車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

知立(ちりゅう)神社 in 愛知県知立市

2016年09月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県知立市西町に鎮座される「知立(ちりゅう)神社」。「智(池)鯉鮒(ちりふ)大明神」とも称されます。御祭神は『鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)・ 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) ・玉依比賣命(たまよりびめのみこと) ・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)=神武天皇)』。相殿神に『聖徳太子・青海首命 (あおみのおびとのみこと) 』。三河国二宮で、江戸時代には東海道三大社( 三島市の三嶋大社:名古屋市の熱田神宮)の一つとされました。

社伝によれば「第12代景行天皇の時、日本武尊が天皇の命を受けて東国平定の折、当地において皇祖の神々に平定の成功を祈願し、無事その務を果たした故に、ここに建国の祖神であられる四神を奉斎したのが始まりと云う。」公式HPより

大鳥居を潜って境内右手に「国重要文化財:多宝塔」。駒札によれば 「三間二層 塔高約10m 社伝によれば、八五〇年(嘉祥三)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社の別当寺となった。 現存する多宝塔は、一五〇九年(永正六)重原城主山岡忠左衛門が再建した。三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は嵌板張りである。屋根は柿葺で、塔高は約十mあり、室町時代の建築である。明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難をのがれた。」

参道正面に、享保17年(1732)に造られた知立市指定文化財:石造りの神橋

境内から見る石橋と多宝塔。ひるがえる日の丸が境内の緑に映えてこの上なく美しい。

「神池は江戸時代に当地が「池鯉鮒宿」と表記されていた元とも言われ、今でも多くの鯉が見られます。またこの池の鯉が、眼病を患った長者の娘の身代わりになったという「片目の鯉」の伝説地でもあります。」公式HPより

神橋正面に鎮座される国登録有形文化財の社殿は、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を縦長に接続する「尾張造り」と呼ばれる独特の社殿配置を形成。

拝殿は桁行六間・梁間三間、切妻造妻入で、屋根は檜皮葺。前面には、間口一間で切妻造の向拝が付属します。

拝殿前左右より神域を守護されるのは「明治三十九年四月 石 工:今井○○○刻」の岡崎天神社系狛犬さん一対。体にはきれいな獅子紋をもち、吽形さんは立派な角付き。阿吽ともに端正な顔立ちをされています。

「寛政七年(1795)江戸と大阪で、職人の為の絵手本『諸職画鏡』が発売され、中に神社の狛犬の絵が出ており、約六十年後、幕末安政期に岡崎ではこの画集を元にした狛犬が現れる。特徴として『阿形』は頭に一角、『吽形』は頭に宝珠を乗せ、体毛は巻き毛で覆われ尻尾は三本捩れながら立ち上がる。これらは安政に現れ明治末に姿を消したが、吽形には角が阿形には何も付いていない。また巻き毛の一部が菊花紋に変更されている」神獣事始めより

摂社「親母神社(うばがみしゃ)」。御祭神は本殿主祭神の母神である『豊玉姫命』。一間社流造の朱塗の社殿は明治期の造営で、国の登録有形文化財に指定されています。

「境内社:小山天神社」。御祭神は『少彦名命』

「末社:秋葉社」。御祭神は『火之夜藝速男之命(ひのやぎはやをのみこと)』。昭和36年に知立神社境内に遷座されました。知立神社の奉納手筒花火はこの秋葉社の祭礼です。

「末社:合祀殿」。明治6年の神社合祀令に伴い、知立神社境内外の「神明社、白山媛社、市杵島社、西山神社、東山神社、稲荷社、津島社、祓戸社、弁天社、荒神社」九社を合祀。

「陸軍大将 松井石根」の揮毫による「千人搭」と刻まれた常夜灯。左右にそれぞれ「武運長久」「献身報国」と刻まれています。

神馬舎

神楽殿

参拝日:2011年9月18日&2015年12月16日

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御神名一口メモ

『鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)』、地神五代の5代目、日向三代の3代目。神武天皇の父神。

『彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)』、「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」とも。『伊邪那美』はこの神産みが元で死亡。怒った『伊邪那岐』に「天之尾羽張(あめのおはばり)」で首を打ち落とされて殺される。その血肉から『建御雷神』や『闇淤加美神・闇御津羽神(龍神)』ら十六柱の神々が生まれる。

玉依比賣命(たまよりびめのみこと)』、神武天皇の母神。

神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)』、神武天皇。

青海首命 (あおみのおびとのみこと)』、碧海地方開拓の祖神

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秋葉社祭礼:奉納手筒花火~其の二 in 愛知県知立市西町

2016年09月18日 12時00分00秒 | 日本の祭り

9月中旬の日曜日、知立市「知立神社」の境内社『秋葉社』で行われる「秋葉社祭・奉納手筒花火」。いよいよ本番です。暮れ始めた境内に、玉箱を担いだ若衆たちが順に宮入りしてきました。山町・山屋敷町・中新町・本町・西町・宝町、どの町が最初だったか・・・今となっては記憶もあやふや(^^;)

どれだけの時間を練り歩いたのか・・・声はかすれ、足の筋肉は痛々しいほど張り詰めています。粋でイナセで、見栄と意地で、次々と前を行く者に負けずと宮入する若衆たちは、本当に!!男前!

宮入を済ませた若い衆は、手筒花火の両側に付けられた縄の握り手をつかんで円陣をつくります。火種を持った人たちが一斉に点火すると、見る間に炎が吹き出し火柱が立ち上がりました。

真っ赤な火柱は若衆たちの頭上高く天に駆け上り、輝くばかりの火の粉となって降り注ぎます。

全身に火の粉を浴びながら気勢を上げる若衆たちの姿は、まるで火の神の申し子。火の神は火伏せの神に昇華し、人々を火難から守るものとして長く崇敬されてきました。日本伝統の美しさを誇る手筒花火と若衆たちの心意気、火の神への供物にこれ以上のものがあるでしょうか。

若衆たちの奉納が終わると、鳥居の前に固定された大型の手筒花火3本に点火。その炎は高く吹き上がり、神域の寄り代である鳥居さえ焦がさんばかりの勢いで、紅蓮の絵模様を次々と描き出してゆくのです。

手筒花火に続いて乱玉花火、初秋の夜空を焦がす花火の音、火薬の匂い、人々の熱気・・熱く降り注ぐ火の粉の赤。

一つの町衆の心意気が終わり、次の町衆へ、また次の町衆へ・・火の神への奉納は引き継がれます。

およそ二時間に渡って繰り広げられる秋葉社祭の奉納手筒花火、私たちは言葉も無く見入ります。火の粉をかぶる若衆、それを見守る同じ町の先輩たちは、その勇壮な姿をカメラに捉えます。腰をかがめて炎に顔を染めながらシャッターを押すあの法被姿の方は、もしかしたらあの中の誰かの親御さんなのかもしれない・・・ふっと、そんな事を思いながら。そうして私たちは炎の乱舞の最期の瞬間まで見届けて・・名残を惜しみながら境内を後にしました。

撮影日:2011年9月18日

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秋葉社祭礼:奉納手筒花火~其の一 in 愛知県知立市西町

2016年09月18日 08時00分00秒 | 日本の祭り

9月中旬の日曜日、知立市「知立神社」の境内社『秋葉社』で行われる「秋葉社祭・奉納手筒花火」。

愛知県豊橋市のマンホールデザインにも使われている「手筒花火」。一度は本物を見たいと思っていた二人に、やっとその機会が巡ってきました。知立の某駐車場に車を入れて町に繰り出した二人の前にさっそく登場したのは「奉納玉箱」を担いだ鯔背(いなせ)な一団。

案内では「周辺6町の氏子衆がそれぞれに「手筒花火・大筒・乱玉」などを打ち上げる」という事なので、多分他の場所でも同じような光景が繰り広げられているのでしょう。家々の軒先、境内の入口、どこもお祭ムードが一杯。初めての体験という事もあって、ワクワクがとまりません。

秋葉社の御祭神『火之迦具土大神 ( ひのかぐつちのおおかみ)』。伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の御子神で火の主宰神とされています。その神に奉納する花火、これ以上相応しいものは無いでしょう。境内では正装した神社関係者に氏子の方々が勢揃いされて、見ているこちらも自然と身が引き締まります。

厳粛な雰囲気に包まれて神事も終了した様子。参拝を終え御朱印もちゃんと手書きで頂けました (⌒∇⌒)。境内の外からは奉納玉箱を担ぐ一段の小気味よい長持ち唄が聞こえてきます。

市内6町の若衆が「奉納玉箱」を担ぎ「長持ち歌」を歌いながら練り歩く・・これがまた何とも耳に心地よく、気分を盛り上げてくれるのです。去年の長野県で遭遇した「小野・矢彦の田ノ実祭」で初めて聞いた若衆の長持ち唄。あれ以来、すっかり魅了されてしまったらしく、独特の節回しを聞くだけで胸アツ(〃∇〃)

