「世界一安全な都市」は東京=大阪も3位、英誌ランキング

2019年08月31日 12時07分41秒 | 社会・文化・政治・経済

【ロンドン時事】英誌エコノミストの調査部門が29日、世界の主要都市の安全性を指数化したランキングを公表し、東京が首位となった。調査は2015年から2年に1度行われており、首位は3回連続。大阪も3位に入り、日本の都市が上位を占めた。

東京は凶悪・軽犯罪の発生率の低さに加え、自然災害に対する防災インフラやコンピューターのウイルス感染率の低さなどでも高い評価を得た。
 調査は世界の60都市が対象で、日本からは東京・大阪の2都市が選ばれた。治安やインフラ、医療・健康環境、サイバーセキュリティーの4分野で、計57の指標に基づいて比較した。
 他の上位では、2位はシンガポール、4位がアムステルダム(オランダ)、5位にシドニー(オーストラリア)が続いた。
 ロンドン(英国)は14位、ニューヨーク(米国)が15位。ソウル(韓国)は8位、北京(中国)は31位だった。

 時事ドットコム


芙蓉の人

2019年08月31日 11時45分39秒 | 社会・文化・政治・経済

新田 次郎  (著)

内容紹介

『芙蓉の人〜富士山頂の妻』は、新田次郎の小説、並びにそれを原作としたテレビドラマの作品である。
明治25年(1892年)、日本の気象予報を正確に把握するために、富士山の山頂に観測所を設置しようと、野中到は富士山に登頂し、冬の寒さに耐えながら気象観測に力を尽くす。この物語は到と、彼と行動を共にした夫人・千代子との夫婦愛と、気象観測に情熱を注いだ人生を描いたノンフィクションである。

NHKドラマ化、決定!

天気予報を正確にするには富士山の観測所が必要だと厳冬の山頂に籠もる野中到と命がけで夫と行を共にした妻千代子の夫婦愛を描く。

内容(「BOOK」データベースより)

時は明治28年である。正確な天気予報をするためには、どうしても富士山頂に恒久的な気象観測所を設けなければならない。そのために野中到は命を賭けて、冬の富士山に登り、観測小屋に篭った。一人での観測は無理だという判断と夫への愛情から、妻・千代子は後を追って富士山頂に登る。明治女性の感動的な物語がここにある。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

新田/次郎
明治45(1912)年長野県生まれ。無線電信講習所(現在電気通信大学)卒業。昭和31(1956)年「強力伝」にて第34回直木賞受賞。41年永年勤続した気象庁を退職。49年「武田信玄」などの作品により第8回吉川英治文学賞受賞。55年2月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



新田 次郎  (著)


君の夢は君しか持てない

2019年08月31日 11時08分56秒 | 社会・文化・政治・経済

▽苦難があって初めて我々の善は実となる-ヒルティ
激闘が若人の人格を磨く。
▽わが胸中に希望の未来を
<なりたい自分>を
自由自在に描き出そう!
▽君の夢は君しか持てない。
▽無知であればあるほど可能性を秘めている。
▽挑戦をためらわず、行動する。
その結果、たとえ失敗したとしても、それを良い経験とし、次の挑戦に生かせばいい。その時、失敗は失敗ではなくなる。
▽人生の多くを決定づけるものは、若き日の誓いであり、使命の自覚である。
それは、自身の無限の可能性を開く力となる。


引退か移籍か。阪神の鳥谷への「今年で辞めて下さい」“引退勧告”は暗黒史を彷彿させる不手際

2019年08月31日 10時28分34秒 | 野球

8/31(土) THE PAGE
球団から引退勧告を受けた鳥谷の選択肢は引退か、移籍かの2つに絞られた。球団の不手際に暗黒史復活の嫌なムードが(写真・黒田史夫)
阪神の鳥谷敬(38)が29日に球団から“引退勧告”を受けていたことが30日、明らかになった。関係者の話によると甲子園球場内で鳥谷との会談に臨んだ揚塩球団社長が、「今年で辞めて下さい」と引退を勧告、来季の戦力外であることを伝えた。鳥谷は返事を保留したが、今後の選択肢は、引退か、他球団移籍か、の二社選択となった。鳥谷は、クライマックスシリーズ進出を狙うチームの戦力としてベンチ入りしながら大事な野球人生の問題を考えねばならない状況に追い込まれた。5年の大型契約の最終年、今季の打率.208、打点ゼロの成績を考慮すると年俸とのバランスから戦力外は致し方のない判断かもしれない。だが、阪神で16年プレーした生え抜きの功労者に対し何の“根回し”もなくいきなりの“引退勧告”という球団の手順は間違っている。かつて暗黒時代と呼ばれた1980年後半から1990年代にかけて球団フロントの不手際でスター選手の去就を巡ってトラブルが起きるケースが目立ったが、悲劇が再燃しようとしている。

