2014年7月1日は2つの転換点か?
第1の点は「集団的自衛権」の問題です。
公明党も最終的には、「与党」という立場維持に縛られ、集団的自衛権を容認しました。いろいろ説明はつけていますが、自民党にしてみれば、閣議決定が出来てしまえば、後は何とでもなるという気持ちでしょう。
集団的自衛権でどこの国を助けるかといえば、想定問答の中でも出て来るのはアメリカです。アメリカ自身が「もう戦争は嫌だ」という厭戦気分が広がる中で、日本に手伝えという気持ちはあって当然でしょう。
かつてはアメリカと戦った日本が再びアメリカに刃向わないように、平和憲法を是としたアメリカですが、今度は、自分に刃向わないのなら「手伝え」という事でしょうか。
この辺りに、経済で言えば、ブレトンウッズ協定を自分が主導しながら、自分の都合で簡単に破棄し、変動相場制に切り替えたアメリカという国の心底が透けて見えます。
後世、「2014年7月1日が無かったら」などという事にならないように、これからが、日本国民が本気で行動すべき時でしょう。
戦争という狂気の実態を知り、日本人の心が本当は何を望んでいるのか、真剣に考える時間が来たようです。
第2の点は、アルゼンチンが、アメリカ連邦裁判所の判決に従わず、債務の元利支払いを強行したことです。この問題は前々々回取りあげましたが、金の亡者のヘッジファンドの行動を支持したアメリカ連邦裁判所の判決をアルゼンチン政府は無視しました。
さて、アメリカはどうするでしょうか。おそらくアメリカは、最終的には、アルゼンチンの行動を認めることになるでしょう。そうでなければ、アメリカは世界中から「金のためにのみ行動するヘッジファンドの味方」として非難の標的になるでしょうから。
日本はアメリカに迎合し、アルゼンチンはアメリカに抵抗しました。背後には、アメリカが、かつての「トラ」から「張子のトラ」になりつつあると言えそうな経済社会的な変化があるのでしょう。
「2014年7月1日」、悪い意味でのエポックメイキングな日にならない様、日本人にも、世界の世論にも、誤りない意識とその主張としての行動を確実に取ってほしいと思うばかりです。
第1の点は「集団的自衛権」の問題です。
公明党も最終的には、「与党」という立場維持に縛られ、集団的自衛権を容認しました。いろいろ説明はつけていますが、自民党にしてみれば、閣議決定が出来てしまえば、後は何とでもなるという気持ちでしょう。
集団的自衛権でどこの国を助けるかといえば、想定問答の中でも出て来るのはアメリカです。アメリカ自身が「もう戦争は嫌だ」という厭戦気分が広がる中で、日本に手伝えという気持ちはあって当然でしょう。
かつてはアメリカと戦った日本が再びアメリカに刃向わないように、平和憲法を是としたアメリカですが、今度は、自分に刃向わないのなら「手伝え」という事でしょうか。
この辺りに、経済で言えば、ブレトンウッズ協定を自分が主導しながら、自分の都合で簡単に破棄し、変動相場制に切り替えたアメリカという国の心底が透けて見えます。
後世、「2014年7月1日が無かったら」などという事にならないように、これからが、日本国民が本気で行動すべき時でしょう。
戦争という狂気の実態を知り、日本人の心が本当は何を望んでいるのか、真剣に考える時間が来たようです。
第2の点は、アルゼンチンが、アメリカ連邦裁判所の判決に従わず、債務の元利支払いを強行したことです。この問題は前々々回取りあげましたが、金の亡者のヘッジファンドの行動を支持したアメリカ連邦裁判所の判決をアルゼンチン政府は無視しました。
さて、アメリカはどうするでしょうか。おそらくアメリカは、最終的には、アルゼンチンの行動を認めることになるでしょう。そうでなければ、アメリカは世界中から「金のためにのみ行動するヘッジファンドの味方」として非難の標的になるでしょうから。
日本はアメリカに迎合し、アルゼンチンはアメリカに抵抗しました。背後には、アメリカが、かつての「トラ」から「張子のトラ」になりつつあると言えそうな経済社会的な変化があるのでしょう。
「2014年7月1日」、悪い意味でのエポックメイキングな日にならない様、日本人にも、世界の世論にも、誤りない意識とその主張としての行動を確実に取ってほしいと思うばかりです。