車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

吉浜細工人形 in 高浜市吉浜

2016年09月10日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

高浜市吉浜地区、その一画に「吉浜細工人形」が並ぶ「人形小路」があるらしい・・高浜市への車中泊を計画するまで知る事が無かった「吉浜細工人形」。せっかくのチャンス、見逃すなんて勿体ない(⌒∇⌒)

吉浜に360年以上伝わる郷土の伝統文化「吉浜細工人形」。細工人形とは、貝殻や種子、木竹の皮などの自然物を、竹などで作った骨組みの上に飾り付け、歌舞伎や伝説、縁起物などの場面を作るもので、その起源は農閑期を利用しての人形づくりといわれています。県の無形文化財に指定されている「吉浜細工人形」を観ながら散策が楽しめる、約800mの「人形小路」。スタートは愛知県最大規模の雛人形・五月人形の専門店「吉浜人形」から。

まずは吉浜人形店のショウウインドウ、ガラスの反射が残念な「福助さん」と「雛めぐり 束帯立雛」

立雛の横に「花まつり 白象曳車」

そして吉浜細工人形、トップは「太閤秀吉の栄華」

「淀君」と幼い「秀頼公」

貧しい子供時代を経て天下を掌握するまでに出世し、自らを天下人と名乗った豊臣秀吉。世継ぎの秀頼を得、まさに栄華の頂点です。

「射放弓 (しゃほうきゅう) 」は、八幡社と神明社に「お弓奉納の儀」として伝わる約350年の歴史を誇る弓神事。裃に大小の刀を差した武者姿の若者が、厳しい作法にのっとり、東西へ白羽の矢を放ちます。(高浜市指定無形民俗文化財)

「龍馬伝」より「福山雅治演じる坂本龍馬とお龍さん」。

「勝海舟と西郷隆盛」

冒頭の画像は「菅原伝授手習鑑 三段目 車曳き」。白地に松柄の着物は藤原時平の舎人で頭脳派、三つ子の次男「松王丸」。小豆地に桜柄の着物は斉世親王の舎人で気立ての優しい 三つ子の三男「桜丸」

牛車の中から姿を現したのは、菅丞相(菅原道真)の政敵「左大臣:藤原時平」と、流罪となった菅丞相の舎人で腕っ節が自慢の三つ子の長男「梅王丸」。怒れる時平が足を踏みつけると牛車は粉々になってしまいました。

和服姿の女性が踊っているのは「吉浜音頭」「敗戦の痛手の残る世相にあって、人々の心を勇気づけ和ませた歌「吉浜音頭」。世相も変わりいつしか忘れられていましたが平成25年吉浜町づくり協議会の手でこの歌が蘇りました」現地看板より

人形小路にある「寄席 仲平座」

吉浜下地区「柳池院」山門の留め蓋瓦

整然と美しく「三十三観音」

柳池院の展示は、日本昔話「一休さん」。屏風の中の虎を退治してほしいと難題を申し付ける将軍様に、ではそこから寅を追い出してくださいと頓智で返す、有名な屏風の虎退治の一場面。

怪しい手つきの(笑)将軍様と、謎のお姫様(笑)

某局の大河ドラマ「お江」の一場面。「織田信長に槍を突き付けられるお江」

信長の後ろで存在感を示す謎のコアラ(笑)

浅井3姉妹の「初・茶々」と、後ろは多分「お市の方」

ポチに教えられて裏の畑を掘る花咲か爺さんとお婆さん」

吉浜上地区「宝満寺」の菩薩像

宝満寺の吉浜細工人形館は「水戸黄門」、お馴染みの助さん角さんとお蝶を連れて世直しの旅です。

春爛漫の桜の下、「元禄花見おどり」の一場面

人形小路 伝承工房では「徳川三代」家康と家光

後ろに控えているのは家光の乳母「春日局」

ラストはちょっと懐かしい「鞍馬天狗」

何故か鞍馬天狗の頭上を飛ぶ「ドラエモン」(^^;)

「人形小路スタンプラリー」制覇。でも、景品はありません(笑)

訪問日:2011年9月19日

 

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吉浜神明社 in 愛知県高浜市

2016年09月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県高浜市芳川町に鎮座される「吉浜神明社」。御祭神は『天照大神』

