ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

平成18年御朱印旅 毛越寺

2018年06月15日 15時12分39秒 | 旅行
平成18年10月22日。中尊寺から毛越寺へ。

同じ平泉にあり、徒歩で20分ほど。

藤原秀衡の時代に完成し、堂塔40,僧坊500と、中尊寺を凌いでいた。奥州藤原氏の財力が分かる。

ほとんどが焼失したが、浄土式庭園が見事。



本堂。再建されたもの。



浄土式庭園。








<御朱印>



これでこの日の旅程は終わったが、ホテルに行く時間が早すぎたので、厳美渓に立ち寄る。

有数の渓谷美である。






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平成18年御朱印旅 中尊寺

2018年06月14日 16時33分15秒 | 旅行
平成18年10月22日。旅行会社のツアーで中尊寺を参拝する。東北の寺院を巡るツアーだった。

現在では、四寺廻廊としてセットされている。中尊寺、毛越寺、瑞巌寺、山寺である。

中尊寺は御朱印の多いところだった。11ヶの朱印を貰った。もし今旅行したら、金色堂と本堂の御朱印しか貰わないと思う。

(金色堂)



(本堂)



(白山神社)



(阿弥陀堂)



(大日堂)



(峯薬師堂)



(弁慶堂)



(弁財天堂)



(経蔵)



(地蔵堂)



(讃衡堂)


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出雲國神仏霊場 となえことば

2018年06月13日 14時08分39秒 | 旅行
以下記すことは、おとつめについてである。興味のない人は無視してください。

出雲國神仏霊場のパンフレットに「となえことば」が記されている。

神さま、仏さまの二通りがある。寺院では仏さま、神社では神さま、ということである。

<仏さま>

➀ 開経偈 (無上甚深微妙法~以下略)

➁ 般若心経 (観自在菩薩~以下略)

➂ 普回向 (願わくは~以下略)


<神さま>

★二拝二拍手一拝(出雲大社だけは四拍手である。)

➀ 「祓へ給ひ 清め給へ」を三唱

➁ 掛けまくも 畏き(かしこき) 〇〇神社の大前(おおまえ)に
  
  拝み(をろがみ)奉りて 恐み(かしこみ)恐み も白(まを)さく

 大神等(おほかみたち)の 広く厚き 御恵(みめぐみ)を辱み(かたじけなみ)奉り

 高き尊き 神教(みをしへ)のまにまに 直き正しき

 真心(まごころ)もちて 誠の道に 違ふ(たがう)ことなく

 負い持つ業(わざ)に 励ましめ給ひ

 家門(いえかど)高く 身健(みすこ)やかに 世のため人のために

 盡(つく)さしめ給へと 恐(かしこ)み恐み も白(まを)す

★二拝二拍手一拝(出雲大社は四拍手)

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出雲國神仏霊場 第17番 峯寺 結願

2018年06月13日 13時32分46秒 | 旅行
出雲國神仏霊場巡り、最後に第17番の峯寺を詣でる。ここで結願である。

木次線の木次駅の近くである。






峯寺という名前の通り、山の上にある。我々はジャンボ・タクシーに乗換えて山を上がった。

仁王門があるが、お堂のように見える。







峯寺は役小角(えんのおづぬ)によって開かれたという。修験の地であったことが分かる。のちに弘法大師がここに留まり、道場を開いたという。弘法大師伝説のお寺でもある。

最盛期には山伏寺が42坊あったというが徐々に衰退した。明治の神仏分離令によるものかと思いがちだが、住職さんの説明によれば、江戸時代に衰退し始めたという。国学の発展の影響なのだろうか?

