チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

偏愛的がわたしをつくる

2010年10月26日 | 読む見る聴く&思う

 いろいろあった8月からすでに2カ月。
気がつくと猫らの毛がほっこりする季節になっている。
赤ちゃんのこと、家族のこと、いえのこと、といっぱいいっぱいだったものが
少しずつおちつき、自分のアタマの中もクールダウンしてきたとき
そこが空洞になっていたのに気がついた。

そんなときふとしたきっかけで「わたし」が戻ってくる。

それは音だったり、文だったり。
今回は文です。


 「小川洋子の偏愛短篇箱」


小川洋子という作家はあまり読んでいなかった。
日曜日のFMラジオ番組メロディアス・ライブラリーを聴くくらいで
「牧師さんのような話し方するひとだな」くらいに思ってた
(この番組で取り上げる本はあまり好きじゃないし)。
先週図書館で新刊棚にあった「原稿零枚日記」。これを初めて読んでみたら
その小説の空気がなんだかなつかしいものがあって。


そして今週はこれ小川洋子・編「小川洋子の偏愛短篇箱」。
内田百の「件」からはじまって横光利一「春は馬車に乗って」
尾崎翠「こおろぎ嬢」、森茉莉、武田百合子、島尾伸三・・・
まさにわたしの偏愛ど真ん中。

少しずつ読みすすめるうち、これらの短篇の持つ空気にひたっていた高校生の頃、二十代の頃にわたしは戻る。


ああ、そうだ、わたしってこの空気がすごくしっくりくるんだった、わすれてた。

こういうきっかけが自分をいつもの波に戻してくれる、というか
とにかく落ち着く。
なんなんだろう、自分を作ってるモノの一部なんだろうか。

寝るまえの布団のなかで本読む。
この習慣も長いもんだ。
秋のすこし肌寒い部屋、いい季節だなあ・・・。
(ってすぐ寝ちゃうんですが)



今後ともまたよしなに・・・。






映画「犬と猫と人間と」

2010年05月10日 | 読む見る聴く&思う

 こういう映画を見てきました。

 一人のおばあさんの希望によって、そしてこの方の企画で
「犬と猫と人間と」という映画が作られました。
人間に捨てられた猫や犬たちの現状を撮っているドキュメンタリー映画。

各地の動物愛護センター、ボランティア団体、NPO、獣医さんなど取材させてもらえる(これが少ないらしい)団体を定点観測し
殺される動物、生かされる動物、それをとりまく人間を記録している。


  2007年度の殺処分された犬猫の頭数---31万457匹


映画のあと、この数字の奥につづく日本の現状が見える気がした。
いまの日本では動物は生き物ではないのだ。
モノであり商品。
だから腐って死んでもしょうがない。
病気が蔓延すれば処分するしかないし
必要がない動物は廃棄するしかない。

わたしもその上で生活している。
でもなにを変えていかなければいけないのか、それを考える。
次世代に伝えること---生き物はわたしもあなたもそして植物も同じ。
それをいただいて生きている。
ありがたいこと、ありがたいこと。
それをひとときも忘れないようにしなくてはいけない。


夕方、家に帰るといとしい猫らが「ハラがへったよ~」とないて
足にまとわりつく。
う~ん、カワイイ。ありがとね、いてくれてホントにありがとね。
(思わず抱っこしてギューして「いやー」と避けられる)




しかし・・・毎日3回ものごはんをもらっているにもかかわらず
どうしてこういうことをするのか?・・・解せない。
 キッチンのゴミ箱をひっくりかえし漁るとか・・・

 肉も入ってないカボチャサラダをラップの上から
            かじるとか・・・
 わたしが焼いた硬めのパンを袋をやぶって
             かじるとか・・・

飢えるようなことは一度もないはずなんだけどね。
なにが彼(彼女)をこうさせるのか?


