舌鼓

自分で作った料理に自己満足。外で食べた料理に感激。本ブログは私の舌を通過するものを中心とした記録です。

スペイン(38) 終回

2011年05月28日 | 食事

スペインに長い間いたように錯覚してしまいそうですけど、
実際にはホテルが6泊、機中1泊の計7泊でした。
4月30日 成田ーFrankfurtーBarcelona
4月30日~5月2日 Barcelona
5月2日         BarcelonaーSevilla
5月2日~5月4日 Sevilla
5月4日         SevillaーBarcelona
5月4日~5月6日 Barcelona
5月6日        Barcelonaー成田
5月7日朝      成田着

団体旅行ではない、個人旅行の魅力は
スケジュールを自分で組み立てられることですが、
その分、事前に調査を緻密にしておかなければ
なりません。
最近の海外出張は同行してくれる同僚が全ての手配をしてくれていたので
何気なく出張していましたけれど、実際にはたいへんなことを
してもらっていたことがわかり、いつも同僚が苦労していたことを
知りました。

個人旅行の楽しさのもうひとつの利点は、地元の方々との
出会いでしょう。
ブログのどこかで書きましたが、すりに気を付けるように
注意してくれた方々に、心から感謝します。
Sevillaの駅まで歩いた時に出会ったおばあさんは早口のスペイン語で注意してくれて、
駅まで、さっぱり通じない英語とスペイン語の会話をして、切符売り場のところで
別れました。

そして、Sevillaの春まつりで出会った、Sevilla大学の学生さんほかフラメンコを
こよなく愛する人々、

あまりの私の無防備さに驚き、ホテルのベルボーイと、ロビーにいた
お客さんがホテルの外まで追いかけてきて、財布を前ポケットにするように
注意してくれました。お客さんはよっぽど慌てたのかコーヒーカップを持ったままだったのには
誠意がひしひしと感じられて、涙が出るくらい嬉しかったです。

そして、市場のおばさん。
よほど、すりに狙われそうなように見えたのでしょうか。やはり、さっぱりわからないスペイン語で
身振り手振りで、注意をしてくれました。

善良なみなさんのおかげで、すりに会わずにすみましたことになんと感謝の意を伝えたらいいのか。
スペインの暖かい心を持った人たちのおかげで、安全に過ごし、スペインを
こよなく好きになりました。

もちろん、GAUDI、Miró、Picassoにも魅かれました。
単なる観光地巡りでは得られない出会いは個人旅行だからこそでしょう。
時間に追われなかったと言えば嘘になりますが、自己責任での時間管理ですので、
追い立てられるような、団体旅行とは一味違ったものでした。団体旅行の場合、
集合時刻が早い目、てんこ盛りの観光地案内、不必要なお土産屋の時間とり
周りは日本人ばかりで、ここは日本かなと思ってしまう光景など
もちろんメリットは、安全であまり警戒しなくても良いところに連れて行ってくれることでしょう。

とかく、GAUDIのことをあまりよい印象ではなかったように書きましたが、
GAUDIの作品は素晴らしいものばかりです。東京に戻って、狭い部屋で
GAUDIの写真を観ていて、思い出に浸っています。インパクトの強さのあらわれなのでしょう。
建物の設計者として、名前を残すというのは、全体のデザインをすれば、
名前が付くのでしょうか。日本にも著名な建築家がいますが、プロジェクトリーダーなのか
それとも、conceptを決めるだけでいいのか。GAUDIの作品を観ていて
彼が天才であったとは思うのですが、設計者とは何か、にこだわってみると
GAUDIの業績が不明確に見えていました。
でも、まだ観ていない数々の建物を、もしもまた行けるなら観てみたいと
思っています。

次回、行く時にはMadridから入って、Granadaには新幹線で行こうかと、
早くもSimulationをしては楽しんでいます。
無理をしてでも、再訪問したいと切望します。

バルは少し辟易としていましたが、東京のお部屋近くのバルにも
顔を出して、スペインオムレツやチョリソーを食べては
スペインで食べた塩辛いのを思い出しています。

スペインでは約2500枚の写真を撮りました。その中からブログに
選ぶ写真を見つけるのは結構大変な作業でしたが、
記憶があやふやになる前に、ブログを書くことは
悪いことではないなあ、と思っていました。

