tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

社会経済思想と政治形態(試論):新自由主義と政治(2)

2020年10月14日 20時26分26秒 | 文化社会
新自由主義は日本には不要だった
 前回指摘しましたように、新自由主義には「new」と「neo」があります。
 いま日本で使われている新自由主義は「neo」の方が一般的なので、このブログでも、「新自由主義」といえば「neo」の方であることにしたいと思います。
 社会保障重視、福祉社会指向、労働者の権利重視といった「new」の方の新自由主義は、またの名の「社会自由主義」(social liberalism)と言うようにしたいと思います。 

 さて、何事も世界の基準は欧米で、欧米の経験からすれば、社会自由主義が労働者の権利拡大、社会保障の負担増などで国家財政としても行き詰まった結果の、スタグフレーションという経済の最悪の状態を脱出するために欧米主要国の政治が新自由主義を利用・活用したという事になるのでしょう。

 一方、日本は労使関係が良好で、経済が健全であったため、スタグフレーションには無縁で、「ジャパンアズナンバーワン」と言われるほどでした。
 しかし同時に、三公社・五現業と言われた国営の企業体が、労使関係も悪く(特に日本国有鉄道=国鉄)赤字を垂れ流し、加えて少子高齢化が徐々に進み、年金、医療財政などの将来はの心配がありました。

 日本では、その克服のために、新自由主義などと言わず、民間ベースの土光臨調などの「行政改革」で対処し、国鉄、電電、専売はJR、NTT、JTに変身、健全企業として立派に再出発しています。新自由主義改革は要らなかったのです。

 残ったのは、年金制度、医療保険、そしてその後、医療保険改革の中で誕生した介護保険といった、政府の社会保障政策の将来不安対策というのが今日の問題です。

 こう見てきますと、欧米では、新自由主義を掲げ、政府がまさに力技でやってきた改革を日本は、労使関係や、民間の知恵を活用する土光臨調に象徴される様な方法で、すんなりと解決してきているという、まさに欧米とは別種のスマートな解決方法を取ってきているのです。はっきり言って日本には新自由主義に勝る知恵を持っていたのです。

 残された年金、医療、介護などの社会保障問題も、日本は日本流のスマートさで解決可能ではないかと考えられるのです。日本には、新自由しょぎなど要らないのです。
 それが今なぜ日本の政治でも、新自由主義が信奉されたりするのでしょうか。

 理由として考えられるのは、30年に亘る平成長期不況によって、日本社会における民間の力が著しく低下したことがあるようです。
 そして、それに加えて、自由主義の経済面の実態をなす資本主義が異常な発展(劣化?)現象を起こしてきたことが挙げられるように思います。

 その上に、政権の性格などもあるのでしょうが、まずは上の2つについて見ていったみたいと思います。

社会経済思想と政治形態(試論)

2020年10月13日 22時55分54秒 | 文化社会
社会経済思想と政治形態(試論)
 このブログでは、共産主義という思想が、本来は社会正義の理想をめざし、搾取・被搾取の関係を突き崩すという高邁な目的を持って生まれたにも関わらず、結果としては共産党一党独裁という理想ならぬ幻滅に行き着いてしまったという現実については、折に触れて書いてきました。

 そして今、試論として提示したいのは、新自由主義(new liberalism ではなくneo liberalismの方です)という思想が、結局はどこに行き着くかという問題です。

 経済学では、新自由主義は古典的な自由経済が1929年の世界大恐慌などで行き詰まり、政府が介入しなければならないという事でケインズ政策が登場、次第に政府の役割が拡大し、新自由主義(new liberalism)に発展、社会保障制度などを取り入れ、イギリスでは「ゆりかごから墓場まで」政府が面倒見る、)などと言われ、北欧では福祉国家の構想も具体化するようになりました。

 しかし、部分的に社会主義の政策を取り入れる中で、労働組合野力が強まり、政治的には労働党、社会民主党といった政党が政権につくようになり、賃金の上昇、社会保障の充実に力が入ることによって、政府の負担は過重になリ、企業の場で生産性上昇を超える賃金上昇が激しくなって、結果はスタグフレーションに呻吟することになりました。
 財政赤字、国際収支の赤字になって、経済はスタグフレーション、インフレと失業が共存するという最悪の状態になってきたのが1970年代の欧米でした。(日本は労使協調で健全でした)

 これを乗り切るためには、労働組合の力を弱めること、社会保障制度の見直し(スリム化)が必須です。今はやりの新自由主義(neo libealism)的経済政策は、こうした背景から生まれました。

 日本の社会保障制度や労使関係の見本だったイギリスでは、サッチャー首相が、サッチャリズムと言われた剛腕で4度にわたる労働法改正で労組の力を弱め、最低賃金制度を一時は廃止までして漸くスタグフレーションから脱出しました。
 社会保障制度の手薄なアメリカは、レーガン改革で法人や高所得者の減税で不況脱出を図りレーガノミックスと言われる改革をしています、しかし効果はなかなかで、成果を刈り取ったのはクリントンだなどと言われました。

 こうして再び、政府の介入を極力排してマーケットを重視し(シカゴ学派など)、小さな政府を標榜する新しい(neo)自由主義経済を良しとする学者や政治家が多くなってきたのが今の新(neo)自由主義(neo liberalism)です。

 さて、この新しい「新自由主義」は、今、アメリカで流行り、日本でもアベノミクスの構造改革路線の中にも、菅政権の「自助」発言などにも見られますが、財政再建のできなない日本にも次第に入り込んできているようです。

 日本は、世界が羨んだ労使の信頼関係の中で、スタグフレーションの代わりに〔ジャパンアズナンバーワン〕でしたから、今の新自由主義にかぶれる必要はないのですが、日本の場合は、多分、少子高齢化進行という呪縛の中で土光臨調から始まった、純粋な行財政改革という所からのものが、長期不況の下で、政府に依存しながら小さな政府を目指すという、矛盾をはらみながら、舶来崇拝や、新自由主義の中でも重要な位置を占める金融の自由化、金融工学の発展といった問題も内包しつつ、一部に信奉者も出るといったことになっているのではないでしょうか。

 この新(neo)自由主義が一体何を我々にもたらしてくれるのか、これから、折に触れて取り上げていきたいと思うところです。

政労使三者の活発な交流は何処へ行った

2020年10月12日 21時48分48秒 | 労働問題
政労使三者の活発な交流は何処へ行った
 日本経済が元気で、世界の注目を集めていたころ、日本の経済社会の中では「労使は社会の安定帯」という言葉が頻繁に聞かれたように思います。

 その代表的な組織が「産業労働懇談会」ではなかったでしょうか。
 これは、当初は労働大臣の私的な懇談会として出発したようで、政、学、労、使 の代表が集まり、全く自由に意見を述べ合う会合だったようです。

 この産業労働懇談、通称「産労懇」は1970年ごろから始まり、1990年代まで、二十数年の長きにわたり続いていたようです。
 最初は、労働大臣の主催でしたが、そのうちに歴代の総理大臣も出席するようになり、参加者は組織の代表という立場ではありながら、全く自由な意見交換の場になっていた様です。

 1980年代、アメリカのエズラ・ボーゲルが「ジャパンアズナンバーワン」を書き、欧米主要国の経済が不振を極める中で、日本経済は健全性を保ち、そのパフォーマンスの良さから(嫉妬され?)プラザ合意で円高の受け入れを迫られ、1990年代以降30年にもわたる円高不況に落ち込むのです。( 為替レートとゴルフのハンディ」参照)

 ここで注目しなければならないのは、政、学、労、使の代表が、頻繁に(ほぼ毎月開催だったようです)ざっくばらんな意見交換をし、例え意見は違っても、その分だけ自然に相互理解が深まるといったプロセスが進んでいたという事でしょう。

 これはまさに日本的コンセンサス社会(異質の共存・共生)の典型で、本音を話し合う事で、立場よりも人間という共通性の方が相互理解に役立ったという事ではないでしょうか。

 労使関係においては、世界中殆どどこの国でも意見の合わない労使ですが、当時日本では冒頭書きましたように「労使は社会の安定帯」という言葉が労使双方から聞こえたところです。

 しかし、深刻な円高不況の長期化の中で、労使の行動や発言もゼロ・マイナス成長には勝てず、春闘終焉が言われるよういなって、産労懇も自然消滅となったようです。

 これは、日本の経済社会にとって、大きなマイナスだったのではないでしょうか。経済運営は、金融財政政策中心となり、政府・日銀が全て、のような状況が長く続き、労使ともに経済政策に頼るようになり、安倍政権で、異常な円高がやっと解消しても、労使の声は小さく。「官製春闘」が幅を利かすようなことになってしまったようです。

 結果、経済政策も労働政策も、政府の独りよがりなものとなり、政府の政策に広く市井の声が反映するシステムは失われ、果ては、政権の独裁化と言われるほどに権力が集中する素地が生まれたという見方も不可能ではないでしょう。

 ところで、国際機関の中でもILO(国際労働機関)は、唯一、政労使の三者構成の国際機関です。そこでは各国の経済社会のシステムのメインプレイヤーである政労使 三者が議論し決議してバランスを保っているのです。