鯔背な若衆の後ろから続いてやってきたのは、揃いの法被に身を包んだ何とも可愛らしい「奉納玉箱」を担ぐ小さな列。将来の若衆を見守る男衆の目配りの優しさ。もう一挙手一投足に目頭も熱くなり「がんばれ!」と心の声。

4時を回ったところで神社に戻り、これから繰り広げられる予定の花火見物の場所確保(笑)。折角、朝早くから高速を使ってここまで来たのですから、人の頭を見るのは避けたいもの。と思ったのですが、手筒花火の奉納までにはまだ3時間近くの待ち時間(^^;) その間に消防車が出動、重要文化財の「多宝塔」「拝殿」、鎮守の森一帯に放水が行なわれます。

雅な楽に合わせて巫女さんたちによる奉納舞。次第に遠ざかる昼間の明るさにとって代わる秋の夜の気配。

さぁ、いよいよ夜空を焦がす炎の神事が始まります。観覧席のあたりも急に人の数が増えてきました。明日のブログは「火花に浄められる知立神社・奉納手筒花火」の紹介です。

撮影日:2011年9月18日

 

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ご当地マンホール in 愛知県知立市

2016年09月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

知立市(ちりゅうし)は愛知県の中部、 西三河地方に位置します。高浜市に次いで面積が小さい市ですがその歴史は古く、景行天皇42年(112)に創建された知立神社の門前町として発展。市名の歴史は古く、7世紀後半の木簡に「知利布」(ちりふ)、律令制以後の8世紀の木簡に「知立」の名があり、江戸時代には東海道五十三次三十九番目の宿場町「池鯉鮒(ちりゅう、歴史的仮名遣いでの振り仮名は「ちりふ」)宿として整備。馬市や木綿市等が行われ、周辺地域の経済的中心地として栄えてきました。

また、知立神社を建てた『伊知理生命(いちりゅうのみこと)』にちなむという説もあります。「池鯉鮒」の名は知立神社の御手洗池にコイやフナが多数いたことに由来するとも。また「知立」の語源は「茅立」といわれ、これは「茅の育つ湿地帯」を意味すると云われます。

キャッチフレーズは「-輝くまち、みんなの知立‐」

1889年(明治22年) 、町村制の施行により碧海郡知立町・牛橋村・上重原村・長崎村が発足。

1906年、碧海郡知立町・牛橋村・上重原村・長崎村が合併、第二次知立町が発足。

1970年、碧海郡知立町が市制を施行、知立市となりました。

マンホールには二種類のカラータイプで「市の花:かきつばた」が美しく描かれています。(知立駅前付近に設置)

「メタウォーター下水道科学館なごや」の展示マンホール

中央に『在原業平』の和歌【から衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ】と、周囲に「市の花:かきつばた」がデザインされています。

路上タイル「市の花 かきつばた」

欄干レリーフ「かきつばた」

プラスチック製の汚水枡蓋は、「かきつばたと八つ橋」

昭和32年10月制定の市章は「愛知教育大学教授大野元三氏の考案によるもので、古くから交通の要衝として東西南北に通じた知立市の発展的な土地柄をテーマに、伊勢物語で有名なかきつばたの花を図案化したものです。」公式HPより

馬市が有名であった「池鯉鮒宿」にちなんだ消火栓。市章と共に沢山の馬が描かれています。

規格タイプ消火栓

規格タイプ仕切弁

規格タイプ制水弁

知立市のマスコットキャラクター『ちりゅっぴ』は知立市が大好きな男の子。かきつばたの飾りをつけた馬パーカーに、市章の刺繍がほどこされたベスト。あんまきポーチには知立市の魅力がたくさん詰まっています。

知立市の観光協会マスコットキャラクターは平安装束の『なりひら君』『かきつ姫ちゃん』。モデルはもちろん『在原業平と杜若姫』。悲しい別離をした二人は現代によみがえって、仲良く知立市の観光PRに勤しんでいます。

撮影日:2011年9月18日&2015年12月16日

 

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春日神社 八剱社 in 愛知県高浜市

2016年09月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県高浜市春日町に鎮座される「春日神社」。御祭神は『天児屋根命、武甕槌命、姫大神、経津主命、保食神、吉備臣建日子命、天押雲命』。