小学生的学年向きの性教育講座@恵那

2010年01月31日 | 読む見る聴く&思う

 昨日地元の子育てNPO主催の性教育講座があったので
家族で行ってきました。
会場へ着くとまずこどもはこども会場へ、おとなはおとなの講義室へと分かれる。
こどもは絵本やゲームを間にはさみながら、やわらかく教わっていたようだ。
おとなの講義は現役の小学校の保健の先生が行ってくれて、最近のこどもの性に関する心配事や問題などにくわしい。
そしてどんなカンジでこのデリケートな問題をうまく正確に伝えたらいいのかも軽やかに密にお話してくださった。


性教育と行ってもわたしがこどもの頃のものとは雲泥の差。
単なる生殖に関する知識の羅列などではなく
こどもひとりひとりが愛にもとづいてこの世に生み出された
その過程としてゆっくりと、いつくしみをもって教えられる。
(学校の性教育すべてがこうだといいんだけど)

「あなたはまわりに愛されてこの世に産まれてきたんだよ」
「そしていまも大事な存在なんだよ」
ってことが伝わると、自分を大事にすることができる。
自分を大事にすることができると、自分以外のひとも大事に思える。


性教育ってここからはじまるんだ。
すべてのおおもとだって言っていいくらいだいじなこと。
小学校でももっとおおきくとりあげてほしいなあ~。


終わった後「ねえどんなはなしをしてもらったの?」
って聞いたんだけど
「ゲームとかしたよ。おもしろかった。」
「え?」

ちゃんと話聞いてきたんだろうかね・・・。



はじめての映画

2009年09月29日 | 読む見る聴く&思う

 昨日は先日あった運動会の振替休日。
息子を連れて名古屋今池シネマテークに映画を観に行くことに。
息子は生まれて初めての映画鑑賞。



観たのはチェコアニメーション、イジー・バルタ「屋根裏のポムネンカ」
バルタ監督満を持して放つ長編最新作ですよっ!!


  ほこりまみれ、煤まみれの屋根裏部屋は別世界。
  うち捨てられた人形や銅像、おもちゃや虫たちが静かに
  あるいはせわしなく暮らしている。
  青い目の人形ポムネンカ(「忘れな草」の意)は、ガラクタでできた
  シュ ブルト、壊れたマリオネットのクラソン、くまのぬいぐるみのムハと
  古いトランクの中で平和な日々を送っていた。


 くまのムハはルームシューズで眠る習慣


   その屋根裏の果てに住む悪の親玉フラヴァ(銅像)が手下を使い
   かわいいポムネンカをさらっていてしまう。
   クラソンとムハは意を決しタンスの壁を登山しシーツの洪水をかわし
   枕の雲から降る綿の雪に凍えながら悪の帝国へむかう。
   シュブルト、ねずみのキュリーやブタのルージェンカたちも一致団結し
   ガラクタを集めて作った飛行機(計器が秀逸!)や船に乗り
   愛しいポムネンカを奪いかえしにいざゆかん!



映画自体は字幕だけどあらすじがわかりやすいので
少しの解説をしてあげるだけで息子は食い入るように画面にくぎづけ。
途中「こわいこわいー」と手をぎゅうとにぎってくる。
おとなでも深層にぐっとくる怖さを感じるから子どもはもっと感じているだろうな。


                    パンフの表紙も愛らしい 



 わたしは古いものへの愛着が強いのかな、もう画面を観て震えてくる。
捨てられたストーブや空き缶、ほうきなどでできた機関車、きっぷが連なる列車、
食卓にはおままごとに使われてたカップ、おさら、お玉どれ一つとっても
古いものはうつくしい。
くまのムハはいつもトランクを二つもって歩くんだけれど、
この中にはベッドがわりのルームシューズ、ガラス製のティーカップとポット、ほかにもいろんなものが詰め込んである。
このトランク自体も水色に赤い十字が描いてあって(おそらく救急箱)欲しくなってしまう。
バルタ監督のひとつひとつのモノに対する愛情がしみしみあふれ来るのだ。
どれをとってもすべてに愛の目が注がれ、いらないものは何一つない。
画面からは目が離せない。



わたしたちの家にも目の届いていないすみっこに、きっと「彼ら」はいる。
わたしたちの姿を見るとなんでもない捨てられたモノになり転がって見せるけれど
「彼ら」はこっそりと食事をし眠り、そして毎日誕生会をひらいている。








FM NHK 励行!

