守田です。(20110730 07:30)
児玉さんの発言内容についてコメントしていきたいと思います。
児玉さんの発言は、格調高いものですが、わずか15分に言いたいこ
との全てを押し込んでいるため、一つ一つの点についてはそれほど
言葉を費やした説明をされていません。しかし非常に重要な内容が
ちりばめられていると感じました。そこでわずかな言葉からの感想
であることをお断りして幾つかコメントしたいと思います。
まず初めにここで触れたいのは、児玉さんが次のように語られた点
についてです。
「要するに内部被曝というのは、さきほどから何ミリシーベルトと
いう形で言われていますが、そういうのは全く意味がありません。
I131(ヨウ素131)は甲状腺に集まります。トロトラストは
肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。
これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディ
スキャンしても、まったく意味がありません。」
これは非常に重要な点だと思います。「何ミリシーベルトという形
で言われていますが、そういうのは全く意味がない」つまり児玉さ
んは、本来、同一に測ることができない別々のもの=別々の障害を
同一の、「シーベルト」という値で測ることの無理、それでは個別
の臓器へのダメージが捉えられない点を指摘されたのだと思います。
これまで政府は「何ミリシーベルト」という表記で、放射線の人体
へのダメージがすべからく測れることを前提に話を進めてきていま
す。これは日本政府だけではなく、国際放射線防護委員会(ICRP)
などが採用している考え方です。このもとに放射線はどれぐらいで
どの程度のダメージをもたらすかという論議が組み立てられている。
もっともこの考え方の中でも食い違いがあります。ICRPが放射線に
はここからは安全というしきい値が設けられないとしていることに
対して日本政府は、これ以下では問題は生じない線があるという
言い方をしており、事実上それを100ミリシーベルトで区切り、それ
以下は無害であるとも主張しています。(ブレがありますが)
この発想のもとに、今、生涯にわたる放射線を浴びる許容値を100
ミリシーベルトに定めようとする動きがありますが、これは現在、
進行している牛肉のセシウム汚染問題に続いて、今秋にコメの放射
能汚染問題が浮上してくるのが必至とみてとっての構えだと思われ
ます。100ミリまでは食べても大丈夫と言いたいのでしょう。
しかしここには重大な誤りがあります。内部被曝と外部被曝を同じ
ものとして扱い、「シーベルト」という量で測った数値を単純に足
し合わせてしまう誤りです。このことで放射線核種が人体に及ぼす
影響の違いが無視されてしまいます。いや無視して過小評価するこ
とに、「シーベルト」という数値化の目的とするところがあります。
これに対して、児玉さんは、「放射性ヨウ素は甲状腺に集まり、ト
ロトラストは肝臓に集まり、セシウムは尿管上皮、膀胱に集まる」
とのべています。他の核種に少し触れるなら、ストロンチウムは骨
に集まり、プルトニウムは骨と肝臓などに集まります。つまり人体
に与える影響がそれぞれの核種で全く違うのです。
また外部被曝で、人体を透過するのは、主にγ線です。それに対し
て内部被曝した場合は、それぞれの核種の出すα線、β線、γ線の
全てからの被曝を受けます。α線やβ線は、γ線よりもエネルギー
量がずっと多く、それだけ周りの細胞を激しく損傷します。その点
も大きな違いです。
児玉さんは、放射線障害が、DNAの切断をもたらすことを述べて
いますが、いうなれば全身をまばらに透過していく外部被曝の場合
と、局所に集中的に被曝をもたらす内部被曝の場合では、DNAの
切断力もまるっきり変わってきます。(この点については児玉さん
は特に言及されていませんが)
これらを踏まえて、児玉さんは「ホールボディースキャン」をして
も全く意味がないと言われているのだと思います。またそもそも、
ホールボディスキャンで測れるのはγ線だけであること、α線やβ
線は、ほとんどが細胞内部で止まってしまって外に出てこないので
これでは測れないことも知っておくべきことがらです。
ここから児玉さんの発言を少し離れて、シーベルト問題そのものを
もう少し深めていきたいと思います。
こうした「シーベルトの嘘」を最も早くから告発してきたのは、
アーネスト・スターングラスやラルフ・グロイブらアメリカの少数
派の学者たちです。特にこの二人は、放射線低線量被曝の恐ろしさ
をはじめて実験的に解き明かしたアブラム・ペトカウ博士の業績を
"The Petkau Effect"という本で紹介しこの問題にも言及しています。
ちなみに同書の邦訳は、つい最近、肥田舜太郎さんらによって行わ
れ、出版されたばかり。邦題は『人間と環境への低レベル放射能の
脅威』です。紹介については、以下を参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c3922cde1f4c3ffcd8ff1b0a7b1bed8d
