自殺するくらいなら、逃亡者となるのだ!

2015年07月26日 17時19分07秒 | 社会・文化・政治・経済
「悩まずにいられない人」加藤諦三著
例えば「あの人に酷いことを言われた」等と、自分の受けた被害を過度に強調する人がいる。
現実の被害がほとんどないにもかかわらず・・・・。
被害者意識が攻撃的に表現される背景には、相手に腹を立てても「あなたが嫌い」といこと直接言えないことが挙げられるという。
常に自分を弱い立場に置き、相手に依存しているのだ。
こうした心の動きを理解し現実に向き合うことが、前向きに生きる道を開くと著者は語る。
セクハラ・いじめ自殺
想うに、自殺するくらいなら職場を辞めたり、学校へ行くのを止めることが出来なかったのか?
つまり、逃げることだ。
昔から、逃げるが勝ちと言われている。
自殺するくらいなら、逃亡者となるのだ!
自殺を回避する知恵がなさ過ぎるのでは?
勇気こそ、幸福、生存へ人を賢く導く。
人は賢くないと詐欺被害にも遭うだろう。


役に立たぬ教養を切り捨てる大学

2015年07月26日 12時56分17秒 | 社会・文化・政治・経済
「戦後70年夏」反知性主義を考える
この際、文系学部だけでなく、私たちの未来に必要な「知」とは何か、議論を深める必要があるだろう。
毎日新聞「記者の目」「戦後70年夏」反知性主義を考える
東京学芸部鈴木英生さん
地位や思想的立場を問わず広がる、決めつけや短絡の目立つ思想・姿勢を示す。
そこには「自分こそ正しい」「批判は受け付けない」といった雰囲気が漂う。
そうした背景には、効率よく即効性のある知的能力を「役に立つ」として、立ち止まり沈思思考するような知性を「役に立たない」とする空気があると感じる。
「自分は知らないことがあると認めるところから、人は成長が始まる。
反知性主義は、頭の回転の速さや知識量とは無関係です」京都精華大学専任講師・白井聡さん
今の大学に求められる役割とは。
社会のためにどう「役に立つ」存在であるべきか。
「てめい、さしずめインテリだな」-。
映画「男はつらいよ」の寅次郎はこう言い放った。
大学出の「知性主義」には権威と権力はあっても、庶民の知恵のようなものが欠落していると腐したのだ。
今こそ、知能ばかり重んじる「反知性主義」の「インテリ」に対して同じセリフをぶつける時ではないか。
そこに文系学部の将来を考えるヒントが隠れていると思う。

彼らの表情を見てください

2015年07月26日 09時37分04秒 | 社会・文化・政治・経済
「カザ 戦争しか知らないこどもたち」清田明宏著
国連パレスチナ難民救済事業機関職員としてパレスチナ難民のヘルスケアに携わる清田さんが報告した写真絵本。
彼らの表情を見てください。6歳以上の子どもはみんな3回以上戦争体験がある。
それが子どもの心にどれほどの傷を負わせているかを私たちは想像する必要があります。
戦争を始めるのは大人なのに、子どもは必ず巻き込まれます。
それが戦争の顔です。
戦争は自然災害と違い人間によって引き起こされるものです。
だから、巻き込まれる可能性を高める愚かさを招かないように努めることは大人の責務であり、矜持なのです。児童文学作家・ひこ・田中さん

道徳と正義と権力が一緒になってのしかかる怖さ

2015年07月26日 09時05分11秒 | 社会・文化・政治・経済
哲学者・評論家・鶴見俊輔
戦後思想を先導
15歳で渡米し、1942年、ハーバード大学哲学科卒。
日米開戦後、米当局にアナキスト(無政府主義者)の容疑で逮捕されるが、同年に日米交換船で帰国した。
父は、政治家元厚生大臣、母方の祖父は、南満州鉄道の初代総裁で外務大臣なども歴任した後藤新平。
戦後1946年、政治思想家の丸山眞男らと「思想の科学」を創刊(1996年休刊)。
1954に東京工業大学助教授になるが、1960年、安保改定強行採決に抗議し辞任。
1961年に同志社大学教授になったが1970年、学園紛争での機動隊導入に抗議し再び職を辞した。
1965年に作家の小田実らと「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)を結成。
米国のベトナム侵攻に抗議した。
2004年6月には、憲法第9条を守る「九条の会」の呼びかけ人(9人)に名を連ねた。
「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」
背景には後藤新平の娘であった母親との激しい葛藤があったという。
鶴見さんは幼少期から「虐待」近い異常なしつけを受けてきた。
「母との体験は大切なことを教えてくれた。軍国主義が出てきた時はっきり分かった。道徳と正義と権力が一緒になってのしかかる怖さ。共産主義やスターリンも同じだ」
「彼は知っている。しかし、自分が知っているということを知らない。彼を ゆりおこせ」
鶴見さんの詩の一節である。
自ら問うことを決して忘れてはいけない。

自然は最良の教師

2015年07月26日 08時26分43秒 | 社会・文化・政治・経済
自然との対話は主に眼を通して行うものだ。
自然には美しい色彩がある。
しかし、眼を鍛えることによって私たちは、単に色彩を見るだけでなく、その生命の声を聴き、匂いを感じとることができるようになる。
心理学で言う「共感覚」
眼から入った刺激が、他の感覚を深く誘発していくのです。
その時、肉眼から心眼への眼の質の転換が果たされるのです。
それは、研ぎ澄まされた感覚をもって、対象を一心に見つめた時に得られる気付きであり、境地である。
自然との対話は、そうした「共感覚」を高め、深い気付きへと私たちをいざなう、貴重な機会となるのだ。
私自身、自然との対話は、内なる眼を磨くための哲学の実践と考えている。
アメリカ実践哲学協会会長 ルー・マリノフさん



















相思相愛の恋愛

2015年07月26日 06時44分58秒 | 創作欄
高校生の間では、徹と百合子の恋愛は理想のカップルと想われ、同窓生たちの衆目、憧れの対象のカップルでさえあった。
校内1のイケメンと美女の恋愛は、映画に描かれた物語さえ連想させた。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の恋物語は、形を変えてアメリカ映画の「ウエストサイド物語」にも再現された。
世代は違っていたが、徹と百合子の恋の世界は「ウエストサイド物語」を連想させた。
徹の父親はヤクザであり、百合子の父もヤクザで、新たに開発された土地と公共事業の利権を巡り対立し、抗争問題に発展したのだ。
その抗争問題は、徹と百合子の恋の世界に大きな影を及ぼした。
最初のきっかけは、百合子の兄が徹の父親の運転手兼用心棒であった多田勝則に射殺されたことだった。
報復として徹の父親の義弟が取手競輪の帰りに、駐車場で射殺された。
ヤクザの世界は理不尽である。