車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

北向(きたむき)地蔵尊 in 山口県宇部市西岐波区

2024年02月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市西岐波区上片倉に門を構える「北向(きたむき)地蔵尊」『地蔵菩薩像』を本尊とします。

由緒「片倉で一番古い道路の有る高台の小迫山を登りつめた、御土居様の白松郷馬乗り場の真ん中にお地蔵様が鎮座され、天保11年に建立されたとある。明治時代、厚狭に住む重病人が祈祷をする人に「片倉の高台の北に向いたお地蔵様に祈願すれば全快は疑いなし」と教えられ願かけし、満願の日に全快。以後、月例祭や感謝祭りには多くの信者が参拝に訪れる」公式HPより

北向きの本堂は、堂内が石段という珍しい造りで、その奥に天保11年(1840)建立で高さ1mばかりのお地蔵様が祀られています。

御朱印をと思ったのですが境内にも社務所にも人の気配がなく、参拝者も私たち二人だけ。

ただ・・・境内には沢山のネコさんたちがいて「猫を捨てないで下さい!」の張り紙。どの仔も粗略に扱われていないのがとても良く分かる。これだけの猫の食住をお世話するのは、決して適当にできる事ではありません。

旅は始まったばかり、せめて最終日であれば・・家には私たちの帰りを待ちわびている愛猫がいる、お前はあの仔にとってもよく似てる😭😭

膝に登り抱っこを要求するほど人慣れした愛らしい猫たちに、何一つ手を差し伸べられない辛さを噛み締めて・・・この仔たちが健やかでありますように、私たちにできる事は、いくばくかの物をお賽銭箱に託すだけ。

参拝日:2015年11月13日

 

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宇部石炭記念館~其の二 in 山口県宇部市野中

2024年02月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

屋外展示の珍しさについ時間を取られてしまいましたが、気が付けば予定時間を余裕でオーバー。いつもの事ですが笑って済ませられないのが辛い所。まずは展示品の中で興味を惹いた「東見初炭鉱(大正五年四月竣成)」表札

「沖宇部炭鉱(昭和十一年五月創業)」表札

明治以降、採掘場所が内陸部から海岸へと進む中、湧き水への対策として発明された「蒸枠(むしわく)」。該当品の画像はありませんが、開発者「船大工・和田喜之介」の功績を讃えた「蒸枠記念碑」。台座部分の六角形は竪坑用の蒸枠の形をかたどったもので、大正12年(1923)に建立されました。

開館の翌年(1970)に完成したモデル坑道。左「換気坑道」出口、右「人気坑道」入口。昭和30年代の宇部の海底炭坑の採掘現場を中心に、さまざまな坑道支保や坑道のつくりが再現されています。

木枠の坑道内はまるで別世界の入り口にも似て・・・先を行く人の姿が遠くに見えて、何故か小走りに追いかけてしまう。

再現された採掘風景、左に見えるのは「パンツァー型ベルトコンベア」

まるで近未来都市を思わせる、炭鉱を支えた機械。これら3,000点を超える収蔵品は、2007年度に経済産業省の近代化産業遺産に選ばれています。

坑道を出て大きく深呼吸。実際はこんな短距離でも無ければ空調なども効いていない空間の中。それでも現場を知らない私には外の空気はホッとする軽さです。

見学を終え、竪坑櫓(たてこうやぐら)を移設した展望台へ。

眼下に見る「常盤湖」、湖を跨ぐ「常盤橋」

常盤公園の入場ゲート、青い観覧車・・・

お天気が良ければはるか向こうに瀬戸内海も見えるというけれど、生憎の雨交じりでは美しい景色も灰色にくすんで絶景とは言い難い・・

かつて宇部興産株式会社:東見初炭鉱で閉山まで活躍した竪坑櫓。今は宇部炭鉱記念館でエレベーターを設置され、第二の櫓生を送っています。

訪問日:2015年11月13日

 

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宇部石炭記念館~其の一 in 山口県宇部市野中

2024年02月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市野中・採炭の現場のひとつでもあったときわ公園の一画に、炭都・宇部の歴史を今に伝える、日本初の「石炭記念館」があります。

