人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

スダーン音楽監督最後の演奏会~東響オペラシティ第78回定期でオール・ハイドン・プログラムを聴く

2014年03月23日 07時06分12秒 | 日記

23日(日)。昨日の朝、西巣鴨交差点近くの小学校の桜が咲いていました ケータイで写メして、ブログ掲載用にとメールに添付して送信したのですが、「サイズが大きすぎます。添付できません」という無慈悲な表示が出てきます せっかく証拠写真を撮ったのに残念です 近くの染井霊園の”ソメイヨシノ”はまだ咲いていないので、別の種類の桜だと思います

 

  閑話休題  

 

昨日、初台の東京オペラシティコンサートホールで東京交響楽団オペラシティシリーズ第78回公演を聴きました オール・ハイドン・プログラムで①交響曲第1番、②ピアノ協奏曲ハ長調、③ピアノ協奏曲ニ長調、④交響曲第104番「ロンドン」です。指揮は東響音楽監督最後のコンサートに臨むユベール・スダ―ン、②と③のフォルテピアノ独奏はピート・クイケンです

 

          

 

オケがスタンバイします。コンマスはグレブ・ニキティンです。最初はハイドンの交響曲第1番ということで、オケの編成は25人規模です 交響曲なのに何故か指揮者の正面にフォルテピアノが置かれ、ソリストのピート・クイケンがスタンバイします プログラムを読むと、通奏低音を担う楽器としてフォルテピアノが使用されることが判りました

ハイドンは「交響曲の父」と言われます。この第1番の交響曲が作られたのは1759年と言われており、この日後半に演奏される最後の交響曲第104番が1795年に作曲されたということですから、36年もの長きにわたり交響曲を作曲し続けたことになります 年齢で言えば27歳から63歳までに当たります。ただ交響曲を作っただけではなく、一曲一曲に新しいアイディアを盛り込んで実験を続けていった訳ですから、まさに「交響曲の父」に相応しい偉人と言えるでしょう

第1番は第1楽章「プレスト」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「プレスト」の3楽章から成ります。いずれハイドンは「4楽章形式」を確立しますが、若きハイドンの作品はまだ3楽章です。午前中、アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカのCDで予習しておきました

 

          

 

いつも通りスダーンはタクトを持たずに登場します。アイ・コン・タクトで十分です ハイドンの時代を考慮してか、指揮台も使いません。スダーンの合図で第1楽章が開始されます。溌剌とした明るい音楽で、若きハイドンの意気込みが感じられます 第2楽章では通奏低音のフォルテピアノが活躍します。第3楽章では再び溌剌とした音楽が展開します

ここで管楽器奏者とヴィオラ奏者が退場します。プログラムに「お詫びと訂正」が挟み込まれていましたが、その内容は、次に演奏するピアノ協奏曲ハ長調の楽器編成についてでした (誤)独奏フォルテピアノ、弦5部→(正)独奏フォルテピアノ、弦4部(ヴァイオリンⅠ、Ⅱ、チェロ、コントラバス)となっています プログラム編集者は、まさか弦楽セクションからヴィオラだけが除外されるとは思ってもいなかったのではないかと同情します

ピアノ協奏曲ハ長調は、ハイドンが初めて手掛けた鍵盤楽器のための協奏曲で、初期の作品です 「別の作曲家による作品ではないか」という佐村河内守問題さながらの疑問が出されているようですが、聴く限りにおいて、ハイドンらしい曲想です だいいち、当時は新垣隆氏は居ませんでしたしね

ここで全4プログラムのうち2曲が終わったため、休憩時間と勘違いしたお客さんが席を立ってドアから出て行きました が、係員に説得されたのか、また戻ってきました。人のことは笑えません。私もそうしようかと思っていたので

舞台上に、再び管楽器奏者とヴィオラ・セクションが戻ってきて3曲目のピアノ協奏曲ニ長調に移ります。この曲は1782年から84年にかけて作曲されたと言われています 第1楽章「ヴィヴァーチェ」、第2楽章「ウン・ポーコ・アダージョ」、第3楽章「ハンガリー風のロンド」から成ります。第1楽章は、やはり溌剌とした明るい感じの曲想で、今の春の季節に相応しい曲です 第3楽章は標題にあるようにハンガリー風の舞曲に影響を受けた面白いメロディーで、楽しめました お恥ずかしい話ですが、私はそもそも、ハイドンのピアノ協奏曲を聴くのは初めてで、というか、ハイドンがピアノ協奏曲を書いていたとは知りませんでした。モーツアルトの陰にすっかり隠れていたのではないかと推測します

会場一杯の拍手に、クイケンはハイドンの「アダージョ・ハ長調」を静かにしみじみと演奏しました

ここで本当の休憩時間になりました。20分後、席に戻る時、あたりをきょろきょろして席に座ろうとする指揮者・井上道義氏の姿が見えました。彼の場合、すごい目立ちたがり屋なので、いかにも「オレは、ここに居るぞ」的な威圧的なオーラが何とも言えません。怖くて言えません

交響曲第104番ニ長調は通称「ロンドン」と呼ばれていますが、これはロンドンで作曲・初演されたから付けられたものです しかし、ロンドンで作曲したのは第93番から第104番までのすべての曲です。最後の曲だからと、代表して付けたのでしょうか?不明です 第1楽章「アダージョ~アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット アレグロ」、第4楽章「フィナーレ スピリトーソ」から成ります。この曲もドラティ指揮によるCDで予習しておきました

 

          

 

この曲は第1楽章冒頭の4つの音符で聴く者の心を鷲づかみにします ハイドンの交響曲の集大成に相応しい堂々たる名曲です スダーンの指揮は、かつて聴いたシューベルトの交響曲全曲演奏会でもそうでしたが、東響から持ちうる最大限の力を引き出します。何よりも演奏者が「この人の指揮に応えて良い演奏をしよう」という気持ちになり、全力で演奏に臨んでいる様子がよく分かります

最後の一音が鳴り終り、スダーンの右手が宙を指すと、会場のそこかしこからブラボーと拍手 の嵐が巻き起こりました。演奏した楽員からも惜しみない拍手が起こります 何度も舞台に呼び戻されたスダーンは深々と頭を垂れ、なかなか頭を上げません。その慎み深い姿に一層の拍手が注がれます 私は一瞬、目の前が霞んで見えなくなりました こういう演奏を聴くとハイドンがますます好きになります。こう思わせる演奏こそ”名演”と呼ぶのが相応しいと思います

 

          

 

スダーンは今月一杯で2004年9月から10年にわたり務めてきた東京交響楽団の音楽監督を退き、4月から桂冠指揮者に就任します 個人的には前述のシューベルトの交響曲全曲演奏会、シューマンの交響曲全曲演奏会、モーツアルトの交響曲を始めとする数々の名演奏を忘れません また、楽員が定年退職する際には、奏者のところに行って花束を手渡し、ねぎらいの言葉をかけていたシーンが忘れられません。スダーンの温かい人柄と、音楽だけでない立派な人格に心打たれました。あらためて、この10年間のご苦労に”お疲れ様”と言い、これまでの名演に”ありがとう”と言いたいと思います

 

           

 

さて、この日はオール・ハイドン・プログラムということで、古典派の基礎を作った大作曲家の演奏を楽しんだわけですが、彼の曲を聴きながら、私は何故かモーツアルトと比較してハイドンを考えていました

