チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

三本目「きっとうまくいく」

2016年01月12日 | 読む見る聴く&思う

 

 正月の三本目はインド・ボリウッド映画「きっとうまくいく」。

やっぱり2時間半以上あって、勧善懲悪で、ダンスあって、めまぐるしく話が進んで、あっという間。

ラブシーンもそんなきつくないので家族で安心して見れる、そして笑えるボリウッドシネマ。

一週間前に知人からすごくいいから観て~って熱い声を聞いたばかりでのテレビ放映。

運命を感じます。正月にうってつけだし。



舞台はインドで入るのがすごく難しい工科大学ICE。

ここでは学長(もちろん悪役)が「人生は競争だ!競争が学生を伸ばす、脱落者はいらん!」

とばかりに学生を締めつける。インドの学歴重視、成績重視、就職状況などがよくわかる。

   

     

 

そんな中主人公ランチョーは自分の考えで動き、まわりに流されない、

授業でも独創性を発揮、教授たちからも煙たがられる (でも成績は一位!さすがインド映画!)

このランチョーの決めセリフが「きっとうまくいくAal Izz Well」。

子どもの頃から苦労を重ねて来たランチョーはこの言葉をくり返すことで、

それを越えて来た。それが徐々にわかってくる。ストーリーの中に組み込まれている。

 

友を愛し、学べることを愛し、まわりにその波を広げていくランチョー。

しかし彼は卒業と同時に親友、恋人の前から姿を消す・・・。

映画はこの親友がオトナになって、あるきかっけからランチョーの今の居場所を

探しはじめるところから始まるんだけど、まあその展開の早さ、そして判りやすさ、飽きさせない!

そしてこの監督の言いたいことがとてもよくわかる、ひしひしと。 

 

 

今って、この映画が作られた2009年よりもかなり不安要素が増えてる気がする。

世界のあちこちに不安、自分の横にも不安。

でもこういうとき胸に手をあてて「きっとうまくいく」こうつぶやいて

自分のやりたいこと、進めていくのが必要なのかも。

「不安」って抱えていても何もいいことはない。状況は変わらない。

だったら「きっとうまくいく」って思ってやっていくことで

本当は結果そんなにうまくいかなかったとしても、うまくいった気持ちになれるんじゃないか。

それはもう「うまくいったこと」になるんじゃないか。 

 

もともと「3 Idiots (3バカに乾杯!)」みたいなタイトルだったらしいけど

「きっとうまくいく」のほうがしっくりくる。

暗いときにこそランチョーに会おう!みんなでランチョーになろう! 

 

 


二本目「山の郵便配達」

2016年01月04日 | 読む見る聴く&思う

 

 ずっと観たかった映画だった。

観てよかった。

うつくしい。中国はこんなにうつくしいところがあるだな。

観たことのない景色、しかしなつかしい景色がうちの小さいテレビ画面に広がる。

  

               

     

時代はいつだろう、今に近いと思う。

中国の奥深い山村に歩いて郵便物を配る父親、その仕事を継ぐことを決めた若い息子。

一人っ子政策で息子はひとり。その代わりによくできた「次男坊」と呼ばれる犬がいる。

 

息子の初めての仕事の日、父親は心配になって息子についてゆく(犬の「次男坊」も)。

 

 

郵便配達の仕事はきつい。

山道をのぼり、崖をのぼり、川を渡る。

父親はそれがもとで足を悪くしている。

 

たまにしか帰って来なかった父親に親近感を持てない息子は

とまどいながら父親に郵便配達の仕事につきそってもらい、

いままで見たことのない父親の、人生の一端にふれる。

 

途中の宿泊で、息子は父親にこぼす

「山に住んでるひとには山以外なにもない」と。

「なくても頭でものをかんがえてる。苦しみにぶつかれば考えることで乗り超える。

そうやって考えることなしに人生の喜びはない。

郵便配達の仕事はきつい仕事だ。長く続ければ友人も知識も増える。実にやりがいがある。

他の仕事をしたいとは思わん。誇りを持ってやれよ」父親は答える。

 

