3日(月)。前日に続いて「第17回チャイコフスキー国際コンクール」の話題です 昨日の朝日新聞朝刊のコラム「日曜に想う」に、同社編集委員の吉田純子さんが「コンクールが映したロシアの今 」というタイトルでエッセイを寄せています 超略すると以下の通りです
「開幕式は創設65年のお祝いムードに包まれていた。6月19日にロシアで始まったチャイコフスキー国際コンクールの映像に言葉を失う 『記念の年』と繰り返す司会者のはしゃぎっぷりに心がついていけない 動画には客席も頻繁に映った。アジア人とおぼしき人が、映ることを警戒してか固くうつむいたままなのに対し、ロシア人と思われるほとんどの人が快哉を叫び、盛り上がっていた まず、これが今のロシアという国の現在地であることを、私たちは知る必要があるだろう 2014年、私は『五輪と文化』というテーマの取材でソチ五輪に赴いた。閉会式で、ロシアの大芸術家の名前と肖像画が次々と会場に投影されていくのを見ながら、芸術に対するプーチン大統領の強烈な憧憬とコンプレックスを感じずにいられなかった ロシアを強固な精神の共同体にする糧として、プーチン氏は芸術を必要としていると確信した。ウクライナはあまねくロシア芸術の発祥の地だ 抱擁しようとした手を払いのけられたプーチン氏は、傷ついたプライドを暴走させた 世界的指揮者のワレリー・ゲルギエフ氏は、プーチン氏のヒーローであり、夢を叶える唯一無二の代理人でもあったが、彼もまた世界の音楽界から孤立した 自前のコンクールの権威のみならず、憧れていたはずの芸術の世界の住人たちをプーチン氏は自ら貶め、彼らの苦悩を深めた 今年のチャイコフスキー国際は、はからずも戦争の愚の本質とプーチン氏の哀れを鮮明に戯画化したのだ 今回は国外にいるロシア人演奏家の多くが、徴兵を恐れて出場を断念したとされる コンクールは1日に閉幕。今は、勝者も敗者もない芸術の世界に足を踏み入れたすべての若き芸術家の未来だけを、心から祝福したい」
吉田さんが「ウクライナはあまねくロシア芸術の発祥の地だ」と書いているのは、ウクライナがソヴィエト連邦共和国の一員だったという歴史的な意味とともに、ウクライナ出身の作曲家にはプロコフィエフ、スクリャービン、グリエールらが、ヴァイオリニストではオイストラフ、ミルスタイン、エルマン、コーガン、スターンらが、ピアニストではホロヴィッツ、リヒテル、ギレリスといった錚々たる音楽家たちがいることと無関係ではないでしょう
「それにしても・・・」と思うのは、「国外にいるロシア人演奏家の多くが、徴兵を恐れて出場を断念した」という事実です 徴兵を恐れてコンクールにも参加できない国とは、どれほど好戦的で戦力不足の国なのでしょうか 国土面積が広いだけで とても「大国」とは言えないロシアは、過去の栄光の思い出に浸っているだけの「小国」に過ぎないのだと思います
ということで、わが家に来てから今日で3093日目を迎え、欧州連合(EU)は2日までに、ロシアの侵略が続くウクライナの復興資金の支援策として、EU内で凍結したロシア中央銀行の資産から生じる利子などの活用方法をまとめるようEUの行政執行機関である欧州委員会に求めた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ロシアが一方的に仕掛けた戦争による損失を ロシアが補償するのは当然のことだ!
早稲田松竹でM.ナイト・シャマラン監督による2023年製作アメリカ映画「KNOCK 終末の訪問者」(100分)を観ました
「ゲイのカップルであるエリック(ジョナサン・グロフ)とアンドリュー(ベン・オルドリッジ)、そして養女のウェン(クリステン・ツイ)の家族が山小屋で穏やかな休日を過ごしていると、突然 武装した見知らぬ謎の男女4人が現れ、家族は訳も分からないまま囚われの身となってしまう リーダー役のレナード(デイブ・パウティスタ)をはじめとする謎の4人組は家族に「いつの世も選ばれた家族が決断を迫られた」「家族のうち誰か一人が犠牲になることで世界の終末を止めることができる」「拒絶することは何十万もの命を奪うことになる」と告げ、エリックとアンドリューらに「3人のうち犠牲になる1人を選べ」と迫る テレビでは世界各国で起こり始めた甚大な災害が報じられるが、訪問者たちの言うことを俄かに信じることができない家族は、何とか山小屋からの脱出を試みる
【以下、ネタバレ注意】
この映画は、ポール・トレンブレイの小説「終末の訪問者」を原作に、世界の終末と家族の命を天秤にかけた非常な決断を迫られる一家の危機を描いています
訪問者の正体は新約聖書の「ヨハネ黙示録」に出てくる四騎士(世界の終末に現れる神の使い)であり、選ばれた者が犠牲にならなければ世界の終末が訪れるということも事実であるという設定になっています 最終的に4人は犠牲になって死に、最後には、世界の終末を信じたエリックが自ら犠牲になってアンドリューの手によって殺されます
世界の終末を終わらせるか、家族の命を最優先にするかの究極の選択を迫られた時、自分だったらどうするかということを考えさせられる映画です