例祭「高浜おまんと祭り」が開催される四社の一社。神明社の「おまんと」は昨日のブログで紹介した「八幡社」の翌日に催されます。

由緒「弘仁年中(810~824)に伊勢より御分霊を勧請し、現在の吉浜町の南屋敷に「太神宮」を創建しました。万治元年(1658)に火災に遭い、社殿が焼失。その時に火中から御神体が飛び出して風に飛ばされ、松の枝に掛かりました。これを神の啓示と考え、松のあった現在地に移転し再建されています。」

拝殿両脇から伸びた塀の両側左右に脇殿。拝殿後ろに幣殿、本殿と続きます。

社殿向かって右手に鎮座される境内社。その鳥居前左右より神域を守護されるのは「大正3年(1914年)一月・岡崎:石匠 酒井孫兵ヱ」建立の狛犬さん一対。

この形の狛犬は酒井孫兵衛によって何人かの職人に伝授されており、岡崎型狛犬の原型になったと言われています。

という事で、この狛犬さんがいなければ、切っても切っても同じ金太郎飴的中国産の岡崎型もどき狛犬さんは誕生しなかったかも(^^;)

吽形「なぁ、俺達ってめっさ人気があったみたいだなぁ~」。阿形「いや・・お前それ人気って言うより、単純に真似し易かったからじゃないのか?」・・・・なんちゃって(笑)

神明鳥居の奥に鎮座されるお社

お社の左右より神域を守護されるのは、「明治三十八年(1905)巳年八月 :杉浦三四松」建立の瓦材の狛犬さん一対。

これだけのサイズの瓦材狛犬は珍しく、技術的にもかなりのものだと思われます。三州瓦の産地に鎮座される社には相応しい奉納狛犬さん。出会えて幸せ(〃∇〃)

境内社「御鍬社、琴平社、津島社」

手水舎

自然石の造形を生かした手水鉢

留め蓋には三州瓦の大国様と白兎。大国様はたまに見かけますが、兎がセットになっているのは初めて見ました。対になるのは流水の中に建てられた幣。これもおそらく初見だと思います。

御神馬

昭和十一年巳年奉納の・・・これは何でしょう?

境内に長く横たわる樹木

境内の一角、「蛇抜け伝説」をモチーフに作られた「蛇抜伝説:モニュメント」

古くから吉浜に語り継がれてきた「蛇抜け物語り」によれば、この神明社が移転する以前、この地には大きな屋敷があり、そこに美しい娘が住んでいました。ある時娘は、凛々しい見目の若者に心を寄せますが、実はこの若者は字竜田の大蛇が若者に化身していたのです。(大蛇は龍を指すとも)

2002年4月、この物語にちなんだ「ドラゴンパーク」が神明社境内にオープンしていました。二匹の阿吽の龍、初めてこれを見る小さいお子さんには少々荷が勝過ぎるかも(笑)

瓦で綴られる高浜の昔話、子供たちは何気ない遊びの中で物語の存在を自然と受け入れ、そして自分たちの子供からさらに孫へと・・・語り伝えられて欲しいと願います。

参拝日:2011年9月19日

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吉浜(よしはま)八幡社 in 愛知県高浜市

2016年09月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県高浜市八幡町に鎮座される「吉浜(よしはま)八幡社」。御祭神は『誉田別命』。「高浜おまんと祭り」が行われる四つの神社の一社。

由緒「創立 壹千二百有余年。本社は元葭濱正八幡宮と称し後吉濱正八幡宮に改め其の後寛政4年吉濱八幡社と称す。明治5年10月村社に列す。明治40年10月神饌幣帛供進神社に指定せらる。」 境内案内板より

入母屋造りの拝殿、その後方に、渡り廊下で繋がれた幣殿、流造りの本殿が鎮座されます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正7年(1918)建立の浪花系の狛犬さん一対。顔の感じ・・特に耳や獅子紋の付け方は加賀獅子の特徴に似ています

本殿右手に鎮座される「境内社:金刀比羅社・塩竈社」

境内社「護国神社」。右に境内社「御鍬社」

菊花紋の瓦が使われている屋根・・・さてそれがいずれの建物であったのか記憶から抜け落ちてしまいました。多分ですが護国神社ではないかと・・その留め蓋飾り瓦の獅子一対。

この一対、特に阿形さんの表情が何とも優しく、流れる鬣もことさら優雅に見えます。

境内社「秋葉社」

八幡神の神紋「巴」の腹掛けを付けた御神馬

神馬舎内には、親子一対の白馬の御神馬

神馬舎屋根の留め蓋から参拝者を迎える飾り瓦の獅子一対。

手水舎

手水舎屋根の留め蓋から参拝者を迎える飾り瓦の獅子一対。

「やきものの里・高浜市」、三州瓦の膝元とあって、細工瓦はいずれも個性的で瓦好き&獅子好きにはたまらない顔ぶれ。探せば他にもあったかもしれないと今になって思うのは、これはまぁ・・・いつのも事です(^^;)

