初めまして。理科2類1年の元尾帆斗(モトオハント)です。如何にもって感じの名前ですが親族に1人もセーラーはおらず偶々この名前をつけたそうです。
小学2年までは福岡の太宰府でサッカーやら水泳やら習字やら色んなことをしながらのびのび過ごしていました。小学3年からは長崎の小学校に通いそこでヨットに出会いました。すでに水泳クラブにも所属していたためやるかどうか迷いましたが奇跡的に水泳の練習とヨットの練習の日が被っていなかったでとりあえずヨットクラブに入ることにしました。小学5年の頃には水泳で選手コースに移り練習量も増え「週1で習字、週2でヨット、週4で水泳」という小学生の自分には鬼畜すぎる毎日を過ごしていました。白波がたつ冬の海に出るたびに本気でヨットを辞めたいと言っていましたが親の圧で辞められず嫌々続ける羽目になりました。(水泳も同様)
そうこうするうちに中学生となり当時は部活に憧れていたのでハンドボール部に入部したいと考えていましたが何度話しても親を説得できず結局帰宅部に入部しクラブチームで水泳とヨットを続けるという道を選びました。また今まで一ミリも勉強というものをしたことがなかったためか何故か中一の時点で高校受験が不安になり始め地元の塾に入塾しました。忙しかったですが自由時間がないわけではなく学校が終わったら水泳の練習にいくまでの数時間は地元のイオンのゲームセンターに友達と通いメダルゲームを極めるしょうもない毎日を過ごしていました。気づけば三年生となり中総体が終わると水泳は引退し勉強モードに切り替えていきました。ヨットに関しては高校入試の1ヶ月前?くらいに外せない大会があったため引退せずにやり続けました。そして直前に詰め込んだこともありなんとか長崎西高校に合格することができました。
高校の頃はコロナの影響もありヨットは一年生時しか活動していませんでした。その代わり部活の水泳に熱を注ぎ愉快な仲間と共に放課後の練習に勤しんでいました。高三の高総体のメドレーリレーでは平泳ぎを泳ぎ長崎予選を勝ち抜いた時は無茶苦茶嬉しかったのを今でも覚えています。部活を言い訳にしてサボり気味だった勉強ですが引退して8月からはせざるを得ない状況となり渋々机に向かいました。
(修行の一年)
そうこうして東大生となりサーオリがありました。何周も回りたいくらい最高な空間で、先輩方もキラキラしていて大学生活に大きな期待を抱きました。ヨットの試乗会には割と早い段階で参加しましたが偶々参加した日が爆風でヨットにのることなく代わりに免許取りたての先輩が運転するレンタカーに1日中乗り続けるというなかなかの恐怖体験をすることになりました。
まだ部員の顔と名前がぎり一致するくらいですが徐々に部に馴染んでいきたいです。やるからには最後までガチでやろうと思ってるので残り三年間精一杯頑張ります。よろしくお願いします〜