2週間前の日曜日、蒲田のニーハオに友人夫妻と行きました。
このお店のご主人は満州の残留孤児だった八木さん。
中国で、中国人として安定していた建設関係の仕事をやめて日本に移住し、
一から人生をリセットし、今では都内に庶民的な中華料理屋さん10店舗のオーナーとなった方です。
日本に来たのが40過ぎ、中学に通い日本語を勉強したそうです。一号店の開業資金は中学の恩師が、集めてくれたそうで、その時の恩義をわすれないとのこと。
熱く、戦争の混乱期を語ってくださいました。
悔いない、全力で走る人生の心地よさを感じ取りました。

このお店のご主人は満州の残留孤児だった八木さん。
中国で、中国人として安定していた建設関係の仕事をやめて日本に移住し、
一から人生をリセットし、今では都内に庶民的な中華料理屋さん10店舗のオーナーとなった方です。
日本に来たのが40過ぎ、中学に通い日本語を勉強したそうです。一号店の開業資金は中学の恩師が、集めてくれたそうで、その時の恩義をわすれないとのこと。
熱く、戦争の混乱期を語ってくださいました。
悔いない、全力で走る人生の心地よさを感じ取りました。