「石炭産業によって飛躍的な発展を遂げた炭都・宇部。永年にわたって宇部発展の基盤となった石炭産業を後世に伝えようと、地元政財界と多くの市民の寄付によって、昭和44年(1969)11月1日に開館。翌年11月1日には炭鉱内部の様子を再現したモデル炭鉱が完成。館内には石炭の採掘・加工の様子を説明する模型や当時使用されていた器具類、採掘現場で発見された化石など3,000点を超える収蔵品が展示。屋外には矢弦車や坑内石炭運搬車、D51形蒸気機関車(18号)等が展示されています。」公式HPより

「D51形蒸気機関車-18号」

昭和45年(1970)10月から昭和47年12月1日まで厚狭機関区美祢線で、石灰輸送の貨車用として活躍。

美祢市にあった山陽無煙鉱業所で実際に使われていた「人車」。文字通り、労働者を運ぶ鉄道車両。

採掘した鉱石や石炭などを坑外に搬出する「坑内石炭運搬車」

蒸気機関の動力源として大きな役割を果たした「ランカシャーボイラー」

ボイラー正面・・・鼻水垂らした眠たそうな宇宙人風味が「受けた(笑)」

「単胴コース巻き上げ機」

「試錐機(しすいき)」

竪坑のロープを巻き上げる「矢弦車」と思うが・・記録漏れ(^^;)

「宇部炭田発祥の地碑 記念碑」。江戸時代、石炭採掘の現場となった常盤湖は、採炭量の減少により元禄年間に潅漑用の貯水池となりました。近年になって炭田の遺構が発見され、ここが宇部における最初の採炭場所と判明した事から、1991年に記念碑が建立されました。

「抗夫」の象

明日は記念館内部~他の紹介です👍👍

訪問日:2015年11月13日

 

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ときわ公園(常盤湖) in 山口県宇部市

2024年02月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

「ときわ公園」は面積約100haにおよぶ山口県最大の湖「常盤湖」を中心に広がる緑と花と彫刻に彩られた総合公園。東京ドーム40個分の広大な園内には、3千5百本のサクラや8万本のハナショウブ、アジサイ、ツツジなど様々な花が季節を彩り、来園者を迎えてくれます。

ときわ公園:案内図 改めてその広大さにビックリ。

大正14年(1925)に宇部市常盤公園として開設。昭和32年(1957)には白鳥48羽をオランダのシルブルグ動物園などから購入。常盤橋を境に「白鳥湖」と名づけ、ときわ公園のシンボル的存在として市民に親しまれてきました。

ですが私たちが訪問した2015年、白鳥湖に美しい白鳥の姿は一羽もなく、カモに似た黒い鳥たちだけが湖面に遊んでいました。

水鶏(くいな)の仲間で「オオバン」と呼ばれる水鳥

かって白鳥湖を優雅に泳いでいた白鳥たちは、2011年2月に発生した鳥インフルエンザの為に全羽殺処分となり、姿を消してしまいました。一見、わが物顔で闊歩するオオバンたちが、どことなく寂しそうに見えるのは、多分、身勝手な人間の思い込みでしょう。

雨のせいでうす寒い色に染められた湖面、濡れた足元が尚更にもの悲しさを誘います。

常盤湖畔に鎮座される「常盤神社」、元禄11年(1968)に常盤池の築堤とともに創建された神社。御祭神は『天照大御神、豊受大御神、素戔嗚尊』。鳥居を潜るには時間的制約も有、ここからの遥拝。

園内に見かけた彫刻は「神童三人像」

帰路に見かけた「ときわ動物園」の檻の向こう

こちらは「アルパカ」・・ですが、木彫りです😅 

常盤池の本土手西側に鎮座される「飛上り地蔵尊」

「常盤湖の築造の際に最も狭い場所に堤防を築きました。これが「本土手」で、その脇にある「飛上り地蔵」は昭和4年(1929)干ばつの際に常盤湖の中から飛上ったとの伝承があります。」石炭記念館展望台の掲示より

雨の下の公園散策は足にも心にもよろしくありません。この辺りで切り上げて、当初の目的地「石炭記念館」へ向かいましょう。

ときわ公園は、2008年に山口県初の「登録記念物」に登録。2016年には、常盤湖が元禄11年(1968)に造られた灌漑用の湖である事から「世界かんがい施設遺産」に登録。広大な園内は四季折々の自然美に彩られ「日本の都市公園100選」・「さくら名所100選」・「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に、又、しょうぶ苑が「池坊花逍遥100選」に選定。更に「21世紀に残したい日本の風景」で、総合公園として全国で第1位にランキングされました。