由緒「創建は不詳、その昔、天津児屋根命は大明神山に、武甕槌命は鹿島に経津主命は古宮に、姫大神は古春日に鎮座されていた四柱の神を古春日の地に合祀し、春日大明神と称した。永正年中(1504~1520)に鎮座地を移し、地名を春日と称し、前の地を古春日と改称。明治5年村社に列し、大正元年、北浦鎮座の「若宮神社(祭神 天押雲命、保食神)」を、同2年、字県鎮座の「県社(祭神 吉備臣建日子命)」を、同7年字県の「秋葉社」を合祀。昭和15年郷社に昇格。昭和32年、高浜町神明の神明社(祭神 姫大神)を合祀。昭和49年日、高浜市田戸町洲崎にあった高浜下の氏神「八剱社(祭神 日本武尊)」に産業道路がかかった為、当社境内地に遷座。」公式HPより

境内全体は深い緑に覆われており、季節ごとの美しい景色が容易に想像できます。そう言えばここは桜の名所だそうで、4月には桜祭りも開催されるとか。

左右に沢山の境内社が鎮座される参道途中、鳥居の内より広大な神域を守護されるのは、昭和9年(1934)2月23日建立の三河焼き狛犬さん一対。狛犬さんと言うよりも「お獅子」と言った方がしっくりきます。

久々の焼き物の狛犬さんという事で、阿吽それぞれ別角度から。

顔全体に影を落とす松葉の鋭い直線。それがまたより一層の迫力となって獅子の形相に趣を添えます。

東参道

東参道鳥居の内より広大な神域を守護されるのは、皇紀2600年(昭和15年)郷社昇格記念に奉納された三河焼きの狛犬さん一対。吽形さんは仔狛、阿形さんは毬の上に手を重ねています。

同じ三河焼きでも、表参道の狛犬さんとは、表情やしぐさが随分と違い独特の表情を見せてくれます。石の狛犬も最高に良いのですが、焼き物の狛犬の良さはまた別もの。

思わずお持ち帰りしたくなるような愛らしい仔狛さん、正面と横顔を(⌒∇⌒)

拝殿前左右より神域を守護されるのは、愛知県内の寺社ではお馴染みの岡崎型狛犬さん一対。

思慮深そうな吽形さんと、底抜けに明るそうな阿形さん(笑)

境内でゆったりと時を過ごされるのは、大正十三年建立の春日神社の御眷属・神鹿一対。春日神社の御眷属が鹿なのは、御祭神『武甕槌命』が、白い鹿に乗って鹿島神宮から奈良の春日の地に移られたことに由来するそうです。

拝殿向かって右に鎮座される「八剱社」。御祭神は『日本武尊』  

「創建は正安三年(1301)、熱田神宮内の別宮八劔宮の分神を受け、西海戸に鎮座され、後に洲崎に移転遷座。昭和四十九年に春日神社の東方隣地に遷座。本殿・拝殿・屋根等は同形であるが、近代式に鉄筋コンクリートづくりに改造された。」公式HPより

拝殿欄間の「子持龍」の彫刻は『彫常』によるもの。拝殿全体の写真は無いのに、欄間の画像だけは残していた私(笑)

拝殿前より神域を守護されるのは、昭和二年八月建立の岡崎型狛犬さん一対。吽形さんの後方に「八剱社」の拝殿が・・・(-"-)

「八剱社」向かって右手に、1989年に竣工した「神楽殿」

上組の「秋葉神社(俗称:若宮さん)」。大正元年に北浦より春日神社境内に遷座。

破風の下には高浜出身の職人『岩月仙太郎』作の「龍の飾り瓦」。

靖国神社遥拝所

「慰霊碑」

白馬の親子神馬が納められた「御厩(みうまや)」と、陶製の御神馬。

「御厩」の屋根の上にはすっかりお馴染みの留め蓋瓦の獅子一対。穏やかそうな吽形に比べて、阿形さんの迫力ある横顔・・・夜中に出会ったら間違いなく気絶します!

