今年は我が講中は高蔵神社の「お稲屋」当番、しめ縄飾りなどを作った
今年は我が講中が。高蔵神社の「お稲屋」当番が当たっている。その当番、今では10年に一度回ってくる。以前は12月18日に杵舞行事が催されていて、その様子は岡山市において記録映像が保存されている(市指定無形文化財)。
その「お稲屋」当番となった講中は、高蔵神社の神社行事(春と秋の大祭が中心)に参加(=従事)し、かつ神社の正月飾りなども用意する。その「お稲屋」のメインの一つが神社の正月飾りの準備だ。
昨日は、そのしめ縄飾りづくりを頑張った。今年の稲作の収穫時に農家の方に藁を用意していただいた藁を使って、講中の男衆総出で大しめ縄や神社の大飾り、さらには12㍍もの縄をなうなどもした。全て手作業。縄も左ない、右ない、長さは12㍍から6㍍、4㍍と30本以上もなう。朝8時から夕方16時過ぎまでかかり、さすがに疲れた。
ところで、昨日は広島市への原子爆弾投下により自身が被爆しつつ、直後から被爆者救援・治療にあたり、核廃絶を訴え続けられている肥田舜太郎先医師の講演会が開催された。
97歳の肥田先生であり、岡山で講演をお聞きする最後の機会とも考えられ。是非ともと願った。がしかし、さすがに講中の全員参加の行事であり、泣く泣く断念した。無念、残念だ。
さて、今日作ったお飾りなどは来週の日曜日に高蔵神社や遙拝所などに飾る予定としている。そしてその次週の12月15日の「稲屋渡し」式で無罪放免となる。次の当番は10年後に回ってくる。その頃、まだ元気でいられると嬉しいのだが。ま、一日一日を悔いなく生きていこう。
『終活の教科書』を読み、「老いじたく・死にじたく」を始めなければと考えた
以前働かせていただいていた職場(事業所)で親しくしていただいた方と、先日会う機会があった。「最近は、死についての話題が多いですね。まだまだですよ」と言われた。まだ現役で働いているその方は、私のブログを訪問していただいているようだ。「まだまだ」とは鬼籍に入ることを指している(かな)。
そう、その日(鬼籍に入る日)のことを考えて、私は「終活中」を公言している。「今、何を」と聞かれることが多いので、その際は「シュウカツ中なのでよろしく」と応えることにしている。多くの方は「就活中」と受け止められ、「もう、悠々自適の日々でしょう」と言う声が返ってくることがしばしばだ。
さて、そんな私であり、終活や逝き方・終末期について書かれた本はできるだけ読むようにしている。最近読んだ一冊が、終活カウンセラー協会監修『終活の教科書 迷惑をかけない死に方・終わり方の準備』(タツミムック刊)だ。
この本は「教科書」と謳っているだけに、「終活って何ですか」に始まり、「老いじたく・死にじたく」から「葬儀」「遺言」など、全てのことが網羅されている。この本をしっかりと読むことで、何を考える必要があるのか、そして何がその際に大切なのかなどが詳しく書かれている。
私も言葉だけでなく、そろそろ具体的に「老いじたく・死にじたく」を始めなければと考えている。と同時に、「どう逝くか」は「どう生きるか」ということであり、しっかりと今を輝いて豊かに行きたいと考えてもいる。その意味では、「まだまだ」だ。