「今年で辞めて下さい」
 忘却の彼方にあった阪神の暗黒史が蘇ったかのようだ。球団は、結果的には雨天中止となった29日の中日戦前の甲子園球場内で鳥谷と会談の席を持った。球団からは、揚塩社長、谷本副社長兼本部長、嶌村副本部長のフロント幹部3人が出席。揚塩社長が「今年で辞めて下さい」と、生え抜きの看板スターとして阪神で16年間プレーし、通算2000本安打、NPB歴代2位となる連続試合出場記録を作った功労者に対して、何のリスペクトもないストレートな言葉で、事実上の戦力外通告となる“引退勧告”を行ったという。

 おそらく鳥谷は驚いただろう。当然、その場での返事は保留した。
 これが「自分で出処進退を決めることができる数少ない選手への丁寧な対応」なのだろうか。
 しかも、この事実を引退勧告、戦力外通告として日刊スポーツにスクープされた。マスコミ多数の阪神や巨人では、このような具体的なアクションを起こしてしまうと、当然、情報が洩れる。メディアは、あらゆる網を張って、必死にそれを探っているのだから表に出るのは致し方ないこととは言え、あまりに無防備。
 勝負の世界ゆえ、結果と年俸が釣り合わない選手の戦力外にするのは当然の成り行きだが、問題は後手、後手を踏んでいる球団の姿勢と手順、そして、この会談を持ったタイミングだ。

 鳥谷が神宮での今季最終戦となる25日のヤクルト戦後に「これが最後になるかも」と発言したことで進退問題がクローズアップされた。谷本副社長は、敏速に対応し、鳥谷と今後について話し合いを持つことを公言したが、実際に行われたのは、話し合いではなく“引退勧告”。しかも、3位の広島と3ゲーム差でCS出場権を争う中で、伝統の巨人戦を前にして行った。
 なぜ今?というタイミングである。

 30日には、電鉄本社で役員会が開かれ、球団の定例報告が行われた。おそらくその役員会で鳥谷問題の現状を報告するために、このタイミングだったと思われる。
 鳥谷の心情もチーム事情も関係なかった。鳥谷の球歴に敬意を払うのならば、去就問題への対応は、もっと前の段階に行い、ソフトランディングすべきだったのだ。

 過去に阪神は大物スターの引き際にトラブルを繰り返してきた。1988年には、村山実監督に“不安分子”として扱われ、嫌われた掛布雅之氏が「個人の問題でこれ以上チームに迷惑をかけられない」と、突然、監督室を訪れ、村山監督に引退を報告し、自ら去就問題にピリオドを打った。球団サイドは「今後も遠征に帯同して全国の球場でプレーして引退の挨拶としてはどうか」と薦めたが、そのプランを断って「辞める人間が1軍にいてはおかしい」と自ら2軍落ちを求めて、引退試合として最終戦にスタメン出場した。
岡田彰布氏もマスコミへ戦力外をリークされる形で去就問題が起き、結局、「引退してスカウトをしなさい」と引退勧告された。岡田氏は、それを拒否、自由契約の道を選択しオリックスに移籍した。真弓明信氏も、球団サイドが引退試合を用意して引退勧告を行ったが、それを拒否。自由契約を選択したが、獲得する球団は現れず、1年後にフェイドアウトするかのように引退した。

 だが、近年は、これらの反省を下に看板スターの去り際のトラブルを避けるための処置が講じられていた。金本知憲氏や、桧山進次郎氏の引退に関しては、球団幹部が、早い段階から非公式に会談の席を持ち、球団の方針を伝え、「まだやれる。やりたい」という本人を地道に説得しながら引退の花道を作ってきた。事実上の戦力外だったが、そういう情報は一切表に出さずに“阿吽の呼吸”で、交渉、説得を進めてソフトランディングに成功させて綺麗な引退発表となっていた。

