チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

飾る本

2022年02月11日 | 読む見る聴く&思う

 

 いままではfax電話機が置いてあったスペース、配置換えしてちいさな空き地ができた。

そこに古道具のRBさんで買ったミシン用の小さいライトをつけて

本を少しだけ並べる。

ここで読むわけではないけど。

 

並べるのは装丁を見たい本。

 

これ、美しい。色褪せがまたきれい。

知人が昨年末引っ越しをするのでお手伝いをしていた際に出てきた。

もう読まないらしい、私ももらってもたぶん読めない。

飾る本としていただいてきた。

 

子どもの本は置いておくだけで何かを伝えてくれる気がする。

「くらしの工作」は私が生まれる前のもの!

背表紙が布で、赤で。

ケストナー、古本もいろいろあるけど、ふるいものの方が色が好き。

 

冬の終わりの、ボッボッと降る重い雪の日。

暗い家の中で本に灯を点ける。

 

 


三本目「きっとうまくいく」

2016年01月12日 | 読む見る聴く&思う

 

 正月の三本目はインド・ボリウッド映画「きっとうまくいく」。

やっぱり2時間半以上あって、勧善懲悪で、ダンスあって、めまぐるしく話が進んで、あっという間。

ラブシーンもそんなきつくないので家族で安心して見れる、そして笑えるボリウッドシネマ。

一週間前に知人からすごくいいから観て~って熱い声を聞いたばかりでのテレビ放映。

運命を感じます。正月にうってつけだし。



舞台はインドで入るのがすごく難しい工科大学ICE。

ここでは学長(もちろん悪役)が「人生は競争だ!競争が学生を伸ばす、脱落者はいらん!」

とばかりに学生を締めつける。インドの学歴重視、成績重視、就職状況などがよくわかる。

   

     

 

そんな中主人公ランチョーは自分の考えで動き、まわりに流されない、

授業でも独創性を発揮、教授たちからも煙たがられる (でも成績は一位!さすがインド映画!)

このランチョーの決めセリフが「きっとうまくいくAal Izz Well」。

子どもの頃から苦労を重ねて来たランチョーはこの言葉をくり返すことで、

それを越えて来た。それが徐々にわかってくる。ストーリーの中に組み込まれている。

 

友を愛し、学べることを愛し、まわりにその波を広げていくランチョー。

しかし彼は卒業と同時に親友、恋人の前から姿を消す・・・。

映画はこの親友がオトナになって、あるきかっけからランチョーの今の居場所を

探しはじめるところから始まるんだけど、まあその展開の早さ、そして判りやすさ、飽きさせない!

そしてこの監督の言いたいことがとてもよくわかる、ひしひしと。 

 

 

今って、この映画が作られた2009年よりもかなり不安要素が増えてる気がする。

世界のあちこちに不安、自分の横にも不安。

でもこういうとき胸に手をあてて「きっとうまくいく」こうつぶやいて

自分のやりたいこと、進めていくのが必要なのかも。

「不安」って抱えていても何もいいことはない。状況は変わらない。

だったら「きっとうまくいく」って思ってやっていくことで

本当は結果そんなにうまくいかなかったとしても、うまくいった気持ちになれるんじゃないか。

それはもう「うまくいったこと」になるんじゃないか。 

 

もともと「3 Idiots (3バカに乾杯!)」みたいなタイトルだったらしいけど

「きっとうまくいく」のほうがしっくりくる。

暗いときにこそランチョーに会おう!みんなでランチョーになろう! 

 

 


二本目「山の郵便配達」

2016年01月04日 | 読む見る聴く&思う

 

 ずっと観たかった映画だった。

観てよかった。

うつくしい。中国はこんなにうつくしいところがあるだな。

観たことのない景色、しかしなつかしい景色がうちの小さいテレビ画面に広がる。

  

               

     

時代はいつだろう、今に近いと思う。

中国の奥深い山村に歩いて郵便物を配る父親、その仕事を継ぐことを決めた若い息子。

一人っ子政策で息子はひとり。その代わりによくできた「次男坊」と呼ばれる犬がいる。

 

息子の初めての仕事の日、父親は心配になって息子についてゆく(犬の「次男坊」も)。

 

 

郵便配達の仕事はきつい。

山道をのぼり、崖をのぼり、川を渡る。

父親はそれがもとで足を悪くしている。

 

たまにしか帰って来なかった父親に親近感を持てない息子は

とまどいながら父親に郵便配達の仕事につきそってもらい、

いままで見たことのない父親の、人生の一端にふれる。

 

途中の宿泊で、息子は父親にこぼす

「山に住んでるひとには山以外なにもない」と。

「なくても頭でものをかんがえてる。苦しみにぶつかれば考えることで乗り超える。

そうやって考えることなしに人生の喜びはない。

郵便配達の仕事はきつい仕事だ。長く続ければ友人も知識も増える。実にやりがいがある。

他の仕事をしたいとは思わん。誇りを持ってやれよ」父親は答える。

 

