昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 (明水館女将! 光子:二)

2021-06-09 08:00:50 | 物語り
「ご挨拶なさい、佳枝さん。孫娘なのですよ、光子さん」。わたくしに対する声かけです。
でも気のせいでしょうか、大女将に挑まれるような視線を送られました。
ご自慢の若女将候補なのでございましょうか。
慈愛を感じられる穏やかな光をその目に湛えられて、挨拶される佳枝さんの所作を見つめておられます。

後ろに隠れるようにお座りだった娘さんから
「お初にお目にかかります、佳枝と申します。お見知りおきください」
と、鈴のような声でご挨拶をいただきました。
お話によりますと、女将さんの娘さんは佳枝さんを出産されてからの肥立ちが悪く、わずかひと月後にお亡くなりになったそうでございます。
以後は女将さんが引き取られて、と言いますのも……。
いえ、これ以上はわたくしの口からはちょっと。

(若女将としてはそれを語ることは出来ないようです。
まあ、客商売の基本です。簡単に言いますと、不倫なわけです)。
 付け足させてくださいな。佳枝さんはそのことを恥じておられるようではありません。
そのことをご自分の口からお話しされましたが、その折には真っ直ぐにわたくしの目を見据えながらでございました。
正直を申しますと、痛い視線でございました。
そう、わたくしに対する挑戦するといった風でございました。

といって敵視するといったことでなく、かと申しまして追従する、いえそうではございませんね。
先輩として後を追うがいつかは超えてみせる、そういった観が感じられました。
瑞祥苑の女将さんがわたくしをたいそう褒めて頂けますので、それに対する嫉妬心がない交ぜになっておられるのかもしれません。
なんにしても和やかな中にほんの少しの緊張感が漂うとき、でございました。

 そしてまたもう一つご報告せねばならぬことがございます。
他ならぬ里江さんのことでございます。
三水閣においてどれほどに助けて頂いたものか、わたくしがこうして明水館に戻れましたのも、里江さんの支えがあればこそでございます。
ですので、何としても恩返しの一部でもできぬものかと考えておりました。
それが、里江さんも三水閣を出られたとのこと、喜ばしい限りです。
ですが、瑞祥苑でお世話になっております折ではなにもできませんでした。
ですが、今こうして明水館に戻りまして、以前同様に、いえ以前にも増して切り盛りを任せて頂けることになったのを機に、
明水館で働いてもらったらどうだろうか、と考えました。

分かっておりますです、三水閣での生活は。
その長い年月が里江さんをどれほどに苦しめ、そして諦めさせたものが多いかは。
いくら若女将といえども、あのままの里江さんならば到底のことに受け入れることはできません。
元々は、ご夫婦そろっての行商人を為されていたとのこと。
個々の家庭に入り込んでの商売には長けていらっしゃいます。
そこに目を付けたのでございます。

わたくしには、女性やらお子さまの小さな心の機微を掴むことには慣れておりません。
口幅ったい言い方ではございますが、殿方については多少なりとも勉強させて頂きました。
ですので、わたしの足りぬ所を里江さんに補ってもらえれば、そう考えたのでございます。
で、里江さんにもわたくし同様に、三水閣での垢をしっかりと落として頂いてから迎えることにしたのでございます。
すこし時間はかかりましたですが、わたくしより遅れること半年足らずにて来て頂きました。
年を召されてからの仲居ということで反対の声も上がりましたが、そこは若女将の意向として押し切らせていただきました。

 そうそう、あの佳枝さんですが、里江さんと入れ替わるような形で巣立って行かれました。
お迎えに上がられた女将の前で、精進されての立派なお姿に涙ぐんでおられました。
佳枝さんもお世話になった大女将との別れが余ほどに辛いらしく、おいおいと折角の化粧が台無しになるほどに大泣きされて、それは大変でございました。
何にしましても、この3年足らずの出来事は、わたくしにとりましても、大きな出来事でございました。
清二のことでございますね。女性のことばかりで殿方のお話を失念しておりました。
この明水館におきましては、世間さまとは少々趣の異なる家風でございます。

 三従なるものは、一切存在しません。
[幼きときは 父に従い、嫁しては夫に従い、老いたるときは子に従うべし]。
今どきのご時世では当たり前のことかもしれません。
ですがこの明水館においては、まったくの逆なのでございます。
清二の父親である栄三さまにしてからが、存在感を示すことなどまるでなかったことはすでにお分かりのことと存じますが。
唯一、清二のことだけが親類一同が認めたものでございますから。
ですので、清二にしてもどこで何をしているのかと気にするも者はおりません。
日がな一日パチンコ店に入り浸っていたとは思いますが、ある意味では可哀相なものです。
ですのでこれからは気にかけてやりたいと思います。



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