ハイドンの曲を聴いて、モーツアルトの曲を聴くと、どこかハイドンの曲に物足りなさを感じる。それはいったい何なのだろうか

黒沢明監督映画を見た時に感じたことを書きます

映画「影武者」を観た時に感じたのは、黒沢監督の映画の特徴は”様式美”だということです どの瞬間を切り取っても”絵になる”のです。それはハイドンの完成された”様式美”に通じているのではないか。「乱」を観た時にも同じように感じました

一方、同じ黒沢映画でも「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」を観た時は”理屈抜きの面白さ”、あるいは”絶え間のない変化”を感じました これはモーツアルトの音楽に通じているのではないか

人は、きちんとした”様式美”に魅かれます。気持ちが良く清々しい思いがするものです しかし、理屈抜きに面白いものには”本能的に”魅かれるものです。モーツアルトはその魅力を備えている その面白さとは「疾走する哀しみ」と言われたり、「陰と陽の同居」と考えられているものではないかと思います もちろん、ハイドンは素晴らしい。しかし、どちらかを選べ、と言われたら、躊躇なくモーツアルトを選ぶ、そんな存在ではないか。さて、あなたはどうお考えでしょうか

 

          

         

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クラシカル・プレイヤーズ東京室内オケでモーツアルト「セレナード第12番K.388」他を聴く

2014年03月22日 07時55分52秒 | 日記

22日(土)その2。昨日、上野の東京文化会館で「東京春祭チェンバー・オーケストラ」のコンサートを聴いた後、山手線で池袋に移動し、午後6時から池袋の東京芸術劇場のエントランス・ロビーでクラシカル・プレイヤーズ東京の室内楽コンサート「ハルモ二―ムジーク」を聴きました その1で「東京春祭」の模様を書いたので、ここではクラシカル・プレイヤーズ東京の公演の模様を書きます。ということで、よい子は「その1」から順番に読んでね

プログラムは①モーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲、②ベートーヴェン「木管八重奏曲」、③モーツアルト「セレナード第12番K.388」です

 

          

 

クローク前のロビー会場に並べられた約150のパイプ椅子は満席です。全自由席なので、前から4列目の右サイド左通路側席を押さえました

出演は、向かって左からオーボエ=本間正史、北康乃、ホルン=大野雄太、伴野涼介、ファゴット=堂阪清高、向後崇雄、クラリネット=山根孝司、満江菜穂子というメンバーです。この中で、オーボエの北康乃さんがまるで学生のような若さで初々しいのですが、熟年奏者に混じって古楽器を演奏する姿は頼もしいものがあります

最初にモーツアルトの「フィガロの結婚(木管八重奏版)」から①序曲、②第1幕冒頭の「二重唱」、③フィガロの「もう飛ぶまいぞこの蝶々」を軽快に演奏しました やっぱり古楽器特有の音はいいですね

次いで、ベートーヴェン「木管八重奏曲変ホ長調作品103」を演奏しました。「アレグロ」「アンダンテ」「メヌエット、トリオ」「フィナーレ、プレスト」から成ります。あまり馴染みのない曲ですが、クラリネットの満江さんの解説によると、この曲は22歳の時の作品で、ベートーヴェンの生前には出版されず、死後、弦楽五重奏に編曲されたとのこと CDで予習していた時も思ったのですが、第1楽章の終わり方が中途半端な感じを受けます。第3楽章の「メヌエット、トリオ」を聴いていて、自問自答しているような部分があり、ベートーヴェンらしいな、と思いました

この曲の予習にはウィーン・フィルハーモニー木管グループのCDを聴きました

 

          

 

休憩後は再び、モーツアルト「フィガロの結婚」から①伯爵夫人「愛の神様、私の苦しみとため息に」、②フィナーレを軽快に演奏しました

次いで「セレナード第12番ハ短調K.388」の演奏に入ります。この曲は”短調”の名曲で、秘めた情熱のようなものを感じます この曲もCDで予習しておいたので、全体がすんなりと入ってきました

 

          

 

さすがにダブルヘッダーは疲れます。夜は早めに寝ました。と言っても23時はとっくに回っていましたが

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東京春祭チェンバー・オーケストラでオール・モーツアルト・プログラムを聴く

2014年03月22日 07時01分03秒 | 日記

22日(土)その1。昨日午後3時から上野で「東京春祭チェンバー・オーケストラ」のコンサートを聴き、その後池袋に移動し、午後6時から「クラシカル・プレイヤーズ東京」のコンサートを聴きました ここでは前者のコンサートの模様を書きます

東京文化会館小ホールで「東京・春・音楽祭」の「東京春祭チェンバー・オーケストラ~トップ奏者たちが贈る”モーツアルト”」コンサートを聴きました オール・モーツアルト・プログラムで①カッサシオンK.63、②モテット”踊れ、喜べ、幸いなる魂よ”K.165」、③モテット”アヴェ・ヴェルム・コルプス”K.618、④昇階唱”天主の御母なるマリア”K.273、⑤ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334です 演奏は、N響ソロコンマス・堀正文率いる16名の弦楽奏者と4名の管楽奏者です

 

          

 

自席はH列20番、センター・ブロックの左通路側。会場は8割方埋まっている感じです オケのメンバーが登場します。女性陣はそれぞれカラフルな衣装に身を包まれて春を演出します コンマス席に堀氏、その隣に漆原啓子、堀氏の後ろに小林美恵、その隣に玉井菜採というトップ奏者が控え、第2ヴァイオリン首席席には川田知子がスタンバイします チェロには遠藤真理の姿が、ヴィオラの首席には新日本フィル首席の篠崎友美が控えます。ヴァイオリンは、他に伊藤亮太郎、影山誠治、島田真千子、瀬崎明日香、ヴィオラは、大島亮、馬渕昌子、チェロに上村昇、上森祥平、コントラバスに池松宏というメンバー。管楽器は、オーボエに広田智之、鈴木純子、ホルンに今井仁志、猶井正幸というメンバーです

 

          

 

1曲目の「カッサシオン・ト長調K.63」は1769年の作とされています。冒頭の第1楽章は行進曲で、第2曲=アレグロ、第3曲=アンダンテ、第4曲=メヌエット、トリオ、第5曲=アダージョ、第6曲=メヌエット、トリオ、第7曲=フィナーレ、アレグロ・アッサイという編成になっています。全体的に「これが果たして13歳の少年による曲だろうか」と疑問に思うような、ある意味、完成されたりっぱな曲です

あまり馴染みのない曲なのでクラシックの百科事典NAXOSのCD(ザルツブルク・チェンバー・オーケストラ)で予習しておきました

 

          

 

次にソプラノの菅英三子が登場しモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よK.165」が歌われます。この曲はモーツアルトが17歳の時に作曲したもので、喜びに満ちた曲です 菅はよくコントロールされた声でモーツアルトの喜びを表現していました。この曲の最後の「アレルヤ」を聴くと映画「オーケストラの少女」を思い出します ストコフスキーの指揮で可憐なディアナ・ダービンが「アレルヤ」を歌っていました

管楽器奏者が舞台袖に引き上げ、代わりに東京オペラシンガーズの男女各6人のコーラスが登場します。静かな弦楽に乗せて「アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618」が穏やかに敬虔に歌われます モーツアルト晩年の傑作です

次いで、昇階唱「天主の御母なるマリアK.273」が聖母マリアを讃えて歌われます。1777年に作曲されましたが、モーツアルトは完成した2週間後に故郷ザルツグルクを離れ、母とともにマンハイムを経てパリに向かう旅に出ています

休憩後はディヴェルティメント第17番ニ長調K.334です。第1楽章アレグロ、第2楽章アンダンテ、第3楽章メヌエット、第4楽章アダージョ、第5楽章メヌエット、第6楽章ロンド、アレグロから成ります。第3楽章の「メヌエット」はメロディーを聴けば「ああ、あの曲ね」と分かる有名な曲です。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第1楽章とともにモーツアルトの代名詞的な曲です