山に暮らし、他になにも持たない(持てない)人々は、それでも乗り越えるすべを持っているのだ、

金銭で得るもののかわりにな、父親はそう言っているのだ。

そしてそこに生きる喜びがあると言う。

父親自身そうであったのだろう、伴侶である妻も。

この会話には父親自身、これでよかったのか、という懐疑的な思いもどこかあって

息子はこの先の人生、自分のように郵便配達になっていいのか、という。

 

まだあどけなさを残す息子の寝顔をしあわせそうに眺める父親。 

 

ひとの喜びとはなんなのか。

何かを所有することなのか。

何かを待つことなのか。

毎日毎日おなじことを繰りかえすことなのか。

 

 

私事だけれど、ここに越して来て友だちもいなくて夫婦と子どもだけの日々が何年も続く中

おとなりのおじさんやおばさんがいっぱいの野菜を持ってうちに寄ってくれて、

天気やイノシシの話をしてくれることがどれだけありがたかったことか。

わたしはこの映画を観ていてそれを思った。

おじさんはもう亡くなっていない。

でも「なんでもない天気や農作物とかの四方山話」が生きてる中のたのしみだったりするって

わたしに教えてくれて、それはいつもわたしにある。

 

わたしは山に暮らし、山のひとになったのであろうか。

いやーまだまだだな。そこに近づいてはいるんだろうが。

 

 

 


「天のしずく」から始まる

2016年01月02日 | 読む見る聴く&思う

 

 あたらしい年を迎えました。

この冬は暖かくて、野鳥も余裕があるような飛び方。

この先だいじょうぶかなあーとちょっと心配になったり。

 

さて年始、子どもとつれあいが実家に帰っていてわたしは猫らと留守番なんだけれど

たまった映画を観なければならない。いや観たくてたまらんのだけれど。

 

まず一つ目「天のしずく」。

料理家の辰巳芳子さんがつくる「おつゆ、スープ」をめぐる様々なこと。

それだけでひとつの映画が出来てしまった。すごいね。

 

食べることってあっと言う間に終わってしまうのに、なんでこんなことに大事なんだろう!




丁寧に洗って皮をむき、細かく刻み、油をまんべんなくなじませ、とろ火でじっくり火を通し

休むことなくそろりそろりと鍋肌に木べらをそわす。

その作業のなんとうつくしいこと。ほうっ~

 

終末期医療に携わるお医者さんや看護士の方々はこのスープを入院されている方々に提供することで

何かが違うと感じている。

飲んでいる方々も何かを感じている。

それは「相手を思って自分の手を動かして長い時間かけてつくるそのスープ」に

込められてるものを判るから、なのかな。

 

こんな丁寧なことは大事におもう相手がいなければ、できないことなのではないかな。 

 

それがわかったのが映画のさいごのあたりで出て来た、岡山の療養所で暮らす元ハンセン氏病の

女性の手紙だった。

その女性は10歳からこの施設に暮らす。

 

施設で暮らす何十年かの日々。心を寄せ合い自分を支えてくれた女性が、

病に冒され余命いくばくかということがわかった。

彼女はテレビで辰巳先生の作るスープを見て、自分もその友だちにスープを作る

それが自分にできる唯一のことだと思って

不自由な右と左の手を合わせ木べらを挟み込み、安くて大きな鍋で

友だちのために何時間もかけてスープをつくる。

手のひらが開かない、だから野菜をきざむ、スープを濾す作業もむつかしいのがわかる。

でもゆっくりと作業はすすめられる。辰巳先生の言ったとおりに。

 

おおきい富があっても、このひとの左右の手にはかなわない。

なにものもかなわない。

 

じぶんはこのように手をうごかすことができるだろうか。

 

こういうこと、生きてる間にひとつでもできたらすごい。できたらいいんだけど。

そう願う新年でありました。

 

 

 

 

 

 


息子に観せたい映画「縄文号とパクール号の航海」

2015年07月13日 | 読む見る聴く&思う

「縄文号とパクール号の航海」をシネマスコーレで観て来た、

もうすぐ13歳になる息子と父ちゃんと三人。

映画は船となる大木を切るための斧、を作るための鉄(砂鉄)、

を磁石で集めることから始まる。

集めた鉄はタタラの技術で斧に仕上げられ、インドネシアで大木を伐倒するのに使われる。

大木は丸木船に彫り上げられ、外側には木灰と植物油を練り上げたものが塗られ、

帆はヤシの繊維を織る。

徹底して手で作る。

         

 

