人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

大野和士 ✕ ヴェロニカ・エーベルレ ✕ 東京都交響楽団でベルク「ヴァイオリン協奏曲」、ブルックナー「交響曲第9番」を聴く ~ 第885回定期演奏会Bシリーズ

2019年09月05日 07時25分14秒 | 日記

5日(木)。わが家に来てから今日で1677日目を迎え、英議会下院は3日、欧州連合からの「合意なき離脱」を防ぐための離脱延期を政府に義務付ける法案を審議する動議を、野党などの賛成多数で可決したが、ジョンソン首相は法案が下院を通過した場合はEU離脱の是非を問う解散総選挙の前倒しを提案する考えを表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

        ジョンソン首相は何が何でも10月末にはEUを離脱するつもりだけど 先の展望は?

 

         

 

昨日、夕食に「親子丼」と「ブロッコリーの胡麻和え」を作りました 「親子丼」は栗原はるみ先生のレシピですが、上に載せるミツバがなかったのでスプラウト(ブロッコリーの芽)で代用しました とても美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで東京都交響楽団第885回定期演奏会Bシリーズを聴きました プログラムは①ベルク「ヴァイオリン協奏曲『ある天使の想い出のために』」、②ブルックナー「交響曲第9番ニ短調」(ノヴァーク版)です 演奏は①のヴァイオリン独奏=ヴェロニカ・エーベルレ、指揮=大野和士です

あらためてご紹介するまでもなく、指揮の大野和士は1987年のトスカニーニ国際指揮者コンクールで優勝。これまで、ザグレブ・フィル音楽監督、東京フィル首席指揮者、ベルギー王立歌劇場音楽監督、フランス国立リヨン歌劇場首席指揮者等を歴任。現在、都響およびバルセロナ響の音楽監督、新国立劇場オペラ芸術監督を務めています

 

     

 

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの都響の並び。コンマスは四方恭子、隣には矢部達哉というダブルのソロ・コンマスという万全の態勢です

1曲目はベルク「ヴァイオリン協奏曲『ある天使の想い出のために』」です この曲はアルバン・ベルク(1885-1935)が1935年に作曲、1936年にバルセロナで初演されました この曲を作曲中に、マーラーの未亡人アルマが建築家グローピウスとの再婚でもうけた娘マノンが19歳で急逝したのを悼み、1935年4月「ある天使の思い出」という献辞を付けて捧げたというエピソードがあります しかし、運命なのか、その年の12月24日、ベルク自身が50歳で死去することになります この曲は第1楽章「アンダンテ~アレグレット」、第2楽章「アレグロ~アダージョ」の2楽章から成ります

ヴァイオリン独奏のヴェロニカ・エーベルレは南ドイツ生まれ。ポッペン、チュマチェンコらのもとで研鑽を積み、2006年、弱冠16歳でザルツブルク音楽祭において、ラトル指揮ベルリン・フィルとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾き、世界中の話題を集めました

グリーン系のエレガントな衣装を身に着けた背丈のあるエーベルレが登場し、大野氏の指揮で第1楽章が開始されます この曲は何度か聴いたことがありますが、ちゃんとメロディーがあるので、ベルクにしては聴きやすい曲です 第2楽章における重音奏法は若干音が小さかったのが残念でしたが、エーベルレは終始 落ち着いた演奏スタイルで、美しい音色を響かせていたのには好感が持てました

ソリスト・アンコールはプロコフィエフ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」から第2楽章「アンダンテ・ドルチェ」でした


     


プログラム後半はブルックナー「交響曲第9番ニ短調」(ノヴァーク版)です この曲はアントン・ブルックナー(1824-1896)が1891年から96年にかけて作曲した未完の交響曲です 3楽章までは1894年に完成、第4楽章はスケッチのみが残されています

第1楽章「おごそかに、神秘的に」、第2楽章「スケルツォ:動きをもって、生き生きと」、第3楽章「アダージョ:ゆっくりと、おごそかに」の3楽章から成ります

大野氏の指揮で第1楽章が弦楽器のトレモロで開始されます 冒頭のホルン(8本!)が深みのある素晴らしい演奏を展開しました ブルックナーは金管楽器が良くないと台無しになります 第2楽章は都響の表看板=弦楽器のアンサンブルによるキザミが心地よく響きます ブルックナーの「スケルツォ」は独特です。冒頭を聴いただけでブルックナーだと分かるほどDNAが表れています 第3楽章は冒頭の弦楽器による「祈りのメロディー」が心を打ちます ブルックナーが常に意識していたのは「神」でした この楽章は「神への憧れ」と言っても良いかも知れません。フィナーレにおけるワグナーチューバと弦楽器のアンサンブルは、まさに神を意識した「浄化された響き」です 私がこの楽章を聴く時にいつも感じるのは、マーラーの交響曲第9番の第4楽章「アダージョ」です 曲想がよく似ているとともに、音楽の表す世界観が似ているように感じます もちろん、ブルックナーはこの第9交響曲を未完のまま残したのに対し、マーラーはその後、交響曲第10番を未完ながら書いているので、死生観が似ているということではないかもしれません それでも、もうこれ以上進みようがない、という諦観を両曲に感じます

この日の大野和士指揮東京都交響楽団によるアグレッシブなブルックナー「交響曲第9番」は、管弦楽が良く鳴っていましたが、「神」を意識した演奏というよりも、現代を生きるわれわれ「人間」を意識した演奏だったように思います

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする