車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 山口県旧秋穂町(山口市)

2024年02月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧吉敷郡秋穂町(あいおちょう)は山口県の南部、瀬戸内海沿岸のほぼ中央に位置した町です。東は防府市、北は山口市に隣接。秋穂湾に面して秋穂漁港・大海漁港を有し「海で穫れるもののほとんどは水揚げされる」と言われるほど多くの種類の海産物が水揚げされます。「町の木:桜」「町の花:菜の花」を制定。

旧キャッチフレーズは「明るい太陽と青い海の町・秋穂」

「クルマエビ商業養殖発祥の地」として知られる秋穂町では、車エビPRの為、1991年から毎年8月下旬に「えび狩り世界選手権」を開催。国内のみならず、国外からの参加者もいるそうです。ちなみに数少ない私の大好物の一つがクルマエビのフライ・・実に美味なのです。

明治22年(1889)、町村制の施行により、吉敷郡秋穂村が発足。

1940年、秋穂村が町制を施行、吉敷郡秋穂町となる。

2005年、旧山口市、小郡町、阿知須町・佐波郡徳地町と合併、改めて山口市となりました。

マンホールには「町名:あいお」「町の花:菜の花」がデザインされています。

「町の花:菜の花」がデザインされた中サイズ:集落排水マンホール

昭和45年4月1日制定の町章は「円形と中央に鳩の形を象り、「ア」を意味したもの」

集落排水マンホール

撮影日:2015年11月13日&2017年12月1日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道と山頭火の町~小郡 in 山口県山口市小郡

2024年02月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市小郡下郷、山口市小郡総合支所の敷地に、昭和48年(1973)6月17日に山口線の「さよなら列車」をけん引したD51が保存展示されています。

おそらくとても大切に保存されているのでしょう。たまに見かける展示D51の部分的に気になる錆などどこにも見当たらず、ここに展示する為に用意しましたと言っても過言ではない綺麗さ。

前から後ろから、右から左からと子供のように周囲をグルグル回りながら、何はともあれ目の保養😊

展示D51の何が楽しいかって、やっぱり中に乗り込めること。いい年をした大の大人がって笑われそうですが、いい年をした大人だから憧れるのですよ。

こんなに綺麗な機関室、これまで見学させて頂いた数あるD51の中では断トツではないかしら?毎回思うのだけど、操作をする人ってこれ全部覚えるのよね・・と当たり前のことに感心してしまう私😅 

展示柵の外に設置された説明プレートには「D51型式蒸気機関車は昭和11年から造られ旅客、貨物の輸送に活躍し「デコイチ」の愛称で呼ばれている日本の代表的な機関車です。このD51813蒸機関車は昭和18年9月30日に誕生し約145万キロ走り西日本各線で活躍しました。最近動力の近代化が進むにつれ蒸気機関車がだんだんと姿を消すようになり昭和50年3月廃車となりました。小郡町ではこの由緒ある蒸気機関車を日本国有鉄道から借り受けここの展示しました。」と展示に至った経緯が記されています。

小郡支所内には、かっての「小郡駅の実物看板」が展示。

そして実物の「D51813」ナンバープレート

かっての小郡駅の模型かな。後ろのは半円形弧状の扇形庫。手前は給水タンクかな・と、まぁ子供のように賑やかな事😆

同じく小郡支所の敷地内に建立されていた「山口農校跡地」の碑。明治18年(1885)山口農学校として現山口市民館の位置に開校。明治43年(1910)小郡町山手に移転。昭和23年(1948)に山口農業高等学校に改称、昭和45年(1970)に小郡上郷へ移転するまで、この地で農業の担い手を育てました。

有形文化財「百万一心(ひゃくまんいっしん)」碑。「毛利元就が「百」の字を「一」「日」に分け、「万」の字を「一」「力」に分け、「一日一力一心」とし「一」は「同じく」の意で「日を同じく・力を同じく・心を同じく」と説き、家臣に「一致団結」「協力」の精神を諭したものと言われています。」

新山口駅南口に「俳人:種田山頭火像」。台座には碑文と山頭火の句。

【まつたく雲がない 笠をぬぎ】

碑文「種田山頭火は、さすらいの旅を続け、質の高い自由律俳句を作りつづけた層雲派の俳人で「昭和の芭蕉」といわれた。昭和7年から同13年まで小郡町矢足に住み、家を「其中庵(こちゅうあん)と称し、生涯でもっとも充実した日々をおくり「其中日記」を残した。この句は、昭和5年に旅の途中、晴天の下で編代笠をとり、ひと休みしたときに詠んだもので、直筆を復元して刻んでいる。」