 ここでは、一党独裁の国も、何とか三者構成の姿を整えることになります。そしてこれは大変意味のあることとなっているようです。

 今、日本では、学会が学問の意地にかけて政府の独裁化に対抗しようと動き始めたように感じられます。これは、まさに人間の心の問題で、経済社会より高次な、人類社会全体に関わる問題といえるでしょう。

 翻って、労使も、すべてが政権主導という風潮の進行に、「労使も重要な役割をを果たさなければならない」という気概を見せる時期に来ているのではないのでしょうか。

日本学術会議問題から見えてきた疑念

2020年10月10日 22時27分28秒 | 政治
日本学術会議問題から見えてきた疑念
 市井に住む我々は、標記のような問題の内幕などは全くわかりません。ただ報道を見聞きしているだけですが、政府の説明をただ素直に聞いているだけで、この所、やっぱり変だなという思いが募ってきます。

 モリ、カケ、桜の時も、どう聞いても何かおかしいと感じつつ、政府の対応を見ていて、違和感や不自然さを感じ、国民として不快な気持ちを持ち続けていたのですが、矢張りあ安倍内閣に支持率はじり貧でした。

 今回の日本学術会議推薦の105人のうち、6人が任命されなかったという問題も、総理の答弁、説明、関係大臣などの話を聞いているうちに、なにか、やっぱり、安倍内閣の時と同じことが起きているのだなといった気持ちになってくるという事ですから、国民としては何か、違和感、不満、不快感を禁じ得ない様な状態です。

 総理の発言で、政府の考え方は何も変わっていませんとしながら、、やったことは大きく違っています。加えて、世の中が変わってきたという説明もありました。何がどう変わったかそれが政府の考え方や行動に影響を与えたのかの説明はありません。

 総理は、6人の任命拒否は、安倍総理との関係は全くなく、私自身が決めたこと、との説明でしたが、後から、私は任命された99人の名簿しか見ていないと言っていました。どうやって6人を選別したのか、これではさっぱり解りません。

 勿論6人の任命拒否の理由は、総合的、俯瞰的な判断という、今や有名な説明ですが、99人の名簿しか見ていなくて、後の6人の名簿も業績も見なくて、私の判断で決めた、と言うのはどういう事なのでしょうか。

 日本学術会議のメンバーを決めるのですから、日本学術会議のメンバーとしいて相応しいかどうかが解らなければ、判断し決定することなどできるはずはありません。そして最後は、個人個人のプライバシーにかかわることなので、説明はできませんという事になるのです。

 学術会議ですから、認否の判断基準の原則は、本人の学術研究のレベルによって判断するのが当然でしょう。学術研究はすべて、個々人の業績として発表されているはずです、それがプライバシーでしょうか。そんなことはあり得ません。ならば触れられないプライバシーというのは一体何なのでしょうか。

 こうした説明不足に関わらす、政府関係者はみんな異口同音に、おかしなところなど全くなく当然のことだといった意見お述べるのです。すべてはいつか来た道、既視感の塊です。

 率直に感じるのは、あの不愉快な経験と全く似て来てしまったという絶望感です。日本の政治手法はこれでいいのでしょうか。そんな事で良いとはどうしても思われません。
 高支持率でスタートした菅内閣です。高支持率をさらに引き上げるような、国民の目線にあった、国民の納得する、解り易い政治をお願いしたいと強く願っています。

2020/8家計調査、消費不振基調は不変

2020年10月09日 20時53分07秒 | 経済
2020/8家計調査、消費不振基調は不変
 今日、総務省から8月分の家計調査が発表になりました。
コロナでおカネは使いたくても使えないのか、不測の事態に備えるのか、消費不振の基調はあまり変わらないようです。

 このブログでは、近年の日本経済の不振の主因とみられる家計の消費不振の実態観察を続けようと、勤労者所帯の「平均消費性向」をずっと追いかけてきていますが、昨年の消費税導入に続いて新型コロナの襲来で、趨勢的な観測は困難気味で、不規則な影響を与える外的要因によって翻弄される消費支出の動きを見ることになっています。

 そんなわけで、今回まず家計調査の基本部分である2人所帯の消費支出の昨年8月以降の動きを見てみました。



 この統計の指数は2015年平均が100ですから、上のグラフ左端、昨年8月+1という事は、消費支出が4年前から1%増えただけだとい事です(表示は名目値)。

 それ以前は出ていませんが、2015年以来の数字を見ても殆どフラットで大きな変化はありません。という事は、この間殆ど消費支出は伸びていないという事です

 そこへ昨年9月に至って、消費税増税の駆け込み需要がありました。グラフは大きく10%近く上がっています。そして10月からは駆け込み需要の反動減です。
10月の-5%から徐々に増え、今年2月には2015年水準まで戻りましたが、それからが新型コロナの影響で、急激に落ち込み、5月には-15%まで落ち、緊急事態宣言の解除とともに回復かと見えましたが、7・8月は矢張り低迷状態で、2015年水準には届きません。

