昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

歴史異聞 鼠小僧次郎吉 ~猿と猿回し~ (五)逢瀬

2023-02-06 08:00:17 | 物語り

「俺がとっちめてやろうか? なぁに、手ぬぐいでほっかむりでもすりゃ、俺だって分かるはずもねえさ」
「やめて、そんなこと。そんなことして万が一にもバレたりしたら…」
「バレたって構わねえさ。お登勢ちゃんのことはだまってるから」
「やっぱりだめ! 次郎吉さんの気持ちだけで、十分。またぐちをきいてね」

そしていま、次郎吉の豹変に、腰元は錯乱状態におちいった。
これまでのことが、すべて腰元を手駒にするための方便だと思いしらされた。
後悔の念、悔しさ、そして未練のこころが渦巻いている。
“こんな性悪の男に……”
そう思いつつも、呼び出されるたびに胸がおどることも事実であった。

次郎吉は、そんな腰元をなめつくすように見すえると、薄笑いを浮かべた。
「いいか。明晩、実行に移すからな。かならず裏木戸を開けておきな。
時刻は午の刻だ、いいな。なんだよ、その目つきは」
「後悔しているのよ。どうしてあの時あんたを…」
「フン、いまさらなんでえ。俺っちはお前の秘密をにぎってるんだぜ。
お前だけじゃなく、大恩ある廻船問屋にもおとが咎めがおよぶぜ。
ま、いいさ。この仕事がおわったら、手を切ってやるさ。しんぺえすんなってことよ」

次郎吉は、勝ち誇ったように言い放った。恨めしげに見上げる腰元の心中も知らずに。
“いっそのこと、ここで死のうか……”
しかし、このことで迷惑をかけるであろう廻船問屋のこと、なげきかなしむ両親のこと、そしてさらには次郎吉に対する未練の気持ち、気が狂いそうであった。
“狂人になれれば、どんなにか楽なのに”
「わかったわ……」
腰元は、首をうなだれて力なく答えた。

外は、月明かりの夜になっている。
夜鳴きそば屋での他愛もない話し声を聞き流しながら、
「いやよ、いやよ、も好きのうち、か」と、逢瀬の余韻にひたりながら次郎吉は道をいそいだ。  

 



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