この縄文号に寄り添って走るのがインドネシア・マンダール人伝統のパクール船。

冒険家関野吉晴、教え子の大学生ふたりをふくむ日本人クルー4名と

マンダール人6名のクルーは、この二隻の船で、インドネシアから日本までの4700kmを

寄港しつつ、ときに途中中断を余儀なくされながら2009~2011にわたって旅する。

 

関野吉晴「効率の悪いバカなことをやってると思う。でも効率が悪いことが何かを生むと思う。

街の生活って管だらけでしょ。一本管が途絶えたらもう生活が成り立たない。

でもこの船をみて。なにも管がないでしょ」。

 

文化も考え方も違う日本人とマンダール人のクルーたちは、緊張と疲労が募る中、

ぶつかったりもしながら、言葉で表せない何かを共有していく。


ニンゲンてすごいなあ~って久しぶりに思った。そして素敵だとも。


フクザツになってしまった今の世の中は、じつはこんなシンプルなもので最初できていたのだ。


人とのつながりも、生活も道具も。

この映画はオトナに近づいてくる息子に観せたかった。


純粋なものだけを持つオトナになってほしいな。

 


「山のお肉のフルコース」著・有馬邦明

2014年12月09日 | 読む見る聴く&思う

 

 読んだ本をブログで紹介するのをたまーにする、年一度くらい。

今回はうちが通う図書館に、わたしが初めて「この本買って下さい」と

リクエストして購入してもらった本。初めての購入希望!

 

  

有馬邦明・著「山のお肉のフルコース」うつくしい本なのです。

 

最初この本はふつうのレシピ本かと思ってた。

だって帯がこうなんだもん。

 

見出しにあるような「クマの脂のアイスクリーム」や「シカのテリーヌ」の作り方が載ってるんだと。

 

たしかにその行程はシンプルに書いてはあるけど、読んでみるとこの本はそれだけではなく

有馬シェフのジビエへの使い方、山の動物たちを撃つ猟師さんたちのこと、

ジビエを扱うことで考えるようになったこと、ひいては食べるいただくということについて、

までが綴ってあるエッセイなのだった。

 

 

「passo a passo」に持ち込まれる食材は、その土地で猟師さんに丁寧に射止められ、

正しい処置を施されたものばかり。

猟師さんたちが猟で発揮するプロの五感を、有馬シェフも調理に際し駆使する、プロの五感を。

それがこの本に現れている。

脂の溶けるようすを見、熱を感じ、煮込んでいく際の香りの変化を感じ取り、

皮を剥いでいくその感覚、そして生きていたときの姿に思いを馳せる。

 

うつくしいものは、おいしいんだ。

 

 

このひとが山に来てくれたらどんなんだろう??ふと思う。

山からの恵みをあますところなく使い尽くし、さらにそれが美味しいのだから!

技術ってすごいなあ。こういうのが技術っていうんだな。

有馬シェフ、イタリアの修業先でのはなし。

「イノシシ、車ではねちゃったんだけど、料理してくれんかな」なんて持ち込みがあったり

野うさぎの持ち込みがあったらしい。そこのあなた、持ち込みたいと思うでしょう、ねっ!

 

東濃地区だけでなく全国の山間地に住む方々に読んでほしいなあ~と思う一冊。

 

 


「デルス・ウザラ」という生き方

2013年01月20日 | 読む見る聴く&思う

 

 昨年末から梨木香歩の「渡りの足跡」を読み返していて

「デルス・ウザラー」という名前が出て来た。

100年以上もまえに、未開の地であった極東ロシアを探検したアルセニエフという探検隊の

案内役をつとめたのが、ゴリド族のデルス・ウザラーだった。

 

   

 

この名前にはだいぶ前に聞き覚えがあって

それは図書館にあった子ども向けの絵本のタイトルだった。

とても美しくまっすぐな水彩で、こまかくこの地の動物、虫、厳しい大地のようすが描かれていて

その場で読んで、でも借りずに通り過ぎてしまった。

テレビの衛星放送でも深夜にこのタイトルの映画もやっていて

録画はしたものの、見る時間もなくどっかにいってしまった。

監督は黒澤明だった。

 

今度は流してしまわないよう、しっかり借りる、それも2冊。

 

絵本のはじめに訳者のこどばがある。

 

 デルスは、うでのよい猟師で、森のこと、天気のこと、動物のことなどなんでも知っていて

 あぶないときに探検隊をたすけます。

 デルスは、クマや霧や魚や星を「ヒト」とよび、たき火や川、魚やトラなどの動物たちとも

 わけへだてなく話します。

 きびしくうつくしい自然の中で猟をしながらずっとひとりでくらしてきたデルスは

 人がいちばんえらいのではなく、人もおおきな自然の一部分にすぎないことを

 よく知っています。

 だから自然のことばがわかるのかもしれません。

 つかまえたえものは民族のわけへだてなく分かち合い

 タヌキやカラスやアリのことも気づかっています。

                    (部分抜粋)