スペイン、ポルトガルは経済危機が伝えられています。
出会ったスペインの方々が危機にめげず、幸せに暮らしてくれることを
切に願っています。

そして、日本では外人の方々に少しでも親切にしてあげようと、
思っています。それが、今回スペインで受けた親切への
恩返しになればいいなあとーーー。

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スペイン(37) 

2011年05月28日 | 食事

 

機内の食事はこれです。なぜか、蕎麦つゆが付いていて、後の座席のお客さんが
何に使うのかを聞いていました。そばが、今日はついていないので、とCAは弁解のような弁解でないような
回答をしていました。

そうそう、忘れるところでした。
帰路のフランクフルトのラウンジで、会社の同期入社の方に偶然会いました。
彼は外資系に移ったので、GW期間中もずーっと仕事だそうです。

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スペイン(36) 世界遺産

2011年05月26日 | 食事

平泉中尊寺が世界遺産に登録が内定したと
ニュースで報じています。

2008年に登録寸前でしたが、見送られてしまいました。
1200年の歴史を持った中尊寺が×で、GAUDIが100年そこそこで登録される
不思議さを以前にもこのブログに書いてきましたが、ようやく登録です。
日本の主張がよほど弱くて、へたくそなのか。
はたまた、GAUDIのアピール度が強いのか。
いずれにしても、まあ、UNICEFの評価基準を疑っていましたので、
評価の経緯をしっかりと公表してほしいものです。

 

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スペイン(35) Alpsを超えて

2011年05月26日 | 食事

後髪をひかれながら、飛行機に搭乗しました。
寝不足のため、離陸前から眠りにつき、ふと目覚めた窓には
アルプス山脈が現れており、壮大な風景に眠気が吹っ飛びました。


高校の地理で、アフリカのアトラス山脈からスペイン(シェラネバダ、シャモレーナーーー)、ピレネー、アルプス、から
ヒマラヤ山脈まで連続する山脈を覚えたことを、急に思い出しました。〇〇年前の記憶は頭の整理箱から
すーっと出てくるのに、最近は今日覚えようとしたことが出てこないのはなぜ?
この山々を観ていて、山脈の果てはヒマラヤにつながっているように感じました。
それから、サウンドオブミュージックの最後にジュリー・アンドリュース他あの家族がアルプスを越えて
スイスに脱出するシーンが頭をよぎり、家族で登山の装備も無しにこの山脈を越えられたのかが
疑問に思えたのですが、あのストーリーは実話なのですよね。

二つの稜線の間に沈みこむ霧を抱き込む深い谷の厳かさに、拝みたくなりました。
日本人が持つ山への信仰心が私の体内に有るようです。

スペインへのセンチメンタルな気持ちを包みこんでしまうアルプスの風景にいつまでも
見とれていました。また、近いうちにGAUDIとPicassoを制覇しに来ることを、この風景に
誓いました。



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スペイン(34) いよいよ帰国

2011年05月25日 | 食事

初めてのスペインを堪能して、帰国の途につきました。
スペインにはまってしまう人が多いとは聞いていました。
私も、魅せられた一人です。
帰りたくない、日本に帰ると山ほどの仕事が待っている、地震もおさまっていない。
GranadaもMadridも見ていない。そうそう、BarcelonaのGAUDIも半分ほどしか周っていない。
Picassoのプラド美術館に行っていない。
シェリー、ワインも飲み足りない。
帰りたくない、帰りたくない。
でも、その帰国の日となりました。
朝の便でしたので、5時半にモーニングコール。

昨晩はコンサートから帰って、荷物の整理をしました。
下着、要らない服や思い出のガイドブックすら思いきってゴミ箱へ投入し、荷物の減量しました。
すりの対象にならないように、服は、貧乏な旅人のふり、いえいえ本当にそうですけど、のため捨てられる服を着ていました。
20kg以下/個×2個が預ける荷物の規定です。きっと、お堅いルフトハンザだから、厳しく適用する筈と
読んでの処置でした。それでも、荷物は予想以上に重いので、手荷物に切り替えたりして、なんとか支度を終えて
寝たのが1時でしたので、睡眠不足。