 これは何も阪神に限ったことではない。大物スターの引退のほとんどが事実上の戦力外だが、綺麗に引退舞台を作るのだ。この3月に辞めたイチロー氏が代表的な例だろう。数々の最年長記録を更新して50歳までプレーした山本昌氏も、51歳でのプレーを熱望していたが、実質は、水面下で肩を叩かれ、抵抗したが最終的には納得する形で自ら潔くユニホームを脱いだ。

 だが、今回は功労者の鳥谷に、そういう水面下のプロセスが一切ないまま、いきなり引退勧告を突きつけたのである。昨年オフの金本前監督の電撃解任劇の“裏舞台”も酷かったが、野球好きだった坂井オーナーから野球に詳しくない藤原オーナーに最高トップが交替。現場の実務の責任者も、経験のあった四藤社長から揚塩社長へ代わるなど、フロントの体勢が変わったことで、暗黒時代を改善してきたそれらのマネジメント手法も継承されなくなったのだろうか。
 そして、かねてから本社が経営上、鳥谷の5年20億円とも25億円とも言われた巨大契約を問題視していたという事情もある。
鳥谷は2016年に就任した金本前監督が強引に進めた世代交代によって出場チャンスを失って成績が急落。2017年には三塁でゴールデングラブ賞を獲得するなどV字回復を見せたが、昨年は「三塁・大山」の構想でポジションがなくなり再び成績が落ち、矢野監督が就任した今季は「ショートで勝負」を宣言したが、チャンスは若手に与えられた。鳥谷は、元々爆発力のある選手ではない。1シーズンを通じて結果を残し、チームに貢献するトータルプレーヤーである。3年連続で獲得した四球王や、最高出塁率のタイトルなどが、その典型。代打で戦力になるタイプではなく、出場機会がなくなればなくなるほど力は発揮できない。監督の采配に左右されたのは、鳥谷の悲運とも言えるが、その厳しい状況を実力で跳ねのけるだけの力がなくなっていたことも事実だろう。この成績では5年契約の年俸には釣り合わない。だが、年俸を中日に移籍した際の松坂大輔並みに大幅に下げて出来高制にするなど、鳥谷残留の方向もあっただろう。
 
 プロ野球は、もちろん契約社会である。そこに情が入り込む余地はない、というメジャー式の考え方はある。だが、ファンの支持があり、将来、監督、コーチになるべき幹部候補生には、それなりの手順、配慮が必要なのだ。まして鳥谷は、不満を口にすることなどなく、黙々と懸命にチームをバックアップしてきた。
 ビジネスライクに事を運ぶ日ハムでさえ、今季は開幕前に田中賢介の今季限りでの引退を発表。ラストイヤーに花を添えている。今回、阪神は明らかにやり方を間違ったのだ。

 では、鳥谷は、今後どうするのだろうか?
 鳥谷は、5年前にメジャー移籍を目指したが、悩んだ末、阪神への残留を選択した。その経緯があるだけに「将来、ユニホームを脱ぐときは阪神で」との決意があったとも聞く。だが、現在、鳥谷の心境は白紙になっているようだ。突然、呼び出され「今年で辞めて下さい」では、引退も、他球団移籍も何も考えられないだろう。

 移籍を選択した場合、鳥谷の野球へ取り組む姿勢を高く評価しているロッテの井口監督が声をかけるだろう。中日、オリックスなど他球団が獲得を検討する可能性も十分にある。明らかに「振れない、走れない、守れない」という限界を迎えたわけではない。球界屈指の豊富な練習量に支えられ38歳とは思えないパフォーマンスを維持している。
 
 この日の巨人戦で8回、鳥谷はネクストバッターズサークルにいた。だが、9番に打順が回ってこず、9回、巨人が左腕の中川をマウンドに送ったことで、先頭の代打は右打者の俊介となり鳥谷に出番は回ってこなかった。「温情采配か」と物議を呼んだが、28日の中日戦で矢野監督は7回二死二、三塁で梅野に代えて鳥谷を送った。
 大山が、初めてスタメンを外れ、もう内野に“聖域”がなくなった今、「鳥谷・三塁」、「鳥谷・ショート」のスタメン起用のチャンスも出てくるかもしれないが、“引退勧告”を受けた鳥谷は、これから、どんな気持ちでグラウンドに立ち続けばいいのだろうか。

(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)

 

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【阪神】鳥谷獲得へロッテ、中日など複数球団で争奪戦の可能性も

