tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

平成という時代:$1=¥75と日本経済

2018年02月02日 20時14分44秒 | 経済
平成という時代:$1=¥75と日本経済
 平成20年~24年(2008~2012)は、平成時代の日本にとって、経済的にも社会的にも最悪の時期でした。

 プラザ合意で主要国から円高を押し付けられ、紆余曲折の中で、20余年を経て、何とかその克服の目鼻がついたと思われた時期に、さらなるデフレ不況の深淵に突き落とされたという所でしょうか。

 事はアメリから起こりました。アメリカで収入の低い層(サブプライム層)を対象に住宅価格高騰の中で行われた巨額の住宅ローン残高を証券化し、それをトリプルAに格付けたりして世界中に売り捌きました。
 アメリカは巨額なマネーを世界中から集めたのですが、住宅価格は何時までも上がるわけではありません、日本のバブル崩壊と同様、崩壊する日が来ます。

 胴元がアメリカで、不良債権にAAAの格付けなどをして世界中に売り捌いていましたから、世界中の金融機関や企業・個人の資産に大穴が空きました。
このバブルに中心的な存在だった投資銀行リーマンブラザーズホールディングスは倒産、世界金融恐慌の様相になりました(いわゆるリーマンショックです)。
 グリーンスパンに代って、FRB議長になったバーナンキは、事態収拾のため、徹底した金融緩和政策をとり、世界金融恐慌の回避に専念しました。

 日本の主要銀行はその前のバブル崩壊で大幅に整理されていましたので、被害は小さいと言われましたが、日本経済に深刻な結果をもたらしたのは、金融危機騒ぎの中での国際投機資本主導の円高でした。

 円レートは2007年秋には$1=¥87円になり、その後も80円とう水準が一般的になり、2011年8月には75円台を記録しています。
 1ドル120円に漸く対応出来つつあって日本経済・社会は、改めて1ドル80円レベルに対応するためのコストダウンを強いられたのです。

 プラザ合意で1ドル240円から120円という円高に20年をかけて対応してきた日本は、いわばリハビリ中でしたが、今度は1ドル80円に対応しなければならないという事で、改めて深刻なデフレ不況を経験することになりました。

 この深刻な不況は、国家財政や年金財政を直撃、産業社会から市民生活までいろいろな面に影響してきたようです。企業の海外移転、海外投資の増加、失業率・求人倍率の悪化、非正規雇用者比率の増加、教育訓練費の削減、労働災害減少傾向の反転、メンタルヘルス問題の深刻化、などなど、このままでは日本経済社会は行き詰まるのではないかといった様相さえ見られたように思います。

 この深刻な状況は、2013年、アメリカの金融緩和と同じ手法をとった、黒田日銀の異次元金融緩和で、漸く脱出に向かいます。
 バーナンキさんは、日本はもっと早く徹底した金融緩和をやるべきだったと言っています。

 1ドルが80円前後という異常な円高に適応しようと苦しんだ日本企業、日本社会は、この苦境がトラウマになったのでしょうか、今に至る、その種々の後遺症に悩まされているようです。