山に暮らし、他になにも持たない(持てない)人々は、それでも乗り越えるすべを持っているのだ、

金銭で得るもののかわりにな、父親はそう言っているのだ。

そしてそこに生きる喜びがあると言う。

父親自身そうであったのだろう、伴侶である妻も。

この会話には父親自身、これでよかったのか、という懐疑的な思いもどこかあって

息子はこの先の人生、自分のように郵便配達になっていいのか、という。

 

まだあどけなさを残す息子の寝顔をしあわせそうに眺める父親。 

 

ひとの喜びとはなんなのか。

何かを所有することなのか。

何かを待つことなのか。

毎日毎日おなじことを繰りかえすことなのか。

 

 

私事だけれど、ここに越して来て友だちもいなくて夫婦と子どもだけの日々が何年も続く中

おとなりのおじさんやおばさんがいっぱいの野菜を持ってうちに寄ってくれて、

天気やイノシシの話をしてくれることがどれだけありがたかったことか。

わたしはこの映画を観ていてそれを思った。

おじさんはもう亡くなっていない。

でも「なんでもない天気や農作物とかの四方山話」が生きてる中のたのしみだったりするって

わたしに教えてくれて、それはいつもわたしにある。

 

わたしは山に暮らし、山のひとになったのであろうか。

いやーまだまだだな。そこに近づいてはいるんだろうが。

 

 

 


「天のしずく」から始まる

2016年01月02日 | 読む見る聴く&思う

 

 あたらしい年を迎えました。

この冬は暖かくて、野鳥も余裕があるような飛び方。

この先だいじょうぶかなあーとちょっと心配になったり。

 

さて年始、子どもとつれあいが実家に帰っていてわたしは猫らと留守番なんだけれど

たまった映画を観なければならない。いや観たくてたまらんのだけれど。

 

まず一つ目「天のしずく」。

料理家の辰巳芳子さんがつくる「おつゆ、スープ」をめぐる様々なこと。

それだけでひとつの映画が出来てしまった。すごいね。

 

食べることってあっと言う間に終わってしまうのに、なんでこんなことに大事なんだろう!




丁寧に洗って皮をむき、細かく刻み、油をまんべんなくなじませ、とろ火でじっくり火を通し

休むことなくそろりそろりと鍋肌に木べらをそわす。

その作業のなんとうつくしいこと。ほうっ~

 

終末期医療に携わるお医者さんや看護士の方々はこのスープを入院されている方々に提供することで

何かが違うと感じている。

飲んでいる方々も何かを感じている。

それは「相手を思って自分の手を動かして長い時間かけてつくるそのスープ」に

込められてるものを判るから、なのかな。

 

こんな丁寧なことは大事におもう相手がいなければ、できないことなのではないかな。 

 

それがわかったのが映画のさいごのあたりで出て来た、岡山の療養所で暮らす元ハンセン氏病の

女性の手紙だった。

その女性は10歳からこの施設に暮らす。

 

施設で暮らす何十年かの日々。心を寄せ合い自分を支えてくれた女性が、

病に冒され余命いくばくかということがわかった。

彼女はテレビで辰巳先生の作るスープを見て、自分もその友だちにスープを作る

それが自分にできる唯一のことだと思って

不自由な右と左の手を合わせ木べらを挟み込み、安くて大きな鍋で

友だちのために何時間もかけてスープをつくる。

手のひらが開かない、だから野菜をきざむ、スープを濾す作業もむつかしいのがわかる。

でもゆっくりと作業はすすめられる。辰巳先生の言ったとおりに。

 

おおきい富があっても、このひとの左右の手にはかなわない。

なにものもかなわない。

 

じぶんはこのように手をうごかすことができるだろうか。

 

こういうこと、生きてる間にひとつでもできたらすごい。できたらいいんだけど。

そう願う新年でありました。