 

自分のなかにもデルスがいたらとてもいいな。

すこしでもいてほしい。

 

 

挿絵にもデルス自身が持っていたであろう生き物すべてにむかう愛情、のようなものがある気がする。

うちのちかくにもいる鳥が出ててちょっとニッコリ。

 

 


「ミツバチの羽音と地球の回転」中津川上映会

2012年06月20日 | 読む見る聴く&思う

 

    近所に住む友人一家が企画しています。

 

                         うつくしいチラシですね。

 

「ミツバチの羽音と地球の回転」

6月23日(土)午前の部    9:30~11:45

       午後の部 14:00~16:15

 中津川市 蛭川公民館「蛭子座」にて

 前売り1000円 当日1200円 高校生以下700円

 託児もあります。ご希望の方はおっしゃってください。おやつつきで200円です。

鎌仲ひとみ監督も午前午後ともにいらっしゃって上映後講演されます。

 

 

 

うちも一家でお手伝いしてまして、チケットもあつかってます。

プレ試写で観たのですが、海のさちを代々とって暮らしている、田畑をたがやし豚を育てている、

海のそばの傾斜のきついところで果物を育てている、そんなふつうの暮らしをしているひとたちが

いきなりその暮らしを剥奪される。

その悲しさにやるせなくなりました。

 

どうぞみなさん、この機会に震災前に撮られたこの映画、ごらんになってください。

 

 

 

 

 


ラジオだからって(どうでもいいことですがね)

2011年07月04日 | 読む見る聴く&思う

 

 ラジオを聞かないヒトにはまったくなんだかわからないことかもしれませんが。

 

土曜の夕方FM東京系で放送される長寿番組「サタデーウェイティングバー アバンティ」を聴いたことがおありでしょうか。

この番組、わたしが焼き物の弟子入りした頃からず~っと聴いてて思い入れも深いもの。

 

番組は都内のとあるイタリアンレストランのウェイティングバーでのお客の会話を盗み聞き~という設定。

そこに常連客が入り交じりラジオドラマが展開される、ボサノバなどのおされな曲も挟みつつ。

 

この番組聴いたことないヒトにはなんのことやら、なのですが

この常連客の取手豪州というキャラクターの大ファンでものすご~く楽しみにこの番組を聴いてたのに

(どうしてわたしの好きになるラジオ関係はジェームス・ヘイブンスZIP FMといいコうるさいキャラが多いのだろう)

4月の番組改編で何の前触れもなく20年近くこの番組を支えて来た常連客という設定を一掃してしまった。

たとえるなら「時間ですよ」みたいな人気ドラマで、いきなり悠木千帆がなんの脈絡もなくこの週から姿を消し、

最初からいなかったもののように扱われ、台詞などにもまったくその存在をかんじさせるものすら消されてしまう・・・

というカンジでしょうか。たとえが古いですが。

 

それってどうなの~?

テレビだったらありえないでしょ。

ちょっといいかげんすぎやしませんか。

 

もうこの番組ぜったい聴かない。

ラジオだからってバカにしないでよねっ。

 

どうでもいいココロのさけびでした。

 

 


大滝詠一とFM NHKに

2011年03月21日 | 読む見る聴く&思う

 

 震災から10日あまり。

世の中は自粛ムード濃く、テレビラジオも例外ではないっていうかその主流。

 

そんな中、本日3月21日午後12時半から12時間も、よくぞ「今日は一日『大滝詠一三昧』」を敢行してくれた。

きっと局内で躊躇する意見も大きかっただろうな。

でも音楽を流すことを自粛することが、被災した方々を思いやることになるんだろうか。

こういうときって日本人は一律に同じ行動をとらないとコテンパンに批判したりする。

それはとても怖い。

 

だからこそこの番組を敢行してくれたことに、FM NHKと大滝詠一に心から拍手を送りたい。

 

それにわたしはン十年前、ナイアガラ小学生だったのだ。

ここ一週間以上CDを出して聴く気も起こらず東海ラジオで一息つくくらいだったわたしは

ほんとじんじんと大滝詠一はココロにひびいてきた。

 

被災地でもきっとこの懐かしい音源にチカラをもらってるひとが必ずいるはずだ。

 

 

それとちょっとツィート。

先日のニュースに出ていた内田裕也、う~んロケンロールだね。

だれに言われっていうんじゃ絶対なくて、我が道をゆく、我がやり方でチャリティー。

嘉門達夫は替え歌でチャリティーも批判されたりしてますが

自分のできることであえてやるっていうの、好きです。

バッシング来るの覚悟で

募金箱とかでなく、あえて自分のやりかたで。