訪問日:2015年11月13日

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ご当地マンホール~其の二 in 山口県宇部市

2024年02月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

宇部市則貞、常盤湖を中心として展開される「常盤公園」は、大正14年(1925)、渡辺祐策らにより寄贈された常盤湖周辺の土地をもとに開設された都市型公園。春には桜、初夏には菖蒲等、四季折々の花が植えられ、また常盤湖では、公園のシンボル「ペリカン」などの鳥類が飼育されています。

公園内には緑と花と彫刻の博物館(ときわミュージアム)の野外彫刻展示場が併設され、箱根の「箱根 彫刻の森美術館」と並んで、野外の彫刻美術館として国内の双璧をなします。また、国内屈指のUBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)の会場としても全国的にその名が知られており、同展は若手彫刻家の登竜門となっています。(現代芸術は・・良く分かりません)

宇部市マンホール其の二は、ときわ公園で放し飼いにされていた、オスのモモイロペリカン「カッタくん」と、その首にぶら下がって一緒に飛ぶ子供がデザインされています。(宇部市東部浄化センター展示マンホール)

カッタ君と少年のモニュメント

カッタくんは、常盤公園で昭和60年(1985)に日本で初めて人工孵化により誕生したペリカン。2008年までアイドルを勤めてくれました。

中央に大きく、ときわ公園に飛来する白鳥、周囲に小さく描いた白鳥がデザインされています。(宇部市東部浄化センター展示マンホール)

常盤湖に復活したハクチョウの写真を使用した、デザインストリーマーマンホール。

ときわ公園内にある常盤湖を優雅に泳ぐ白鳥たち、水中には鯉の姿も。

公園のシンボルであった白鳥は、2011年2月に発生した高病原性鳥インフルエンザの感染拡大を防ぐため全て殺処分されました(合掌)。6年の歳月を経て2017年、白鳥の飼育が再開されました。

ソフト弁にも美しい白鳥がデザインされています。

入場ゲートまえの白鳥モニュメント

常盤池

撮影日:2015年11月13日&2017年12月2日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 山口県宇部市

2024年02月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

山口県宇部市(うべし)は山口県の南西部、周防灘(瀬戸内海)側に位置する市です。山陽小野田市・美祢市・山口市に隣接。山口県内では下関市、山口市に次ぎ3番目の人口を擁します。

市域は県中西部を南北に貫流する厚東川水系の下流域および有帆川水系の上流域にあたり、南は周防灘に突き出した半島状地形の先端部から、北は中国山地の丘陵地帯におよびます。市西部は「中野開作」「妻崎開作」などの地名に見られるように、大部分が稲作を目的とした干拓により開墾された地域です。南部の平地は大部分が海底炭田により埋め立てられた跡地で、明治期から石炭産業で栄え、その後セメントや硫安の製造などと結びついて発展してきました。

「市の木:クスノキ」「市の花:サルビア・ツツジ」「市の彫刻:蟻の城」を制定。(市役所敷地内には様々な彫刻が展示されています)

明治22年(1889)、町村制の施行により厚狭郡宇部村・藤山村・厚南村・厚東村・二俣瀨村・小野村・船木村・吉部村・万倉村。吉敷郡東岐波村・西岐波村が発足。

1917年、船木村が町制を施行、厚狭郡船木町となる。

1921年、厚狭郡宇部村が町制を経ずに市制を施行、宇部市が発足。

1931年、厚狭郡藤山村を編入。

1941年、厚狭郡厚南村を編入。

1943年、吉敷郡西岐波村を編入。

1954年、厚狭郡厚東村、小野村、二俣瀬村、吉敷郡東岐波村を編入。

2004年、楠町が宇部市に編入。

宇部市東部浄化センター

宇部市東部浄化センター展示マンホール

マンホールには周囲に「市の花:サルビア」、中央に「ときわ公園の花菖蒲」がデザインされています。(宇部市東部浄化センター展示マンホール)

