岸田総理の掲げるスローガン「新しい資本主義」のための検討会もできたようです。
結論を急ぐようですが、恐らくはまだ中身がないのでしょう。
「早く中身を」という気持ちは解りますが、これは容易な問題ではないように思います。
それは、「人間と資本との関係」を確り見て、資本の性格(実は資本を使う資本家の性格)を確り抑えたうえで、政策を打つ、特に問題になるのは、その先、資本利得(資本を動かすことで得られるリターン)に対する税制をどうするかが最も重要な点になるのでしょう。
という事で、まず「人間と資本の関係」から見ていきたいと思います。
資本は人類社会の発展のために役に立つ重要なものです。だからこそ、資本主義といった考え方が生まれたのです。
近代文明は、資本を確り蓄積し、それを的確に活用したことによって、発展して来たいのです。資本がなければ工場もできませんし、研究開発で新しい技術を開発し、社会を豊かに快適にすることもできません。
原始の昔から人間がもともと活用していた資本は「土地」でしょう。占有する土地が広いほど、採集も農業も畜産も有利です。ですから個人も国も、広い土地を欲しがりました。
今でもその記憶が脳の奥底に染みついていて、領土問題が起きるほどです。
しかし今は会計上は土地は資本の一部で、土地は狭くてもおカネという資本を蓄積し、それを適切に活用していけばいくらでも経済発展出 来ることが解ってきました。
例えば、戦後の日本は領土が狭くなってから、最高の経済発展をしま した。
今、台湾は土地は狭いですが、高度な半導体の技術開発をし、世界に供給、最近ではソニーと一緒に大きな半導体新工場絵を作る資本力を持っています。
財務分析でいえば、「労働の資本装備率」(固定資産/従業員数)と労働生産性は比例関係にあることが経験的に証明されています。
資本蓄積をし、それを適切に投資することで生産性を向上させ、それが社会を豊かで快適なものにするという経済社会の開発・発展の構図はすでに世界共通の常識になっていると言えるでしょう。
さて、岸田総理の「新しい資本主義」これから中身が作られるようですが、どんなものになるのでしょうか。良い物が出来てくれればいいと思います。
という事で資本が人間社会にとって大変重要な役割を果たすものであることは間違いないのですが、矢張り大きな問題があります。
資本には意思はありません。資本が「悪者だ」などと言われるのは、資本が悪い事をするのではなく、その資本を持っている「人間」が適切な使い方をしないという事なのでしょう。
結論から言ってしまえば、上記の「労働の資本装備率」のように、「働く人間の役に立って生産性を高める」のは「本来の資本蓄積の目的にかなった」使い方でしょう。
もともと資本主義というのは「そういう意味で資本の重要性」を認識して付けられて名前でしょう。
「生産性を高める」と言いましたが、それは「一人の人間が、資本装備のお陰でより多くの「付加価値」を作り出せる」という事です。
一人一人の人間がより多くの付加価値を生み出せれば、付加価値はその生産要素である、労働(社長以下の人間)への分配としての賃金も上がり、生活の豊かさ、快適さは増します。同時に資本への分配としての利益も増え資本蓄積も増え、資本装備率を上げより高い生産性への準備が出来ます。(労資はwin=win の関係になります)
これが本来の資本主義の姿でしょう。
ところが、こうならない資本の使い方もいろいろとあります。これは資本を持つ人間の意思によります。
次回その問題を考えてみたいと思います。
結論を急ぐようですが、恐らくはまだ中身がないのでしょう。
「早く中身を」という気持ちは解りますが、これは容易な問題ではないように思います。
それは、「人間と資本との関係」を確り見て、資本の性格(実は資本を使う資本家の性格)を確り抑えたうえで、政策を打つ、特に問題になるのは、その先、資本利得(資本を動かすことで得られるリターン)に対する税制をどうするかが最も重要な点になるのでしょう。
という事で、まず「人間と資本の関係」から見ていきたいと思います。
資本は人類社会の発展のために役に立つ重要なものです。だからこそ、資本主義といった考え方が生まれたのです。
近代文明は、資本を確り蓄積し、それを的確に活用したことによって、発展して来たいのです。資本がなければ工場もできませんし、研究開発で新しい技術を開発し、社会を豊かに快適にすることもできません。
原始の昔から人間がもともと活用していた資本は「土地」でしょう。占有する土地が広いほど、採集も農業も畜産も有利です。ですから個人も国も、広い土地を欲しがりました。
今でもその記憶が脳の奥底に染みついていて、領土問題が起きるほどです。
しかし今は会計上は土地は資本の一部で、土地は狭くてもおカネという資本を蓄積し、それを適切に活用していけばいくらでも経済発展出 来ることが解ってきました。
例えば、戦後の日本は領土が狭くなってから、最高の経済発展をしま した。
今、台湾は土地は狭いですが、高度な半導体の技術開発をし、世界に供給、最近ではソニーと一緒に大きな半導体新工場絵を作る資本力を持っています。
財務分析でいえば、「労働の資本装備率」(固定資産/従業員数)と労働生産性は比例関係にあることが経験的に証明されています。
資本蓄積をし、それを適切に投資することで生産性を向上させ、それが社会を豊かで快適なものにするという経済社会の開発・発展の構図はすでに世界共通の常識になっていると言えるでしょう。
さて、岸田総理の「新しい資本主義」これから中身が作られるようですが、どんなものになるのでしょうか。良い物が出来てくれればいいと思います。
という事で資本が人間社会にとって大変重要な役割を果たすものであることは間違いないのですが、矢張り大きな問題があります。
資本には意思はありません。資本が「悪者だ」などと言われるのは、資本が悪い事をするのではなく、その資本を持っている「人間」が適切な使い方をしないという事なのでしょう。
結論から言ってしまえば、上記の「労働の資本装備率」のように、「働く人間の役に立って生産性を高める」のは「本来の資本蓄積の目的にかなった」使い方でしょう。
もともと資本主義というのは「そういう意味で資本の重要性」を認識して付けられて名前でしょう。
「生産性を高める」と言いましたが、それは「一人の人間が、資本装備のお陰でより多くの「付加価値」を作り出せる」という事です。
一人一人の人間がより多くの付加価値を生み出せれば、付加価値はその生産要素である、労働(社長以下の人間)への分配としての賃金も上がり、生活の豊かさ、快適さは増します。同時に資本への分配としての利益も増え資本蓄積も増え、資本装備率を上げより高い生産性への準備が出来ます。(労資はwin=win の関係になります)
これが本来の資本主義の姿でしょう。
ところが、こうならない資本の使い方もいろいろとあります。これは資本を持つ人間の意思によります。
次回その問題を考えてみたいと思います。