ラストは新山口駅北口にある「山頭火」のモニュメント。と言っても、徳利に傘がかぶせてあるだけで、知らない人には何が何やら??。お酒が好きだったという山頭火さんらしいデザイン。徳利の下の柱に刻まれた句

【 またふるさとに かえりそばの花 】

訪問日:2017年12月1日&2015年11月12日

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード第4弾 in 山口県旧小郡町(山口市)

2024年02月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧吉敷(よしき)郡小郡町(おごおりちょう)は、山口県のほぼ中央、椹野川沿いに位置した町です。町域の東南北は山口市、西で宇部市、美東町に隣接。周囲を山に囲まれ、江戸時代には、津市・東津付近を中心に山陽道の宿場町として栄え、交通の要衝として発展してきました。「町の木:松」「町の花:サルビア」「町の花木:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「未来にひらけゆく おごおり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、吉敷郡小郡村が発足。

1901年、小郡村が町制を施行、小郡町(第1次)となる。

1944年、山口市・大歳村・平川村・秋穂二島村・名田島村・陶村・嘉川村・阿知須町・佐山村と合併し、山口市となります。

1949年、山口市より小郡上郷・小郡下郷が分立、小郡町(第2次)が発足。

2005年、山口市・秋穂町・阿知須町・佐波郡徳地町と合併し、改めて山口市小郡となりました。

マンホールには「山頭火の:春風の鉢の子一つ」の句と、「満開の小郡桜」の下を走る「SL山口号」が美しくデザインされています。

山口市役所小郡支所の一画に展示されているSL。

旧小郡町の下水道キャラクター「あめんぼ」の親子と、周囲に「SL山口号」を配したデザインマンホール。

昭和41年11月16日制定の町章は「「小」の字を図案化したものです。小郡は四方に交通が発達しており、将来も豊かな町に発展することを表しています。」旧公式HPより

撮影日:2012年11月18日&2015年11月12日&2017年12月5日

------------------------00----------------------

2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「山口市B」のマンホールカードは、「新山口駅観光案内所」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールにはSL「やまぐち」号と「小郡桜」がデザインされています。

「 昭和54年8月、全国の鉄道ファンを喜ばせる出来事がありました。 当時の国鉄が、廃止していた蒸気機関車を全国に先駆けて山口線で復活させたのです。 それが、本マンホール蓋に描かれているSL「やまぐち」号です。 復活当初からSL「やまぐち」号を牽引しているのがC57型1号機。 そのスマートな容姿から「貴婦人」の愛称で親しまれており、今も新山口駅(山口市小郡)から津和野駅(島根県)までの62、9kmを約2時間かけて走行しています。 絵柄の中の句は、小郡に長く暮らした俳人「種田山頭火」が遺したもの。 背景には山口市指定天然記念物の「オゴオリザクラ」をあしらい、山口線の旅情緒溢れる風景を描き出しています。」

訪問日:2017年12月05日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふらり~仁保の名所訪問 in 山口県山口市仁保

2024年02月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市仁保上郷、県道123号線沿いの一画に「平家の泉」の看板・・と、取水口💦。実際の平家の泉や平家岩はこの先を500m程歩いた先という事で却下😥 軟弱な私の足腰を心配してのご亭主殿の判断、従うしかありません

「八百年の昔、下関の壇ノ浦で源氏に敗れた平家の落人は各地に四散し、その中には平家一門の万寿姫もいた。姫はわずかな郎党に守られながら仁保川を遡り、上げ山の里を過ぎて小径にさしかかると行く手に巨大な岩が見えた。 岩の傍らには湧水が出ており、万寿姫や郎党はこの湧水を飲むと激しかった戦いの悪夢も徐々に醒めて穏やかな気持ちを取り戻した。ほどなくして岩に坐した万寿姫は笛をとりだし静かに吹き始めると、笛の音は静寂な谷間へ吸い込まれるように消えていった。この湧水で喉を潤した一行は休息の後、徳地白井の里へと旅立って行ったと言われています」現地案内より

引き返す途中、二保川の向こうに見かけた不思議な水車?らしきものと一寸法師と書かれたモニュメント。しかもこの法師、大きな鯉を釣り上げてます。気にはなるけども川の向こうでは如何とも😓