同デザイン:雨水マンホール

市の花:サルビアの樹木カバー

宇部市イメージキャラクター『チョーコクン』。彫刻をモチーフに誕生しました。普段は右手に若葉、左手に「市の花つつじ・サルビア」を持っています。特別ゲストは、『チョーコクン』のお友達で、福岡県田川市のマスコットキャラクター『たがたん』。もぐら男の子です。

宇部市役所の付近に保存されていた「宇部大空襲のあとを残す焼夷弾の芯」。(その後標柱は折れ、2020年から所在不明に。後に発見され、2023年7月、新たな追悼碑が建立された旨の記事を見ました)

撮影日:2015年11月12日&2017年12月02日

明日はご当地マンホール「ときわ公園編」の紹介です

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マンホールカード 頂きました。

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「宇部市A」のマンホールカードは、「ときわ公園内 ときわ動物園入園ゲート」でいただけます。

1999年に設置開始されたマンホールには「ハナショウブ」と「サルビア」がデザインされています。

「このマンホール蓋は1999年に制作したデザインマンホール蓋(3種類)の1つです。 宇部市のキャッチフレーズである「花と緑と彫刻のまち」のシンボルとして、市の東部に位置する「ときわ公園」のしょうぶ苑に咲く「ハナショウブ」を中央に描き、外側には市の木「くすのき」、花「サルビア」がデザインされたマンホール蓋です。 ときわ公園は「21世紀に残したい日本の風景」総合公園大1位、「日本の都市公園100選」、「さくら名所100選」に選定されており、毎年6月中旬には「しょうぶまつり」が行われ、約8万本、品種約150種類の美しいハナショウブを楽しむことができます。」

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居蔵造(いぐらづくり)の町並み in 山口市阿知須浦

2024年02月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市阿知須、周防灘に面し古くは阿知須浦と呼ばれ、江戸時代中期から明治初期に廻船業の港町として栄えた阿知須浦地区。「阿知須町史」には江戸時代の初期には既に16隻、後期には60隻の廻船が居たと伝えています。

その昔、阿知須浦では茅葺や藁葺の家が密集し、ひとたび出火すれば大火となり甚大な被害を受けてきました。このため廻船業の人たちは瓦葺の屋根、漆喰で塗り固めた大壁、泥戸等、防火機能に優れた建物、いわゆる「いぐら造り」の建物を建てました。阿知須浦地区には、現在でもその面影を残した白壁の街並みが残されています。

阿知須の居蔵造を代表する「旧中川家住宅」は、明治17年(1884)の建築。中川家は、水軍の末裔として音頭の瀬戸(呉市と倉橋島の間の海峡)から渡って来たと伝えられ、江戸後期から明治期にかけて阿知須廻船業の中心となった家柄です。

家屋は2004年に阿知須町に寄贈され、保存工事の後、2008年より山口市教育委員会の施設「旧中川家住宅:阿知須いぐらの館」として一般公開されています。

館内には廻船業の歴史、居蔵造の特徴、阿知須地域の民俗資料などが展示され、何と!一般に無料公開されています💛

館の中に一歩足を踏み入れた瞬間、思わずわぁ~と声が上がる華やかな彩。

部屋全体が女の子の夢をギュッと凝縮したような艶やかさと華やかさは、阿知須町で作られる吊るし飾り、「ひなもん」と呼ばれています。

更に館内には「おっ!」と目を引く展示が一杯。特にこれ。「丸に己は野村屋一門の家紋“定匂判”で、同じ紋を使っている家は中川家のように廻船業を営んでいる。(添付説明)」・・・ところがこの定匂判と言うのが、いくら検索してもヒットしません、正しい読みさえも不明・・何なんだろう??

「有限責任 阿知須 廻船商購買組合」と書かれた真っ赤な桜が目を引く幡、五つ玉の算盤、定匂判が大きく書かれた箱のようなもの等々・・

画像が鮮明でないので今ひとつ豪華さが伝わりにくい、違い棚が設けられた床の間付の広い居間。

上半分が切れてしまいましたが、屋久杉で作られた欄間と、見事な花鳥の襖絵。

同じく山水画の襖絵

西庭園を望む縁側

ガラス越しのお日様は暖かく、目に映る景色も晩秋とは思えない柔らかさ。

味わいのある釣瓶が掛けられた井戸。そう言えば中川家には井戸が4つあって、中でも407個の石で作られた防火用大井戸・・海水の入生け簀にも利用された井戸、あれ?どこにあったんだろう??