弦楽とホルン2本で演奏されるのですが、たった2本のホルンがこの曲に深みと広がりを与えているように思います。この曲からホルンを外したら、何か物足りなさを感じると思います 

この曲はウィーン八重奏団による演奏のCDで予習しておきました

 

          

 

アンコールに応え、モーツアルトの「弦楽四重奏曲第23番ヘ長調”プロシャ王四重奏曲第3番”K.590」から第4楽章「アレグロ」を演奏しました アンコールを含めて、この日の演奏は、さすがにトップクラスのメンバーによる素晴らしいアンサンブルでした

 

          

 

終演は17時8分。急いで上野駅に向かい山手線に乗りました。池袋の東京芸術劇場のロビーに着いたのは17時35分でした。18時からの開演には十分間に合います。上野も池袋もコンサート会場が駅のすぐ近くだったので、このように余裕で次のコンサートに臨むことが出来るのです これが駅から遠い会場だと遅刻して聴けないという残念な結果が待っています。そこが渡世人の辛いところでございます おれってフ~テンの寅か?・・・・・まあ、toraには違いないか・・・・・

午後6時からの「クラシカル・プレイヤーズ東京」のコンサートの模様は「その2」で書くことにします

 

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東川篤哉著「はやく名探偵になりたい」を読む~脱力系推理小説の雄、なお健在

2014年03月21日 07時39分52秒 | 日記

21日(金・祝)。昨日の朝日朝刊に、モーツアルト研究家・高橋英郎さんの死亡記事が出ていました。18日に呼吸不全で死去、82歳だったとのこと 高橋さんは1983年に「モーツアルト劇場」を創設し、総監督として日本語に訳した本場オペラの普及に努めました

私がモーツアルトに入れ込んでいた時に読んだ本に高橋英郎さんの「疾走するモーツアルト」があります モーツアルトが好きな人はピンとくると思いますが、「疾走するモーツアルト」というのは、日本における芸術評論の先駆者・小林秀雄が名著「モオツアルト」の中で、モーツアルトの「弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516」の第1楽章冒頭のメロディーを言い表した有名な言葉です

 

          

 

正確に言うとそれは間違いで、小林秀雄は「モオツアルト」の中で概略次のように書いています

「スタンダアルは、モオツアルトの音楽の根柢はtristesse(悲しさ)というものだ、と言った。・・・(略)・・・・≪ト短調クインテットK.516の冒頭のアレグロの譜面を提示≫ ゲオンがこれを tristesse allante と呼んでいるのを、読んだ時、僕は自分の感じを一と言で言われた様に思い驚いた(アンリ・ゲオン『モーツアルトとの散歩』)。確かに、モオツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、『万葉』の歌人が、その使用法をよく知っていた『かなし』という言葉のようにかなしい」

ところで、昨日の日経朝刊・第1面コラム「春秋」は万葉集第19巻の最後をかざる一首で、万葉集の編者とされる大友家持がよんだ和歌を紹介しています

「うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 心悲しも 独りし思えば」

この句に接して、小林秀雄がト短調の弦楽五重奏曲の冒頭を聴いたときに表現した「万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた『かなし』という言葉」は、この和歌で使われた「心悲しも」ではなかったろうか思いました

 

          

 

さて、高橋英夫さんの「疾走するモーツアルト」に戻ります。手元の本は1987年初版発行、1988年5刷となっています おそらく25~26年前に購入したものと思います。あらためてその「序章」を読んで、意外な事実に驚愕しました 「序章」には高橋さんと、小林秀雄をよく知るS氏との会話が載っていますが、問題の会話は次の部分です

高橋:前にもうかがったのですが、念のためもう一度。小林秀雄は『モオツアルト』を書いているとき、ベートーヴェンを聴いていたというのでしたね」

S氏:ええ、そうです。面白いことだと思いますよ。このことは、直接聞いたのではなく、人を通じて知ったのですが。

高橋:これは小林秀雄の問題でもあり、モーツアルトの問題でもあるのでしょうね・・・・・・・。

この会話はまだ続きますが、非常に興味深い内容です。興味のある向きは古書店でお求めください 

あらためて高橋英夫さんのご冥福をお祈りいたします。

 

  閑話休題  

 

東川篤哉著「はやく名探偵になりたい」(光文社文庫)を読み終わりました 東川篤哉の作品は、このブログでも何冊かご紹介してきました。「密室の鍵貸します」「完全犯罪に猫は何匹必要か」「交換殺人には向かない夜」「ここに死体を捨てないでください」「殺意は必ず三度ある」などです

 

          

 

「はやく名探偵になりたい」は「藤枝邸の完全なる密室」「時速40キロの密室」「7つのビールケースの問題」「雀の森の異常な夜」「宝石泥棒と母の悲しみ」の5つの短編から成ります 主人公は自称「烏賊川市(いかがわし)で一番の探偵・鵜飼杜夫(うかいもりお)です。助手の戸村流平とともに難事件に挑みます 本のタイトル「はやく名探偵になりたい」は、助手の戸村流平のセリフかもしれません

東川篤哉の作品を読んでいていつも思うのは、ストーリーと謎解きはともかく そこに至るまでの日常の会話におけるギャグの連発が超面白いのです 逆に言えば、ストーリーはどうでも良く、次にどういうがギャグが飛び出してくるかが楽しみなのです

この短編集も、ストーリーにはこじつけめいた無理があるものの、ギャグに関しては期待を裏切らない”名セリフ”の連発で、十分楽しめました。脱力系推理小説の1冊としてお薦めします

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萩原麻未「ピアノ・リサイタル」、ジョナサン・ノット+東響「名曲全集」のチケットを買う

2014年03月20日 07時00分31秒 | 日記

20日(金)。昨日の朝日朝刊・文化欄に「いま、コルンゴルト~時代に埋もれた響き 魅了」という見出しの記事が載りました 筆者は朝日文化部の看板記者・吉田純子さんです。記事を超訳すると

「名前すらほとんど聞かない現代作曲家の音楽がいま、日本各地で、ほぼ同時多発的に演奏されている。第2次世界大戦をまたぎ、ウィーンや米国で活躍したユダヤ系作曲家、エ―リヒ・ウォルフガング・コルンゴルト。クローズアップされるのはなぜか。彼のオペラ「死の都」はびわ湖ホールで上演され、新国立劇場でも上演中である。31日には「東京・春・音楽祭」でその生涯と音楽を取り上げた企画公演が開かれる。5月27日には東京都交響楽団が交響曲を上演する。また、ヴァイオリン協奏曲は22日に読響が、5月に日本フィルが、7月に広島交響楽団が、10月には神奈川フィルが取り上げる。彼の器楽曲でも、とりわけ芸術的な純度が高い傑作だ 指揮者・山田和樹氏は『クリムトの絵を彷彿させる退廃美と”ジュラシック・パーク”の音楽さながらのカタルシスが、違和感なく自然に同居している』とほれ込む 実験性に富む20世紀の現代音楽は、耳に快い曲ばかりとは限らない。同時代の作曲家の作品は積極的に紹介したいが、聴衆を辟易させたくもない そんなジレンマに悩む演奏家たちが、一流の現代音楽でありながら、大衆の心をつかむ俗っぽさと華やかも兼ね備えたコルンゴルトの響きに吸い寄せらせれている

