3月30日、突風により「三本杉」の中央の杉の木が、根元の癒着の為に倒伏。画僧中央、杉の木の間にある覆い屋は、その根元の部分をもとの位置に復元保存したもので、周囲5m余、高さ50m余、樹齢推定800年余といわれています。
手水舎
手水鉢を支える天邪鬼像
境内奥に広がる「天然記念物:仁科神明宮の社叢」
参拝日:2016年4月18日
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