私と誕生日が同じ女性が満46歳の若さで突然逝ってしまった、辛く悲しい
今日は、親しくさせていただいていた「今ちゃん」の「告別式」に参加した。突然の事故で、46歳の若さで鬼籍には入ってしまった。彼女とは、奇しくも誕生日が同じだ。
さてその彼女とは、「岡山市政の今日と明日」誌の発刊を通じて、お話しする機会が多くなった。小さい頃から少しだけ難聴があったが、そんなことを感じさせない明るい笑顔であった。とても誠実な人だけに、曲がったことや不誠実さを許さない人でもあった。本をたくさん読まれていて、深く物事を考え、素敵な文章で表現された。そして何よりバイオリンの演奏は抜群であった。そんな彼女が突然事故で亡くなられた。
今日の式では、まず彼女が愛用したバイオリンでのお姉さんの演奏始まり、直ちに焼香。その後、4人の方々が弔辞を読まれた。どの弔辞も素晴らしくて、その人らしくあることを大切にした彼女の生前の生き様を、みなさんとても豊かに語られた。聞いていて涙が止まらなかった。
そして、告別式が終わっても、誰一人帰ろうとはせず、みなさん出棺を見送られた。とてもたくさんの人たちであった。誰からも信頼され愛された彼女らしかった。
その彼女に、昨年は私が育てた「沢田の柿」を届けたが、今年は届けなかったことが悔やまれる。もっともっと、彼女とは語りたかった。そのことができないことが、とても悔しい。
さて今日の「告別式」で、私が何より驚いたのが、今日の「告別式」が無宗教で行われたことだ。祭壇には戒名もなかった。友人は突然の不慮の事故死であった。まだまだ若い彼女であり、死後のことなどご家族と語ることもなかったであろうから、喪主を務められたお父さまなどのご家族で決められたのかなと思ったりもした。ずいぶんと悩まれた後の大変なご決断であったのではと理解する。
ともあれ彼女の心安かならんことを願い、ご冥福を祈るばかりだ。それにしても、辛く悲しい。もうこれからは、親しくしていただいた友人の場合でも「葬儀・告別式」には参加せず、自分一人でご冥福を祈らせていただこうかとも考えたりもしている。
そして、私の死も決して遠くないとも考えたりする。私は戒名は不要と考えており、葬儀・告別式は行わず、誰にも知らせず家族だけで見送ってもらうことを決めている。ご連絡をしないのは私の意志であり、どうか残された者を責めないで欲しい。今からお願いしておく。
ただ、ガンなどである意味お別れの時期が分かっている場合には、私自身が呼びかけさせていただいて「感謝の会」を開かせていただこうと考えたりもしている。その際は、お時間があればご参加いただけると嬉しい。