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人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

クーベリック指揮バイエルン放送響のモーツアルト「後期交響曲集」 ~ 日経の記事から / 養老孟司著「こう考えると、うまくいく ~ 脳化社会の歩き方~ 」を読む

2024年03月11日 02時42分42秒 | 日記

11日(月)。今年も3月11日がやってきました 13年前の2011年3月11日のtoraブログを見てみたら、23時44分の投稿で「まだ帰れない。三田線は動いているようだが、その後、緊急対応があったりしてまだ事務所にいる。新日本フィルのホームページによると、明日のコンサート(注:ハーディングによるマーラー)は午前10時の時点でJR山手線が運転していなければ中止するとのこと」と書かれていました この日、内幸町のビル8階の会社事務所にいましたが、ビルが大きく揺れました あれほどの大きな揺れは人生初体験でした。テレビでは津波が田畑を嘗め尽くす映像が流れ、これは現実だろうか、と驚きを禁じ得ませんでした その後の東京電力の原発事故があった時は、日本はもうダメかとさえ思いました あれから13年も経ったとは信じられないほどです。あらためて震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします

話は変わりますが、さすがに火曜日からの5日連続コンサートは疲れました 腰痛対策ベルトをきつめに締めて聴いていたので余計疲れたのかもしれません そんなわけで昨日は、午前中マンションの管理組合理事会に出席したほかは、主に今週のコンサートの予習CDを聴きながら本を読んで過ごしました

昨日の日経朝刊 The STYLE / Culture 面の「名作コンシェルジュ Music」コーナー(音楽評論家・鈴木敦史氏)でクーベリック指揮「モーツアルト『後期交響曲集』」(1980年録音:ソニー)のCDを取り上げていました 鈴木氏の評を超略すると次の通りです

「ホグウッド指揮エンシェント室内管、アーノンクール指揮コンセルトへボウ管の録音など作曲家の生きていた時代のスタイルを用いた、モーツアルトの交響曲演奏が話題になり始めたのは、1980年代初頭だった この小編成でキビキビと躍動するモーツアルトは、21世紀にはスタンダードになる しかし、当時はキワモノ扱いだった そんな最中に発売されたのが、クーベリックとバイエルン放送響による演奏だった こちらは王道の20世紀スタイル。つまり、19世紀のロマン派に染まった様式から脱却しつつも、ゆったりと旋律を歌い、優雅さをもち、同時に構成美に気を配るなど、客観性をも備える そのスタイルの究極の完成形といっていい。エレガントな演奏だ 第38番『プラハ』は明暗の移ろいが鮮やかな曲。第2楽章における色調や光量の変化に、この演奏は敏感に反応する

 

     

 

この記事を読んで、この演奏、CDは持っていないがLPを持っていたな、と思って1500枚の中から探し出しました さっそく、第38番のレコードをMICROのターンテーブルに乗せて、ROTELのアンプで音を拡大し、TANNOYのスピーカーで第1楽章から聴いてみました LPを聴くのはいつ以来か、思い出せません 「何と端正で優美な演奏だろうか」というのが久しぶりに聴いた印象でした ついでにB面に収録されている第39番の大好きな第3楽章「メヌエット:アレグレット」を聴いてみましたが、印象は全く同じでした

ラファエル・クーベリック(1914-1996)はチェコ生まれの指揮者で、冷戦下に西側に亡命し、シカゴ交響楽団や英ロイヤル・オペラなどで指揮をとりました クーベリックとの出会いは、ドイツ・グラモフォンから出ていた彼のサンプラーLP盤でした 同じ時期に同じくサンプラー盤の「HiFi カラヤン」が出ていました クーベリックのサンプラー盤の中に、得意のスメタナ「モルダウ」やウェーバー「オベロン序曲」などとともに、マーラー「交響曲第5番」の第4楽章「アダージェット」が収録されていました これが私のマーラーとの出会いでした

クーベリックは好きな指揮者です モーツアルトもいいし、マーラーもいい もちろん”お国もの”のドヴォルザークやスメタナもいい スタジオ録音よりもライブ録音の方が好きです クーベリックはライブでは熱い指揮ぶりを発揮します

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3345日目を迎え、ドナルド・トランプ前米大統領は9日、フロリダ州マイアミで開かれた総合格闘技イベント「UFC299」を観戦した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     11月の大統領選で 場外乱闘に持ち込むワザを研究するために 観戦したんじゃね?

 

        

 

養老孟司著「こう考えると、うまくいく ~ 脳化社会の歩き方~ 」(扶桑社文庫)を読み終わりました 養老孟司は1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業。専攻は解剖学。東京大学名誉教授、京都国際マンガミュージアム名誉館長。1989年に「からだの見方」でサントリー学芸賞を受賞。「バカの壁」ほか著書多数

 

     

 

本書は2001年に「脳と自然と日本」と題して白日社から刊行された単行本を、2019年3月に扶桑社から新たに扶桑社新書「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?~脳化社会の生き方」として刊行し、それを基に加筆修正を加えて2023年11月に文庫化して出版したものです 内容は過去の講演録です

本書は次の講演会の記録から構成されています

〇現実とは何か(東海ちけんだいがくでの講演)=意識は、なぜあるのか?

〇自然と人間(大正大学仏陀会での講演)=人間は死んだら「モノ」なのか?「ヒト」なのか?

〇からだと表現(全国大学保健管理協会での講演)=人間は「人工身体」と「自然身体」の2つのからだを持っている

〇構造から見た建築と解剖(日本建築学会での講演)=人工(脳)と自然(身体)との釣り合いこそ重要である

〇ゆとりある生活の創造(教育委員会連合会での講演)=人間は、意識だけでできているわけではない

〇現代社会と脳(新宿区立女性情報センターでの講演)=「男」と「女」という言葉ができたとき、性の連続が断ち切られた

〇ヒトを見る目(おしゃべり新年会での講演)=人間は、自分ができることの説明ができない

〇子どもと自然(鎌倉愛育園での講演)=子どもを育てるとは「手入れ」をすること

〇情報化社会と脳(NTT  DATAサマーフォーラムでの講演)=「ああすれば、こうなる」だけになった現代社会

本書の大きな特徴は著者の養老氏が解剖学者としての視点から「脳」について語っているところです

例えば、養老氏は「我々は目玉でものを見ているわけではない」とし、「目玉の奥にある膜と脳が繋がっている。その視神経というのは普通の神経ではなく、脳が出たものだから脳の中の神経と同じで、解剖学的には脳の一部です」と語っています

また、養老氏は「動物は本能に従って生きることで、集団や個体としての秩序を保ち、子孫を残していく 一方、人間は本能に代わる『幻想』を抱いて生きており、社会は個々人の幻想の共通部分を『共同幻想』として集約することによって成立している」という趣旨のことを述べています このことが、動物が持っていない「思いやり」や「利他」等に繋がっていくのだと思われます

本書は講演記録なので、平易な話し言葉で書かれているのですが、その内容は必ずしも平易ではありません 読んでいる時はなるほどと思っていても、読み終わった後で「はて、養老先生はいったい何を言いたかったんだろう?」と疑問が湧いてきて、もう一度振り返ることになります 言い換えれば、そういう風にさせるように書かれているのです

養老氏は「文庫版まえがき」の中で「本書を読んで『考えること』を少しでも『考えて』くだされば幸いだと思う」と書いていますが、まさにそうせざるを得ないような内容になっています

20年以上前に講演した内容ですが、現代に通じる知見に満ちています

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