この中の第二章「原子爆弾と原子力発電所」(生物学的影響)の中
の1「核物理学の基礎」の中の9に「シーベルトの嘘」と書かれた
一文があります。この記事のタイトルのもとになっている題ですが、
ここで少し引用を試みたいと思います。
「シーベルトには問題が多い。シーベルトによるデータは、正確な
数値を表しているかのように見える。マンスタインによれば、シー
ベルトを用いた定量的な記述は複雑な生物学的過程をまったく考慮
しない、荒っぽい見積もりを基礎にしているという。放射線のタイ
プとエネルギーを一緒にすることは不可能であり、また、化学的な
条件と変化を一つの同じ概念に詰め込むこともできない。肺や肝臓
や腺などの個々の臓器は、それぞれ同じ組織で形成されていると考
えられるが、実際は多くの機能や感受性を持つ様々な構造の何百も
の細胞を含有する。
さらに、体内に取り入れられた放射線核種の線量は直接計測は、
複雑な計算と測定が行われなければならず、ほとんど不可能で
ある。」(『同』あけび書房p59)
「マインスタインは「シーベルトの嘘」に言及し、以下のようにの
べている。『生体に対する影響を特定化するためにシーベルトを用い
ることは、それに関わる複雑な問題に対して自らの無知をさらけ出す
か、もしくは聞き手を欺いているかのどちらかである』」(『同』p60)
ちなみにボード・マインスタイン(1911-1977)は、ドイツのノン
フィクションライター、医学博士で、原子力による被曝問題をドイツ
連邦下院で訴えた人です・・・。
児玉さんが、こうした海外の研究内容を知って、あるいはそれらに
立脚して、あの発言をされていたかどうかは分かりません。しかし
短い言葉の中からも、基本的視座を共にしているように僕には見受け
られました。そしてそうであればこそ、今、漏出しているものが一
体何なのか、どの核種なのかがより問題になるのだと思います。
それによって人体に与える影響が違うからです。
危険性を「シーベルト」に一元化してしまう観点ではここが見えなく
なります。そこから何がどれだけ出ているかを調べずに、線量だけを
問題にすればいいともなってしまう。それでは迫りくる危機の実相を
正しく捉えることはできないのです。
まさにその意味で、日本のあらゆる英知を結集して、食品、水、土壌
の放射能汚染(どんな核種が、どれぐらいあるのか)をきちんと測定
し、その上で効果的な除染を試みる必要があります。
児玉さんの提言から私たちが学ぶべき第一の点はこのことだと思います。
児玉さんの発言内容についてコメントしていきたいと思います。
児玉さんの発言は、格調高いものですが、わずか15分に言いたいこ
との全てを押し込んでいるため、一つ一つの点についてはそれほど
言葉を費やした説明をされていません。しかし非常に重要な内容が
ちりばめられていると感じました。そこでわずかな言葉からの感想
であることをお断りして幾つかコメントしたいと思います。
まず初めにここで触れたいのは、児玉さんが次のように語られた点
についてです。
「要するに内部被曝というのは、さきほどから何ミリシーベルトと
いう形で言われていますが、そういうのは全く意味がありません。
I131(ヨウ素131)は甲状腺に集まります。トロトラストは
肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。
これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディ
スキャンしても、まったく意味がありません。」
これは非常に重要な点だと思います。「何ミリシーベルトという形
で言われていますが、そういうのは全く意味がない」つまり児玉さ
んは、本来、同一に測ることができない別々のもの=別々の障害を
同一の、「シーベルト」という値で測ることの無理、それでは個別
の臓器へのダメージが捉えられない点を指摘されたのだと思います。
これまで政府は「何ミリシーベルト」という表記で、放射線の人体
へのダメージがすべからく測れることを前提に話を進めてきていま
す。これは日本政府だけではなく、国際放射線防護委員会(ICRP)
などが採用している考え方です。このもとに放射線はどれぐらいで
どの程度のダメージをもたらすかという論議が組み立てられている。
もっともこの考え方の中でも食い違いがあります。ICRPが放射線に
はここからは安全というしきい値が設けられないとしていることに
対して日本政府は、これ以下では問題は生じない線があるという
言い方をしており、事実上それを100ミリシーベルトで区切り、それ
以下は無害であるとも主張しています。(ブレがありますが)
この発想のもとに、今、生涯にわたる放射線を浴びる許容値を100
ミリシーベルトに定めようとする動きがありますが、これは現在、
進行している牛肉のセシウム汚染問題に続いて、今秋にコメの放射
能汚染問題が浮上してくるのが必至とみてとっての構えだと思われ
ます。100ミリまでは食べても大丈夫と言いたいのでしょう。