2019年08月31日 10時23分29秒 | 野球

8/31(土) スポーチ報知

 阪神・鳥谷敬内野手(38)が今季限りで退団することが30日、決定的となった。

 今後の動向が注目される中、29日に球団側と会談。関係者の話を総合すると、来季構想外の方針を通達されたとみられる。今季は本塁打、打点とも0と苦しいシーズンを送っているが、通算2082安打の実績は十分。正式に退団が決まれば、複数球団が獲得に乗り出す可能性が高い。

【写真】鳥谷敬に水をかけようとナインが追いかける

 鳥谷については複数球団が関心を示すことになりそうだ。ロッテは井口監督が現役時代に合同自主トレを継続して行うなど、師弟関係ともいえる間柄で、人間性や練習に取り組む姿勢などを熟知。来季で39歳を迎えるベテランが、若手の多いチームの手本としても期待は高そうだ。

 また、同一リーグの中日はこの日、球団関係者が「(4億円の)年俸がネックになるが」と前置きした上で「手薄な代打として、あれだけの経験も魅力的。もしそう(退団)なれば、調査する可能性はある」と語った。低迷の続く沈むチームに、大きな刺激を与えるのは間違いなさそう。退団が正式に決まれば、争奪戦に発展する可能性もありそうだ。


阪神・揚塩社長、鳥谷に引退勧告していた「ユニホーム脱いでください」

2019年08月31日 10時20分24秒 | 野球

 (セ・リーグ、阪神1-4巨人、20回戦、巨人14勝6敗、30日、甲子園)ユニホーム脱いで-。阪神が、今季5年契約最終年の鳥谷敬内野手(38)に引退勧告をしていたことが30日、分かった。前日29日に球団幹部が鳥谷と直接会談し、揚塩健治球団社長(58)が「ユニホームを脱いでください」と勧告。この日、大阪・野田の電鉄本社で行われた藤原崇起オーナー(67)=電鉄本社会長=への定例オーナー報告会で“了承”された。タテジマ一筋16年の功労者を来季構想外にして、タイガースが生まれ変わる。

【写真】ネクストバッターズサークルからベンチに戻る鳥谷

 結論から伝えた。タテジマ一筋16年。チームのために身を粉にしてくれた鳥谷に対し、球団はついにボールを投げた。前日29日午前にクラブハウスで行われた球団首脳3人と鳥谷の緊急会談。冒頭、揚塩球団社長は単刀直入だった。

 「鳥谷くん、ユニホームを脱いでください」

 普段なら試合へ向けた準備を行う時間に呼び出され、背広組と向かい合った。“このひと言”で確実に、誰よりも多い通算2082安打を放ってきた男の来季の居場所は、阪神ではなくなった。今季で、虎で、引退してくれという「勧告」に違いなかった。

 一夜明けたこの日午前、自身も会談に同席した谷本球団副社長は「話し合いの場を持ったのは事実です。昨日(29日)の午前中。あれだけのレジェンドプレーヤーですので丁寧にやらないといけないので」と明かした。だが、具体的な内容について問われると「本来は自分で出処進退を決められる数少ないプレーヤー。そこは本人が決める話ですし、話し合いの中身については、今の段階でみなさんにしゃべるべきではないと思います」と明言を避けた。

 ボールは投げた。あとは、鳥谷自身が決めること。「答えはまだ。まだ全然出てないです」とも語った。レジェンドであり、球団の宝といえる男の進退問題だけに、大阪・野田でこの日行われた定例のオーナー報告では球団幹部から藤原オーナーへの報告も行われ、“了承”を得たもようだ。

 チームは今季も、クライマックスシリーズ(CS)進出へ一歩も引けない状況。今まさに過渡期に差しかかっており、若返りは急務だ。鳥谷が今季残してきた打率・208、0本塁打、0打点という数字が、得点圏で40打席連続適時打なしという事実が、重すぎた。2004年に虎入りし、全試合遊撃出場で05年のリーグ優勝に貢献し、歴代2位の1939試合連続出場の記録も打ち立ててきた大功労者に違いないが、ここで断を下さざるを得なかった。

 球団からのボールを受け止めた鳥谷は、午前11時半から室内練習場で打撃練習を行い、いつもと変わらぬ調子で黙々と汗を流した。全体練習後に報道陣に囲まれると、立ち止まって口を開いた。

 「昨日会って話をして、球団がどう考えているのかっていうのは聞きましたし。自分がどうするのかっていうのはまだ全然考えていないですけど。内容についてはね、自分は言われた方なので、自分が言うことじゃないので」

