四季折々

~感じるままに~

二ヶ城山山域にある「雨乞の碑」へ登ってみました。

2015-01-13 22:06:47 | まち歩き

今日は朝から雲一つない素晴らしい天気になりました。
午後から、どこか高台へと思い、二ヶ城山(ふたつがじょうざん)の方向へ出かけてみました。
途中、以前から気になっていた「雨乞の碑」の案内標示が目につき、向かってみました。


上岩上側の二ヶ城山登山口です。 14:15でした。




2分ほど行くと、こんな標示がありました。(14:17)

以前少し入って道が分からずあきらめたところですが、標示がある旨書かれていたので行ってみることにしました。


すぐ先に地図も掲示してあり、起点と思える0mの標示もつけられていました。(14:19)

地図を写してみました。赤丸の地点に碑があり、標高は300m弱のようでした。(北は下)


こんな標示やところどころピンクのリボンが下げられていました。この先から、急な坂道になってきました。(14:25)



起点から200m登ったようでした。(14:27)






突然
広々とした場所にさしかかりました。段々畑か棚田があったと思える状態で石垣が残っていました。(14:34


段々の上際のようなところに、「400m 雨乞の碑まで200m」 の標示がありました。(14:37)





ミズナラと思える大きな木が立っていました。見上げると、青空に細い枝が映えてきれいでした。(14:40)


ありました。 碑に間違いないような構造物が見えてきました。(14:46)



山頂のような、広くて丸く盛り上がったような場所に石碑が建っていました。


大正13年9月1日 雨乞紀念 岩上区民建之 と彫られていました。



木々の間から高陽・可部方面が見えました。


オカリナを持っていたので、♪♪あめあめふれふれかあさんが・・・♪♪など、何曲か練習し、

周辺を散策して15:30に帰路につきました。この位置からはまだ東方向に稜線のような道が続いていました。




登山口まで下りてきました。(16:00)

右側は深い竹藪ですが、のぞいてみると、やはり石垣が残っており、昔は田畑だったようです。
左は、丘陵地で墓苑となっていますが、やはり田畑だったのではないかと思われました。


この下方左右両側には、二ヶ城山などを水源とする諸木川と落合川が流れています。
水は豊富なところだと思っていました。

これまで、「雨乞の碑」の標示を不思議に思っていました。しかし、今日、訪れてみて分かりました。
昔は、両側の川(谷)からは水を引くことができず、小さなため池などでは水を賄えない田畑が多数あったのです。
しょっちゅう雨乞いをしていたものと思われました。


それにしても、昔の人々は、山の上まで田畑を切り開いて、本当に大変な努力をされていたものです。






















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