ともかく、今あるのは、この峯寺のみ。

結願のお寺ということで、鐘を撞いた。



本堂。



境内。





庭園あり。



懐かしい郵便ポストを見る。





<御朱印> 漢字は「阿」である。真言密教ではこの「阿」は全宇宙の象徴の大日如来を示す。




これで出雲國神仏霊場の20の神社と寺院を巡り終えた。やはり、達成感が起きる。これがありがたい。

先達のお坊さんが丁寧な人だったので長目の”おつとめ”となった。これも記憶に残るだろう。



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出雲國神仏霊場 第15番 熊野大社

2018年06月12日 11時45分40秒 | 旅行
須我神社をお詣りしたあと、第15番の熊野大社へ。熊野大社は出雲國一宮である。

出雲の熊野大社にお詣りしてきたというと、「エッ、出雲に熊野大社があるの?」と言われる。出雲と熊野大社が結びつかない。

紀伊の熊野大社はこの出雲の熊野大社から分祀されたという説もある。出雲と紀伊は遠く離れれいるように思えるが、海路によって結ばれていた。

出雲國一宮は出雲大社と熊野大社の二つがある。出雲大社が海の神社、熊野大社が山の神社である。古代の出雲族では、この熊野大社系の方が勢力が強かった。

出雲大社で行われる新嘗祭の火はこの熊野大社で鑙り出される。これが10月15日に行われる鑙火祭である。火をあげるのだから、熊野大社の方が力があったのだろう。

出雲大社宮司の就任式である火継式はこの熊野大社で行われる。

今は力関係が逆転した。

鑙火殿は本殿の左にある。小さな社殿である。



鳥居。





ここから意宇川にかかる神橋を渡る。





神門。






拝殿。



境内。



<御朱印> 漢字は「火」である。素戔嗚が熊野山で日本で初めて火を用いたという故事に由来する。

















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出雲國神仏霊場 第16番 須我神社

2018年06月11日 15時06分37秒 | 旅行
八重垣神社を詣でたあと、須我神社を参拝する。所在地は大東町で奥出雲である。八重垣神社の南方に鎮座する。

須佐之男命と稲田姫が八重垣神社の所在地で結婚したあと、南にくだり、この地に宮を建てた。これが日本初之宮である。

この地が”須賀須賀しい”と感じたからである。これが神社名の由来である。

宮を建てるときに立ち上った雲を見て、「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」と詠んだ。これが和歌の始まりである。

ということで、由緒のある神社である。

鳥居。



日本初之宮の碑。



神門。



拝殿は小さく狭い。










初之宮なぜここに建てたのかと考えてしまった。特色のない普通の場所のように思えた。









奥宮があり、そこに夫婦岩があるという。奥宮に行けば何かを感じるかもしれない。奥宮に行く時間がなかった。

個人で、いつか奥宮をお詣りしたい。

<御朱印> 漢字は「授」である。我々人間の願いに対して授けるからであるという。








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出雲國神仏霊場 第14番 八重垣神社

2018年06月10日 15時09分15秒 | 旅行
ツアー最終日、2番目に訪れたのは八重垣神社である。縁結びの神社として有名で、若い女性に人気がある。

須佐之男(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治して稲田姫と結婚したのがこの場所である。縁結びとしては出雲大社より古い。

鳥居。



鳥居の向かい側に夫婦椿がある。



神門。




若い女性の参拝客が多いところでおつとめするのは無粋だが、参拝したときは若い女性の姿はほとんどなく、代わりに小学生の一団が写生をしていた。

拝殿。




ここは本殿敷地内で終わってはならず、背後の橋を渡り、鏡の池に向う。





古代結婚式発祥の地である。



鏡の池。

稲田姫が姿を映したという。





<御朱印> 漢字はもちろん「結」である。縁結びの神社なので当然だろう。







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出雲國神仏霊場 第13番 平濱八幡宮武内神社

2018年06月09日 11時24分24秒 | 旅行
24日は昨日の雨が嘘のような快晴だった。神仏霊場巡りの最終日である。

まず平濱八幡宮武内神社を訪れた。妙な神社名だが、「平濱八幡宮」と「武内神社」が合併して出来た神社である。名称もそのまま二つをそのまま連結した。奇妙に聞こえる。

東松江駅に近い。

鳥居。



駐車場からは樹木しか見えない。



階段を上がる。社殿が見えるが、これは八幡宮の方である。





八幡宮は工事中だということで、隣の竹内神社でお詣りした。

竹内神社は八幡宮社殿の左奥にある。



全体は下の写真のようになる。右が八幡宮、左が竹内神社、本殿は一つ。



<御朱印> 漢字は「命」である。武内神社は武内宿禰命を祀っている。武内宿禰命は280歳まで生きたということに由来する。









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皆生温泉 弓ヶ浜

2018年06月09日 11時19分17秒 | 旅行
5月23日。皆生温泉に宿泊する。目の前が弓ヶ浜だった。



24日は雨も上がっていたので散歩する。







名高い海浜なので美しいかと思ったが、テトラポットだらけで風景を損ねていた。

日本全国、テトラポットだらけである。海辺の風景を台無しにしている。


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出雲國神仏霊場 第8番 美保神社

2018年06月08日 09時51分51秒 | 旅行
大山寺から第8番の美保神社へ。美保湾を間にして対面するような位置関係にある。

美保港。ここから美保湾の向こうに伯耆大山の雄峰が見えるはずだが、雨でダメ。



美保神社は美保湾にある。美保神社は全国にあるゑびす神社の総本宮である。







神門。



拝殿。壁がなく、吹きさらしである。





本殿は二つが並ぶ比翼造である。珍しい。写真には撮れなかった。

後ろに回ると、本殿二つが繋がっているのが分かる。



事代主命(ことしろぬしのみこと)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)を祀っている。

こういう造りなので、縁結びの神社としても知られている。

拝殿は吹きさらしで天井もない。



楽器の神様でもあるので音響効果を考えてこういう造りにしたという。(神職さんの説明による。)