 八回にはネクストバッターズサークルに向かった。しかし、最後まで出番なし。チームも1点止まりで巨人に5連敗を喫した。残り22試合、決断が迫られるタテジマ生活。2020年へ大きく舵を切る矢野虎に、鳥谷の姿はない。


全国こども食堂支援センター・むすびえ

2019年08月31日 07時24分07秒 | 社会・文化・政治・経済

むすびえは、「こども食堂の支援を通じて、誰も取りこぼさない社会をつくる。」というビジョンをかかげ、全国に広がるこども食堂への支援を各地域ネットワーク団体を通じて届ける団体。また、合わせて調査研究事業を行うことで、社会の空気づくり、啓発などを行っている。

ミッションは、「こども食堂が全国のどこにでもあり、みんなが安心して行ける場所となるよう環境を整えます。」「こども食堂を通じて、多くの人たちが未来をつくる社会活動に参加できるようにします。」

初代理事長は社会活動家の湯浅誠。理事は、釜池雄高、藤田淑子がつとめている。釜池雄高は、こども食堂ネットワークの事務局も担う。その他、有償スタッフおよびボランティアにて構成されており、活動資金の多くは一般個人・非営利組織・企業からの寄付で賄われている。

東京おもちゃ美術館との協働プロジェクト「食べる 遊ぶ 笑うこども食堂」のスタートも発表した。

現在、全国に3718か所の子ども食堂がある。

訪れた人数は推計で延べ約160万人にも上る。

 
 
子ども食堂の様子
子ども食堂の様子

各地域のこども食堂、こども食堂を支援する中間支援団体の支援をしています。具体的には、こども食堂の立ちあげ、ネットワーク、必要な物資の支援、行政との連携支援などや、企業・団体等と協働してこども食堂の安心・安全を高める活動や、子どもたちにさまざまな体験を届けられるプログラムを提供していきます。それに加え、こども食堂に対する地域・社会の理解を広げるため、また適切な制度・政策の実現のために、調査・研究を実施をしていきます。
今回のプロジェクトでは、地域の小規模な子ども食堂が企業から協力を得にくいという課題に対して、企業からの支援獲得、企業との連携事業を推進していくために、むすびえの取り組みを企業に向けて紹介するビデオを作成します。


韓国軍の蛮行伝える「ライダイハン像」 文政権はどう応える

2019年08月31日 06時45分30秒 | 社会・文化・政治・経済

韓国軍が数千人ベトナム女性を強姦し、慰安婦にしていた

2019/06/30 

msn.com

韓国政府がこれまで認めてこなかった「ベトナム戦争での加害」が、にわかにクローズアップされている。イギリスで、韓国軍による性暴力被害者を象徴する「ライダイハンの母子像」が制作され、全世界に公開されたのだ。ベトナム戦争時の虐殺事件や混血児「ライダイハン」の取材を続けるフォトジャーナリストの村山康文氏が報告する。

 * * *

 韓国はベトナム戦争時、米軍に次ぐ延べ32万人超の兵士を投入し、その間、ベトナム中部のあちこちで虐殺事件を起こした(韓国軍の派兵は1965年10月~1973年3月)。虐殺事件の現場は100か所以上、被害者数は最大3万人という調査結果もある。

 韓国軍はさらに、現地の婦女を強姦し、あるいは売春婦を妊娠させ、多くの「ライダイハン(韓国人男性とベトナム人女性の混血児)」が生まれた。その数は最小1500人(朝日新聞1995年5月2日付)から最大3万人(韓国「釜山日報」2004年9月18日付)と推定されている。私自身、これまで10年以上にわたり取材を続けているが、未だにその全容は明らかにできていない。

 だが、ベトナム戦争後、韓国の歴代政権はそうした「加害の歴史」に向き合うことはなかった。特に近年は、韓国政府に謝罪や補償を求めるベトナム国内の動きを、韓国との経済関係を重視するベトナム政府自身が押さえ付けてもいる。

 そうした中、イギリスで設立された民間団体「ライダイハンのための正義」が、6月11日、ロンドンの集会で「ライダイハンの母子像」を公開した。母子像は、同団体のメンバーでもある英国人彫刻家が制作した高さ230センチのブロンズ像で、ライダイハンとその母親、すべての性暴力被害者を象徴するものだという。