山田和樹氏も吉田純子記者も、さすがにコルンゴルトの音楽の神髄をよく捉えていると思います 現在、新国立劇場で上映中のオペラ「死の都」についてはゲネプロ(3/9)と初日公演(3/12)の様子をそれぞれ翌日のブログに書きました 

 

          

 

文中にあった3月31日(月)午後7時から上野学園石橋メモリアルホールで開かれる「東京・春・音楽祭」の「東京春祭ディスカバリー・シリーズ『E.W.コルンゴルト~二つの世界の狭間で』」は、弦楽四重奏曲第3番他が演奏されますが、内容は下のチラシの通りです もちろん私も聴きに行きます

 

          

 

これも文中にあった5月27日(火)午後7時からサントリーホールで開かれる東京都交響楽団の第771回定期演奏会は、マルク・アルブレヒトの指揮により、メンデルスゾーン「ピアノ協奏曲第1番ト短調」とコルンゴルト「交響曲嬰へ調」が演奏されます これも聴きに行きます

 

          

 

数日前にもブログに書いたとおり、私はコルンゴルトの音楽を30年以上前から聴いていますが、きっかけはウルフ・ヘルシャーのヴァイオリン独奏による「ヴァイオリン協奏曲」(1973年録音)でした。いまコルンゴルトの音楽が見直されていることはとても嬉しいです

 

          

 

  閑話休題   

 

チケットを2枚買いました 1枚は4月26日(土)午後2時からミューザ川崎で開かれる東京交響楽団の「名曲全集」第96回公演です。プログラムは①ウェーベルン「管弦楽のための5つの小品」、②シューベルト「交響曲第4番ハ短調”悲劇的”」、③ブラームス「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」です 指揮は東響第3代音楽監督に就任したジョナサン・ノット、③のピアノ独奏は佐藤卓史です

実は、これまで東京交響楽団は①サントリーホールシリーズ、②東京オペラシティシリーズ、③ミューザ川崎「名曲全集」の3つの定期会員になっていたのですが、新年度から名曲全集は会員継続せず、プログラムによって聴く聴かないを判断することにしたのです その理由は、①土曜午後ということで、他のコンサートとダブルことが多いこと、②何だかんだ言っても、川崎は遠いということです

 

          

 

2枚目は6月27日(金)午後7時から紀尾井ホールで開かれる「萩原麻未ピアノ・リサイタル」です プログラムは①フォーレ「ノクターン第1番」、②同「ノクターン第4番」、③ドビュッシー「ベルガマスク組曲」、④同「喜びの島」、⑤ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」、⑥ラ・ヴァルス、⑦ジェフスキー「ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース」です 萩原麻未のコンサートは、知りうる限りすべて聴きに行く方針です

 

          

 

  閑話休題  

 

私はすでにコンサートの予定が入っていて行けませんが、低料金でコストパフォーマンスの高いお薦めコンサートのいくつかをご紹介します

最初は、3月31日(月)午後7時から文京シビックホールで開かれる「オーケストラの日」コンサートです プログラムは①ショスタコーヴィチ「祝典序曲」、②チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」、③ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」、④プッチーニ「マノン・レスコー」~第3幕の間奏曲、⑤ラヴェル「ボレロ」です 指揮・ピアノは渡邊一正、管弦楽はオーケストラの日祝祭管弦楽団(プロのオケ選抜)、ピアノはエリザベート王妃国際音楽コンクール優勝者アンドレイ・バラーノフ。入場料は@3,000円です

 

          

 

2つ目は4月30日(水)午後7時から東京文化会館小ホールで開かれる「多美智子 室内楽シリーズⅦ」コンサートです プログラムは①モーツアルト「ピアノ五重奏曲K.452」、②ブラームス「クラリネット・ソナタ第2番」、③ライネッケ「オーボエ、ホルン、ピアノのための三重奏曲」、④ベートーヴェン「ピアノ五重奏曲」です 演奏はピアノ:多美智子、オーボエ:小畑善昭、クラリネット:山本正治、ファゴット:井上俊次、ホルン:山本真。入場料は全自由席4,000円です

 

          

 

3つ目は6月21日(土)午後2時から池袋の東京芸術劇場で開かれる「クラシカル・プレイヤーズ東京」演奏会です プログラムは①メンデルスゾーン「夏の夜の夢」序曲、②モーツアルト「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488」、③シューベルト「交響曲第7番”未完成”」です。指揮は有田正広、②のフォルテピアノは仲道郁代で、コンマスは新日本フィルのソロ・コンマスの豊嶋泰嗣です。オケは古楽器を使用します 入場料はS席@4000円、A席@3,000円、B席@2,000円です

 

          

 

4つ目は同じく6月21(土)午後3時から上野の東京芸術大学奏楽堂で開かれる「東京藝大チェンバーオーケストラ第23回定期演奏会」です プログラムは①エルガー「序奏とアレグロ」、②オネゲル「交響曲第2番」、③ワーグナー「ジークフリート牧歌」、④モーツアルト「交響曲第41番ハ長調K.551”ジュピター”」です 指揮は尾高忠明。入場料は全自由席@1,500円です

 

          

 

これからも、日程の関係で自分では行けないけれど、格安でお薦めのコンサートについては時々お知らせしたいと思います

 

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誉田哲也著「感染遊戯」を読む~官僚を狙った殺人事件の謎を追う

2014年03月19日 07時00分50秒 | 日記

19日(水)。昨日、日本記者クラブの会合で朝日新聞のY編集委員の話を聴く機会がありました。テーマは「取材現場から見た日本企業のいま~なぜ日本企業は低迷しているのか~私論『選択と集中』の落とし穴」です

Yさんは「日本経済の低迷の要因」として①6重苦(円高、重税、環境、労働法制、通商政策、エネルギー不足・・・このうち円高は修正された)、②デジタル化への対応の失敗、③真のグローバル企業になれない、④少子化・高齢化。国内市場の縮小、⑤ダイバーシティ(多様性)のなさ、⑥経営力のなさ、の6点が考えられるが、一番の問題は「選択と集中」に落とし穴があったのではないか、と持論を展開しました。Yさんの講演をかなり大雑把に要約すると以下のとおりです

80年代に入って、GEのウェルチが「選択と集中」を唱えて好業績を達成し、シェア1、2位以外は撤退すべしという風潮となり、90年代後半には「選択と集中」がゴールデンルールになった 日本での成功例はシャープで、1998年に町田社長が就任し、「2005年までにテレビをブラウン管から液晶に置き換える」と発表した例だ。シャープは当時黒字だった半導体から撤退し、赤字の液晶に集中したが、それまでの安売り対象から脱却しシェアトップに躍り出た

その「選択と集中」は、2000年台に入ると、赤字部門ではなく、稼ぎ頭の事業に集中するようになり、とくに大企業を中心に「知の探索」(事業を横に広げる)よりも「知の深化」(一つの事業を掘り下げる)に力を入れる傾向を示し、「イノベーションのジレンマ」(成功した経営者・幹部ほど新しい環境に適応できない)に陥ってしまった 大きな組織はビジョン、ミッションを忘れがちである。これからは「知の深化」と「知の探索」のバランスの取れた組織運営が求められる。新しい組み合わせは組織の多様性から生まれる。大学や他の企業と連携したり、地域内の企業との連携が必要だ

「経営は科学であり、アートである」という思い込みから抜け出せない経営者が多い 航空機のデザイン賞を受賞したホンダの技術者・藤野さんは「何もないところからつくるのがホンダ」「ホンダがつくるのだから世界初のものをつくる」というパッションを持っている。こうしたパッションこそが企業再生の条件だと思う

