21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

横粂発言に思う

2010-05-12 09:47:23 | 政治にモノ申す
 民主党の1年生横粂議員の小鳩への辞任要求発言が、何かと話題になっている。彼の代表と幹事長に「辞めろ」という勇気ある行動は、評価に値する。私も小鳩は早く辞めるべきだと思う。しかし、横粂議員の政治家としての考え方には同調しかねる。かつて、生方議員が幹事長辞任要求をぶち上げ、マスコミにちやほやされたが、どうも、民主党議員は議員としての役割がわかっていないという印象を強くした。

 まず、横粂議員は民主党が生まれ変わるために…と言うが、はっきりいってそういう言葉が出てくることに理解できない。今の内閣支持率の急落は、実際、責任の一端は「政治とカネ」「普天間」でさらけだした首相の無能さにある。しかし、国民の不満の本質は、民主党政権のふらふらした政策と運営にあると、私は思う。政権が変わったことへの国民の期待感がどんどん裏切られている思いが、支持率に表れているのだ。

 執行部が一新し、首相が変われば、たぶん一時的に支持率は回復するだろうが、肝心の与党議員の政治感覚が今のままでは、すぐにまた支持率が急落するのがオチだろう。それは、執行部刷新を叫ぶ議員が国民感覚といえば聞こえがいいが、あまりにも情緒的に政治を見ていることにある。

 少なくとも長期政権の座に胡坐をかいていた自民党は、政策の意思決定に関しては善し悪しは別としてゆるぎないシステムが確立していた。官僚によって作られる政策プラン、関連法案を国会で成立させ、内閣が実行する。このシステムがあったからこそ、議員は自由に発言が許された。つまり、執行部が変わろうと、総裁が変わろうと、党運営と政治手法は基本的に変わらないのだ。もっとも、それが、野に下った自民党の再生の足かせとなっているのだが。

 一方、民主党は政権の座について、1年たっていない。つまり、官僚支配からの脱却という公約の1丁目1番地が上手く機能していない。その原因は、執行部の自覚の欠如とまとまりのなさ、それを支える議員の無知にある。

 まず、かかげたマニフェストを実行に移すという、単純明快な作業がのっけから頓挫してしまったのは、マニフェストの完成度の低さもさることながら、政策実行システムの不完全さに起因する。つまり、民主党は政権与党としての政策実行システムを構築できない状態で船出したことが、今日の政権のもたつきに表れているのだ。急がれるのは、この国をどう動かすのかそのシステムを一刻も早く構築し、国民に理解を求めながらスピーディーに政策の軌道修正を行うことだ。当然、野党からは公約違反と批判を浴びるが、マニフェスト政治が熟成していない今は、仕方のないことだ。

 民主党の誤算は財源確保にあることは誰の目にも明らかであり、それを小手先の修正で乗り切ろうとしても、ドツボにはまるのがオチである。そうなると、困るのは国民である。

 政策実行の優先順位を考えれば、子供手当など急いでやる必要はなかった。急ぐべきは、実質財源に基づいた政策の見直しと、国民への説明ではないのか。それができないのは、まさに民主党の政治システムの欠陥である。メディアはおろか民主党議員の中にも、民主党の機能不全は小沢支配とお門違いな見方をしている議員がいることは情けない限りだ。

 そこで横粂議員の勇気ある発言だが、民主党が生まれ変わるため―などと抽象表現は捨て、もし議員として今の政権を嘆くなら、問題点を的確に指摘し、民主党政治はこうあるべきという具体的意見を発してもらいたいものだ。

 官僚支配を断ち切るのは一朝一夕にできることではない。しかし、それをやらずして民主党政権の存在意義はない。少なくとも、小沢一郎がかねがね言っていた、官僚支配を断ち切るという言葉に、私は期待していた。肝心の民主党の議員たちは、目先のゴタゴタに翻弄され、すでに1丁目1番地を忘れているとしか思えない。行政刷新、国家戦力―という目玉がまったく機能していない現状こそ問題なのだ。


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