参拝日:2011年9月19日

 

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ご当地マンホール in 愛知県高浜市

2016年09月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

高浜市(たかはまし)は愛知県の南部、三河地方に属する市です。衣浦湾の東岸に位置する平坦な土地で「日本三大瓦」に数えられる三州瓦の主産地としても知られています。市内には、瓦を専門とする全国で唯一の「高浜市やきものの里かわら美術館」があり、7世紀の日本で製造された白鳳文化期の瓦など瓦とそれにまつわる歴史などが紹介されています。地名の由来は「高い崖の海岸の多かった地」からと伝えられています。「市の花:菊」「市の木:クスノキ」を制定。

キャッチフレーズは「思いやり 支え合い 手と手をつなぐ 大家族たかはま」

1889年(明治22年)、町村制の施行により碧海郡高浜村・吉浜村・高取村が発足。

1900年(明治33年)、碧海郡高浜村が町制を施行、碧海郡高浜町(一次)となる。

1906年、高浜町、吉浜村、高取村が合併、高浜町(二次)となる。

1970年、高浜町が市制を施行、高浜市が発足。

マンホールには、市章と、市の主要産業である「三州瓦の鬼瓦」「市の花:菊」が描かれています。

マンホールに描かれた鬼瓦のデザインは、実際の屋根以外に、市内の随所で見る事が出来ます。

高浜市のマンホールカード第一弾のデザインにもなった「高浜市指定無形民俗文化財・おまんと祭り」が描かれたマンホール。馬場の中を疾走する馬に若者が飛びつき、人馬一体となって駆け抜けていく勇壮な姿がデザインされています。

愛知県下水道科学館内のマンホール拓本

昭和29年6月1日制定の市章は「「高」の図案化、足を輪郭として円満な和を、波頭で「浜」を表わし、波涛のような力強い向上を表現する。高浜町制時の1954年6月1日に制定され、市制施行後の45年12月1日、改めて継承されました」公式HPより

消火栓

空気弁

バルブ

側溝蓋

「市の花:菊」が描かれた側溝蓋

高浜駅の「菊のステンドガラス」

愛知県陶器瓦工業組合のイメージキャラクター「サンちゃんファミリー」。三州瓦の『サンちゃん』『サンちゃんパパとサンちゃんママ:弟のシュウくん』。一目で何のキャラか分かるフォルムは、キャラとして好感が持てます(笑)

「鬼みち」キャラクター、その名もまんま『オニミッチー』(笑)。観光案内所・鬼ハウス内に生息しています。

同じく観光案内所・鬼ハウス内にいる「人形小路」キャラクター『ニンギョーコミッちゃん』。わかりやすいと言うべきなのか・・・(^^;)

撮影日:2011年9月19日&2018年3月21日

 

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愛知県高浜市A&Bのマンホールカード

2016年09月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「高浜市A」のマンホールカードは、「高浜市観光案内所 ONI-House(オニハウス)」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「おまんと祭り」がデザインされています。

「高浜市を代表する伝統的な祭事「おまんと祭り」の様子をデザインしたマンホール蓋です。 丸太で組んだ円形の馬場の中で、法被に地下足袋姿の若者が疾走する馬に飛びつき、人馬一体となって駆け抜けていく勇姿を描きました。 この祭礼の歴史は古く、江戸時代の後期に雨乞いの祈願・御礼として「馬」を奉納したのが始まりとされます。 春日神社で行われるおまんと祭りは高浜市無形民族文化財に指定されており、その規模は市内最大級です。 地元の人びとが「おまんと」と呼んで愛するこの奇祭を、皆さんも是非体感してみてください。 きっと、手に汗握る大迫力の感動が待っているはずです。

座標軸マンホール

座標軸マンホール設置の高浜港駅前

訪問日:2018年3月21日

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マンホールカード、頂きました

2021年8月17日、第15弾として20自治体で22種類(累計780種自治体580種 )のマンホールカードの配布が 開始されました。「高浜市B」のマンホールカードは、「高浜市やきものの里かわら美術館」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「巨大鬼面」と「市の花:菊」がデザインされています。