 経済社会が平穏であれば、通常、趨勢の動きが経済の長期的な傾向の判断の役に立ったりするのですが、昨今のような、特殊な原因による乱高下は、まさに変化の行方を追うだけになってしまいそうな状況です。

 そんなわけで、この所の状況はコロナによる消費の落込みがどの程度かという実態を見るだけになりそうですが、それでも、何が読み取れるのか、毎月検討している、収入と支出が調査されている2人以上勤労者所帯の「平均消費性向」見てみましょう。



 上図は、収入と支出が調査されている2人以上勤労者所帯の平均消費性向(消費支出/可処分所得:%)です。
今年1月、2月はまだコロナの影響はないのではないかと思われますが、平均消費性向は前年比で低くなってます(茶線が下)。このところ続いている家計の節約系回向が変わっていないのでしょう。

 3月、4月と平均消費性向が前年比で下げ幅を広げています。花見も危ないといった状況の反映でしょう。緊急事態宣言が4月から5月まで伸びて、5月の平均消費性向は前年5月より大幅に低下していますが、これは1人10万円の給付金の支給が始まって特別収入が増えたが、消費は緊急事態宣言の延長で抑えられた結果でしょう。

 6月はボーナス月で平均消費性向は例年下がりますが、この月は10万円の給付金の支払いが集中したようです。しかし支出はやっぱり大幅に下がっています。そして新規感染者が増えた7月も8月も、前年並みには回復せず、相変わらず対前年でマイナスが続いています。8月の平均消費性向は69.8%、前年8月は75.4%(5.6ポイントの低下)でした。
 
 新型コロナの影響は大きいと思いますが、この平均消費性向低下の状況が、GoToキャンペーンなどの政府の些か強引と言われる政策でどこまで回復するか、新規感染者の動向も見ながら、9月以降の統計発表で示されるでしょう。
月々の統計を追う事で、政府の政策と国民の意識の動きの美妙な関係をトレースしていきたいと思っています。

国勢調査の回答率低下を憂う

2020年10月08日 14時08分14秒 | 文化社会
国勢調査の回答率低下を憂う
 昨10月7日は国勢調査の回答期限でした。報道によると回答率は53.1%で、前回(5年前)に比べて1.3ポイント低くなっているとのことです。
 前回は、調査員の再訪問などの努力で、最終的には86.9%だっと報じられていますが、いずれにしても、国勢調査としては、政府は100%に近づけるために最大限の努力をすべきでしょう。

 ご承知のように、国勢調査は国の統計の中で、最も重要な統計調査です。
 だからこそ「センサス」(CENSUS)と言われ、これは「全数調査」の代名詞にもなっているものです。
 
 全数調査があって初めて母集団が確定し、抽出調査が出来るわけで、すべての統計の基礎データになるのが国勢調査なのです。

 統計に関係する人たちの間では、「国勢調査もきちんとできていないような国は近代国家ではない」「大体人口も不正確で、何処にどれだけ国民が住んでいるのか解らなくて国政がができるのか」などといった真面目なジョーク(?)もあるようです。

 オンライン回答も可能になり、パソコンやスマホからも回答でき、調査項目も昔に比べて大幅に簡素なものになってきていますから、回答にもそれほど手間のかかるものではありません。

 上記の回答率53.1%、前回比1.3ポイント低下という数字を見て、正直びっくりしたのは、53.1%の方でした。期日までの回答率が半部を少し越えた程度になってしまっていたのかという状況は、今の国民意識の反映なのでしょうか。

 国政の基本データである国勢調査の回答率がここまで落ちていることを政府はどう考えているのかです。前回比1.3ポイントの低下というのは、恐らく、オンライン回答を取り入れていた結果でしょう。これは新型コロナの環境の中で、導入していてよかったといった感じを受けました。
 
 政府もあわてて7日までの期限を20日までに伸ばしたようですが、これからが国勢調査の調査員の方々の大変なご苦労の時期でしょう。

 国の在り方をきちんとするために、政府に要請したいことは、第1に、国勢調査が国民の状況を正確に把握するための基本的な基幹統計であり、国民にはそれにこたえる義務がある(不回答には罰則があります)ことを国政選挙並みの努力で国民に周知徹底することです。