そして、あらかじめ頼んでいた6時のタクシーに乗って空港へ。
空港カウンターで待っている人達を観ていると、案の定お堅いルフトハンザのスタッフは
20kg以上の荷物の受け取りを拒否していました。ビジネスクラスの人たちも、容赦ありません。
カウンター前で、荷物を取り出して、再度調整している多くの人たちに遭遇し、
自分の荷物が重く感じられました。
いざ、自分のチェックインになり、重いほうのスーツケースをロードセルに載せてみたら、
19.9kg!!!
perfect!!
こんなにうまくいくとは考えてもいませんでした。
100点満点のテストを受け取った気分でした。

あらかじめわかっていましたが、スペイン国内で購入した品物のうち、免税対象商品がありました。
僅かであるのと、手荷物が増えたので現物はスーツケースに入れたので、還付は放棄です。

そして、ルフトハンザでフランクフルトへ向かいました。

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スペイン(33) Palau de la Musica Catalana

2011年05月23日 | 食事

21時からの開演というのが、如何にもスペインです。
日本では予約できず、この日の早朝にホテルからインターネットで
予約ができたのが、カタルーニヤ音楽堂のコンサートチケットです。

この建物自体が世界遺産に登録されています。
Lluís Domènech i Montanerが設計した、20世紀初めの
Barcelonaを代表する建物ですが、遺産を遺産として観光資源としてではなく
実際にお客様を入れた音楽コンサートに使用しているのが、素晴らしい。
Gaudiの建物も、実際に普通の人が住んでいる。函館の公会堂が100年の歴史を
積んで、なお現役なことを思い出していました。

このような素晴らしい会場での今日の出演者はManuel Gonzales氏のF.GUITAR
F.GUITARとインターネットで紹介していたので、てっきりフラメンコギターと
思いました。この音楽堂で演奏するのなら、そうでしょう、
フォークギターを抱えて、ステージに出てきたのには
椅子からずり落ちそうになりました。
でも、この方のスペイン調の歌は何をいっているのかわかりませんでしたが、
とても心地よいものでした。MANUEL氏に合わせて、観客も
一緒に歌い出していたので、有名な方だったようです。
歌と歌の間に、軽妙なジョークを飛ばし、スペイン人はドどっと笑いますが
さっぱりわからない。日本なら、こうせつかさだまさしのようなコンサートです。
でもって、こちらはスペイン語がわからないので、当然笑えない。
話は曲ごとに5分程度、話していました。

ステージの終了が23時。一駅でホテルのそばなので、夜も遅いので
METROに乗りました。

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スペイン(32) ホテルでの夕食

2011年05月23日 | 食事

ホテルに戻って、少しの休憩を済ませて
19時からホテルで夕食を摂りました。
21時まで明るい夏時間のスペインでは
19時が夕方みたいな気分させられます。

ホテルの夕食と言っても、先ほどカフェで軽く飲んだり食べたり
していましたので、軽めにすることにしました。

日本人にとっては、これでも十分です。私は赤ワインを2杯。

今回のスペイン旅行では、Barの地元料理と言っていいのかわかりませんが
まあ、それなりの料理を食べ歩きました。これぞ、スペイン料理というようなのは
次回のお楽しみに。

これから、予約していた音楽コンサートへ出発です~

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スペイン(31) カフェへ

2011年05月23日 | 食事

市場の帰り、一休みにカフェに入りました。
コーヒーと自家製ケーキ、ビールとポテトの組み合わせ。
ホテルに戻るまでの道順をチェックしました。
カルフールが、観光客相手のサンジョセプ市場のそばに
あると、ガイドブックで読んだ記憶があり、カフェのお姉さんに
尋ねたところ、このお姉さんはイギリスに留学していたとかで
久しぶりに綺麗な英語にうっとり。
今行ったばかりのサンタカテリーナ市場を薦めてくれる。
もう一度聞いたら、、サンジョセプのすぐそばであるとのこと。
しかも、聞き間違えたのかその後ろとのこと。



