とても重い話を読み始めてしまいました。
日本のこれまでの「通念」というか「しきたり」では長男として生まれたからには、この題名のような事柄を他人事ではなく、実際に背負い込む可能性があるということです。もちろん長男以外の兄弟・姉妹でも可能性はありますけど確率(言葉が適当かどうかは別に)は長男が高いことに違いないと思います。
大手家電メーカーで部長職、もう少しで取締役の可能性も出てきたところでのお話。ひとり暮らしの母親の転倒から始まる話の絶望的な展開、それに伴う家族内・兄弟間での葛藤。このあたりで、もう読み手の方の気持ちが落ち込んできて、この本は読むの止めようかななんて思うようになってきました。
そんな時、最後のページをのぞき見たら「微笑み」「高揚感」の文字が見え、この後の展開には、現実を受け入れながらも、少しは希望も見えてきたようなエンディングなのかと、少し安心して読み進めそうです。
話は変わり、最近の母の作品です。家の玄関の絵がこれに掛け変わりました。これを見る限り、この話のようには私はならないだろうと、感謝しています。前出の小説の主人公も、田舎でひとり暮らしをしながらも、活動も活発に元気で暮らしている母親をみて、そのようなことへの心配は先送りにしていたのですが、自宅前での転倒・入院をきっかけに発症し、主人公の人生の歯車がかみ違っててきたのですけどね。
大手企業に職を持ち平均以上の収入があっても、仕事を休んでの介護はできない。伴侶ひとりに介護は押しつけられない。都会のマンションに同居するのも物理的な問題がある。頼る兄弟は自分のことで精一杯。部長職であっても金銭的にそれほどの余裕はない。もう全くの手詰まり。
このとき頼りになるのはやはり、社会福祉法人や地方自治体が運営する公的な介護施設なんですよ。国は在宅介護をすすめようとしていますが、田舎の家は広いけど「手」がないのは都会も同じ。いや、若者がいなくなり高齢者が現役を続けている田舎の方が必要なのかもしれません。
ちょうど今、となりの地区の民生委員さんから電話があり、ひとり暮らしのおじいさんがいて、調子が悪そうだからとにかく明日往診して欲しいとのことでした。ほぼボランティアといっていい民生委員さんにはいつも頭が下がりますので、「了解しました」とは答えたものの、明日の往診の後、どうしていいのかを考えるともう気が重くなってきました。息子は近くに住んでいるけど仲が悪くほぼ絶縁状態らしい。入院はイヤだと言っているらしい。その後を考えるのは行政の仕事なんだけどなぁ…。後の話は脱線してしまいました。