 第2は、国勢調査員の尊重重視です。国勢調査の重要性を、全国民にしっかり理解してもらわなければ、今日のような世相の中では(人間関係の希薄化、プライバシーの過剰尊重など)」、国勢調査員のなり手が無くなるのではないでしょうか。

 オンライン回答の促進も重要でしょう、然し全数調査という国勢調査の性格から、国勢調査員の役割は極めて重要です。
 時には身の危険も感じながら、お国の為と真剣に実地の調査にあたる調査員の存在を、適切に評価(待遇も含めて)しない限り、国勢調査の危機は続くのではないでしょうか。

 国勢調査の重要性の国民への周知徹底、国勢調査員の十分な重視と尊重まずはこの2つでも、政府が本気になって取り組むことが強く要請されていつのではないでしょうか。

2020/8景気動向指数、数値は回復基調ですが

2020年10月07日 21時04分35秒 | 経済
2020/8景気動向指数、数値は回復基調ですが
 今日、内閣府から8月分の「景気動向指数」(速報)が発表になりました。
 これは日本経済の種々の分野の活動状況(製造、出荷、販売の数量など)を3つのグループに分けて合成し、日本経済の活動状況がどの程度の水準にあるのかを見やすく示すものです。

 3つのグループとは、次の3種類です。
・先行系列:機械受注、住宅着工、消費者態度など、先行きの動きを示す
・一致系列:鉱工業生産、耐久消費財出荷、小売業売上など、景気の現況を示す、
・遅行系列:雇用指数、家計消費、失業率など、景気に遅れて動く指数
 
 勿論現状を端的に示すのは一致系列ですからこれを中心に見ていきたいと思います。
 一致系列のCI(Composite index=2015年平均を100とした水準を示す)は2020年8月は79.4で、コロナのせいもあり随分落ちたものですが、非常事態宣言中だった5月からの動きを見ますと、71.2、74.4、78.3、79.4(8月)とかなりの回復です。

 政府は、非常事態宣言以降は、経済活動の回復に重点を置いて、無理ではないかと言われながら、7月下旬からGoToキャンペーンなど積極策を始めているのはご承知の通りです。
 それにしては8月の改善幅は小さいですが、コロナの終息が見えなくても、これだけ経済活動が回復するのですから、経済活動へのエネルギーが潜在していることは明らかでしょう。

 一致系列10項目の中の主要なものの5月と8月の数字を比較しますと
・最も基本的な鉱工業生産指数は79 → 89
・市場に出す生産財出荷椎数は74 → 89
・耐久消費財出荷指数は54 → 86 
といった感じで、生産場面では比較的波が小さく、市場状況による出荷は、それより波は大きく、更に家庭で使われる耐久消費財になりますと、落ち込みもひどかったが、回復も顕著といった様相が見られます。

 ここから産業、企業なりに、生産出荷を何とか平準化して操業や雇用の安定を図ろうとする企業の姿勢も見て取れます。

 最も市況を受けやすいのは、家庭に直結するところで、5月あたりは殆ど外に出ない家庭が多かったことで、交通、運輸、外食、レジャー産業などの打撃が酷かったことは、皆様ご経験のとおりです。

その中で耐久消費財の回復が目立つというのは、現場に行かずにスクリーン上でレジャーを楽しむしかないといった状態から大型テレビ、3密禁止で人に会えないのでネット上で交流するしかないから新たに新しいパソコン、更にはスマホといった、テレ〇〇、リモート○○が急速に普及したことによると言われています。

一方、日用品の取り扱い中心の小売業では衣料履物などは落ち込みが大きかったものの、日用品、生活必需品について見ますと、小売業(これは表示が違い、対前年同月の日の変化幅ですが)-19 → -2 とほぼ前年水準に復しています。

悪化が続いているのは有効求人倍率で、1.2倍 → 1.04倍に下がっています。これは失業率などと同様、遅行指標の性格が強いという事でしょう。

思いがけず伸びているのが輸出数量指数で 73 → 90と割合急速な回復です。中国経済の回復の影響も大きいのではないかと思われます。

 これからの動きは、経済活性化重視の政府と、国民一人一人が自衛手段としての感染防止努力のバランスの間で動くと思われ、今後の新規感染者数の推移が気になるところですが、日本人の真面目さとお行儀のよさで、何とか、ワクチン開発まで、頑張っていくことを期待したいと思う所です。

アメリカの様にはなりたくないですね

2020年10月06日 23時10分49秒 | 文化社会
アメリカの様にはなりたくないですね
いよいよアメリカの大統領選も終盤という事でしょうが、先日の、トランプ、バイデン両氏の討論を見ても、他国のことながら、こんなことでいいのか、という感を強くした人も多いのではないかと思います。