コーヒーとケーキのセット。2EUROです。ここのお姉さんが作ったそうで、お奨めです。このような
価格でいいのか、恐縮しました。


今回は自らポテトを注文しました。飽き飽きしたはずなのに。
基本的に、ポテトが大好きなのです。(言い訳ですね)
これにビールは最高です。やはり2EUROのセットでした。

いい気分になり、サンジョセプ市場の周りを探しましたが、カルフールは見つからず、
裏に回って、奥まで行ったらけっこう危なさそうな場所になってきたので
退散しました。

お巡りさんに聞きながら、ホテルに向かって歩いて行ったところ、結局は朝に行った
カタルニア広場にカルフールはありました。
少しだけ、買い物をしてホテルに戻って一休み。
今夜、もうひとつのスペイン最後のイベントを控えて、ほんの少しの休憩です。



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スペイン(30) Mercat Santa Caterina

2011年05月22日 | 食事

Picasso美術館の北にサンタカテリーナ市場はあります。
Picasso美術館に12時から2時間いたので、市場には
2時過ぎに入りました。サンジョセフ市場が観光客相手であり、
こちらは地元向けです。値段も安い。

2時すぎはシエスタ前なのか、お客もいないし、売り子も売る気があまり感じられない。
でも、ぼったくりもなさそうでした。バッグの持ち方がすりにあいそうだと、
魚屋のおばさんが身振り手振りと、早口のスペイン語(当然、何を言っているのかわかりません)
で教えてくれました。とても、嬉しかったです。

新鮮そうですが、お土産には出来そうなものが
無いのが、地元相手な証拠でしょう。
購入できず、残念でした。

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スペイン(29) Picasso Museu

2011年05月22日 | 食事

 

Miroの後に向かったのは、5月1日に訪れたのに閉館だったピカソ美術館でした。
古城を改造したこの美術館は、青の時代のピカソから晩年のデフォルメへ一気に
展示が時代を超えます。青年時代のピカソをゆっくりと頭に入れて、30代にどうなるのかと
思いつつ、展示を観ていきますと、中が飛んでしまいます。この展示の潔さはある意味で
敬服します。Barcelonaはここまでで、中を観たかったらMadridへ行け、ということでしょう。
ピカソの生きた時代、スペインが内戦で荒れていたのは知っていましたが、
いかに弾圧されたかが、生々しい写真が訴えていました。
この地方の人々が独立したいとの、思いに駆られたことに、賛同する構成となっていました。
Barcelonaには、MIRO、Dali、Picasso、Gaudiと立て続けに稀なスピードで
個性的な芸術家たちが誕生して行きました。
抑圧された中に文化が生まれるのが、この地方の底力なのでしょう。
午前中に観たMIROには感じられなかった、Picassoがもつ湧き出る才能は素人の私にも
重くのしかかってきました。
Picassoは後半生はデフォルメされた構図になっていきます。Miróが簡単な構図で
生活費を稼ぎだしているのを目の当たりにして、精密な構図で才能をすり減らしながら
描き続けるのがばからしくなって、簡易に彼らしい絵を描けるようにデフォルメしていったと
仮定し、帰国後に何人かに話しましたが、同意する人は一人もいない。
私の仮定は、デフォルメをよく理解できていない人間の戯言ですね。
絵画の写真は撮れず、建物だけOKでした。

いつかゲルニカを観るために、Madridにも行きたくなりました。

美術館はMETRO4号線JAUMEから東へ200m。

こんな建物の先に美術館はありました。

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スペイン(28) Catalonia

2011年05月22日 | 食事

 

Barcelonaを再び見て回るこの日、GAUDI建築で見ていないところにするか、
芸術系にするか、迷いました。結局、もうGAUDIは飽食ぎみでしたので、後者の
芸術系を観ることにしました。

Barcelonaはスペインの北東に位置し、住んでいる方はスペインではなく
カタルーニャ人としての気概をもっていると言われいます。
テロを起こしたりするバスク地方の独立運動のようなことまでは
起こしていませんが、20世紀のフランコ政権に対しては
抵抗もあり、弾圧をされ多くの市民が亡くなっている歴史があります。
時間があれば、カタルーニア美術館なのですが、そこをカットして
その近くのMIRO美術館に向かいました。