2009年05月14日 | 読む見る聴く&思う
ここ最近FM NHKばかり聴いてる。
仕事中好きな音楽が聴けるってすごいなーといまでも感激しながら聴いてる。

前まではネットサーフィンならぬラジオサーフィンをして
FMからAMまでいちいち気に入った番組を探しつつツマミをぐるぐる回していた。
でもここんところずっとFM NHK。  

                              仕事場の「音楽どころ」


渋谷陽一の「ワールドロックナウ」(金曜夜11時から)は、むかしのまんまの渋谷陽一で笑ってしまった。
気に入ったバンドしか取り上げないくせにこき下ろす、皮肉る。
むかしは日本のロックバンドも出ていたっけ。清志郎も出ていたなあ。
このひとが番組持つのって久しくなかったことだと思う。
音楽番組って聴いてて思うんだけれど、DJ(って今言わないか)は
自分の好きな音楽を熱心に語らなきゃおもしろくないってこと。
だからこの人の再来に拍手!!


大貫妙子も月1だけど「懐かしい未来」という番組を担当。
先々週のゲストは山下達郎(「山下くん」って呼んでた)。
このタイトル(ラダック「懐かしい未来」)からして音楽で自分の伝えたいことを番組を通して訴えていくのかなと思った。この先いかに。


北中正和「ワールドミュージックタイム」は時間が日曜朝8時からになった。これはMDに撮ってくり返し聞く。
心底このジャンルが一番好き。
ただすごい気に入った曲があっても「パキスタン北東部の現地録音で」「スペインの片田舎での結婚式のときの音楽」とかだったり探しても手に入らないことが多い。
とくに「ロマ」(昔で言うところの「ジプシー音楽」)は一番好きなんだけれど、ラジオ番組多しといえど流してくれるのはここぐらいだろうか。


かわらないのは土曜の朝のピーター・バラカン。
このひとはアーティストの曲に込める思いなども語ってくれて、番組が深い。
「フォークを歌うひとはすべからく左翼とみなされがちだったのですが、そうではなく常に民衆の側になって歌い続けるという姿勢なんですね」。民放FMの番組では聴かれない台詞だ。
その曲が流行した時代背景なども合わせて伝えてくれるので中高校生など音楽初心者にはうってつけではないだろうか。


「日曜喫茶室」に代わって「トーキング・ウィズ・松尾堂」もいいかも。
「サウンドストリート21」もたまによいゲスト来てるし、きたやまおさむも懐かしい曲を並べてくれてる。


ああ~ラジオがあれば孤島にでもゆける~。







「六ヶ所村ラプソディー」中津川で上映

2009年05月05日 | 読む見る聴く&思う
                              

  先月、近所のふれあい文化センターでこの映画を見た。
見ている間ずーっとみけんにしわをよせて見ていた。


映画は六ヶ所村になぜ核燃料再処理施設ができることになったのか、から始まり
長い反対運動の末、なぜ反対派住民が反対派をやめていったのか、
そしてその後の反対派賛成派それぞれのこの地での生活。

カメラは海外の同様な施設をも追う。
イギリス、セラフィールドにある同様の施設周辺では、小児がん発症率が
通常の10倍近くになるが因果関係はないと公表されていること。
そしてこのイギリスの工場はその後重大な事故を起こし現在工場は閉鎖されていること・・・。


映画を見て初めて知ったことが多過ぎて自分の無知におどろいた。
上映後、監督の鎌仲ひとみさんの講演があって、さらに現在の状況が伝えられ、その事実に鉛を飲んだような気持ちになった。


ここにみなさん周知のこともあるかとは思いますが
大事なことなのでいただいた資料をもとに一部書き留めておきます。


  ・六ヶ所村核燃料再処理施設では、世界のどこの国でも技術的に
    難しく コストもかかるため断念しているプルトニウムの再処理を
    しようとしている。
    プルトニウムが燃料になりうるかどうかさえまだ研究段階だというの   に。

        (注・プルトニウム=長崎の原爆に使われた毒性の高い元素
          耳かき一杯で数百万人を殺せる)

  ・この工場は2007年始動の予定だったが事故により延期。
    (簡単にマンガにしてみました。下記)
   新聞ではこちら↓
http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901070843/1.php

    


    




