21日(土)。19日付の朝日新聞朝刊 文化欄に、エッセイ「片山杜秀の 蛙鳴梟聴(あめいきょうちょう)」が掲載されていました タイトルは「ブルックナー生誕200年 鵺のごとき交響曲 溺れすぎ注意」です
片山氏は慶應義塾大学法学部教授であり政治学者であり音楽評論家でもあることから、多方面で活躍しています 他の評論家と異なる視点からの評論は意外性がありながら説得力があり、いつも興味深く拝読しています 今回も、末尾で次のように書いています
「ブルックナーの交響曲はいかにも近代の交響曲のようだが、中身はやはり前近代と超近代のハイブリッドだ。鵺(ぬえ)だ。キメラだ。妖怪だ ベートーヴェンとワーグナーが一緒にいるかのようなその交響曲群に魅了されぬ音楽ファンはどうかしている が、溺れたら帰ってこられない 船で旅するオルフェウスは、海に引きずり込もうと誘惑してやまない怪物セイレーンの圧倒的美声を、自らを柱に縛り付けながら聴いたという 音楽とはそのくらい危ないもの。我の失いすぎに注意しましょう」
確かに、ブルックナーとマーラーは「溺れたら帰ってこられない」と思います
ところで、本文の中に「当時の最先端。歌劇『トリスタンとイゾルデ』の神秘的浮遊感に溺れる」という記述があり、これについて、ある読者がX上で「片山氏ともあろう人が、歌劇『トリスタンとイゾルデ』と間違いを書いている 楽劇『トリスタンとイゾルデ』とすべきではないか」と投稿していて、よく読んでいるなあと感心しました
リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の主なオペラ・楽劇は以下の通りです
歌劇「恋愛禁制」(1835~36年)
歌劇「リエンツィ」(1838~40年)
歌劇「さまよえるオランダ人」(1841年)
歌劇「タンホイザー」(1843~45年)
歌劇「ローエングリン」(1846~48年)
楽劇「トリスタンとイゾルデ」(1857~59年)
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(1862~67年)
楽劇「ニーベルングの指環・四部作」(1853~74年)
つまり、ローエングリンまでが歌劇(オペラ)で、「トリスタンとイゾルデ」以降が楽劇(ミュージック・ドラマ)ということになります なお「楽劇」とは従来のアリア偏重主義を排し、音楽と劇内容との一体を図ったものと解釈されています
一方、私が読んでいて気が付いたのは、「ベートーヴェン」の表記です 例えば、朝日新聞の吉田純子編集委員が朝日紙上で執筆するエッセイや、一般の記事では「ベートーベン」と表記しています これは朝日の編集方針によるものです。しかし、片山氏の上記のエッセイでは「ベートーヴェン」と表記しています 私の想像では、原稿の段階で片山氏が「ベートーヴェン」と表記したのを、朝日の校閲段階で「べートーベン」と直したところ、本人のチェックが入り「ベートーヴェン」のままで掲載することになった、のではないかと思います その理由は、もともとのドイツ語表記は「Ludwig van Beethoven」であり、「Ludwig van Beethoben」ではないからです 私も一貫して「ベートーヴェン」で通しています
ということで、わが家に来てから今日で3539日目を迎え、トランプ前米大統領は19日、再選を目指す11月5日の大統領選で民主党候補のハリス副大統領に敗れた場合、イスラエルは2年以内に消滅する可能性が高いとし、民主党を支持する傾向にあるユダヤ系米国人にその責任の一端があると述べた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプが再選されたら ネタニヤフは これ幸いに無差別殺人を強化するんじゃね
昨日は娘が外食だったので、夕食は「野菜とモッツァレラチーズのサラダ」「山芋の味噌汁」を作り、「刺し身の盛り合わせ」と一緒に食べました 料理とは言えない究極の手抜きです 山芋はスライスせず擦り降ろしましたが、とても美味しかったです
結城真一郎著「プロジェクト・インソムニア」(新潮文庫)を読み終わりました 結城真一郎は1991年神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。2018年「名もなき星の哀歌」で新潮ミステリー大賞を受賞してデビュー 2021年「#拡散希望」で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。同短編を収録した「#真相をお話しします」で、2023年本屋大賞ノミネートされる
本書は2020年7月に新潮社から単行本として刊行され、2023年に文庫化されました
日常生活の中で突発的に睡魔に襲われ眠り込んでしまう睡眠障害(ナルコレプシー)のせいで失業した蝶野恭平は、中学時代の友人で、夢に関する研究開発を行っているソム二ウム社に勤める蜂谷から、同社が社運を賭けて進めている極秘人体実験「プロジェクト・インソムニア」に参加してほしいと持ち掛けられる その内容は、年齢・性別・属性の異なる複数の人物が、極小マイクロチップを頭部に埋め込み、同じ夢の世界の中で90日共同生活を営むーというものである 実験に参加した蝶野は「ユメトピア」と名付けられた夢の世界の中で生活を始める。「ドリーマー」と呼ばれる被験者たちは、自分が夢の中にいるという明晰夢状態を維持したまま、潜在意識によって理想の夢の世界を創造することが出来る 被験者は「クリエイト」という能力によって、現実には存在しない架空のものまで自由に生み出せる 夢の世界では何をやっても法律で裁かれることはないので、秩序を維持しているのは各自の倫理観のみだが、被験者の一人ナメリカワテツロウという男が反社会的な願望を口にするのを聞いて、蝶野は不安を覚える ある日、「ユメトピア」の中で包丁を突き立てられて倒れている男が発見され、中空から「1人目」と書かれた紙きれが舞い落ちてきてすぐ消えるという事件が起こったことをきっかけに、次々と異常な事件が発生し、夢の世界で起こったことが現実の世界でも起こり、被験者が次々と消えていく 彼らは身の危険を感じ、お互いに疑心暗鬼に陥る 果たして連続殺人の犯人の正体は? その動機は? 最後に驚愕の真相が明らかになる
本書は現実の世界と夢の世界とが混然一体となってストーリー展開していくので、注意深く読み進めていかないと混乱します 唯一のヒントは、「ユメトピア」だけに生息する『胡蝶』の存在です 『胡蝶』は今いるところが「夢の世界」だということを証明する絶対的なシンボルです ドリーマーは『胡蝶』から100メートル以上離れることが出来ないので、ドリーマーは常に胡蝶の存在を意識しながら「夢の中で」行動することになります しかし、被験者の誰かが『胡蝶』を捕らえ、「クリエイト」の能力を使って創造した「偽の胡蝶」を操ったらどうなるか・・・混乱の世界が待っています
どんでん返しに次ぐどんでん返しの結末に、思わず唸ってしまいます あらゆる場面に巧みに伏線が張られており、最後に次々と回収されていきます 千街唱之氏の「解説」によると、2022年現在、ミステリファンの間では「特殊設定ミステリ」という言葉が定着しており、結城真一郎の本書も「物語の舞台の一つは夢の中の世界」であることから、そのジャンルに含まれる作品である、と述べています ミステリーファンにお薦めします
今日は午後3時から(東京シティ・フィル)と6時から(東響)のコンサートのハシゴです 住吉の「ティアラこうとう大ホール」から溜池山王の「サントリーホール」への移動がスムーズに行って 東響定期に間に合うか? それが問題だ