手水舎

手水舎の屋根、留め蓋瓦の上でまどろむように寛ぐ、飾り瓦の鹿。

参拝日:2011年9月19日

 

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神明社 in 愛知県高浜市

2016年09月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

高浜市青木に鎮座される「神明社」。御祭神は『天照大神』。通称「あきやさん」と呼ばれ親しまれています。

石段参道を登り切った先、東参道から神域を守護されるのは、招魂社系の狛犬さん一対。

一般的に招魂社系の狛犬さんは無駄なぜい肉をそぎ落としたような骨ばった体系が多いのですが、こちらはもう栄養満点といった風情(笑)

広々とした境内、画像左に見えているのは「境内社:豊栄稲荷」。右手には「境内社:半増坊大権現」が鎮座されます。

拝殿内には慶応2年(1866)奉納の絵馬などもあったそうですが、御亭主殿曰く、扉はぴったりと閉ざされていて何も見えなかったとか。また由緒等に関しても不明。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正15年(1926)12月建立の岡崎型狛犬さん一対。まだこの時代の岡崎型は個性的な顔立ちの子が多く、何となくホッとします。

まるで禅問答でもしているような阿吽の狛犬。たまたま撮影者(ご亭主殿)の不手際で阿形さんの方が一回り大きく写してしまった為、吽形さんは完全にやり込められた風情・・(^^;)

鬼みちの一画に鎮座されるお社、もしかして三州瓦の神獣たちに出会えるのではと期待して一人で頑張ったご亭主殿でしたが・・でもきっと天照さまのご加護が有りますよ(⌒∇⌒)

参拝日:2019年9月19日

 

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衣浦(きぬうら)観音 in 愛知県高浜市

2016年09月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

名鉄三河線高浜港駅から三河高浜駅までは電車で移動、途中の神社参拝の含めて、実に3時間半の鬼道ウォークも、かわら美術館森前公園で終了。現在17時15分、「衣浦観音」がおわす観音寺への参拝、時間的には如何なものか・・。ですが、この機会を逃して次が有るかどうか、いつも微妙な私たちの車泊旅。ここは潔く決行あるのみ(笑)

森前公園入り口近く、「森前地蔵尊」横の薬医門の奥に見える細い石段、これが観音寺へと続く参道。秋の日はつるべ落し、急がなければ。

悲鳴を上げて駄々をこね始めた膝を宥めすかしつつ・・一段、もう一段。観音寺のお堂が見えた瞬間に膝から崩れそうな疲労感と、それに増しての達成感。頑張った甲斐がありました(〃∇〃) お導きに心から感謝いたします。

「高台の観音寺には陶製の大観音像「衣浦観音」が街を見下ろすように立っています。この観音像は、高浜の鬼板師で「鬼長」の屋号を持つ浅井長之助氏の製作で、これを焼成したのは、陶管の窯元、森五郎作氏です。歳月約4年の苦心の末、昭和34年3月完成しました。高さは8メートル、中央は鉄筋コンクリートの円柱を基礎にして、12角面の外観台の上に建っています。
製作に当たっては本尊48蓮台を24の部分に分けて造り、これを組立て結合しています。焼成には、粘土の収縮率がそれぞれ異なるため、非常な苦心研究の上製作されたとのことです。陶製の観音としては日本一です。観音さんの台座の十二支やお堂壁面に埋め込まれた十神将、三邪鬼が支える大香炉、観音寺の屋根の飾り瓦もみどころです。」高浜市観光協会HPより

穏やかに・・たおやかに・・・頬に浮かぶのは慈母の笑み。見上げる私たちの上に注がれる眼差しは、唯々優しく慈愛に満ちています。

これほどまでに優しさに満ちたお顔を生み出された『浅井長之助氏』。「鬼長」のHP内に「高さ7mの観音様を作成するにあたって【72歳まで生きられれば本望だ。】と言って観音像を72個に割って作成。まるで予知していたかのように72歳で亡くなりました。」とありました。私たちがこの事実を知ったのはずっと後の事ですが、そうと聞いて改めて見直す観音様のお顔の何と優しい事・・・

連台の上に立つその姿の何と優しい事

観音像が立たれるお堂の前では三邪鬼が大香炉を支え・・・

堂壁面には観音菩薩像を見上げる十神将。

幾年もの長き時を身じろぎもせず、神将たちの眼差しは厳しくも優しく観音像に注がれ続けています。

境内の一画に建立されていた「針供養塔」

参拝を終えて森前公園に戻った二人を迎えてくれるのは、夕焼けの色にうっすらと染まりながら物憂げにまどろむ名も知らぬ巨大魚・・・

何を表したのかわからない不思議なモニュメント・・黄昏の気配が色濃く増してゆく公園の中の不思議な空間。

もう少し時間が有れば、もっとゆっくり参拝したかったと・・いつもの事ですが、同じ後悔を繰り返している私。でも言い換えれば、それは後悔するくらい忘れ難い思い出だという事なのです。最後は鬼道ウォークの前に写しておいた「森前渡船場跡」碑。「このあたりは、もと森前と呼ばれていて、衣浦大橋が開通するまでは対岸の亀崎へ船で往来した。その渡船場の跡である。 「森前の渡し」の起源について明らかでないが、江戸時代刈谷藩はこの渡船場を重視し、浦役を庄屋に命じて船の出入りを取り締まり年貢五百石を免じていたといわれる。 以来、高浜と知多を結ぶ交通の要路として重要な役割を果たしてきたが、大橋の開通と共に廃止となった。 」~案内板より~