・・・・・・Yさんの言われる通り、いくら経営者が頑張ろうが、売るべき商品自体に「是非買いたい」と思わせる魅力がなければ企業経営は成り立ちません。それをつくるのが優秀な技術者です

私は学生時代に、ある家電チェーン店でソニーの商品を売るアルバイトをしたことがありますが、当時はソニーの「トリニトロン・カラ―・テレビ」が売り出し中の頃で、売れに売れていました。それは当時のソニーの技術力が優れていたからです 良いものは多少高くても売れるのです。アルバイトをしていて良く分かりました

今や中国や韓国の企業に追い抜かれ、必至でしがみつこうしている日本の製造業はこれからどうなるのでしょうか?私は、日本の技術力はまだまだ捨てたものではないと思っています

なお、講演では「ビットコインについて、規制すべきかどうか」という質問が出されましたが、Yさんは「何でもかんでも規制するのはいかがなものか。金の取引とか、チューリップの球根の取引とか、いちいち取引に規制をかけたら際限なくがんじがらめになる もちろん消費者保護の観点から規制すべきという考えはこれからも出てくるだろうが、私はビットコインは”商品の一つ”として考えた方が良いのではないかと思う」と答えていました

なるほど、ビットコインは実際には相場で動きますから商品取引の一つと考えればいいのか、と納得しました。そう考えれば、あくまでも”自己責任の範囲内”で取引すれば良いのですから

 

  閑話休題  

 

新日本フィルから次期シーズン「トりフォニー・シリーズ第2夜」のチケットが送られてきました 今年10月から来年7月までの間の8回分です。さっそく手帳に日程を書きこもうとして「あれ!?」と思いました 10月4日(土)と11月8日(土)は、すでに東響サントリー・シリーズの定期演奏会の予定が入っているではありませんか しかし、よ~く見ると開演時間が違います。東響は午後6時開演で、新日本フィルは午後2時開演です。いや~、またやっちまったかと思いました、ダブルブッキングを いずれにしてもこの両日はダブル・ヘッダーですからシンドイことには変わりありません

同封物をよく見ると、例年通り「特典グッズ引換券」(非売品)が1枚入っていました 昨年は新日本フィルの定期演奏会のライブCDがもらえました。今回も同様だと思います

今回は、それに加えて「NJP Gift Card」(550円×2枚)が同封されていました 2015年7月末まで有効のギフト・カードで、新日本フィル主催公演のチケットやグッズが買えるとのことです。グッズよりもチケット購入に当てたいと思います

さらにもう1枚「定期会員の皆様へ」と題するお知らせが入っていました 「2015年2月27,28日の第536回定期演奏会に出演を予定していたカール・アントン・リッケンバッハ―が2月28日に逝去した。代役の指揮者等は決まり次第発表する」旨が書かれていました つまり同氏は公演予定のちょうど1年前に亡くなったことになります 予定ではブラームスの交響曲第1番ほかを指揮することになっていましたが、指揮者変更によりプログラムが変わる可能性が出てきました 変えるのなら、同じブラームスかマーラーにしてほしいと思います

 

  も一度、閑話休題   

 

誉田哲也著「感染遊戯」(光文社文庫)を読み終わりました 誉田哲也は1969年、東京生まれ。当ブログでも彼の作品は文庫本で出るたびにご紹介してきたのでお馴染みですね この「感染遊戯」は「ストロベリーナイト」「ソウルケイジ」「シンメトリー」「インビジブルレイン」など女刑事・姫川玲子が主役となるシリーズの最新版です。ただし、今回はこれまで”脇役”に甘んじていたガンテツこと勝俣健作が主役に躍り出ています

 

          

 

会社役員殺傷事件を追う姫川玲子に、ガンテツこと勝俣健作警部補が15年前の事件を語る 刺された会社役員は薬害を知りながら蔓延させた元厚生官僚で、その息子もかつて殺害されていたという この連鎖は何を意味するか。また、元刑事の倉田と姫川の元部下・葉山がかかわった事件も被害者は官僚だった。捜査上に「Unmask your laughing neighbors(笑う隣人の仮面を剥げ)」というサイトを運営する謎の人物が浮かび上がる。彼の目的は何なのか。過去の事実が明らかになった時すべてがつながる

誉田哲哉という人は優秀なストーリーテラーだと思います。面白さに途中で止めるのが難しいほどです

 

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記者クラブ試写会で「ワレサ 連帯の男」を観る~ダヌタ夫人にも焦点を当てた作品

2014年03月18日 07時00分43秒 | 日記

18日(火)。山梨市が今日予定していた社会学者、上野千鶴子さんの講演会を過去の発言などを理由に中止にした問題で、市は昨日、一転して開催を決めたとのこと 市では「先週の中止報道以降、賛否両論が寄せられ検討した結果」と理由を説明しているそうです

バカな話です。上野さんは自身のブログで「講師の考えに賛同できないという少数の”市民”のメール等のクレームで中止するとは、あってはならないこと」などと批判していました もともと、市は昨年11月に上野さんに対し、在宅医療や介護をテーマに講演を依頼していたのに、なぜ過去に新聞に掲載された少年の性をめぐる意見を持ち出して「公費で催す講演会の講師としてふさわしくない」として中止するのか、理解できません。この講演には164人が参加申し込みをしていたそうですが、この騒ぎで申し込みが増えるのではないでしょうか

私は、朝日新聞の土曜別刷りbeに掲載されている人生相談コーナー「悩みのるつぼ」を毎週楽しみにしていますが、何人かいる回答者の中で上野千鶴子さんの回答が一番冴えていると思います。私が山梨市民だったら是非今日の講演を聴きたいと思うくらいです

 

  閑話休題  

 

昨夕、当ビル10階ホールで日本記者クラブ主催の試写会「ワレサ 連帯の男」を観ました 自主管理労組「連帯」創立メンバーから大統領になったレフ・ワレサ氏の半生を描く、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の最新作です

 

          

 

1970年代から1980年代にかけて、ポーランドをはじめとする東ヨーロッパ諸国は、ソヴィエト連邦の傘下にあり、検閲や思想統制などにより社会的に束縛されていました その”社会主義体制”に対して、人々は自由のために戦いました ポーランドにおける自由のための闘いを主導したのがレフ・ワレサでした

物語は、1980年代初頭、グダンスクの造船所で電気工として働くワレサの家に、イタリアの著名なジャーナリストが取材に訪れ、検閲や思想統制など社会的に拘束されていた中で、自由のために労組のリーダーとして闘っているワレサにインタビューし、ワレサが連帯の運動を回想する形で進みます

当時撮影された記録映像と、35ミリと16ミリのカメラで撮影した実写映像とを結合させて、さながら”セミ・ドキュメンタリー”の様相を呈しています モノクロとカラーが混在して映し出されますが、モノクロだから古い、カラ―だから新しい時代を映し出したというのでなく、時間の流れに関係なく混在して映し出されます したがって、どこまでが本当の記録映像で、どこからが創りものなのか判然としないというのが正直なところです

この映画は、連帯労組の”英雄”としてのワレサばかりを描いているわけではありません 6人の子どもを育てながらワレサを支えたダヌタ夫人の日常的な苦労も描いています。ワレサが労組の集会やデモに出かける時には必ず、腕時計と指環を外してダヌタ夫人に「自分にもしものことがあったらこれを売れ」と言って手渡すシーンがあります 反政府運動をリードしては逮捕され、釈放されてはまた運動を再開し、また逮捕され・・・・といったことを繰り返しますが、その都度ワレサは腕時計と指環を妻に残します 6人の子どもを育てながら日常の生活を維持しなければならないダヌタ夫人の気持ちはいかばかりか、と同情してしまいます

