12日(木)。昨夜NHK -TVで放送されていた「ステータス」という番組でヴァイオリンの名器「ストラディヴァリウス」が取り上げられていました どうやらこの番組は「所有すれば『ステータスシンボル』となる、名品・逸品を一つ取り上げ、その魔力、美、伝説に触れながら、本物の感触を求める」というコンセプトで作られているようです ストラディヴァリウスの数々の名器は17~18世紀イタリアのクレモナで作られましたが、番組ではストラディヴァリウスの中でも「究極の名器」と言われる通称”メシア”の伝説の音を追い求めて、旅が続きます 荒井里桜やHIMARIがストラディヴァリウスを弾くシーンやインタビューなどを挟みながら、イギリス・オックスフォードの博物館に保管されている”メシア”に迫っていきます ”メシア”は誰も触ることが許されない、まして音を聴くことは不可能という究極な楽器です 番組ディレクターや出演者も観るだけで満足するしかありませんでした 番組を観ていて一番印象的だったのは、ヴァイオリニストのサラヴァトーレ・アッカルドが”メシア”について語った言葉です。彼は「メシアはとても美しい楽器だ。しかし、音には期待しない方がいい」と言いました 番組ディレクターが「良い音はしないということですか?」と訊くと「そうです」と答えました それはそうだろうと思います。「ガラスケースに閉じ込めたまま100年近くも外に出さない楽器を弾いて、良い音が出る訳がないだろう 弾き続けて初めて楽器が良く鳴るのだろう」と思うからです ”メシア”は観賞するためのストラディヴァリウスであり、弾くためのそれではない、ということでしょう ”メシア”は売買の対象にならない楽器ですが、もし対象になった場合は50億円は下らないだろうと推測されるそうです 番組の中で言われていた「ヴァイオリン界のモナリザ」という呼称が相応しいかもしれません
ということで、わが家に来てから今日で3530日目を迎え、歌手のテイラー・スウィフトさんが、10日に開かれた米民主党のハリス副大統領と共和党のトランプ前大統領の両大統領候補によるテレビ討論会後、2億8300万人のフォロワーがいると言われる自身のインスタグラムを更新し、「11月のアメリカ大統領選でカマラ・ハリスに投票する」と表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
これでトランプはジョーカーを出さないと勝てないが 出せるのはジョークだけだ
昨日、夕食に「鮭の西京焼き」「鮪の山掛け」「生野菜とアボカドのサラダ」「豚汁」を作りました ヘルシーで美味しかったです
岡田暁生著「西洋音楽史講義」(角川文庫)を読み終わりました 岡田暁生は1960年京都市生まれ。京都大学人文科学研究所教授。専門は音楽学。著書に「音楽の聴き方」「ピアニストになりたい」「西洋音楽史」「オペラの運命」「音楽の危機」など多数
本書は、2013年3月に放送大学教育振興会より刊行された「西洋音楽史」を加筆修正し、改題のうえ2024年8月に文庫化したものです 放送大学のラジオ講座の教科書として書かれたものです 「はじめに」の中で著者は、本書の最終的な目標は「『この曲が好きだ』『この曲が好きじゃない』という感覚的なものではなく、少しでも具体的に音楽について語れるようになることである 特定の音の使い方はいつ頃から始まったか?その背後にはどんな影響関係があるのか この音がこんな風に響くのは一体どういう仕掛けがあるからなのか? これらの問いについて具体的に答えることは、ある程度は可能だ そのことを知ってほしい」と書いています
本書は次の各章から構成されています
第1章「西洋音楽の歴史をなぜ学ぶのか」
第2章「古楽・クラシック・現代音楽 ~ 西洋音楽史の3つのエポック」
第3章「多声的音楽の始まり ~ 西洋音楽の夜明け」
第4章「中世音楽の黄金時代と黄昏」
第5章「ルネサンス前期と無伴奏合唱」
第6章「ルネサンズ後期と劇化する音楽」