   ・「原発は地球にやさしいクリーンなエネルギー」っていうけれど
     巨大な施設工場、ウランの運搬、放射能廃棄物の処分には大量のの    
     CO2が発生するし、海へ捨てられる排水で海水の温度は上昇している。


日本のテレビ、マスコミではこういった事情は、スポンサーが電力会社であることで報道されることは少ない。
しかし地元の新聞などでは事細かに報道されており、ネットでこういった新聞をぜひ一読してみてほしい。
見出しだけでも驚いてしまうくらいだから。
デイリー東北↓
http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/kakunen/kakunen-top.htm


国内の電力の三分の一を原子力発電でまかなっているというけれど
それは使える火力発電を休ませておいて、そのうえでわざわざ原子力を使っているからだ。

アメリカはオバマ政権に代わって、原発をこれ以上増やすことをやめ
地熱発電、風力発電にチカラを入れるらしい。
それは原発がコストがかかりすぎる上、リスクも大きいから。
そんな原発を日本はなぜ増やそうとしているのか?

どうやら電気というのはものすごくもうかるらしいのだ。

うう、話が長くなり過ぎたので今回はこれまで!(ぺぺんぺんぺん)



キヨシローにありがとう

2009年05月03日 | 読む見る聴く&思う
                       

 忌野清志郎が亡くなった。


昨年一度退院して復活ライブをした映像が当時テレビで流れていた。
清志郎は入院中失った体力を戻すため、相当苦労していたと聞く。

自転車で「雪に埋まってしまった息子を何時間もあきらめず雪を掘って
 救い出したおじいさん」に感動して会いに行ったり。

やっぱり自転車で全国ツアーまわったり。

シャイでテレビなんか出るとギターで話すからなんだかよくわからんし。

清志郎は高校時代にデビューしてるんだけれど、同級生に三浦友和がいて仲も良くて清志郎のお母さんが三浦友和に「うちの息子どこに行ったか知らない?」と困って聞いていたとか。


わたしは中学の頃清志郎の声に出会って、長いつきあいだった。
中学校卒業のイベントに「雨上がりの夜空に」を大声で歌ってまわりを引かせた。
高校のとき同じクラスの秀才の男の子は、話してみると清志郎のファンだった。
おたがいテープを交換したっけ。

   気の合うともだちってたくさんいるのさ
   今は気づかないだけ
   街ですれ違っただけでわかるようになるよ

あまりぱっとしない高校生活で、この言葉は染みた。

こんなミュージシャンはもう出ないだろう。






アンの世界

2009年03月29日 | 読む見る聴く&思う
 
 卒業の季節。うちの息子も無事保育園を卒業。

 
 
卒園制作は自分の顔をたくさん作ってみんなと交換。
額縁に貼りつけて完成。
この額縁は・・・お父ちゃんが仕事依頼されて制作しました。


しかし卒園式の朝、息子は40度近い熱を出していた。
式のあと病院へ行くとなんと今頃インフルエンザ。
ここのところ仕事以外ですごいバタバタしていて子どもにそれが来たかー。
わたしも看ていなければいけないのでここで強制的にオフ。
ふうふういってる息子の横で、時間があるから本を読む。
こんな時間はなかなかとれない。ちょっとありがとう。


  借りていた「赤毛のアン 手づくりの本」

この本、すごく懐かしさにみちみちている。
小学校の頃、人形の形をしたクッキーや色とりどりのパッチワーク、
ほわほわのメレンゲケーキの写真を見て、見るだけでも楽しんでた。
今あらためてみると、確かに古さはあるのだけれど
ランチョンマット、お弁当包み、ベッドカバー、お菓子、ジュース、ジャムなど
すべて家の中で家で採れたもので作られている。
時間をかけて。
マリラ、マシューの仕事は今ぜんぜん古くはないのだ。
この時代、生活することに一日のすべてを費やしていた。
アンの住む世界も、日本も、どこもが。



かたやこういう本も図書館で借りてきたし読んじゃうんだけど。
アンの世界との差に自分でも吹き出したりして・・・。
(本の表紙に使われてる色が正反対だし)
 けっこうオモシロイのであった。