山口市仁保上郷、県道123号線沿いに見かけて立ち寄った「嘉村礒多(かむらいそた)生家:帰郷庵」

築後140年を経た私小説作家:嘉村礒多の生家を山口市が改修し、2010年11月27日にオープンした施設。囲炉裏やかまど、五右衛門風呂などを使った古民家生活体験など、日頃なかなか体験できないスローライフを楽しむ事が出来ます。

私は都会で死にたくない。異郷の土にこの骨を埋めてはならない(随想:上ヶ山の里より)」

「道の駅:仁保の郷」に帰ってきました。実は平家の泉はここのレジの方が教えてくれた名所。お陰で美味しい平家の水も頂けましたし、帰郷庵の素敵な建物も見る事が出来ました。

KDDIの巨大パラボラアンテナに見送られて、仁保の郷を後にします。

訪問日:2012年11月12日

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舟山(ふなやま)八幡宮 in 山口県山口市仁保下郷

2024年02月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市仁保下郷に鎮座される「舟山(ふなやま)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・宗像三女神』

「社伝によると、建久9年(1198)地頭平子重経が、仁保庄内の鎮守として鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものという。当初の社殿は現在の源久寺東方にあったと伝え、貞和3年(1647)平子重嗣が社地を現在の船山南麓に移した。慶長五年(1600)毛利秀元が社殿を再建したがまもなく焼失。同18年に毛利輝元が再建し神領を寄付した。」山口観光サイトより

拝殿前左右より神域を守護されるのは文政10年(1827)3月吉日建立の狛犬さん一対。頭の大きさに対して胴体が些か小さい造り、大きな目と大きなお団子のような鼻が何ともユーモラスで、好感度も良し!😊

拝殿内に奉納された鏝絵の額は「鷹と松」。位置的に右端が切れてしまったのが惜しい!

それほど新しい時代の奉納とは思えませんが、保存の仕方が良いのか、いずれの絵馬も繊細な色合いを保持したままで、参拝者の目を楽しませてくれます。

市指定天然記念物「船山神社のイチイガシ」「推定樹齢は300~400年のものといわれている。根元周囲4.6m 目通り周囲約4.3m 樹高約20m」山口市文化財より

県指定天然記念物舟山八幡宮のチシャノキ」。「参道の右脇に生えているチシャノキは、根周り11.5m、目の高さの幹周り2.9m、高さは目測で16mあり、この種類でこれほど成長したものは極めて珍しい。」山口市文化財より

駐車場の関係で鳥居まで戻れず神橋から。

参拝日:2012年11月12日

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカードC in 山口県山口市

2024年02月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

山口市仁保中郷に、大手通信会社KDDI唯一の衛星通信施設で、日本最大の衛星通信施設「KDDI山口衛星通信所」があります。敷地には、国際通信用の衛星インテルサット・インマルサットとの交信用のパラボラアンテナ約20基が並び、まるで近未来のSF映画の一場面を見ているような現実離れした光景が展開されています。

最大のものは直径34mあり、衛星通信用パラボラアンテナとしては日本一の大きさ!

ちなみにですが、インテルサットはヨーロッパ大陸及びインド洋向けとアメリカ州及び太平洋向け2方向の国際通信。インマルサットは船舶通信を主目的とする移動体通信とインターネット通信を目的としていると説明されても、実は文字面以上の事は理解できていない・・「凄いねぇ」としか誤謬が無い😅

今回はマンホール収集も兼ねて、1982年12月に開業した「KDDIパラボラ館」にお邪魔させて頂きました。何と言うか・・ちょっとしたSF映画のセットみたい。

縁の下ならぬ海上海底の力持ち海底ケーブル敷設・修理船「KDDIオーシャンリンク」の模型。

欧州宇宙機関(ESA)が開発した人工衛星打ち上げ用の「アリアンロケット」。本物??!・・本物みたい・・だよね・・意味不明の会話😅

「日本最大級のパラボラ群が目の前に」、眼前に広がるのは、キャッチフレーズそのままの光景。

日本一のパラボラアンテナがデザインされたマンホール

「KDDIパラボラ館」入館記念のスタンプと、お土産にいただいたメモ帳。

点々と設置されたマンホールに、心ウキウキの施設訪問でした。

最後は「KDD」のマンホール。KDDは国際電話事業専業の会社として日本電信電話公社の一部を分離して1953年に設立、2000年まで存在した通信会社です。knowledge-discovery in databases(データベースからの知識発見)の頭文字から「KDD」と命名。2000年、KDDはDDIおよびIDOと合併し、KDDIが発足しました。