参拝日:2011年9月19日

 

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鬼みち~三河高浜駅から森前公園~ in 愛知県高浜市

2016年09月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

三河線一駅だけの旅(笑)で三河高浜駅に到着。まずは駅の歩廊上から楽しめる「瓦の庭「海(かい)」 。日本庭園の思想と瓦を生かした造形表現でさざ波の海をイメ−ジした瓦のオブジェ。鬼の道の出発点(終着点)の位置づけだけあって、随所に鬼や三州細工瓦が一杯。

駅前に設置された陶板の地図・・・地元民でない私にはどれがどの道なのかやっぱり良く分かりません(^^;)

とりあえず、目指すは大山緑地・・に鎮座される「春日神社」。時間的な制約もありゆっくり散策は出来ませんが、陶器製の狛犬さんに出会えてご機嫌なご亭主殿でした(⌒∇⌒)

春日神社への脇道の角にある「馬頭観音」。 瓦や粘土などを運んで働いてくれた馬に感謝する為、馬主たちが大正5年(1916)に建立。

一般的には龍や獅子の彫刻が多い向拝ですが、馬頭観音のお堂という事で疾走する馬。

お堂は1995年に改築されたとの事。という事は留め蓋の獅子さんはとってもお若いという事ですね。立ち獅子に逆立ち獅子、阿吽ともとっても良い表情をされています。

馬頭観音からすぐの地には、鳥帽子姿で御幣をもった男神と女神の双体道祖神を祀る小堂もあります。愛知県の高浜で道祖神に出会えるなんて意外!意外過ぎて小堂を写し忘れました(-"-)。ちなみにこちらの道祖神様は市指定文化財だそうです。

行く先々で道を示してくれるコースガイド。歩き続ける私たちの前にふいに現れる三州瓦の鬼たち、まさに瓦好きには聖地のような散歩道。

細工瓦と言えば鬼を払う「鍾馗さん」も重要アイテム。屋根の上でやっと見つけた鍾馗さんに思わずガッツ! おやおや、塀の上にもおいでになる。

近くの路地にあった「裏 鬼門除神石 表」。初めて見ました。

目線を下げたまま振り向けば、何と足元にも鍾馗さん。楽し気なお顔の寿老人もいます。しゃがみこんでデジカメを向けていると、鍾馗のモデルを見せてあげようかと建物の中から声をかけられました。

拝見させて頂いた鍾馗様は、鮮やかな朱の衣をまとっておられます。お忙しい仕事の手を止めて、わざわざ屋内から持ち出して下さった「まど庄鉄工所」のご主人さま、その節は本当に有難うございました。

次の目的地は飾瓦が素晴らしいと評判の「知経山:蓮乗院」。こちらでは防火・防災、悪魔除け、平安繁栄の祈りなどを込めた天女・仙人・亀・竜宮城などの飾り瓦が数多くあるのですが・・・

時間的に遅すぎたようで、どの画像もどの画像も、黒いシルエットだけ・・・。こちらの天女と竜宮の海亀のみが何とか見られる限界の一枚となりました。

一対の留蓋の獅子は、たまたまお日様の恩恵が受けられた場所にあったもので、何処が頭で何処が顔か・・。

背中に「牡丹」をしょった「唐獅子」。いわゆる「唐獅子牡丹」の留蓋は多分この時が初めてだったと思います。

瓦で装飾された「敷き瓦の小路」を抜け、鬼瓦が飾られた「鬼瓦工業」の前を通り過ぎて・・・・

高浜不動とも呼ばれる「塩前寺」。ここでの見どころは留蓋瓦の「鳥天狗」。ですが・・時間的にはさらに無理がありすぎて・・それでも折角なので一対だけ。

お不動さんの境内には、何故か石仏に混じって微笑む瓦細工の観音様が。

参拝を終えて、そうしてその角を曲がれば、その先に広がるのは「森前公園」の瓦の海。さぁ、引きずる足に鞭打って(笑)衣浦観音までもう一歩き!