ワレサはノーベル平和賞を受賞しますが、ノルウェー大使館から授賞式に出席してほしいという電話がきたとき、ワレサが「一旦、国の外に出たら戻れないのだ。代わりに妻に出席させる」と答えるシーンがあります。これを観て、やはり記者クラブの試写会で観た「The Lady アウンサン・スーチー」の主人公、ミャンマーのアウンサン・スーチーさんと同じ運命だな、と思いました

体制側と労組側との間の闘いのシーンでは、80年代のロックミュージックが流れます 私には一つも聴き覚えがない曲ばかりでしたが、歌詞は反体制的な内容です。これらの音楽がなければまったく印象の違う映画になっているのではないか、と思うほど重要な要素になっています 逆にこの映画で使われているクラシック音楽は、ショパンの「英雄ポロネーズ」冒頭の勇壮なテーマだけです。ラジオのニュース番組のテーマ音楽のような形でほんの5~6秒流れるだけです それでも、やはりポーランド映画にはポーランド出身のショパンですかね

この映画は、ワレサが国連で自由の大切さについて演説し、各国代表のスタンディングオベーションを受ける記録映像で終わりますが、その陰にはダヌタ夫人の陰の力があったのだということを歴史に刻まなければならないでしょう

2013年、ポーランド語・イタリア語。上映時間127分。4月5日(土)から岩波ホールでロードショー公開されます。88歳のアンジェイ・ワイダ監督はなぜ今になって「ワレサ 連帯の男」を撮ったのか? 今なぜワレサなのか? 労働組合が機能しづらくなっている現代においてこそ観るべき映画かもしれません

 

          

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会田莉凡ヴァイオリン・リサイタルを聴く~バッハ「シャコンヌ」、ベートーヴェン「ソナタ第3番」ほか

2014年03月17日 07時00分41秒 | 日記

17日(月)。昨日朝11時から、NHK「とっておきサンデー」で佐村河内守を取り上げた「NHKスペシャル」の調査報告を放送するというので観ました 番組枠のどのあたりで放送するのかさっぱり分からなかったので最初から観ましたが、前半は朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』のダイジェストをやったり、春の新番組のPRをやったりと、なかなか肝心のテーマが取り上げられません 終盤にやっと始まったと思ったら、ほんの5~6分で終わってしまいました 編成局の担当者が出てきて、薄っぺらな”報告書”を掲げ、女性アナウンサーの問いに答える形で、番組制作の過程で佐村河内氏のウソを見抜けなかったと”報告”していました。1回取材しただけだったらまだしも、数年にわたってドキュメンタリーを撮っている訳ですから、その過程で全聾でないことくらい気づくはず 「作曲しているシーンを撮らせてほしいと何度も頼んだが、神聖な行為だとして断られた」というのも、もっと取材にこだわるべきだったと思います。まじめに受信料を払っている身からはどうも納得できないですね。視聴者を馬鹿にしているのかNHKは NHKは日常秘匿協会か1時間枠でたったの5~6分ですよ、奥さん

 

  閑話休題   

 

昨日、「東京・春・音楽祭」のコンサートを聴くため上野に出ました。JR上野公園口の正面に位置する東京文化会館は「東京・春・音楽祭」一色です

 

          

          

 

東京文化会館を通り越して交番を右折、国立科学博物館に向かいました。博物館の「日本館講堂」で開かれる会田莉凡ヴァイオリン・リサイタルを聴くためです。博物館「常設展」入口から地下に入り「日本館講堂」を探したのですが、分からないので係員に訊くと、チケット・ゲートの奥の2階にあることが分かりました ということは「博物館の入場券を買わないと入れないのか?」と疑問に思って訊くと、コンサートのチケットを見せれば入れることが分かりました それはそうですよね 午後2時開演なのに12時半に着いてしまったので、本を読みながら並んで待つことにしました。すでに男性ばかり3人が並んでいました

ところで会田莉凡の”莉凡”てどう読むんだ?と疑問に思う人もいるでしょう。上野、もとい、上の写真に答が出ていますよ その昔、バヤリースのテレビコマーシャルに「りぼんちゃん、りぼんジュースよ!」というのがありましたが、そうです、莉凡は「りぼん」と読みます おとーさん、おかーさんは良く付けましたよね、こういう思い切った名前を

さて、リサイタルのプログラムは①J.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV.1004」、②ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調」、③ショーソン「詩曲」、④エネスク「ヴァイオリン・ソナタ第2番ヘ短調」、⑤サン=サーンス「序奏とロンド・カプりチオーソ」という相当”重い”プログラムです。ピアノ伴奏は林絵里です

 

          

 

全自由席なので、右ブロックの前から2列目の左通路側を押さえました 会場には約150席分のパイプ椅子が並べられていますが、満席です 名前の「日本館講堂」に相応しい、古めかしくも威厳のある会場で、2階にあるため外の景色が目に入ります

開演時間になり、舞台袖からソリストが現われるのを待っていると、客席の後方から拍手が聞こえてきました。なんと会場の後方から会田莉凡の登場です ここは演奏会専用の会場ではないことを改めて認識させられました。彼女はピンク地に白の花模様をあしらった春らしいドレスで登場です 先日、新日本フィルの第2ヴァイオリンに客演した時には頭に赤いリボンをつけていたので、莉凡さんのトレードマークかと思っていましたが、この日は何もつけていません。リサイタルなのでアイデンティティはハッキリしているということでしょうか

弓を構え、第1曲目のバッハ「無伴奏ヴァイオりン・パルティータ第2番」の演奏を始めます 「パルティータ」というのは「舞曲」を組み合わせた「組曲」といった意味です。アレマンダ~コレンテ~サラバンダ~ジーガ~シャコンヌという順に演奏されます この曲の大きな特徴は最後の長大な「シャコンヌ」です。これだけ単独で演奏する演奏家もいるほどの名曲です。会田莉凡は並外れた渾身の集中力で全曲を一気に弾き切ります

この曲は午前中、ヒラリー・ハーンのCDで予習して頭に叩き込んでおきました

 

          

 

2曲目はベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第3番」です。会田がピアノの林絵里とともに登場します。ピアノは小ぶりなスタインウェイですが、TAKAGI KLAVIERという文字が書かれています 渋谷にタカギクラヴィアという会社があるようですが、そこからの寄贈品でしょうか?不明です

この曲は1797~98年に作曲され、モーツアルトを主人公とした戯曲「アマデウス」でモーツアルトを毒殺したとされるサリエリに献呈された3曲のヴァイオリン・ソナタの3番目の曲です。全体的にベートーヴェンの若さが反映した溌剌とした曲ですが、二人は楽しそうに演奏していました

この曲は午前中、フランチェスカッティのヴァイオリン、カサドシュのピアノによる香り高いCDで予習しておきました

 

          

 

休憩後の第1曲目はショーソンの「詩曲」です。1896年の作曲ですが、ショーソンの代名詞的な曲です ピアノの前奏で始まりますが、会田は抒情豊かにポエムを歌い上げました

次いでエネスクの「ヴァイオリン・ソナタ第2番」が演奏されます。エネスクはメニューインやグリュミオーといった世紀の大ヴァイオリニストを育てた教育者でもある音楽家ですが、この曲は18歳の時に書かれました。初めて聴く曲ですが、色彩感豊かな曲で、とくに第3楽楽章の舞曲のような音楽が楽しめました

最後はサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」です。会田はスペイン情緒豊かなこの曲を情熱的に弾き切りました

拍手を受けて再度登場した会田は次のようにあいさつしました

「皆さん、今日はありがとうございました。こんなに沢山の方々に来ていただき驚いています 今日のプログラムのメインは一応エネスクということになっています。プログラムのどれもがヘビーで、すべてがメインじゃないかと思われるかも知れませんが(会場・笑)。この2番のソナタは、2011年にルーマニアを3回訪ねる機会があったのですが、その時に出会った曲です 日本では演奏する人はほとんどいません。ヴァイオリンはとにかく、伴奏のピアノが大変な曲です。今日ピアノ伴奏をお願いしている林先生は高校生の時からお世話になっている方です。きょうのリサイタルでご一緒できてうれしく思っています それでは、アンコールにマスネの『タイスの冥想曲』を演奏します

演奏は会田莉凡の優しい性格を反映したかのような温かみのあるものでした 鳴り止まない拍手にもう1曲、サン=サーンスの「序奏とタランテラ」を鮮やかに演奏しました

 

          

 

これをもって私の6日間連続コンサートは終了しました が、7日目の今夕はポーランド映画「ワレサ 連隊の男」の試写会を観に行きます。まだまだゆっくり休んでいる余裕はありません

 

          

 

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準・メルクル+新日本フィルでベートーヴェン「交響曲第7番」を聴く~第522回定期演奏会

2014年03月16日 07時18分27秒 | 日記

16日(日)。理化学研究所のSTAP細胞論文不正疑惑問題はどうなるのでしょうね 文部科学省のガイドラインによると、存在しないデータをでっちあげる「捏造」、データを都合のいいように書き換える「改ざん」、他人から文章などを無断で引き写す「盗用」の3つを研究の不正行為と定義しているそうです 今回のケースはどれに当たるのか・・・・われわれ素人には手も足も出ません。STAP細胞の研究がSTOPしてしまい残念です。是非スキルをSTEPアップして論文を出し直してほしいと思います

 

  閑話休題  

 

昨日、すみだトりフォニーホールで新日本フィルの第522回定期演奏会を聴きました プログラムは①シューマン「ゲーテの”ファウスト”のための情景:序曲」、②シェーンベルク「清められた夜」(弦楽合奏版)、③ベートーヴェン「交響曲第7番イ長調」。指揮は準・メルクルです

 

          

 

オケはいつもと違い、向かって左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン、後ろにコントラバスという対向配置を採ります そのため、いつもは左サイドにいる第2ヴァイオリン奏者・篠原英和さんは右サイドの観客席に近い位置でスタンバイします コンマスの西江辰郎の合図でチューニングが始まり、指揮者の登場を待ちます。そう言えば、コントラバスに村松裕子さんの姿が見えませんが、いよいよ産休に入ったのでしょうか

指揮者の準・メルクルはドイツ人の父、日本人の母のもと1959年にミュンヘンで生まれました 2005年から11年までフランス国立リヨン管弦楽団の音楽監督を務めたほか、世界のオケで振っています ベルリン・ドイツ・オペラと新国立劇場の『ニーベルングの指環』ツィクルスで指揮をした時、日本での公演は『トウキョウ・リング』と呼ばれ話題を呼びました 最近では水戸室内管弦楽団とのシューベルト「ザ・グレイト」とパシフィック・ミュージック・フェスティバル・オーケストラとのベルリオーズ「幻想交響曲」の名演が忘れられません 2つとも当ブログで書きました。新日本フィルとは今回が初共演とのことです

1曲目のシューマン「ゲーテの『ファウスト』からの情景」序曲は、例によってプログラムのA氏の解説が何を言っているのかさっぱり分からないので紹介のしようがないのですが、一言で言えば、シューマンらしいメロディーに溢れた劇的な曲でした

楽員が一旦舞台袖に引き上げ、舞台の再セッティングが行われます。右手奥にいたコントラバスが中央後ろに5人横並びでスタンバイします 

2曲目は、大っ嫌いなシェーンベルクの割にはメロディーがあるので何とか聴ける「清められた夜」です 1899年に弦楽六重奏曲として作曲され、その後、弦楽合奏版に改版されました

「男と女が月とともに歩んでいる。女は見知らぬ人の子供を身ごもって、絶望感にさいなまれている。男は女に『その子を、私の子どもと思って生んでほしい』と伝える」というデーメルの詩にインスピレーションを受けて作曲されたものです この曲では、新日本フィルの弦楽セクションの素晴らしさが再確認されました

 

          

 

休憩後はベートーヴェン「交響曲第7番イ長調」です。ワーグナーが「舞踏の聖化」と称えたリズムを主体とした名曲です だいぶ前のことですが、カサドシュ(有名なピアニストとは関係ないらしい)という指揮者が確か読響を振ってこの曲を演奏した時、何とバランス感覚のない指揮者だろうとガッカリしたことを覚えています 私が言っているのは、第1楽章と第4楽章における低弦(特にコントラバス)の扱いです。ここがしっかりしないと薄っぺらな演奏になってしまいます

準・メルクルは身のこなしが軽く、身体全体を使ってテキパキとオケに指示を出します その指揮ぶりから、引き締まった小気味の良いベートーヴェンが現出します

昨年聴いた水戸室内管弦楽団とのシューベルトの「ザ・グレイト」と、パシフィック・ミュージック・フェスティバル・オーケストラとの「幻想交響曲」を聴いた時にも感じたことですが、準・メルクルの指揮はメリハリがはっきりしていて、出てくる音楽が明確です その意味で、この第7番も例外ではありません。オケがうまく”乗せられて”演奏している印象を受けます 私がこだわっている第1楽章と第4楽章の低弦の扱いは、もう理想と言っても過言ではありません。素晴らしいバランス感覚です

曲が終わるや否や会場一杯の拍手とブラボーの嵐が準・メルクルとオケに押し寄せました 「これこそ現代のベートーヴェンだ」と叫びたくなりました。オケのメンバーも指揮者に惜しみない拍手を送っていました。これが初共演とはとても思えないほど両者のコラボは相性が良いと思いました

いま、新日本フィルはダニエル・ハーディングとインゴ・メッツマッハ―の2大巨頭態勢をとっていますが、契約が終了したら常任指揮者=準・メルクルでいいんじゃないでしょうか。本気でそう思います

 

          

 

   も一度、閑話休題  

 

トりフォニーホールに行ったついでに、ホール脇にある「新日本フィル・チケットボックス」に寄り、新日本フィル室内楽シリーズ「音楽家たちの饗宴2013→2014」後半のチケットを購入しました 本来は4回通し券を買うところですが、4回のうち2回が他のコンサートとダブっているため、6月11日(水)と7月30日(水)の2つのコンサートだけ単券(@3,000円)を買うことにしました 6月の方はモーツアルト「弦楽四重奏曲第14番」ほか、7月の方はベートーヴェン「弦楽四重奏曲第8番」、ドヴォルザーク「弦楽五重奏曲第2番」のほかに、何と言っても我らが新日本フィルの第2ヴァイオリン奏者・篠原英和さんがテレマン「4本のヴァイオリンのための協奏曲」に出演します これを聴かずして何を聴くか

 

          

 

たまたまトりフォニーホールの掲示版を見たら、もう終わった公演のポスターが飾られていました 今年2月23日(日)に国技館で開かれた「5000人の第9コンサート」のポスターです。掲示板は錦糸町駅方面の反対方向(タリーズ側)にあり、目立たないので気が付く人がいないのかもしれませんが、こういうのってみっともないですよね。外した方が良いと思います

 

          

 

  またまた、閑話休題  

 

今日午前11時からNHKの情報番組「とっておきサンデー」で、ゴーストライターによる楽曲の代作が問題になった佐村河内守氏を取り上げた「NHKスペシャル」の検証結果を放送するとのこと。是非見なくては

今日は6日連続コンサートの最終日。上野の国立科学博物館「日本館講堂」で会田莉凡ヴァイオリン・リサイタルを聴きます。この1週間、睡眠不足と闘いながらブログを書いてきました。最後の体力勝負です

 

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「東京・春・音楽祭」10周年記念『春が来た!』コンサートを聴く

2014年03月15日 07時00分29秒 | 日記

15日(土)。昨日はホワイトデーでした。私は2月14日のバレンタインデーの日は休暇を取って映画の2本立てを観ていたので、チョコレートは誰からもいただきませんでした したがって、昨日はお返しのチョコレートをお渡しすべき人は誰もいませんでした

ところが、あろうことか、そのホワイトデーに某女性からチョコレートをいただいたのです。「ちょっと辛いですよ!」と言われて 一口サイズの小さな板チョコですが、食べてみたら唐辛子のようにピリッと辛いのです、チョコっとですが 辛(から)いので食べるのが辛(つら)いかと言うとそうではなくて、けっこう美味しいのです 甘いものに塩を少し混ぜると甘さを増すのと同じ理屈の逆の効果があるということでしょうか? それはそれとして、1か月後の4月14日に何かお返しをした方がいいのかなあ・・・・・負の連鎖だなあ・・・・眠れない夜が続きそうだなあ・・・・・・

 

          

         

  閑話休題         

 

昨夕、東京文化会館小ホールで、「東京・春・音楽祭」の10周年を記念した「春が来た!」コンサートを聴きました 曲名に『春』が付く名曲の数々を選んだ「春づくし」のコンサートです

演奏曲目は①ヴィヴァルディ「四季~”春”」、②ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番”春”~第1楽章」、③モーツアルト「弦楽四重奏曲第14番K.387”春”~第4楽章」、④J.シュトラウス「ワルツ”春の声”」、⑤モーツアルト「春への憧れK.596」、⑥同「すみれK.476」、⑦シューマン「春の夜」、⑧同「美しい5月に」、⑨同「春の祭りの美しさ」、⑩シューベルト「春の信仰」、⑪マーラー「春の朝」、⑫R.シュトラウス「春の祭り」、⑬同「四つの最後の歌~春」、⑭メンデルスゾーン「春の歌」、⑮ドリーブ「花の二重唱」、⑯ワーグナー「冬の嵐は五月には過ぎ去り・・・あなたこそ春」、⑰サン=サーンス「春は目覚めて」です

2部構成で、第1部がヴァイオリンの前橋汀子と都響メンバーとのコラボ中心のプログラム、第2部がピアノ伴奏による歌曲中心のプログラムになっています

 

          

 

自席はL列9番、左サイドの右通路側です。会場は8割方埋まっている感じです 都響選抜メンバーが登場します。コンマスは山本友重が務めます。第2ヴァイオリンの首席にはエンカナ(遠藤香奈子)さんがスタンバイします 弦楽器11人とチェンバロ1人のメンバーです。ソリストの前橋汀子が春らしいイエローのドレスで登場、1曲目のヴィヴァルディ「四季」の第1楽章”春”を始めます

前橋はコンマスの山本と間合いを取りながら演奏します 自席からは第2ヴァイオリンのエンカナさんが他の奏者の陰になって、よく見えません 演奏はいいのに、そっちの方が気になります

 

          

 

センターにピアノが運ばれて、2曲目のベートーヴェン「スプリング・ソナタ」第1楽章が始まります ヴァイオリンは引き続き前橋汀子、ピアノは松本知将です。この曲はベートーヴェンのいかめしい顔からは想像できない優しさに満ちた曲です つい先日、周防亮介と清水和音の演奏で聴いたばかりです。春だからか、よく取り上げられます 二人はていねいに音楽を進めます

3曲目はモーツアルトの「弦楽四重奏曲第14番”春”」から第4楽章ですが、演奏は都響の男性奏者4人です。コンマスの合図で演奏が始まりますが、なぜか揃っているように聴こえません アンサンブルが乱れているようです。練習不足か?・・・・曲が進むにしたがって徐々に4人の間合いが合ってきましたが・・・・。「なんでエンカナさんを出さないんだ」と叫びたい気持ちでいっぱいでした

第1部最後の曲は、”究極の春の歌”であるヨハン・シュトラウス2世のワルツ「春の声」です 今回はソプラノが入らない弦楽合奏だけの演奏です。ワルツの三拍子が何とも気持ちがいいのですが、エンカナさんが見えません。え~んかな・しいです

休憩後は前橋さんと都響メンバーはお役御免で、一転、「春の歌の祭典」です

最初にドリーブの歌劇「ラクメ」から「花の二重唱」が、真っ赤なドレスの橋爪ゆか(ソプラノ)、落ち着いたグリーンのドレスの小泉詠子(メゾソプラノ)、白のドレスの志茂貴子(ピアノ)により演奏されました。美しいハーモニーでした。ピアノも健闘していました

次いでモーツアルト「春への憧れ」と「すみれ」を小泉詠子が志茂貴子の伴奏で歌い、シューマンの「美しい5月に」、シューベルトの「春のおもい」を大槻孝志(テノール)が志茂の伴奏で歌いました

モーツアルトの「すみれ」はゲーテの詩にメロディーを付けた歌ですが、こういう詩です

「一本のすみれが牧場に咲いていた・・・・・少女はやってきたが、そのすみれには眼もくれないで、あわれなすみれを踏みつけてしまった!すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた。ともあれ、自分はあのひとのせいで、あのひとに踏まれて死ぬんだから、と!かわいそうなすみれよ!それは本当にかわいいすみれだった」

ゲーテの感性は素晴らしいですね。それに目をつけて命を吹き込んだモーツアルトも素晴らしいですね

さて次は趣向を変えて、松本知将が登場しメンデルスゾーンの「春の歌」をピアノで独奏しました 次にシューマンの「春の祭りの美しさ」を小泉と大槻のデュオで、同じくシューマンの「春の夜」を小泉が歌いました。小泉の歌は安定しています

ここで選手交代、マーラーの「春の朝」、R。シュトラウスの「4つの最後の歌~春」を、橋爪ゆかが志茂の伴奏で歌いました 志茂のソプラノは輝かしいのですが、どうも耳に刺激的に響きます。会場が狭いせいか、刺激が強すぎます

次いで、サン=サーンスの「春は目覚めて」を小泉が志茂の伴奏で歌います 最後にワーグナーの「冬の嵐は過ぎ去り。。。あなたこそ春です」(ワルキューレより)を大槻(テノール)と橋爪(ソプラノ)が志茂の伴奏で歌い上げます。これは聴きごたえがありました

春を集めたコンサートでしたが、ひとつ思ったのは、せっかく春をテーマにしているのだから、都響の女性奏者も黒のステージ衣装でなく、カラフルなドレスで着飾って演奏したらよかったのに ということです。聴いている方も楽しいと思うのですが、どうでしょうか? 来年の課題にしてはどうですか

 

          

 

この音楽祭では会場入り口で240ページもあるプログラムが配られます。すべてのコンサートと出演者が網羅されていて便利なのですが、ずい分無駄遣いをしているような気がします。何より重いのです。いい重いでになる、と言えばそうなのですが 私のようにこの音楽祭だけで13公演聴く者にとっては240ページが13冊たまる訳で、もうたまったものではありません

 

          

今日は、すみだトりフォニーホールに新日本フィルの定期コンサートを聴きに行きます。体力勝負です

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