「高浜市の地場産業である「三州瓦(さんしゅうがわら)」の鬼面と、市の花である「菊」をデザインしたマンホール蓋です。 瓦屋根をバックに3つの鬼瓦と2つの菊、高浜市の市章が描かれています。 三州瓦は、石州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の1つで、国内シェアは、年間生産総数の約60%を占めています。 「鬼瓦」は鬼師と呼ばれる職人によりつくられ、家を災いから守る役割を担ってきました。 市内の吉浜地区では毎年、菊人形展や菊花展が行われる「人形小路菊まつり」が開催されているので、ぜひ遊びに来てください。」

「巨大鬼面」

 

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ふらり刈谷の街歩き in 愛知県刈谷市

2016年09月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

刈谷市街歩き・・と言っても時間にすれば僅か90分。それでもメインの建物も含めてそれなりに楽しんだ90分。スタートは刈谷市城町にある国登録文化財「刈谷郷土資料館」

昭和初期の建築様式をとどめる「亀城小学校旧本館」の建物を保存活用して、昭和55年に開館。2011年4月に新たに昭和30年代の教室や民家の部屋の再現展示を加えてリニューアルオープンした「刈谷郷土資料館」

元愛知県の技手であった『大中肇氏』の設計により、昭和3年に竣工された「亀城小学校」。その後、新校舎の建て替えによって取り壊しの話も有ったそうですが、市民の働きで存続できたとか。

歴史的にも、景観的にも価値のある美しい建物が残されたこと、それを目にする事ができるのは本当に有り難い事と思います。

入口で受付を済ませたら後は自由に見学が可能。懐かしい昔を思い出し、生意気盛りだった子供の頃に戻るとしましょう。

郷土資料館には8つの展示室があり、第1展示室は亀城小学校を中心とした刈谷の近代教育について展示。第2・第3展示室は「土地利用の変化と農具の変遷(秋)(春)」。第4展示室は「公共施設・交通・道具の変遷」。

こうして廊下に設けられた椅子に座って耳を澄ますと、子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうで・・昭和50年代まで現役だった校舎には、そんな子供たちの息吹が感じられて何とも言えずノスタルジックな雰囲気に・・

第5展示室は「はた織り」体験の部屋。丁度機織りをされている方がいらしてその様子を見せて頂きました。幾筋もの糸が布に変わっていくのを見ていると、無条件に凄いなって・・感動します。

第7・8展示室は「昭和30年代の家庭と遊び」をテーマに、昭和30年代の一般家庭の様子を再現。これがまぁ、何とも懐かしくて(〃∇〃)

そうそう、夏になると蚊帳を出して・・ちなみに外した蚊帳を畳むのはまだ小学校の低学年だった兄と私の役目で、大きな蚊帳を相手に大汗をかいて格闘したものです。

ここでの圧巻は、個人の方が集められた珍しく昔懐かしい昭和のおもちゃの数々。遠い記憶の向こう、見覚えがあるのは大人になって色んな場面で目にしてきたからだね。

ひとしきりささやかなタイムスリップを楽しんだ後は、資料館の方が教えてくれた「椎の木屋敷跡」がある刈谷市銀座まで歩く事に。その前に資料館の敷地内で見かけた「下町の常夜灯」。昔は銀座六丁目にあった旨が駒板に記載されています。

刈谷市司町、刈谷市城町図書館に建立されていた藩校:文礼館跡」の碑。土井氏が西尾藩主であった時、藩士の子弟教育のために設立したと言われています。

ついつい脇道にそれてしまうのが悪い癖の二人、何だかんだと言いながらも「椎の木屋敷跡」に到着。

「椎の木屋敷は徳川家康の生母である於大が、岡崎の松平広忠に離縁されて水野家に戻された際、一時住んでいたといわれる場所です。 江戸時代には一般の人の出入りが禁止されており、人夫がときどき清掃を行うとともに、出入り口には鍵がかかっていました。中央は窪地で、まわりが高く、椎の木が多く茂っていて、数基の五輪の棟と、地蔵尊が立っていたといわれています。」刈谷市公式HPより

「於大の方由緒の地」碑と、17歳で家康を出産した於大の像

刈谷市郷土資料館に置かれていた「於大の方」のスタンプ

短い時間の街歩きでしたが、目に入るすべてが物珍しく思えるのも旅先ならではの魔法。さて、そろそろ次の目的地に向かいましょうかね(⌒∇⌒)

訪問日:2011年9月23日

 

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酒井神社 in 愛知県刈谷市

2016年09月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県刈谷市西境町本郷に鎮座される「酒井神社」。御祭神は『豊宇賀能売神・誉田別命』

