TBSのジャニーズ問題の検証で、誰かが最初にジャーニー氏の性加害スキャンダルが週刊誌等が報じた当時、所詮は芸能界のゴシップと割り切り、真剣に追及する空気がなかったと回顧していたが、まさにそれが現実だったと、今さらながら思った。さらに、当時は性暴力に男女差があり、女性と男性では明らかに温度差があったというが、それもその通りだ。
つまり、芸能界は一般社会と違い、殺人以外はなんでもありの隔離社会で、実際、役を得るために売れない女性歌手や女優がTV局の権力者に身を差し出すなんて話も、世間は芸能界アルアルと見ていたし、暴力団との癒着についても芸能界なら当たり前のように思っていた。ジャニー氏のスキャンダルも、当時はそれと世間は同列でとらえていたかもしれない。真実が否かより、芸能界はこわいところというひとくくりで片付いた時代だったと思う。
だから、そこに飛び込んだ人間は何があっても覚悟の上と、世間は思っていて、タレントの泣き言も同情こそすれ、芸能界ってやっぱ怖いねの一言で済んでいた。
それでは今は違うのか。程度の差こそあれ、ジャニー氏が死ぬ前までは、メディアも世間も、芸能界は世間の常識は通用しない別世界と見ていたはずだ。
それがジャニー氏が死んだことで、それまでそんな世間の空気の中で無言の圧力に耐えるしかなかった被害者が声を上げた途端、がらりと変わった。芸能界と一般社会界の壁が取り払われ、ジャニーズ事務所が一般社会の常識という土俵に上がってしまったのだ。これは、ほかの芸能事務所にとってもただごとではない。同じ土俵では芸能界の常識は通用しない。
それでは、この先、芸能界は一般社会の常識の上に成り立つ健全な業界(そうともいえないが)になるのかというと、何も変わりはしない。芸能界は芸能界、世間の常識なんかくそくらえの特殊業界、だからこそ世間を喜ばせるという自負があり、メディアもそれがわかっていて、持ちつ持たれつの関係なのだ。
つまり、ジャニーズ騒動は、いわばスケープゴートで、あたかも芸能界とメディアの関係を浄化するがごとく匂わせるが、なんてことはない主なきジャニーズ事務所を抹殺することで、芸能界とメディアの関係は元にもどるだけ。やがて、何事もなかったように元ジャニーズ事務所タレントは実力のあるものは生き残り、ないものは消え去るだけ、被害者の叫びもフェードアウトしていく。
だから言いたい。ジャニーズはジャニーズとして、最後まで頑張るべきで、主の犯した罪を名前を捨てて消すのではなく、残された者の実力で世間の荒波と戦い、乗り越えてほしかった。