 アメリカのメディア自体も、史上最低の討論会などと書いているようですが、まともに悪口雑言を投げつけるトランプさんですし、バイデンさんも売り言葉に買い言葉といった面も見えたようでした。

 テレビで見ている我々までもが不愉快になるような情景でした。相手をこき下ろす結論がどぎつく、結論を導く論理は省略というスタイルで、ほとんど説得性を持たないのですが、あれだアメリカの人たちは納得するのでしょうか。


 日本の党首討論なども、あそこまでは堕ちてはいないと思いながらも、礼節と倫理感を重んじる日本のリーダーたちのあんな姿は絶対見たくないと、何か空恐ろしい嫌悪感を持たせるものでした。

 ところで、安倍総理は、トランプさんの無二の親友のようですし、強い影響を受けているようで、国会答弁でも都合の悪いことは説明を省いて結論だけを(丁寧に)繰り返すことが随分多かったように感じてきていました。

 安倍路線を継承した菅政権も、より単純にその方式を踏襲し始めたようで、まず「 この見事な落差、どちらが本当の菅内閣」でも書きましたが、加藤幹事長の切り口上な答弁が気になりました。

今回は、日本学術会議(の6人任用見送り)問題についての総理の発言で、っ見送りの理由は「法に基づいて適切に対応」だけ、追いかけた、本人の行動や発言に関係あるのかという趣旨の質問には、関係なしの一言で、それでは何故任命しなかったのかというだれも持つ疑問には全く触れないという、これもまさに切り口上なものでした。

 学問の場に政治が踏み込むというのは、多くの場合、国の乱れる兆候であることは歴史が示していますが、平和を愛し、文化、科学を大切にする日本にとっては著しい違和感を持たせるものである事に気づいているのかと、多くの日本人は不思議に思う所ではないでしょうか。

 これは、この所の政治面の問題ですが、その背後には、例え無意識であっても、国際関係や経済問題があることは十分考えられるところでしょう。

 アメリカが自国中心を旗幟に掲げ、時に中国と同様に国連をないがしろにし、世界中に危惧の念を持たせる行動をエスカレートさせてきていること(それを真似るリーダーも増えているようです)、その背後には、アメリカが万年赤字国になって、世界中からカネを掻き集めなければ国の運営ができないほど経済的な力を落としている事があるのでしょう。

 このブログでも、折に触れて見て来ていますが、日本の経済体質も、今は万年黒字国ですが、歩いている道は、アメリカと同じ方向という問題は、多くに専門家も気づいているのではないでしょうか。

 余計なことを付け加えますが、安倍政権も菅政権も「俯瞰」という言葉がお好きなようですが、長い歴史を俯瞰し、 歴史から学び、前者の轍を踏まず、国づくりをするという事は為政者にとっては結構難しいことのようです。

 先日の報道では、一部のマスコミで、菅総理の発言の「俯瞰」が「ふかん」と仮名になっていました。まさか不感の間違いではないでしょうが、政府は、国民の意識には常に敏感であってほしいと思う所です。
 

日本のGDPが伸びなくなった2つの原因

2020年10月04日 22時07分49秒 | 経済
 本題に入る前に、今一番気になっている事に2-3行触れておきたいと思います。
 日本学術会議の推薦メンバーの内6人が任命されなかったという問題です。
 今回突然というより、以前からの政権の意思のようです。この種のものは放置すれば、政権は確実に腐敗し、それが次第に加速して、ひいては亡国につながるものでしょう。恐ろしいことです。止められるか否か、強い心配とともに見守っています。

 
 本題に入って、前回触れたこの所の日本を覆う経済不振の暗雲の原因2つ(コロナ問題は、ワクチン開発で時間が解決するでしょうから、ここでは触れません)、国内投資(特に研究開発投資)と消費需要がともに伸びないことについてです。

 先ず、消費需要が伸びない点について考えてみましょう。
 安倍内閣になって「官製春闘」という言葉が生まれました。年々の春闘で安倍さんは高い賃上げをと、労使に呼びかけました。そして多少の賃上げがあると、賃上げ奨励の効果があったと自画自賛したりしました。

 しかし、国民経済計算で家計最終消費支出の伸びを見ますと、雇用者報酬(日本経済の総額人件費)の伸びに追いつきません。つまり、GDPの分配として支払われる人件費が増えても、個人消費がその分増えるわけではないのです。

