今なにしてる         (トミーのリペイント別館)

カメラ修理などについてご紹介します。
富塚孝一
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23万台のPEN-FTの巻

2016年02月01日 20時09分55秒 | ブログ

ちょっとカメラはサボっていました。PENが少ないので裏で腕時計のケース研磨をしていました。入手されて間もないPEN-FT #2364XXが来ました。MazKenさんのご本を読まれて私のところに来てくださったとのことで感謝です。撮影に不具合なところはありませんが、製造は古い部類の個体なのでO/Hをすることにします。過去に分解を受けていますが、ハーフミラーの拭き上げをされた以外は手を付けていないようです。

あらピンボケだわ。特に意味のない画像なので・・シボ革は接着剤が弱く、めくると、このようになりますね。特に問題のある個体ではなく、素性は良いと思います。

 

O/H作業の多くの時間はパーツの清掃なんですね。古いモルトを取り除いています。この頃のモルトは、ベースが紙製なので、返って剥離はやさしいのです。

 

いつものように、ダイカスト本体を洗浄して、巻上げ関係から組み立てて行きます。スプールシャフトASSYを洗浄、注油して組み込みます。

 

これやってます。スピードタイマーのケースの研磨。私が入手出来る個体は状態は良くないものが多いのですけど、ケース本体は治具を考案して側面を研磨しましたら、中々良い感じに仕上がりました。問題はベゼル。元々、削り代などは殆どなく、しかも三面カットになっている。すでに真円ではないので旋盤で削ることは出来ない。そもそも18.8ステンレスなど削れませんが・・今後の研究が必要です。ところで、先日、日本人所有の零戦二二型が九州の鹿屋基地で国内初飛行に成功しましたね。子供のころからヒコーキ好きとしては涙が出るほどうれしかった。二一型が6.000M以上の高々度性能が悪かったのを二速過給機として改良し、三二型の角型翼端を二一型と同じ折畳翼に戻したタイプ。撃墜王の岩本徹三や坂井三郎などは代表的な五二型より、こちらのタイプがを好んだようです。鹿屋海軍基地は台湾へ進出の発進基地で、坂井三郎は大村航空隊から台北に移動時は、ここ鹿屋を離陸して奄美大島、徳之島、沖縄本島を通過変針して島伝いに台湾へ向かった。零戦の長大な航続性能ゆえに単座戦闘機で飛行が可能となったわけです。現在、元々、私の地元横田基地に展示されていた飛燕二型も川崎でレストアを受けていて、ゼロプロジェクトでは、今後、飛燕や隼もレストアする予定とか。私たちには楽しみなことですが、某国系報道機関から早速非難の記事が出て来たようですね。同じ敗戦国のドイツでは、メッサーシュミットがバンバン飛んでいますけどね。https://www.youtube.com/watch?v=AxW_A_olqUU

いずれこの6139-6031もUPしますけど、今はケースのみ手を付けています。大きな打痕は無いものの、使用による小傷は全体に渡ってありました。これをリューターなどのモーターツールを一切使わず、すべて手磨きだけで研磨しました。普通に手磨きをするとエッジ(稜線)がダレてメロメロになってしまいます。その点を注意しながら、1面ずつ磨きました。3面の合わせ部分など、そこそこ出ていると思います。(元からしたら)

では本題に戻ります。チャージギヤですが、画像の軸の右側が摩耗していますね。まだ軽度ですけど、ギヤの内径も拡大しています。この部分に強大な力が掛かるので、潤滑不足は致命傷となります。

 

私の資料では#2330XXがシャッターバネは変更前の条数の少ないタイプでしたが、この個体は変更後の条数の多いタイプとなっていました。ここら辺がバネを強化した境目でしょうね。

 

ロアーギヤをセットして、巻上げ側と連動させます。右端のボトムキャップは文字通りまだ蓋式になっています。(変更後はシール)ダイカスト本体は変更前の旧型なのです。

 

すでにプリズムホルダーのバネは省略されています。しかし、ホルダーを留めるネジは設計とおり2本です。以後、1本に省略されます。

 

いつものメカ完成画像。セルフタイマーのリンケージレバーは旧タイプのままです。新旧が混ざっている頃の個体ですね。

 

ハーフミラーは交換で付属の38mmは本体よりもかなり後の生産です。内部の構造が変更されているタイプでした。清掃をしてあります。ちょうど、零戦の二二型のように、発動機(シャッターバネ)は強化されているが、機体は旧型のままと言う頃の製品ですね。巻き上げも軽くく外観もきれいな素晴らしいコンディションの個体でした。1968-9月製。

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