神社の前に青石畳通りがある。風情のある通りである。





<御朱印> 漢字は「知」である。お祀りしている事代主命は神名を事知主ということに由来する。







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出雲國神仏霊場 第10番 大山寺

2018年06月07日 15時27分03秒 | 旅行
第9番の大神山神社奥宮を参拝したあと、第10番の大山寺(だいせんじ)をお詣りする。

本来なら、大神山神社奥宮の参道をした鳥居までおりて、隣にある大山寺の山門を通り、お詣りするのが正しい。

しかし、そうする人はいない…。

大神山神社奥宮の参道から大山寺の本堂が見える。そこから横道に入って、本堂へ行く。



この道は正式なものではないと思う。以前に行ったときは、草が踏みしめられてできたような道だった。

大山寺の本堂。



これは昔は大日堂だった。本堂ではなく、いくつかあるお堂の一つだった。廃仏毀釈で大山寺は廃寺になった。その後、この大日堂を本堂として再建された。

お詣りを終えて、山門に向う。



下から見る。



山門。



山門の階段の手前に石碑があった。どう読んでいいのか分からなかった。これで「大山寺」と読む。言われて、よく見ると、確かにそうだ。



<御朱印> 漢字は「智」である。由来は、本尊の地蔵菩薩が「大智明大権現」の神号を賜ったからである。




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出雲國神仏霊場 第9番 大神山神社奥宮

2018年06月06日 11時28分38秒 | 旅行
第11番の清水寺をお詣りしたあと、伯耆大山に向う。鳥取県であり、昔なら伯耆國である。

第9番の大神山神社奥宮と第10番の大山寺は伯耆大山の中腹にある。雨はひどくはなかったが、風が強い。難儀して、駐車場から門前町を歩いた。



門前町で昼食をとる間に雨が止むことを期待したが、雨も風もやまなかった。雨は小雨だったが、ときおり吹く突風に悩まされた。

まず大神山神社奥宮をお詣りした。



大神山神社奥宮の参道は歩きにくい石畳である。滑らないように注意しながら歩いた。

有名な大山の火祭りが行われるのはここである。







有名な後ろ向き門が見えた。移設するとき、前後が逆さまになった。出口の方から入ることになる。



権現造りの本殿が見える。





重文で権現造りとしては日本一の規模である。





妙に思うのは、大神山神社奥宮という神社名である。場所といい、規模といい、ここが大山信仰の中心、本宮だっただろうと思う。奥宮という名前だと他に本宮があると誤解する。

かっては冬場は閉ざされてしまうところにあるので、麓に冬宮として大神山神社を創建した。これが今の大神山神社本社である。

御朱印帳は第9番としては1ページしかなく、どちらかで貰えばいいようになっている。

<御朱印> 漢字は「神」である。大神山(伯耆大山)に由来する。













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出雲國神仏霊場 第11番 清水寺

2018年06月04日 14時50分06秒 | 旅行
第12番の雲樹寺から第11番の清水寺へ。

清水寺の印象は、巨刹ということ。出雲の寺院についての知識は乏しかったので、意外なものに出会ったという気がする。

山陰の天台宗屈指の寺院である。開創は587年だから比叡山より古い。

駐車場から15分ほど参道を歩いた。



















やっと本堂に辿り着いた気がした。





三重塔がある。





時間がないので諦めたが、この三重塔は3階まであがれるそうである。安来市が一望できるという。




<御朱印> 漢字は「慈」である。十一面観音菩薩による。




我々はお詣りが主だったので、おつとめが終わるとすぐバスに戻ったが、ガイドブックによると見所が多い寺である。もう一度
ゆっくりとお詣りしたい。






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出雲国神仏霊場 第12番 雲樹寺

2018年06月03日 10時25分38秒 | 旅行
5月23日。天気予報では朝から雨。その通りになった。雨の中のお詣りである。

まず安来市にある雲樹寺をお参りする。



四脚門が珍しく、重文である。





山門。



山門のお地蔵さんに願をかけた人がいる。



山門から本堂まで直線である。



本堂の背後が寺務所だった。



境内に池があって規模は大きい寺である。






<御朱印> 漢字は「禅」である。臨済宗の寺院だからである。





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出雲國神仏霊場 第2番 鰐淵寺

2018年06月03日 09時04分39秒 | 旅行
第3番の一畑薬師から第2番の鰐淵寺(がくえんじ)へ。

鰐淵寺は出雲大社に近く、一時は出雲大社の別当寺だったこともある。武蔵坊弁慶が修行したという言い伝えがある。

駐車場から20分ぐらい歩いた。ハイキング・コースである。青葉もみじが素晴らしく、紅葉の季節は全山が染まるという。













山門。ここまで10分かかった。もっとも普通の乗用車なら車で行ける。








御朱印の受付は階段下にある。階段は長い。





本堂。



遙か、山の中にお詣りした気がする。



印象は、ポツンと山の中に取り残された寺、といったところ。

<御朱印> 漢字は「瀧」である。もともと「浮浪の瀧」を中心にした寺だったからである。浮浪の瀧は少々離れているので見に行けなかった。






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