咋日、太田川高瀬堰右岸にある八木城跡を散策しました。
鎌倉時代(1222)に築城され、関ヶ原合戦(1600)の年に廃城となったといわれる山城跡でした。
鎌倉時代(1222)に築城され、関ヶ原合戦(1600)の年に廃城となったといわれる山城跡でした。
高瀬堰すぐ向こうの小山です。この山全体が城山だったようです。右の白い建物は市立城山北中学校。
最初①のところにあった登山口らしき道を登ってみると墓地でした。
こんなきれいに整備されたところがありました。
わずか3~4分登ると竹藪の中に墓地があり、行き止まりのようでした。
立派な墓地だったので、近くの名家の墓地だろうと思い引き返しました。
そして②の(城山北中学校)方向に回ってみることにしました。
ここから電動アシスト自転車で登って行くと、8分ほどで登山口らしきところがありました。
スマホでググってみると、左の山道が本丸方向のようでしたので先に登ってみました。
すぐにちょっと広いところがあり、更に細い急な階段がありました。
登って行くと、平らで広い(約10m四方)ところに到着しました。(登り口から10分ほどで到着)
何の標示もありませんでした。周囲はぐるり木が立っていましたが、絶壁のようで、
北東方向だけ下界が見えました。
登り口まで引き返し、今度は右の広い道を登ってみました。
12~13分で祠のある開けた地点に着きました。
権五郎神社と書かれた表札がありました。
周辺はだんだんに何段にも郭跡のようなところがありました。
この向こうは絶壁でした。
一方に下る小道があったので進んでみると・・
なんと一番最初に下から見あげた墓地でした。
どうも、代々の城主の墓のようでした。
城山北中学校近くの登山口へ引き返す際に見た景色です。
この谷(住宅街)には、南北に広島と松江を結ぶ国道54号が通り、
可部の町で浜田や益田に向かう国道も分かれています。
昔から主要街道の要衝にあった城のようでした。
霞んでいました(3月並みの暖かさから)が、可部にある高松山(城山)が見渡せました。
右向こうの三角な山が高松山
最初①のところにあった登山口らしき道を登ってみると墓地でした。
こんなきれいに整備されたところがありました。
わずか3~4分登ると竹藪の中に墓地があり、行き止まりのようでした。
立派な墓地だったので、近くの名家の墓地だろうと思い引き返しました。
そして②の(城山北中学校)方向に回ってみることにしました。
ここから電動アシスト自転車で登って行くと、8分ほどで登山口らしきところがありました。
スマホでググってみると、左の山道が本丸方向のようでしたので先に登ってみました。
すぐにちょっと広いところがあり、更に細い急な階段がありました。
登って行くと、平らで広い(約10m四方)ところに到着しました。(登り口から10分ほどで到着)
何の標示もありませんでした。周囲はぐるり木が立っていましたが、絶壁のようで、
北東方向だけ下界が見えました。
登り口まで引き返し、今度は右の広い道を登ってみました。
12~13分で祠のある開けた地点に着きました。
権五郎神社と書かれた表札がありました。
周辺はだんだんに何段にも郭跡のようなところがありました。
この向こうは絶壁でした。
一方に下る小道があったので進んでみると・・
なんと一番最初に下から見あげた墓地でした。
どうも、代々の城主の墓のようでした。
城山北中学校近くの登山口へ引き返す際に見た景色です。
この谷(住宅街)には、南北に広島と松江を結ぶ国道54号が通り、
可部の町で浜田や益田に向かう国道も分かれています。
昔から主要街道の要衝にあった城のようでした。
霞んでいました(3月並みの暖かさから)が、可部にある高松山(城山)が見渡せました。
右向こうの三角な山が高松山
帰ってから少し調べてみると、
西の山頂にあった祠は城主香川氏の祖である鎌倉景正を祀る神社だそうです。
戦国時代香川氏は紆余曲折があったようですが、関ヶ原の戦いでは毛利氏に従い、
敗北の結果、毛利氏の防長移封に従ってこの城は廃城になったそうです。
一族は毛利氏ゆかりの吉川氏にも仕え、江戸時代末期には岩国藩の家老職にあったとか。
墓地はきれいに清掃されていたので、ゆかりのある方が近くにおられ、守っておられるのでは
西の山頂にあった祠は城主香川氏の祖である鎌倉景正を祀る神社だそうです。
戦国時代香川氏は紆余曲折があったようですが、関ヶ原の戦いでは毛利氏に従い、
敗北の結果、毛利氏の防長移封に従ってこの城は廃城になったそうです。
一族は毛利氏ゆかりの吉川氏にも仕え、江戸時代末期には岩国藩の家老職にあったとか。
墓地はきれいに清掃されていたので、ゆかりのある方が近くにおられ、守っておられるのでは
ないかと思われました。
歴史には疎い私ですが、散策してみて歴史のロマンを感じました。
こんな位置関係にある城跡でした。