今なにしてる         (トミーのリペイント別館)

カメラ修理などについてご紹介します。
富塚孝一
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謎のPEN-W

2011年07月19日 11時17分17秒 | インポート

Img_204095 強烈な画像でしょ。このPEN-Wは少し前に同じPEN-WをO/Hされたオーナーさんから頂いたものです。何でも、オーナーさんがベトナムに旅行された時に現地のカメラ屋さんで入手されたものだそうです。トップカバーはクロームの再メッキが施されており、裏蓋は欠損しています。私の性格からして、このような個体を見ると、何とかしたくていてもたってもいられなくなるのですが、この状態では修復は無理ですね。

Img_204151 裏側はこんな感じ。この状態でカメラ屋さんで売っているのも不思議ですけど、ゴミ捨て場から拾って来たのでは? と思わせる惨憺たる眺めです。

Img_204375 シューは別のものが付いていますね。製造番号は#121622ですが、PEN-Wは昭和39年の後半から昭和40年前半に製造されたものが多数で、製造番号と製造年月は必ずしも正数順に並んでいません。かなり(2000番程度)の前後があるものもありますが、大体、先に書いた時期に製造されています。この個体は昭和40年の4月ぐらいの製造ではないかと推測しますが、それがどのような経緯ではるかベトナムに行ったかです。昭和40と言えば1965年で、アメリカがベトナム戦争に介入した年です。そのような騒乱状態の国に日本から正規の輸出がされていたとは考えにくく、もしかすると、アメリカ軍の軍人軍属や戦場カメラマンが持ち込んだものかも知れませんね。私の生まれた立川は当時はベトナムへの兵站輸送の拠点で、小学校の校庭の真上を石を投げれば届くかと錯覚するような低空でC-130ハーキュリーズが単従陣で20機程度降りてくるのが日常でした。余談ですが、その中には4発のプロペラのうち1発が止まっているのが必ず混じっていて、戦況の悪化に伴い、2発止まってグラグラと機体を揺らしながらたどり着く機体もありました。当時はそんなのは日常でしたので、私のような飛行機小僧以外の子供は気にも留めません。(上空を見ません)ですから、現在の沖縄基地周辺の方たちのお気持ちは良く分かります。で、お話しが脱線しましたが、現地に残されたカメラは、ベトナム人の手に渡り、クロームにメッキをされたのかなぁ? などと想像します。あちらは自動車でもバイクでも、なんでもメッキで飾り付けることが文化のようですので。しかし、数奇な運命を経て私の手元にある。何か因縁を感じます。

Globemaster_welker_c124_1 ネット画像で失礼しますが、調べてみると1953/6/18に立川基地を離陸したC-124グローブマスターが離陸数分で小平の農地に墜落した事故を起こしていました。私が生まれた年なので記憶にはないはずです。エンジン不調のよる停止(2発との目撃証言あり)により墜落して129名の死者を出したとあります。離陸数分で小平とすると、北へ向けて砂川方向に離陸後、東へ右旋回の途中、高度と機速がつかないうちにすぐに墜落をしたことになります。この機体は低周波のエンジン音が長く続くのが特徴で、ガラス窓がビリビリといつまでも振動していた記憶があります。年に1回の基地公開日には画像のように機体の中へ入りましたね。先着で実際に飛行を体験した子供もいたようですけど、今では安全の観点から許されないでしょう。