旧中川家を辞してお隣は、明治後期建築の「河野家住宅」。平入り入母屋造りの中2階建てで、両側に袖庇葺き降ろしの居蔵造。昭和25年(1950~1951)年頃まで廻船業を営み、明治・大正期には阿知須廻船業の中心的役割を果しました。

楽しい飾り物に思わず足が止まり、そうしてガラスケースに並べられた小布の小物にハートを射抜かれました。

画像左奥に見える「沖見灯籠」は慶応2年に慶応橋を架けた時、余った工事費で作られたとか、廻船業の人達の上陸の目標として重宝されました。

訪問日:2015年11月13日

🌸明日からは山口県宇部市の紹介です。

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ご当地マンホール in 山口県旧阿知須町(山口市)

2024年02月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧吉敷郡阿知須町(あじすちょう)は山口県のほぼ中央、瀬戸内海側に位置した町です。東は周防灘に面し、北は山口市、南及び西は宇部市と隣接。町名の由来は「「あじの洲」を意味。「あじ」は古語の小鴨という意味で鴨生原で生まれた鴨が、群れ遊ぶ海浜が阿知須であろうと思われる。」(旧公式HP)「町の木:キンモクセイ」を制定。

町の中心部を井関川が、山口市との境界付近を土路石川が西から東へ流れ、この両河川に挟まれた臨海部に、2.86平方キロメートルの面積を持つ「きらら浜区(阿知須干拓地)」があります。

明治22年(1889)、町村制の施行により吉敷郡井関村が発足。

1899年、井関村大字佐山が分立、吉敷郡佐山村が発足。

1940年、井関村が町制を施行・改称して阿知須町(第1次)となる。

1944年(昭和19年)4月1日 - 山口市・大歳村・平川村・秋穂二島村・名田島村・陶村・小郡町・嘉川村・佐山村と合併、山口市大字阿知須となる。

1947年、山口市大字阿知須が分立、吉敷郡阿知須町(第2次)が発足。

2005年、山口市・吉敷郡秋穂町・小郡町・佐波郡徳地町と合併、改めて山口市が発足。

マンホールには「かつて廻船業の港町として栄えた白壁の居蔵造を象徴する格子柄と、旧阿知須町の町木であった金木犀(きんもくせい)をデザインしてい ます。」(山口市上下水道局:下水道普及課より)

壁画:金木犀

昭和42年(1967)6月制定の町章は「「輪」は和に通じ「和」をもって四方に伸びていこうとする願いを込めている。その左半分は阿知須の「阿」のコザトヘンを、右半分は「可」を図案化したものです。」旧公式HPより

阿知須の由来となった「トモエガモ(別名アジ)」の路上タイル画

そのトモエ鴨から生まれた、阿知須町イメージキャラクター『コッコちゃん』。お洋服の色が違うところを見ると男の子と女の子のバージョンがあるらしいのですが、今となっては子細不明(笑)

150年以上の伝統を持つ「海路安全願祭:十七夜祭」のフィナーレを飾る「阿知須浦まつり:花火大会」。山口県で一番時期の早い花火大会として有名です。

「阿知須代神楽」「獅子舞と軽業を一緒にした様な観世物で旧藩時代、伊勢から伝わってきた。昔は代官所、庄屋の許可をとり悪魔払いの祈祷として、白幣と抜刀を握って舞い、連獅子、手まりの曲取りを演じていた。」(山口県観光サイトより)

ラストは、道の駅:きらら阿知須の里キャラクター『きららっち』。トモエガモをモチーフに誕生しました。

井関川に架かる福岡橋の親柱「周防大橋と町の木:金木犀」

マンホール画像は二枚だけという残念な結果になりましたが、阿知須駅付近の高架下壁画等々・・それなりに面白いものに出会えたので良しです😊

撮影日:2012年11月17日&2015年11月13日

 

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八幡山:大師寺(だいしじ) in 山口県山口市秋穂

2024年02月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市秋穂西に門を構える、真言宗御室派寺院「八幡山:大師寺」『 弥勒菩薩』を本尊とします。