訪問日:2011年9月19日

 

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鬼みち~かわら美術館から高浜港駅~ in 愛知県高浜市

2016年09月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県高浜市は、淡路島の「淡路瓦」、島根県の「石州瓦」と共に、日本三大瓦の一つとして知られる「三州瓦」の産地。飾瓦が大好きなご亭主殿、「かわら美術館」の残念さを払拭すべく(笑)、「鬼のみち」散策のスタート。

高浜市観光協会HPには「名鉄三河線:高浜港駅」から「三河高浜駅」まで、飾り瓦や鬼瓦を見ながら歩く約4.5㎞の道のりでのコースが掲載されていますが、私たちは「かわら美術館」からのスタート。ポイントとなる場所にはイラストマップ付きの「鬼のみち」ガイドが設置され、次のポイントまでの距離を教えてくれます。

第二ポイントは多分「緑ふれあい工房」と思われ・・・(^_^;)画像に残しているのがこの一見鬼に見えなくもないモニュメントと、「鬼のみち」のコースガイドだけなので・・・

とりあえず「高浜港駅」までここから650m、これなら軟弱者の私でも何とかたどり着けそうです。ちなみにコースガイドは、要所、要所に設置されており、それを見て歩くのも又楽しみの一つ。

歩く道々、ふと足元を見れば、時代を経た細工瓦がさり気なく置かれていたり。ああ、そうそう!この「鬼みち」のコースガイドにもいろんな細工瓦がつかわれていたりします。かわら美術館が「恵比寿様」、緑ふれあい工房が「大黒天」。そして鬼パークは「宝船」。

コースガイドの近くに祀られていた「浜地蔵尊」、正式には「南海山:地蔵寺」にお参りさせて頂きました。

平安時代後期、海底に光る石のお地蔵さまを船頭達が引き上げ、ご本尊として祀ったと伝えられる浜地蔵菩薩。高浜市有形民俗文化財指定のお地蔵様は、今も海で働く人々の守り神として信仰されています。

玉を抱く龍の飾り瓦。何時の時代の物か判りませんが良い表情です。

日差しを遮る木陰でしばし休憩。この一帯は瓦の輸送が海運から鉄道に移った頃にできた切り通しの坂道。鬼パークには沢山の鬼の椅子が設置されており、疲れた足を休めるには絶好のポジション。

「土管の坂・昔話陶板」コースガイドは疑宝珠。見所は坂一面の土管。

「明治から昭和にかけて瓦と共に土管も主力製品でした。坂の途中にある土管や裏道に残る大型土管の土留めが往時を偲ばせてくれます。坂を下ると高浜に伝わる昔話をいぶし瓦焼きで作った陶板が飾られています。土管坂・陶板はシャッタ−チャンス!」高浜市観光協会HPより

いらかの波を背景に設置された「昔話陶板」

先ほどお参りさせて頂いた「はまじぞうさん」

「きつねとすもうとり」・・太郎作狐に騙された相撲とりさんが、一晩中肥溜めをかき回したと・・何とも臭くて気の毒なお話(^^;)

「呉竹の井」は、枯れてしまった石清水を呼び戻すため、和尚さんや村人たちが知恵を出し合い井戸を掘ったというお話。

「高浜のむかしばなし・青木の火の玉」・・日が落ちる前には子供たちは家に帰らないといけないよ。そうでないと火の玉が出るよ(本当は油ヶ渕の向こう岸を行く人のちょうちんの灯りだけどね)というお話。

「高浜のむかしばなし・鴨が橋」・・高浜に立ち寄られた弘法大師が川の前で足止めされた折、たくさんの鴨がつばさを連ねて浮橋を作ってくれたお陰で、対岸に渡ることができました。その夜、夢見に立たれた薬師如来のお告げを受け、椋の大木で三尺の御像を刻み寺を建てたというお話。

坂を下りきったところで突如現れたのは、神明社の伊勢鳥居と、そこから続くかなり急な石段。三州瓦の産地に鎮座する神社・・もしかして・・の葛藤に負けたご亭主殿、私を残して果敢にも石段を登ります。一人残された私は、この先の「ニコニコ鬼広場」でご亭主殿を待つ事になりました。

鬼パークのチェックポイントは、現代の鬼師が奈良・東大寺の鬼瓦を模して制作した、縦4.5m、横4.2mの巨大な「古代鬼面」

菊花の飾り瓦は、どこかの寺社の留め蓋からおろされたものだろう

こちらの弁天様は何処から?