 安倍さんは賃金が増えれば消費は増えると単純に考えているのかも知れませんが、その間には「消費性向」という比率が入っているのです。賃金が上がっても消費性向が下がれば個人消費は増えません。

 その平均消費性向は、平成不況以来低迷を続けているのです。そしてこの低下の原因として指摘されているのが、年金不安に象徴されるように、膨張を重ねる国の借金、国家財政の将来不安、将来の増税懸念も含め、(株式投資に依存するような)老後を支える金財政の不安でしょう。

 つまりアベノミクスでは賃上げを奨励する一方で、消費性向を低下させるような状況を作り出すというちぐはぐな事の結果、将来不安がより強く、消費低迷で経済西方の減速を招いていたという事なのです。(預金に金利が付かないことも重要な要因です)

 2つ目の投資不振については、長期の円高不況で、国内の 技術開発力の衰え、従業員教育の手抜きもあり、国内投資の効率が低下したことが大きいようです。
 アベノミクスの時期に入り、異常な円高が解消しても、企業の多くは、国内投資より 海外投資に力を入れる状況は促進される傾向にあります。

 海外投資では、付加価値は海外で発生します。付加価値の6-7割は人件費で、これは投資先の国に落ちます。日本企業に入るのは人件費支払い後の利益の内、利子・配当の部分で、第一次所得収支の黒字ですが、これはGDP(国内総生産)には算入されません。

 国民総所得(日本人・日本企業の所得) GNIに算入されているのです。この金額は大きく増えて、日本の国際収支の黒字に大きく貢献していますが、海外展開する企業の場合、人件費は海外の人間に払われるのですから、国内投資の様にGDPを増やしてはくれません。

  こういう状況が続きますと、低成長とともに国内の 技術開発力や高度な製品の生産能力は次第に落ちてくることが懸念されます。
 今回の新型コロナのワクチンにしても、政府は海外のメーカーから買う事ばかりをいっていますが、これが政府の本音でしょうか。

 やはり日本経済は、岐路に立っているようです。政治の課題は、低迷する国民意識をいかにして戦後の昭和のような活気のあるものに出来るのかでしょう。
ちまちました産業政策ではなくて、大きな国づくりの思想、哲学が必要な時期なのではないでしょうか。

経済成長への意欲と自信が失われた!

2020年10月03日 15時40分22秒 | 経済
経済成長を可能にする付加価値の使い方-6
 2013年、2014年と日銀は、アメリカのバーナンキ流の金融政策を取り入れ、徹底した金融緩和を実行、アメリカと同じ2%インフレ目標を掲げて、いわゆる異次元金融緩和による日本経済の再生に踏み切りました。

 円安効果は抜群でした。主目標が「 円安実現」にあったことは明らかです。
 円安を実現すれば、日本の国際競争力は回復し、日本企業は積極的な経済活動に転じ、雇用も増え、賃金も上がり、消費も増え。円安の日本に観光客も押し寄せるだろうと予測して当然でしょう。
 私も当時そう考えていました。円レートが1$=120円がらみになれば、日本経済は自動的に元気を取り戻すと確信していたというところでしょうか。

 当時のこのブログを見ますと、「いよいよこれから日本経済の復原現象が起きるだろう」と見ている様子が鮮明です。しかし、残念ながら現実は違っていました。

 これを「アベノミクスの失敗」というか、日本が変わったというかは、もう少し時間が経たないと解らないのかもしれません。

 現実に起きたことを見ますと、まず、円レートは1$=80円水準から120円水準の大幅な円安になりました。日本の物価は国際的にみても安いぐらいになり、多くの企業は相当な円安差益を計上しました。海外からの観光客、いわゆるいんバウンドは順調の増加に転じました。

 しかし残念ながら企業の国内投資はある程度は伸びたものの、大きく 伸びたのは海外投資でした。
 2%インフレ目標に象徴された消費拡大への期待は、まったく宛てが外れるといった結果になってしまいました。

 このブログでは、「プラザ合意」による大幅円高($1=¥240から$1=¥120円)以降の日本経済の分析を繰り返し行ってきていますが、観測する所では、リーマンショック以降の超円高($1=¥75~80)で、日本企業は 自信と意欲を大きく失ったように感じます。

 また、長期にわたる平成の長期不況、2度の就職氷河期は、日本人の1億総中流の成功体験を徹底的に忘却の彼方に押しやり、少子高齢化の喧伝とともに、今後は自助による生活の自己防衛しかないという強迫観念を多くの日本人に植え付けたようです。

 その結果として起きている状態が、企業の投資行動は、国内投資から大きく海外投資にシフトし、国民の消費行動は、 今日の消費を抑えて (平均消費性向の低下)、明日(老後)のために出来るだけ貯蓄を充実させるというパターンに変化してきているという事でした。