忘れていました。円をEUROに交換をしました。
ホテルのあるMETRO Paasegia de Grasia からショッピングの中心地、
カタルーニア広場徒歩5分ほどです。銀行の入り口では持ち物検査があります。
銀行員ののんびりしている仕事ぶりを見つつ、行列に並んで30分ほどで
交換ができました。

そしてMETROの3号線Espanya駅から地上にあがると、カタルーニア美術館が
丘の上に、圧倒的な迫力を持って迫ってきます

この美術館は収蔵している絵画が宗教画が多く、観るのに半日を
要するようなので、ミロ美術館に直行しました。

この明るさ、色使い、アニメのキャラクターを先取りしたような造形。
子供が学校の遠足なのか、大勢訪れていました。子供の感性に訴える力があります。
MIROとその家族、友人がMIRO美術館を創設するために、作品や資金を提供したことが書かれていました。

写真に撮りませんでしたが、一畳ほどのカンバスの右下に、5cmほどの赤い点のみの作品。
MIROが日本に影響されて、制作した作品とのことでした。日本の間合い、わびさび、何に影響したと
言うのでしょうか。こんな時に日本を持ち出してほしくないなあ。
芸術の価値があるのか、きっと有るに違いないのですが、認めたくない作品でした。

METRO ESPANYAから歩いて20分。天気の良い春先の気持ちのよい散歩でした。

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スペイン(27) 再びBarcelonaへ

2011年05月21日 | 食事

TIO PEPEからSevillaへ戻り、デパートめぐりをして、ホテルで預けていた荷物を
引き取り、空港へ向かいました。
チェックインした空港内にSTAR ALLIENCEのラウンジはなく
しかも空港内が30℃くらいの暑さに、体力を消耗していくのを感じました、
でも、まあ何とかBarcelonaのホテルに到着したのは23時過ぎでした。
今度のホテルはデザインが斬新で、清潔感があり安心しました。
23時過ぎにやっているレストランに行き、料理をテイクアウトにして
貰いました。
小エビのサラダと大きなエビのグリル。エビづくしです。
写真に撮る元気もなく、食べ終わったらベッドにもぐりこんで
夢の中へ。足が棒状でした。

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スペイン(26) FEREZ DE LA FRONTERA,TIO PEPEの里は遠かった その3

2011年05月21日 | 食事

FEREZ駅前に到着したのが、2時過ぎ、電車の発車まで45分ほどありました。
レストランはなく、中華料理屋かまたまたBAR。
後者に迷わず入り、SHERRYを注文したが
通じない、TIO PEPEと言ったら通じました。

オリーブとTIO PEPEが出てきて、気力復活でした。
何か食べたいと、BARの親父さんに伝えたいので
I would like to have something to eat.
と、言ったが通じません。肩をすぼめて、困った顔をします。
Please 、foodとか言ってもだめ。
しまいに、ジェスチャー入りでなんか食べたいんだよねえ、と日本語で話しかけたら、
親父さん、たべる~、ふーん食べる、食べると言って
奥に消えました。
帰国後、スペイン語の辞典を引いたところタベルナというスペイン語は居酒屋を指すようです。
何が出てくるのか?


あれれ、昨日の晩にホテルのそばで食べたご馳走とそっくり。
バルの定番なのでしょうか。でも、ここのも非常に美味しかった。
牛肉をスペインのソースで絡めています。
堅いパンばかり食べていたので、ここのパンは柔らかくて満足。

駅の時計を眺めつつ、Sherryをさらに2杯。満足満足ーーー。
Barcelona行きの飛行機に乗るから、昼のお酒は控えめにと
思っていたのに、TIO PEPEのんでいたら、その考えは
どこかに吹き飛びました。
Sherry 4杯、ミネラルウォーター1本、牛肉料理2皿で18EUROでした。

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スペイン(25) FEREZ DE LA FRONTERA,TIO PEPEの里は遠かった その2

2011年05月20日 | 食事

12時10分にFEREZに着きましたが、この田舎には
標識がないのです。
駅の切符売り場がinformation と兼用になっていました。
スタッフいわく、駅を出たら、左の道沿いに行くようにとのこと。
近隣マップは置いていませんでした。

