『優』は憂いの時に傍らにいる人。いつの時もご縁のあるお人にそうで在りたい
今朝の天気予報によると、「弱い雨だが終日雨」の予報だった。その予報を信じて、野菜に水やりをしなかった。朝の空を見れば、雨の予報はないと思うべきだった。ま、明日の朝は水やりをしよう。
さて、遂にと言うべきか、やっとと言うべきか、「なでしこジャパン」の国民栄誉賞が決定した。確かに「なでしこ」のメンバーの方々の活躍はすごかったし、日本中を元気にしてくれたことは間違いない。その意味では、受賞を否定する者ではない。
ただ、特定の個人や団体を取り上げて「賞」を与えることには、私自身は否定的な考えが心にある。叙勲などで考えても、様々に異論はある。要は、地道に頑張っている方々にも光を当てるシステムの確立が難しく、それが「賞」に対して、どこか懐疑的となる。
そんなことを考えながら、今日も何もしないままに過ごしてしまった。「自堕落」を絵に描いたように、寝たり起きたりの時間を過ごした。「酷暑の中で、術語の体力を回復する」という大義名分があり、大手を振ってブラブラしている。
そんな中で、今日はとても優しく、嬉しいメールをいただいた。そのメールの最後には、「『優』は憂いの時に傍らにいる人。いつの時もご縁のあるお人にそうで在りたい」と書かれていた。私もこの言葉を、いつも心に刻んで生きていきたいと思った。
吉永小百合が「日本母親大会」で原爆詩を朗読、「原発なくせ」と勇気ある発言も
7月30日(土)に、友人に所用があり携帯へ電話した。すると「日本母親大会」に参加するために、広島に向かう新幹線の中だった。
そして、今朝の「スポーツ報知」を読んで驚いた。今年のその「母親大会」には吉永小百合が参加して、原爆詩を朗読したとのことだ。そして、その場で、吉永小百合が「地震の多い日本では原子力発電所をなくしてほしい」と、初めて発した「脱原発」への思いを、新聞は大きく取り上げていた。
吉永小百合は1981年に、「夢千代日記」で体内被曝による白血病で苦しみながらも懸命に生きる夢千代を演じ続け、私は魅了され続けてきた。そして、何より特筆すべきは、ほとんどノーギャラで原爆詩の朗読会を全国各地で続けてきたことだろう。
その原爆詩の朗読を、地元岡山で生で聴いたことがある。私が今年も参加した「岡山県民平和のつどい」でだ。もう20年も以上も前のことだ。その日、私は楽屋で個人的にお話しさせていただく機会を得た。しかし、その日記念写真を撮らせていただくことを失念していた。
ともあれ吉永小百合のような大女優が、30年以上も続けて原爆詩を朗読し続け、「原発なくせ」と声を上げることをスゴイと思う。声を上げなくてもよいのに、いや声を上げることの方が苦労もあるのに。
そんな吉永小百合に、「人間としての尊厳ある生き様」を見る。そんなことを思いながら、昨夜は吉永小百合「第二楽章」を聴いて過ごした。(なお、写真はネットから借用した)