 こうした、企業と家計の経済行動の消極化が、企業金融面では異次元緩和のマネーを実体経済の成長に生かしきれず、消費行動では、賃金の上昇(これも小幅ですが)に 逆行する消費の節約を引き起こし、生産、消費の両面から日本経済の成長を制限する自主的な行動に結果していることが明らかになってきています。

 そして、金融異次元緩和のマネーも、巨大になった家計の貯蓄によるマネーも、動いている分野は株式等の証券市場で、株価はそれなりの水準を形成していますが、それは方向としては所得格差、資産格差の拡大を通じて、日本社会の格差社会化を齎しているという図式になっているようです。

 このままでは、日本経済、日本社会は、行く先を誤るといった状況の中で、新型コロナが更なる混乱をもたらしているというのが現状ではないでしょうか。
 日本経済・社会の進むべき方向について、新しい菅政権も、何か考えなければいけないように思うのですが、今までの所、制度上の小細工程度です。

  国民の意識を変えるには、国民が自分の行動を変えたくなるような魅力のある「哲学」をリーダーが示す必要がると思うのですが。

労働分配率と経済成長率の基本的な関係を見る

2020年10月02日 21時20分44秒 | 経済

経済成長を可能にする付加価値の使い方-5
 前回は付加価値を創るという問題は、実体経済の問題で、最近アメリカから流行って来たマネー経済学は、付加価値は誰かが創ってくれるから、その付加価値を買う購買力としてのマネーを稼げば、結局、付加価値は自分のものになるという事でカネでカネを儲けるための方法論だという点を見て来ました。

 この点は、格差問題との関連でまた触れる機会があるかと思いますが、ここでは実体経済を基本に据え、付加価値を増やすという実体経済の価値の生産(創造)の問題を考えていきたいと思います。   

 ところで、GDPから減価償却を差し引いたものが国民所得です。御承知のように減価償却は固定資産などは何時かは買い替えなければならにならないので、そのために毎年付加価値の中から積み立てをしている分ですから、これを使ってしまう訳にはいきません。

 ですから人間と資本への分配の対象になるのは、減価償却を差し引いた国民所得の方です。その中で人間(労働)に分配された分の比率が労働分配率です。
 今回は、この労働分配率と経済成長率の関係を分析してみようという事です。

 計算(推計?)方法など詳しい事は解りませんが、例えば、ネット上ではアメリカの労働分配率は60%台、中国の労働分配率は50%を切るなどの数字があります。
 こうした数字を見ると、中国がGDPでアメリカを10年以内に追い越すというグラフは納得いく気がします。

 国際比較をしてもそうですし、日本の数字を歴史的に見てもそうですが、高成長の時は労働分配率は低く、労働分配率が高くなるころには、成長率は低い国になっているのです。

 因みに日本の数字を見ますと
・所得倍増計画の後半 労働分配率 53% 経済成長率9.4%(高度成長期)
・1980年代前半 労働分配率 68.5% 経済成長率4.3%(安定成長期)
・アベノミクス時代 労働分配率 68.9% 経済成長率0.8%(低成長期)
といったことになっています。

 これは経験的にもそうですが、理論的には、高度成長期には、政府も企業も国民も、先進国に追いつけ追い越せと頑張り、そのために技術導入や技術開発、新鋭機械の導入などにより多くの所得を割きます。
 そして成長の成果である、日本で言えば3C(モノクロTV、電気冷蔵庫、電気洗濯機)、新3C(カー、クーラー、カラーTV)などを先を争って購入、多額の投資による新商品開発が、国民の購入意欲を誘い、より良い生活を実現するという好循環が回っているからです。

 安定成長期には、日本は一億総中流と言われるような良き時代で、多少不満足なのは「ウサギ小屋」などといわれた住宅ぐらいになっています。

最近はどうかといいますと、所謂アベノミクスの中で、労働分配率は高止まりしたままですが、特に労働分配率が高まったわけではないのに経済成長率は0.8%という低迷状態です。

 上の3つの時代の比較を見ても労働分配率と経済成長率の関係はお分かりかと思いますが、国際比較をしてみても、労働分配率が低く、資本分配がが高い国の方が経済成長率は高いのが一般的です。

 それでは、労働分配率を下げて、資本分配率を上げれば経済成長率が高くなるかというと、必ずしもそうではなく、資本分配が高いことは経済成長率向上の必要条件ではありますが、十分条件ではないようです。

 アベノミクス時代の経済成長率が特に低い点については次回検討してみたいと思います。