第7章「バロック音楽と絶対王政の時代」
第8章「『音楽の父』としてのバッハ」
第9章「ウィーン古典派と近代市民音楽の始まり」
第10章「ベートーヴェンの偉大さ」
第11章「ロマン派音楽の制度と美学」
第12章「ロマン派と芸術宗教」
第13章「前衛への越境」
第14章「第一次世界大戦の後」
第15章「クラシックと現代音楽とポピュラーと」
本書の内容を大きな流れで捉えると、グレゴリオ聖歌から、オペラの誕生、バロック、ウィーン古典派、ロマン派、そして20世紀のポピュラー音楽までを、「古楽」「クラシック」「現代音楽」という3つの画期に着目し、千年にわたる音楽の変遷を通史として描き出していると言えます
本書が他の西洋音楽史の書籍と異なる大きな特徴は、放送大学のテキストらしく、各章の最初に新聞でいう「リード記事」のように、その章で学ぶべき要点を掲げていることです 例えば第11章「ロマン派音楽の制度と美学」では次のように書かれています
「19世紀音楽を理解する上で重要なのは、それが『ロマンチックではない時代のロマンチックな音楽だった』ということである 演奏会および音楽学校という近代的な音楽制度が普及するのもこの時代である 音楽語法的にロマン派は古典派の延長線上にある和声的音楽であるが、半音階を多用することで表現領域の拡張をはかる 独創性の追及、芸術家意識の高揚、記念碑性とアフォリズムの同居、果てしない技術開発、なども19世紀音楽に特有の現象である」
その上で、本文に入っていきます 例えば『ロマンチックではない時代のロマンチックな音楽だった』というリードの説明として、次のように解説します
「『ロマン派音楽』というと、19世紀があたかもロマンチックな時代であったような印象を与える しかしながら19世紀とは実は、産業革命と科学の進歩と資本主義の時代である 世界はどんどん散文的なものとなっていく。神秘の森も妖精のも夜の湖も村祭りも過去のものとなり、蒸気機関車が轟音を立てて走り、ガス灯が街の夜を煌々と照らし、無数の会社が設立されて容赦なく利益を追求し、労働者が都市に集中して社会運動が生まれる それが19世紀であり、ロマン派音楽は『ロマンチックではない時代のロマンチックな音楽』であった 現実からロマンが失われていくからこそ、人は音楽の中にロマンを求めた しかも忘れてはならないのは、このロマンチックな音楽もまた、飛躍的な演奏技術の発展により演出されるロマンであったという点である 最も分かりやすいのは楽器の改造である。職人が工房で手作りしていた18世紀までと違って、19世紀に入ると楽器は『製品』となる。次々に楽器会社が設立され、争って技術開発を始める。大量生産が可能になったのも、19世紀のことである」
本書を読んで、なるほどと思ったのは「ロシアの音楽」と「ソ連の音楽」を明確に区分していることです 第14章「第一次世界大戦の後」の中で、著者は次のように書いています
「20世紀音楽を考えるとき避けられないのが、今はもうなくなってしまったソ連という国である 周知のように第一次世界大戦中の1917年、ロシアでは革命が起きてロマノフ朝は崩壊し、ソ連という人工国家が誕生した ムソルグスキーやチャイコフスキーやラフマニノフがロシアの作曲家とすれば、プロコフィエフやショスタコーヴィチはソ連から生まれてきた 両者はかなり明確に『別の国の作曲家』として区別されなければならない ソ連の作曲家は、権力による厳重な統制下において創作をしなければならなかったという点で、従来の音楽史においては類例を見ないような状況下に置かれていた」
実際に音楽を聴けばチャイコフスキーやラフマニノフに代表される「ロシアの音楽」とプロコフィエフやショスタコーヴィチの「ソ連の音楽」は、まったく相容れない、異なる音楽であることが分かります
本書は分かりやすく書かれているので、クラシック音楽史の入門書として最適であるばかりでなく、ある程度 知識のあるクラシック・ファンにとっても、知識を整理する上で参考になります 広くお薦めします