ヘイト船長とラヴ航海士 ~鈴木慶一produced曽我部恵一~

2009年01月14日 | 読む見る聴く&思う


昨年末、風邪ひいたアタマでぼんやりと「ミュージック・ステーション」という
ふだんなら見ない番組を見ていて一瞬「んんっ」と目を疑った。
歌手としてテレビに出ることなどめったにない人がそこに映っていたから。
意外なことにミュージック・ステーションの2008年ベストアルバムとかなんとかに選ばれてたみたいで。
なんにせよ若ーい頃から好きな歌い手さんの新しく出したCDが注目されてるのはうれしい。
ましてやこのCDはおとうちゃんにわたしから贈ったクリスマスプレゼントだったから。


鈴木慶一はわたしの理想の男。
といっても「わたしが男だったらこういうふうに行きたい」っていう理想。
伴侶をもたず(一度持ったが失敗)ひとりで飲んでひとりで聴いてひとりで観て
好きなようにプラプラしてるようで
かたや映画音楽やプロデュースのしごともこなし
かたや売れないCDをもっそりとつくり続けるファン泣かせなミュージシャン。

ひとりで孤独でいることしかできない自分を知ってる男

これが理想の男。

このジャケットにはかなりぐっとくる。
酒とレコードがあって船でどこにでもいける。



     おー、阿呆船よ、何処へ      written by 鈴木慶一

           夜には  橋を渡って
           過去と 話がしたくて
           錆びついた  阿呆船の
           舫い(もやい)綱解いて 川を下る
   
           穴の空いた デッキシューズに
           冷えた夜霧と
           暗闇が 忍び込む


           次の夏が来る前に
           新しい  靴を買おうか
           ふらふらと  阿呆水の
           泡を背負って   河口に出る

            さあ  悲しみが 逆流する時が   もうすぐ来る
            さあ  喜びと    すれ違う間   船を進めて  いよう

           夜明けに住む    過去は繋ぐ   
            舫い綱で
            この船を    阿呆結びに
   
           朝には  橋の真下で
           あなたが  恋しくなって
           超満員の   阿呆電車
           通り往くのを    ずっと待ってる

           舫い綱で  この船を
           線路に縛って    ずっと待ってる


                                      all  right  船長 ・・・

  

    





クリスマスのえほん

2008年12月24日 | 読む見る聴く&思う
 クリスマス。
正直いってキリスト教徒でもないし、ツリーもねえーみたいにさめているうち。
しかしこどもは何がたのしいのかウキウキして口角があがり、
ぺこちゃんみたいな顔している。
わたしもこどものころ、ツリーを出してもらってわくわくして飾りつけしてたっけ。


街中のハデなクリスマスはキライだけど
絵本は別、クリスマスの絵本はとくにきれいなものが多いし。


 だいすきな2冊

  くんちゃんとふゆのパーティー    ドロシー・マリノ 作・絵 
                                               あらいゆうこ 訳

 ちいさなもみのき    マーガレット・ワイズブラウン 作
                           バーバラ・クーニー 絵    かみじょうゆみこ 訳




くんちゃんはクマの男の子。
おとうさんが仕事に出ているあいだ、「おとうさんをびっくりさせるパーティー」の準備をおかさんとはじめる。
クッキーを焼き、ツルコケモモに糸を通して木に飾る。

この本は「クリスマス」ってことばがひとつも出てこない。
冬眠する前にたのしい飾りつけをし、おいしいごちそうをつくる。
おとうさんがくんちゃんとおかあさんにプレゼントを持って帰ってくる。
それだけなんだけど、それがいい。


くんちゃんのシリーズは他にもあって、どれも読んでも
こどもをいつくしむ空気がこめられていて、あったかいきもちになる。
どれもいいです。





バーバラ・クーニー&マーガレット・ワイズブラウンの
ゴールデンコンビの絵本は、わたし自身のために買う。

ストーリーは単純なものだけれど、そのみじかい文章のうつくしさ
そしてなによりも絵のうつくしさ。
ちいさいころに眺めていたのはこんな本だったかな、なつかしい気もする。




  うまやのクリスマス        マーガレット・ワイズブラウン  作
                                    バーバラ・クーニー  絵
                                    まついるりこ 訳
        
これもゴールデンコンビの絵本。
図書館でみつけて借りてきた。



本文は詩のよう。
本来のクリスマスってこういうものなんだなって思った。