正八幡宮境内に隣合う宮之旦地区にあり、秋穂八十八ケ所霊場第1番札所。天明3年(1783)、遍明院第8世性海法印が弟子とともに四国八十八ヶ所を巡り、各霊場から御符と敷地のお砂を頂き帰郷し、秋穂周辺に八十八ヶ所の霊域を定めてそれぞれの地に御符を供えてお砂を撒布して札所としたのが始まりといわれ「日本最古の写し四国(四国八十八ヶ所を模した霊場)」といわれています。

生憎の雨模様でしたが、応対して下さったお若い住職の方は、仏具の手入れの手を休め、「秋穂八十八ケ所」の事など色々と話してくださいました。御朱印をお願いした時の対応も、これ以上ないほど丁寧に真摯なお姿で、墨を摺り御朱印帳に向かい合って頂きました。正直・・このような対応は初めてと言っても過言ではありません。御朱印を待つ間「弥勒菩薩様・子安大師様」にお参り。

思いがけなく温かいおもてなしを頂き、本堂を辞した後もずっと気持ちが優しさで満たされていました。

「硫黄島玉砕勇士之碑」昭和20年3月建立。皆様方の尊い命の贖いの上に築かれた平和を、私たちは決しておろそかにしません。ただ、ただ感謝の祈りを込めて・・

奉納された幾多の石祠

車に帰る途次に見かけた亀趺(きふ)

正面から見ると亀趺というより犬趺・・そんな名前の趺はありません!とご亭主殿から念押し。でもいくら見直しても・・・ねぇ~😅

思いがけない場所で出会った「芭蕉句碑」は、文政十(1827)丁亥春

【春もやゝ 景色とゝのふ 月と梅】

参拝日:2015年11月13日

正八幡宮と隣り合わせに座す大師寺。当初は神宮寺かと思いましたが違いますとの事。ここで紹介した碑など、特に正八幡宮所蔵の案内がない物は大師寺と共に紹介させて頂きました。

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秋穂(あいお)正八幡宮 in 山口県山口市秋穂

2024年02月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市秋穂西宮之旦に鎮座される「秋穂(あいお)正八幡宮」。御祭神は『応神天皇・仲哀天皇・神功皇后』

由緒「弘仁5年(814)、外敵侵攻に対する鎮護として豊前国・宇佐八幡宮を勧請して二島(現・山口市秋穂二島)に勧進したのが始まり。元亀1年(1501)に大内義興が現在地に遷座。現在の社殿は元文5年(1740)に長州藩六代藩主・毛利宗広が建立したものといわれる。明治6年(1873)に郷社となり、明治34年(1901)に県社に昇格。昭和36年(1961)、社名を八幡宮から正八幡宮と改称す」

覆屋の中に鎮まる御本殿(国重要文化財)は、規模の大きな三間社流造。

一の鳥居の先に続く風情ある参道、その先には、江戸中期に近郊の庄屋が建立したという二の鳥居。

二の鳥居から続く参道、山口県観光サイトに「灯篭は長州五傑の一人『山尾庸三』の寄進」とありましたが、灯篭全部なのか、それとも間に建つ大灯籠の事なのか・・その辺りが不明(^_^;)

参道正面には、桧皮葺の屋根に翼廊をもつ美しい姿の楼拝殿(国重要文化財)。

説明によれば「柱間一間の楼造形式で、正面に唐破風造の向拝をつけ、扉を設けない。この左右に拝殿を囲むような形の庁屋(翼廊)が取り付く。拝殿は本殿の前に接して建つ畳敷の建物で、後方に張り出し部をもった比較的簡素な建物である。上空から見た時「宮」の文字に配置される。」

拝殿左右の庁屋(翼廊)には床が張られています。

拝殿前左右より神域を守護されるのは天明5年(1740)建立の狛犬さん一対。剥きだした歯を見せて不敵に笑う吽形さんの頭には角が。同じく丈夫そうな歯を見せて笑う阿形さん。おそろいの三段カットのたてがみが良い味を出しています。

檜皮葺:入母屋造に袴腰の鐘楼は元文5年(1740)建立(山口県指定文化財)。

金文字:青銅製鳥居額

小雨の中、神職の方は不在で御朱印は頂けませんでしたが、文化財の社殿に、不敵な笑みの狛犬さんとの出会い等々、素敵な参拝でした。

参拝日:2015年11月13日

 

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