「酒井神社の北側を通る鎌倉街道は境川を渡って尾張国大久伝(現豊明市)に通じていた。徳川家重臣「酒井」氏の発祥の地とも言い伝えがあるが定かではない。」刈谷市教育委員会

参道真っ直ぐに拝殿と神饌所

拝殿前左右より神域を守護されるのは岡崎型狛犬さん一対。吽形さんは仔を、阿形さんは毬に手を置いています。

今回はこの仔狛の仕草にやられてしまいました(^^;) コロンと寝転んで親の前足にしがみ付くこの仕草、もう岡崎だろうと何崎だろうと何でも良い(笑) 久々に可愛い仔狛さんに逢えてシ・ア・ワ・セ。

仔狛に気を取られてしまったからか、末社の画像はこの「末社:荻之宮」のみ。「津島社・山神社・御嶽社」いずれも参拝はした筈なんですが・・(-"-)

「表忠碑」

参拝日:2011年9月23日

 

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市原(いちばら)稲荷神社 in 愛知県刈谷市

2016年09月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県刈谷市司町に鎮座され、霊験あらたかな「稲荷の玉」で知られる「市原(いちばら)稲荷神社」。御祭神は「市原稲荷の大神」と奉称される『倉稲魂神・保食神・大山祇神』

「古老の伝えに、かつて海中から浮かび上がった御神体を白狐が咥えて陸に上がった為、村人たちが社を建てて稲荷大明神を祀ったと云う。「市原神社鎮座記」に、第36代孝徳天皇:白雉(はくち)4年(653)、亀狭山の地に神殿を創立したのが始まりと云う。水野忠政が亀狭山に刈谷城を築いたのち、社を城のすみに移し、武運隆昌の祈願所とた。明暦4年(1658)に社殿の造営あり。」公式HPより

二の鳥居前左右より神域を守護されるのは、稲荷のお狐様ではなく護国柄の狛犬さん一対。見た感じ新しい奉納のようです。

木漏れ日の中に溶け込む様な、優しい表情の岡崎型狛犬さん一対。比較的古い年代のように思えるのですが建立年は不明。

参道をまっすぐに進んだ先で参拝者を迎えてくれるのは、初秋の日差しの中に一際存在感を放つ朱塗の社殿。2004年の造営の際に朱塗りとされたそうで、空の青と境内の緑の中で実に鮮やか。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、巻物と鍵を咥えた稲荷の霊狐一対。

社殿の奥より御祭神の守護に当たられるのは木製の神殿狛犬さん一対。遠目からの写真なので繊細には写せませんでしたが良い表情です。

この石を触りながら祈ると、その願いが叶うと言われる霊験あらたかな「稲荷の玉」。願いは一つ・・「わが身も知り人も、みな壮健に過ごせますように」

向拝蟇股の赤獅子。歯噛みではなく注連縄の上に顎を乗っけてるのですが、下から見上げるアングルの所為か、何とも人懐こそうなお顔(〃∇〃)。

社殿向かって右手、鳥居の奥に鎮まられる摂社三社。「猿田彦神社」、御祭神は『猿田彦大神』「内外宮社」、御祭神は『天照皇大御神・豊受大御神』。「春日社」、御祭神は『春日皇大神』

鳥居の前にて神域を守護されるのは岡崎型狛犬さん一対。で・・・何故か仔狛を連れた吽形さんと仔狛の画像のみで、毬に手を置く阿形さんがいません(^^;)

「英霊奉祀刈谷神社」、御祭神は『土井家歴代藩主、地元自治功労者、天誅組松本・宍戸両志士、日清・日露戦争以降の戦没者の御英霊』

『明治天皇:御製碑』

【 あらし吹く 世にも動くな人ごころ  いはほに根ざす 松のごとくに  】

末社「丹生川(にうかわ)社」、御祭神は『闇龗神(くらおかみのかみ)・高龗神(たかおかみのかみ)・罔象女神(みずはのめのかみ)』

鳥居の内より神域を守護されるのJは、岡崎型狛犬さん一対。

御神木と奉納絵馬掛け

「神馬社」、美しい白馬の御神馬が納められてます。

「明治の神池」。傍らの碑には「明治維新百年祭の記念に、明治の聖代を偲ぶため、明治神宮より下賜の知立神社花菖蒲大株を頂き、神池を造る」と記されています。

もっと一つ一つの画像の説明を丁寧に残しておけばよかったのですが、流石に画像だけを見てもそれがどの場所であったか思い出せないものが多く、きっとその時は全部覚えていられると思っていたのでしょう・・

参拝日:2011年9月23日

 

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常滑神明社&常石(とこいし)神社 in 愛知県常滑市

2016年09月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

登り窯広場近く、常滑市栄町に鎮座される「常滑神明社」、御祭神は『天照皇大御神・豊受姫大神』。

由緒「神明社が創祀されたのは明応三年(1494)に瀬木の千代の峰に祀られていた古社が三社に分祀された時である。常滑浦という大きい入海が山から流れてきた土砂によって陸地化が進んだことや政治的変化の影響を受けて西之宮とも称せられた神明社。高宮とも称せられた常石神社。中宮とも称せられた大善院鎮守社の三社に分祀されたと云い伝えられている。元禄七年(1694)の棟札によれば伊勢の内宮・外宮・白山神社・乾坤宮の神を祀り、北條村、世儀村、市場村、同所浦方保示によって修復がなされている。~略~」

南側参道階段下左右より神域を守護されるのは、昭和十七年(1942)一月奉納の陶彫(とうちょう)狛犬さん一対。吽形さんは『柴山清風氏』。阿形さんは『片岡武正氏』の作。画像が均一でないのは場所的に撮影が困難だったらしいのですが・・・真実を知るのは撮影担当の御亭主殿のみ(^^;)

石段参道を上がって正面に鎮まる拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和4年奉納の岡崎型狛犬さん一対。

社殿の西側に「伊勢神宮、橿原神宮、多賀大社」。東側に「明治神宮」の遙拝所。画像に残したものがどちらであったか・・今となっては不明。

鳥居の内に奉納されていた「御神馬」。御神紋付の腹掛けが無い御神馬は、より精悍で端正に見えます。

末社群の前に置かれた手水舎。水を吐く鯉の背中に跨る幼子。絵解きで考えれば「金太郎:鯉の滝登り」。そうなのか・・・な??

祭事の諸道具が納められているのでしょうか?

参拝を終えた後、私たちは「陶彫のある商店街」を散策。その後、常滑市奧条に鎮座される「常石(とこいし)神社」の参拝を予定していたのですが流石に午後六時を回った境内は薄暗く・・・

これから常滑を後にして別の自治体に向かう事を考えると、今を逃したら再訪は何時になるか・・、そう思うとやはりこのまま引き返せません。

境内には既に灯りがともされています

本殿左右より神域を守護される『下田生素作 明治22年(1889)建立』の陶彫狛犬さん一対。辛うじて写す事ができたとは言え、こんな時間になってしまったという気持ちが有るからか、狛犬さんのお顔も寂しそうに見えます。穏やかで良いお顔なだけに・・・再訪が叶わなかったことが今も悔やまれます。

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商店街歩きの途次に見つけた「瀬木会館」の壁に飾られた巨大な双龍の陶板画。

敷地内にあった瀬木地区の山車倉「世楽車」。「神明社・常石神社」の祭礼に曳き廻される6台の山車の一つが収められています。

参拝日:2011年9月24日

 

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贄代(にえしろ)稲荷神社 in 愛知県常滑市陶郷町

2016年09月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

常滑市陶郷町、「あみだ堂」境内社として鎮座される「贄代(にえしろ)稲荷神社」。御祭神は『稲荷神』と思われますが、由緒等を示す資料はなく詳細は不明。

長くて急な石段の先にひるがえる「贄代稲荷大明神」の幟旗。決して大きな神社ではありませんが、地元の方々の崇敬の篤さが伺えます。

長い石段の先、境内入り口より神域を守護されるのは『片岡静観』作の陶彫狛犬さん一対。四神獣の白狐を思わせる整った顔立ちと百獣の王を連想させる四肢の逞しさ。

見る角度によって優しくも、また怖くさえも見える顔・・・建立年は昭和30年頃と言われています。

「あみだ堂」

本堂屋根の留め蓋で見事な逆立ちを決める飾り瓦の獅子一対。

阿弥陀堂に並んで朱の鳥居の奥に鎮座される「贄代稲荷神社」。社殿横には同じく境内社「三頭黒龍神社」が鎮座します。

稲荷社の祠前より神域を守護される陶彫神狐さん一対。お口に咥えるのは巻物だけのようですね。

境内から見る常滑の市街、ひと際高く見える煉瓦造りの煙突・・こうして見ると結構な高台に居る事を改めて実感します。

参拝日:2011年9月24日

 

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