訪問&撮影日:2017年12月5日

------------------------00----------------------

マンホールカード 頂きました。

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(累計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「山口市C」のマンホールカードは、「湯田温泉観光案内所」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「KDDI山口衛星通信所の巨大パラボラアンテナ」がデザインされています。

「山口市は地震や台風などの自然災害が少なく、電波障害を受け難い盆地であることなどから衛星通信に適しており、市内には国際衛星通信センターをはじめ、有料多チャンネル放送や全国瞬時警報システム(J-ALERT)などの衛星通信基地局があります。 このうち、世界最大級の衛星通信センターであるKDDI山口衛星通信所には、巨大なパラボラアンテナが立ち並び、敷地内には国際通信の仕組みを「見て」、「触れて」、「楽しんで」学べるパラボラ館があります。 本デザイン蓋は、下水道の役割や重要性をパラボラアンテナの印象的な図柄で発信したいとの思いから制作しました。」

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤田(あかだ)神社 in 山口県山口市吉敷

2024年02月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市吉敷赤田、湯田温泉駅の北西4Kmの吉敷川沿いに鎮座される「赤田(あかだ)神社」。御祭神は『大己貴命(おおむなちのみこと)・猿田彦大神(さだひこのおおかみ)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・柿本人麻呂大神』。

由緒「成務天皇9年9月9日(139)、島根県の出雲大社より「大己貴命」の御分霊をお迎えし、良城大神宮としてお祀りしたのが始まりといわれる。養老元年(717)に現在地に還座し、地名から赤田神社と呼ばれた。周防五社の一つに数えられ、4番目に当たる事から「四の宮さま」と称される。現在の社殿は、江戸時代中期から後期の建立といわれ、本殿は三間社流造りで、意匠をこらした妻飾りが施されている。」公式HPより。
拝殿後方にわずかに見える御本殿。

拝殿の石段上・左右より神域を守護されるのは、文化年間(1804~1818)建立の何とも陽気な顔立ちの狛犬さん一対。東大寺別当:清水公照氏の作品にこんなお顔の造詣があったと思うのですが・・・まさかこの狛犬さんがモデルとか??

拝殿:正面

拝殿の天井には吉敷出身『内藤鳳岳』「八方睨みの龍」

イナバウアーも真っ青の、のけぞり姿勢で写した龍、腰が折れるかと思った・・・😓

拝殿向拝の彫刻額は同じく吉敷出身の『吉田岩亀翁』の奉納。

本殿向かって右横に鎮座される「境内社:恵美須神社」、御祭神は「事代主命・蛭子命・市杵島姫命」。合祀「瀧神社・佐畑神社・天御中主神社・須賀神社

由緒「摂津国の西宮神社より勧請。吉敷郡木崎に鎮座していたが、約130年前に赤田神社境内に移築。この時、近くにあった四社も共に遷され、恵比須神社に合祀。」

本殿手前右側に、吉敷川の禊場。御祭神である『大己貴命』はここから見える絶壁がお気に召し、この地に鎮座したいとご神託をされ、赤田の地に還坐されたと云い伝えられています。

駐車場の都合で一の鳥居・二の鳥居・神橋も画像に残せないままの参拝となりました。鳥居の代りにはなりませんが、境内に建立されていた謎の石碑を。注連縄が掛けられている所を見ると、神社縁の物である事は確かなようです。

吉敷佐畑、帰り道に見かけて立ち寄った道路広場に「刀匠二王之碑」

「刀匠二王氏と大内文化」と題した案内には「刀匠二王氏は鎌倉時代、大和国から移住、子孫は防長の地で刀鍛冶として活躍した。吉敷地区にも永享年間に二王守綱という刀匠がいた。二王作の刀は実戦的なものでなく、装飾的な美術品の要素が高く、輸出用の刀として大内文化を支えたetc.・・」

さらに同じ場所には有形文化財指定のホタル塚・『吉井勇』の歌碑
【 うつくしき 蛍の群れのかがやきを このうつし世のひかりともかな 】

参拝日:20012年11月18日

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯田温泉・街歩き~其の二 in 山口県山口市湯田

2024年02月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

昨日に引き続いての「井上公園」、二日目のスタートは園内の文学碑などを紹介。まずは湯田温泉出身の詩人『中原中也』自筆の原稿からの詩碑。

【 これがわたしの古里だ。さやかに風も吹いている。
ああおまへは何をして来たのだと 吹き来る風が私にいふ。】

続いて湯田温泉を愛した漂泊の俳人 種田山頭火の句碑。

【 〇んぼこも お〇そも  湧いて あふれる湯 (〇部分自粛)  】碑に彫られた句は、山頭火の日記から取った自筆だそうです。

井上公園内にある白狐のモニュメント

松田家ホテルの横、細い路地の先に設けられた湯の香通りにある「足湯」

近くには、古熊神社の参道に建立されていた明使・趙秩の「山口十境詩:温泉春色」が建立されています。(現代語訳はこちら)