ご亭主殿を待つ間の15分強・・これが意外と長く思えて、そのくせ気を紛らせる対象も見つけられず何とも手持ち無沙汰で宙ぶらりんな時間でした。

ちょっとがっかり顔で落ち合えたご亭主殿、いやいや、岡崎型でも狛犬さんに逢えたのだからそんな顔をすると叱られますよ(笑) で、記念に写してくれた巨大鬼面と私。

駅に向かう折に目についたこちらのお宅、流石と言うべきなのか、当然と言うべきなのか。「いぶし瓦」「三州瓦工業協同組合」の看板はいずれも三州瓦で制作されています。

さぁ、高浜港駅に着きました。待つ事しばしで電車も入って来たし、ここから一気に三河高浜駅まで直行。

まだまだ続く「鬼のみち」、つづきは明日のブログで(⌒∇⌒)

訪問日:2011年9月19日

 

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かわら美術館 in 愛知県高浜市

2016年09月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

生産量日本一を誇る三州瓦の中心的な産地として知られる愛知県高浜市。衣浦湾に面した一画に、日本で唯一の「かわら」をテーマにした美術館として1995年に開館した「かわら美術館」。公式HPによれば「日本の古代から近現代までの瓦はもちろん、外国の瓦類も展示。ハイビジョンシアターでは、瓦の歴史や生産工程の紹介も行なっています。」とあり、これは瓦好きならずとも興味をそそられます。

いぶし銀の鯱が美しい巨大な鯱一対にお出迎えされて館内に。チケット購入の際に手渡されたパンフレットに「常設展示では、鬼師(鬼瓦を作る職人)の技が光る手づくりの造形的な瓦、昔ながらの瓦造りから、現代の最先端の瓦造り、そしてエコで経済的で安心・安全な瓦の秘密まで、私たちが自慢したい三州瓦の魅力を、東アジアの瓦の歴史とともに紹介しています。」とあり、期待はさらに膨らむ一方(^▽^)/

展示室前で何故か『せんとくん』にバッタリ!。と思ったら、作者が同じな別物(^^;) 『籔内佐斗司氏』の作品は特徴がありすぎて、もはや何を見ても、どんなふうに名を変えていても関西人の私には、『せんとくん』にしか見えません(笑)

展示室入り口近くに「享保七歳 卯月吉日 いせ山田岩渕町 坂井善右衛門」と刻まれた鬼瓦。そうそう、この迫力。やっぱり鬼師の生み出す鬼瓦はどれほどの歳月を経ても、色あせる事はありません。

でも・・・展示室内は撮影禁止の為、画像はこれで終わり(^^;) 。まぁ美術館だから仕方ないのですが、それ以前に正直なところ期待はずれだった展示のあれこれ。私たちが見たかったのは学術的な内容ではなく、「三州瓦」を使って生み出された諸々の造形物。期待が大きかった分、外れたときの残念感は半端なく・・美術館と言う言葉は、本当に「ダテ」ではない!!と実感し、意気消沈のご亭主殿。

もっと多くの時間を費やす予定だった筈なのに・・と、所在なく窓の外を見ていた私の目に、ふっと飛び込んできた巨大な像・・あれは何だろう?このあと「鬼の道」の散策だから、時間が許せば寄ってみようか。

という事で早々に美術館見学を切り上げて、その前に・・・千石船のイメージでデザインされた「かわら美術館」にあわせて敷地内に作られた森前公園へ。海原にみたてた空間には、波や魚、さらには水神とされる龍などが置かれ、大人も子供もくつろげる空間となっています。

海原となる庭に敷き詰められたいぶし銀の瓦は、まるで波のうねりを思わせて輝き、そしてその海を支配するのは、いぶし銀に輝く巨大な龍。

子供たちは水辺に遊び、思いがけない生き物を見つけてはしゃぐ。大の大人も負けじと目を凝らし、水に潜む魚の影を探す。

龍や鬼面から伸びる瓦垣はまるで馬の背にも似て、きっと子供たちの格好の遊び場。大人たちは瓦垣の間に作られた段に座り、ゆっくりと子供たちが遊び疲れるのを待つのです。   

さて、ひとしきり瓦の水辺を楽しんだ後は「新日本歩く道紀行100選、ふるさとの道」にも選ばれた4.5kの「鬼みち」ウォーク。どこまで歩けるかわかりませんが、郵便ポストの恵比須・大国さんに見送られてスタートです。

訪問日:2011年9月19日

 

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