しばらく行ったが、それらしきものがないので、
あらてめて、自分のガイドブックの貧弱な地図で確かめたら、
駅を出て”右”が正解でした。

気を取り直して、駅を通り過ぎて
しばらく歩きました。さっそく、Sherry(シェリー酒)の看板とお酒の香りが
出迎えてくれました。期待が踊りました。


ガイドブックにはTIO PEPEの工場に行く際には、CATEDRALが目印になる
と書いています。
ああ、ここでも失敗。教会をCATEDRALと間違えて、まったく違う方向へ進んでしまい、修復するのに1時間。

たどりついたCATEDRAL前では、目指すTIO PEPEのMINI電車出迎えてくれて、ほっとしました。
SHERRYに乾杯!って歌があったなあ、などと懐かしの歌を思い出しつつ
このMINI電車の担当のお姉さんに聞いたら、今さっきツアーが12時に出たばかりで、次は13時発ですよとのこと。
工場は歩いてすぐとのことでした。

行ったら、たしかにすぐそば。
入口でツアーのチケットを購入する際に、試飲は2杯にしますか、4杯にしますか?との問いかけ!
この日はBarcelonaに飛行機で戻る必要があったので、珍しくも2杯を選択。


おなじみのボトルのトレードマークにわくわく感最高に。

ところがです、ツアーの所要時間が90分。MINI電車のお姉さんが
言っていた13時スタートのtourまで待合室で
待つようにとのこと、そして、その終了時刻が
予約済みの電車の発車時刻と同じ時刻であることが判明!
ツアーに参加できないということです。
チケット売り場のお姉さんに事情を話して、チケットは払い戻してもらい
せめて、売店でTIO PEPEを購入できないかを交渉しました。
なんとかかんとか、売店にいけることになり、売店までの通路でこの工場の景色を
目にとどめることにしました。

SHERRYは待っていてくれたのになあ、駅から歩かずにタクシーに乗ればよかった。と反省です。
Sevillaのタクシーでぼられたので、あまり乗りたくないとの感情があり、この失敗へと連鎖しました、

結局は この工場ではSHERRYは飲めませんでした。

悪いことは続き、放射状の道路、目印のない街並み、そして標識のない街に
翻弄されて、駅への道がわからなくなりました。

上の写真のような光景が延々と続き、通り名も標識も何もない!
タクシーもない、電車の発車時刻まで1時間ちょっとしかない、
通りすがりの方に、聞いてもスペイン語で返されて
途方にくれました。
そこに、30過ぎくらいのインテリっぽいお兄さんを見つけて
聞いたら、懇切に英語で教えてくれたので
助かりました。
歩いて駅まで行くのか?とまず聞かれました、そこから2km位
でしたが、スペイン南部の気候なのでこの日は28℃、へとへとです、
スペイン語を覚えずに、スペインに行くことは危険でした。
We had better learn Spanish.

 

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スペイン(24) FEREZ DE LA FRONTERA,TIO PEPEの里は遠かった その1

2011年05月18日 | 食事

前日、3時までSevillaの春まつりを楽しんでいたにかかわらず、

朝は8時に起きてホテルをチェックアウトしました。
荷物はホテルに預け、シェリー酒の生産地へレスデラフロンテラに
向かうためです。
ホテルで円→EUROへの交換は出来ず、近所の銀行に行くように
アドバイスを受けました。3軒回りましたが、いずれも不可
以前にも書きましたように、ヨーロッパではドルが強いようです。
円は全くもって相手にされません。

EUROの手持ちが不安なままにへレスにむかうことになりました。
とにかく、money exahngeは欧米で悩むよりも、
日本で代えておくべきです。ちょっと失敗しました。


それで、スペイン鉄道FENTEの駅、Svilla Santa Justaへ向かいました。

ガイドブックに書いているとおり、改札はありません。

昨日、もらっておいた時刻表に丸を付けておいて、往復のチケットを購入し、
乗り込みました。

畑の風景が続きます。左の木はオリーブの木でしょうか。

乗り心地は悪くない、新幹線なみです。
向かいに座ったスペインのおばさんと Hola(ハロー)と挨拶をかわしました。なんとなく、ほのぼのした
雰囲気の車内です。

そして、目的地に到着です。

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