 山川秀孕陰陽炭 (山川、秀孕たり、陰陽の炭)
  天地鑄成造化爐 (天地、鋳成せらる、造化の炉)
   誰献玉鷗天寶後 (誰か献じけむ、玉鷗、天宝の後)
  派分春色致東隅 (派分して、春色、東隅に到る)

この足湯で、やはり遠方からおいでになった家族連れの方とご一緒しました。可愛いお子様たちとのおしゃべりに、つい時を忘れて。お互いに記念写真を撮り合ったのも、楽しい思い出の一幕です。

マンホール探しの途次に見かけた素敵な佇まいのお店

湯田温泉駅を出てゆく電車を見送り・・

白狐の「ゆう太君」に見送られて😊 

”See You Again”

訪問日:2012年11月18日&2015年11月11日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯田温泉・街歩き~其の一 in 山口県山口市湯田

2024年02月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市の南西部に位置する山口市湯田温泉一帯。けがをした白狐が傷を癒していたという伝説が伝わることから「白狐の湯」とも呼ばれ、山口県を代表する温泉の一つ「湯田温泉」。町全体が観光客に人気のスポットです。

街歩きのスタートは今井町にあるJR西日本山口線「湯田温泉駅」から。駅前では高さ8mの巨大な白狐「ゆう太君」が出迎えてくれます。臨時快速「SLやまぐち号」の停車駅で、足湯まで併設されているとあっては、素通りなんて有り得ません!

懇切丁寧に温泉の由来を教えてくれてる「ゆう太君」

温泉街の中心地はここから約700mほど向こう。ご当地マンホールを探しつつ、のんびり足湯巡りと街歩き。まずは看板が気になった「湯田温泉料飲社交組合」。文字から察するに飲食店関連の組合みたい。

では早速飲泉場で、熱々の温泉を・・・って、違う!!

観光協会で街歩きの必須アイテム「街歩きマップ」を頂き、ついでに足湯を楽しみ。一日何時間も運転を担当するご亭主殿、足の疲れもほどけて気持ちよさそう。

私は狐君たちと一緒に手湯を楽しむ事にします😊

マンホールを探しながら湯田温泉界隈を歩いていると、明治維新に関わりの有る旧跡が残されている事に気づきます。「史跡:瓦屋跡」は、幕末から明治初期にかけて木戸孝允など維新の志士たちが利用した旅館があった場所。

道順ではありませんが「史跡:御茶屋臨野堂(おちゃやりんやどう)跡」は、萩の毛利氏が他藩の来客用に設けたお茶屋。幕末になってからは吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎らが密議の場所として利用していました。

「明治維新史跡松田屋」の碑が立つのは、延宝3年(1675)創業の「松田屋」。

元治元年(1863)、高杉晋作は松田屋玄関横の楓の幹に「盡国家之秋在焉(国家に盡(つく)すのときなり)」と刻み、松田旅館内にはその幹が保存展示されています。

続いて大きなゆう太君の遊具がある一画😆。いやいや、もちろん良い大人の二人、ここで遊ぶわけではありません 😅

ここは山口を代表する明治維新の志士『井上馨』生家の跡地に、大正時代始め頃に整備された「井上公園」

昭和初期の再整備時に地名から高田公園と改称。その後、明治維新に大きな足跡を残した彼を顕彰するゆかりの歴史公園として、2012年に元の井上公園の名称に戻されました。

名勝:井上公園「井上家屋敷庭園」

瓢箪池と夜泣き石

「三条実美(さんじょう さねとみ)・お手植の松」

名勝を楽しんだ後は、楽しい足湯タイム。まだ11月半ばですが、この季節の山口市は意外と冷えます。

白キツネさん親子に見守られての足湯、悪く無いですねぇ~💕

のんびり寛いでいる二人の目に何か不思議なものが・・・園内に建立されていた井上馨の頭の上に・・何か・・何かいる?・・あっ!!あぁ~頭に鳩が!!

世が世であれば不届き者(鳥)と捕縛され、焼き鳥の刑にされかねない鳩さん・・何という平和な光景😅  湯田温泉街の街歩き、明日に続きます。

訪問日:2012年11月18日

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする