アプリ限定 2024/03/26 (火) 18:00 68
2024年はS班から陥落しての戦いという1年になった郡司浩平だったが、2月岐阜競輪「全日本選抜競輪(GI)」を優勝して、来年のS班復帰を即座に決めた。元競輪選手でもある浩平の父・郡司盛夫(引退=50期)は、息子・浩平を、競輪選手・浩平をどう見ているのか。2部作でお届けする前編では、“師匠として”の目線から見た郡司浩平の姿を語ってもらった。(取材・構成:netkeirin編集部)
「自分のスタイルはしっかりしろ」と教えた師匠からの言葉
ーー師匠という立場から見た「競輪選手・郡司浩平」
郡司盛夫(以下:盛夫) 僕の立場としては『S級までさせる』というのが使命だと思ってました。合格するまでは相当厳しい練習をさせたんですが、デビューしてからは本人に任せて。レースが終わってからのポイントくらいしか話してないんです。本当にコツコツ、特進したわけでもなく、積み重ねで今の地位に行ったんだと思っています。
ーーどんなアドバイスをすることが多かったですか?
盛夫 脚力的にある方じゃなかったので、「バックだけは取りなさい」と。ラインは大切なんだけど、自分が先手を取れないとか競走にならないとしようがない。「自分のスタイルはしっかりしなさい」と教えましたね。
ーー後ろの選手が優勝することが多かったこともありますが…
盛夫 S級に上がってからは自分の意志でやってましたね。あそこまで点数が上がってきたのに、そこまでする必要ないかなっていうのもありました。お客さんのバッシングも結構あって、「印ついているのになんであそこまでするんだ」って僕のところ(ガイダンスコーナー)に言いに来られたりしました(苦笑)
S班陥落が決まった時も穏やかだった郡司浩平の姿
ーー浩平選手は、新人時代と今は性格は変わりましたか?
盛夫 変わらないって言えば変わりませんね。昔から黙々とコツコツやるタイプです。
ーーピリピリとかしないですか?
盛夫 去年、S班陥落が決まった時も全くなかったです。自分のやったこと、結果がすべてだからしょうがないや、と。12月は「KEIRINグランプリ」に乗れても乗れなくても、リフレッシュと脚力の上積みをやりたいと話していました。それで「ウィナーズカップ(GII)」出場に届かなかったけど、本人が決めたこと。それが今年、歯車があって成績がよくなりましたし。
ーー松井宏佑の後ろで番手の仕事に徹した、競輪祭の準決勝の走りはどう見てましたか?
盛夫 あの時は僕もお客さんから言われました。どうだったんだと聞いたら、「番手に付いたら番手の仕事をして、最後は眞杉(匠)に踏み負けたからしょうがない。脚力があれば仕事をしても3着には入っていただろう」とサバサバしていたし、自分の軸はブレていませんでした。
ーーグランプリがかかっているぞ!という一戦でも!?
盛夫 あの辺は、お客さんからも言われたけど、でも浩平らしいレースで、これからもスタイルを築いていく面で番手を回った時はこういう風にやると。いない時は平原康多じゃないけどオールラウンダーを目指して、ね。
ーー12月は「親父、旅行に連れて行ってやるぞ」とかはありましたか?
盛夫 僕も僕で忙しくて。まぁ、前もって言ってくれればね(笑)。でも、なんか、恥ずかしいんじゃない。へへへ。
特別の優勝を獲るには実力だけじゃない
ーー全日本選抜の決勝はどう見ていましたか?
盛夫 北井(佑季)の調子が良かったので、狙われる位置かなと見てました。でも清水(裕友)も、来るかな、と思ったら、清水も好調だったので引いてくれましたね。あそこは運が良かったと思う。あとは…初日、2日目のレースとか。去年は特別競輪での流れがあまりにも悪すぎて。「流れを作らなきゃダメだよ」と話していたんです。特別の優勝を獲るには実力だけじゃなく、流れも必要だと思うんです。そこを自分で持ってこられるように。
ーー優勝後の連絡はしましたか?
盛夫「おめでとう」ってラインを打ったら「ありがとう」って。まあ、みんなからたくさんあったと思うんでね。
ーー「S班戻れたよ」とかは?
盛夫 なかったね。それで、女房が「食事連れて行ってあげるわよ」と近くのお寿司屋さんに行ってみんなでお祝いしたよ。払ったのはもちろん、こちら! 活躍して賞金も稼いでいて、女房とかは「ごちそうになろう」っていう気は昔は満々だったんだけど(笑)。でも、それは違うだろう、と。お祝いをしてあげなきゃいけないんだから。
ーー祝賀会の席では深く飲んだりしましたか?
盛夫 いや、浩平も車で来ていたのでノンアルを少し飲んで、そこまで深い話はせずにね。僕は普通に飲んで。S班にまたなって良かったねって。でも川崎の「全日本選抜競輪(GI)」の時と一緒で早めにグランプリ出場を決められたので、この後、グランプリまでどういう風に持っていくか、とか。1班だからFIも走るし、脚力を作るにしてもしっかりやっていかないと、と。出走本数もありますし。
郡司浩平の前で頑張りたいという南関ムード
ーー8月には平塚のオールスターがありますが…
盛夫 みんな獲りたいのは「ダービー(日本選手権競輪・GI)」と「オールスター競輪(GI)」だと思うんです。でも北井もいるし、松井も和田真久留もいて、彼らのホームバンク。誰かが優勝できる状態に持っていければ一番いいのかな。お客さんは、そこを目指して、と言うけど。自分の役割を全うしてほしい。
ーー南関には郡司浩平の前で頑張りたい、というムードも出てきていますが。
盛夫 浩平が自分で引っ張ってきたというのを、昔の人たちも言ってくれているんだと思う。北井が上に上がってきているけど、まあこれは師匠(高木隆弘)が言うことなんだけど、今のスタイルを貫いて、ね。勝ちたい、獲りたい、って思うとどこかで先行争いできなかったり、引いてまくりになったりすると、今の流れが崩れちゃう。
松井はスタイルを変えているけど、ナショナルチームの時から力は抜群にあるし、今の形で頑張ってほしい。浩平は番手で競りになることも出てくるかもしれないけど、そこで優勝を獲れれば、自分の仕事をしての優勝なんで一番いいことだと思う。
デビュー1週間前に「コノヤロー!」と入れた蹴り
ーー郡司浩平の競輪選手としての才能は?
盛夫 センスはいいね。追い込みのどうのこうのじゃないけど、危ないくらい車輪ギリギリのところでも走れる。教えたわけじゃないし、生まれ持って恐怖感もないんだと思う。
怖いんですよ。僕も選手辞めたら、ピッタリ付くことはできなくなった。空いちゃうんです。辞めるって決めた選手が、口が空いて離れていっちゃうでしょう。怖くてピッタリ付けなくなるんです。選手辞めてガイダンスにいてレースを見ていると、「選手ってすごいよな」って思いますもん(笑)。脚が浮いているところで自転車に乗っていてそこで競ったりしているんですよ。あれは絶対にできない。今まですげえことやってきたんだな…。
ーー盛夫さんは長い現役生活を送りましたが…
盛夫 昔話したことあるんですが、「選手終わったらどうするんだよ?」と。浩平は「太く短くやりたいって」とそういう感じだった。「親父みたいに長くやることは考えてない」って。先のことも考えないといけないんだけど、今に集中してるのかな。競輪の方がおろそかにならないように、みたいな感じ。関根(幸夫、引退=59期)んとこにも聞いたことあるんだけど、健太郎は「僕はマッサージで…」どうのこうの言ってたね(笑)。
ーー師匠として気を付けたことは?
盛夫 怒鳴りつけて怒るとかはなかったね。今の人たちには良くないし。石井毅や山田慎一郎の時は厳しくやったけど。今の子たちには、そんなには言わない。練習じゃない私生活とかは厳しく言うかな。
浩平のデビュー前の話で、花月園競輪場が終わっちゃった時。午前中にバーベキューやって、夕方からウチのグループ(泉野門下)で飲み会があって浩平も来たんだけど。その後また「クラブに行く」って。もうデビューまで1週間くらいしかないんですよ。もう、やめろっつって。そしたらもう、むくれちゃって。みんないっぱいいる五番街のところで蹴り入れて「コノヤロー!」って。そこから仕方な〜くずっと電車乗ると、ついてきた。五番街の橋の所だよ(笑)。
ーー最後に今年に期待していることはありますか?
盛夫 師匠としてはS班復帰と思っていて、すぐに決めてくれましたね。でも自分のレースを貫いて結果が出る出ない、でやってくれればいいなと。ケガをしないように走ってもらえるのが一番だから。あとはダメなら本人が努力するだろうし、上には上がいるので、そこを目指すだろうと。
後編では父・郡司盛夫から見た郡司浩平選手の姿をお届けします。
2023年4月4日(木)公開予定です。
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