しかしここには重大な誤りがあります。内部被曝と外部被曝を同じ
ものとして扱い、「シーベルト」という量で測った数値を単純に足
し合わせてしまう誤りです。このことで放射線核種が人体に及ぼす
影響の違いが無視されてしまいます。いや無視して過小評価するこ
とに、「シーベルト」という数値化の目的とするところがあります。
これに対して、児玉さんは、「放射性ヨウ素は甲状腺に集まり、ト
ロトラストは肝臓に集まり、セシウムは尿管上皮、膀胱に集まる」
とのべています。他の核種に少し触れるなら、ストロンチウムは骨
に集まり、プルトニウムは骨と肝臓などに集まります。つまり人体
に与える影響がそれぞれの核種で全く違うのです。
また外部被曝で、人体を透過するのは、主にγ線です。それに対し
て内部被曝した場合は、それぞれの核種の出すα線、β線、γ線の
全てからの被曝を受けます。α線やβ線は、γ線よりもエネルギー
量がずっと多く、それだけ周りの細胞を激しく損傷します。その点
も大きな違いです。
児玉さんは、放射線障害が、DNAの切断をもたらすことを述べて
いますが、いうなれば全身をまばらに透過していく外部被曝の場合
と、局所に集中的に被曝をもたらす内部被曝の場合では、DNAの
切断力もまるっきり変わってきます。(この点については児玉さん
は特に言及されていませんが)
これらを踏まえて、児玉さんは「ホールボディースキャン」をして
も全く意味がないと言われているのだと思います。またそもそも、
ホールボディスキャンで測れるのはγ線だけであること、α線やβ
線は、ほとんどが細胞内部で止まってしまって外に出てこないので
これでは測れないことも知っておくべきことがらです。
ここから児玉さんの発言を少し離れて、シーベルト問題そのものを
もう少し深めていきたいと思います。
こうした「シーベルトの嘘」を最も早くから告発してきたのは、
アーネスト・スターングラスやラルフ・グロイブらアメリカの少数
派の学者たちです。特にこの二人は、放射線低線量被曝の恐ろしさ
をはじめて実験的に解き明かしたアブラム・ペトカウ博士の業績を
"The Petkau Effect"という本で紹介しこの問題にも言及しています。
ちなみに同書の邦訳は、つい最近、肥田舜太郎さんらによって行わ
れ、出版されたばかり。邦題は『人間と環境への低レベル放射能の
脅威』です。紹介については、以下を参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c3922cde1f4c3ffcd8ff1b0a7b1bed8d
この中の第二章「原子爆弾と原子力発電所」(生物学的影響)の中
の1「核物理学の基礎」の中の9に「シーベルトの嘘」と書かれた
一文があります。この記事のタイトルのもとになっている題ですが、
ここで少し引用を試みたいと思います。
「シーベルトには問題が多い。シーベルトによるデータは、正確な
数値を表しているかのように見える。マンスタインによれば、シー
ベルトを用いた定量的な記述は複雑な生物学的過程をまったく考慮
しない、荒っぽい見積もりを基礎にしているという。放射線のタイ
プとエネルギーを一緒にすることは不可能であり、また、化学的な
条件と変化を一つの同じ概念に詰め込むこともできない。肺や肝臓
や腺などの個々の臓器は、それぞれ同じ組織で形成されていると考
えられるが、実際は多くの機能や感受性を持つ様々な構造の何百も
の細胞を含有する。
さらに、体内に取り入れられた放射線核種の線量は直接計測は、
複雑な計算と測定が行われなければならず、ほとんど不可能で
ある。」(『同』あけび書房p59)
「マインスタインは「シーベルトの嘘」に言及し、以下のようにの
べている。『生体に対する影響を特定化するためにシーベルトを用い
ることは、それに関わる複雑な問題に対して自らの無知をさらけ出す
か、もしくは聞き手を欺いているかのどちらかである』」(『同』p60)
ちなみにボード・マインスタイン(1911-1977)は、ドイツのノン
フィクションライター、医学博士で、原子力による被曝問題をドイツ
連邦下院で訴えた人です・・・。
児玉さんが、こうした海外の研究内容を知って、あるいはそれらに
立脚して、あの発言をされていたかどうかは分かりません。しかし
短い言葉の中からも、基本的視座を共にしているように僕には見受け
られました。そしてそうであればこそ、今、漏出しているものが一
体何なのか、どの核種なのかがより問題になるのだと思います。
それによって人体に与える影響が違うからです。
危険性を「シーベルト」に一元化してしまう観点ではここが見えなく
なります。そこから何がどれだけ出ているかを調べずに、線量だけを
問題にすればいいともなってしまう。それでは迫りくる危機の実相を
正しく捉えることはできないのです。
まさにその意味で、日本のあらゆる英知を結集して、食品、水、土壌
の放射能汚染(どんな核種が、どれぐらいあるのか)をきちんと測定
し、その上で効果的な除染を試みる必要があります。
児玉さんの提言から私たちが学ぶべき第一の点はこのことだと思います。