 集会には、イスラム教過激派組織「イスラム国」の性暴力を告発し2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんや、英国の元外相で同団体の「国際大使」を務めるジャック・ストロー氏らが参加。韓国政府がベトナム戦争中に犯した性暴力を認め、実態調査を行なうようアピールした。

 さらに同団体は、ライダイハンで作家のチャン・ダイ・ニャットさんとその母親チャン・ティ・ガイさん、同じくライダイハンの母親であるヴォー・ティ・マイ・ディンさんの3人の連名で、文在寅韓国大統領宛ての公開書簡を送ったという。韓国政府に、国連人権理事会による調査への協力と、ライダイハンと韓国軍兵士の親子関係を調べるDNA鑑定に応じることなどを求めている。

 長年取材してきた「ライダイハン問題」が英国で大きな動きを見せるとは正直予想していなかったが、韓国・ベトナム両政府が真実の歴史に蓋をする中で、一石を投じた同団体の活動をまずは賞賛したい。

 筆者は2009年から、前述の公開書簡の差出人の一人、マイ・ディンさんをベトナムに訪ね、ライダイハンである息子ヴォー・スアン・ヴィンさん同席の上、数度にわたって話を聞いたことがある。ベトナム戦争時、駐留していた韓国軍の基地内の食堂でメイドとして働いていたマイ・ディンさんは、20歳のころに職場で韓国軍兵士に輪姦され、ヴィンさんを身ごもった。

 取材当時、マイ・ディンさんは息子を前にして「あの頃のことは思い出したくない」と多くを語らなかったものだが、一方で息子のヴィンさんは「(韓国人の)お父さんに会いたい」と呟いていた。

 マイ・ディンさんは、自身が年を重ねるうちに心境が変わり、ライダイハンである息子の思いに応えようとしたのだろうか。英国の団体の活動に参加することで、50年前に経験した恐怖と屈辱の記憶に向き合っている。

 ベトナム現地の受け止めはどうか。ベトナム有力紙の元記者で、現在はフリーライターのチャン・クアン・ティさんに話を聞いた。

「ロンドンの民間団体がライダイハンの支援活動をしているとは聞いていましたが、今回の件はベトナムでは報道されておらず、知りませんでした。ライダイハン自身が声を上げ、韓国兵に対して責任を要求することは、非常に意味のある行動だと思います」

 ティさん自身はベトナム戦争終結後の1977年生まれだが、幼少期に祖父母から韓国軍の荒々しい殺戮行為を聞いて育ったという。かつて、筆者の取材にこう答えていた。

「村に攻め入ってきた韓国軍兵士の一人をベトコンが撃つと、韓国軍は大声で泣いて狂乱し、罪もない村人全員を殺戮し、村を壊滅させた。韓国兵がみな虐殺を行なうわけではないが、仲間が殺されると韓国兵は半狂乱になり、民間人虐殺を繰り返す。そんなふうに祖父母から聞いていました」(2016年9月のインタビュー時の発言)

 ティさんは、ライダイハンをはじめとするベトナム生まれの混血児(米兵とアジア人女性の間に生まれた「アメラジアン」など)は「みな劣等感と差別に苦しんだ人生だった」と指摘する。

「ベトナム戦争の際に生まれた混血児の多くは、愛の結晶ではなく性暴力によるもの。そのため劣等感を抱いて育っています。私は、韓国がライダイハンを認めることは、ベトナムで行なった“憎悪の歴史”を認めることだと思います。ベトナム戦争中、韓国兵がベトナムで行なったことが文政権下で真剣に受け止められ、補償が行なわれることを心から願います」(ティさん)

 文在寅大統領は、ライダイハンとその母親らの声に、どう応えるのだろうか。

【プロフィール】むらやま・やすふみ/1968年、兵庫県生まれ。立命館大学中退後、フォトジャーナリストとして主にベトナム問題を取材。


ハナミズキのみち

2019年08月30日 22時42分12秒 | 社会・文化・政治・経済
ハナミズキのみち

文: 淺沼 ミキ子
絵: 黒井 健
出版社: 金の星社

 

ハナミズキのみち

 

出版社からの紹介
わすれない 3.11 いのちの道をつなげたい
NHKニュースウォッチ9紹介で話題に
東日本大震災の津波でわが子を亡くした母の切なる思いが一冊の絵本に

 

東日本大震災で家族との思い出がつまった海に命を奪われた少年。悲しみに暮れる母に少年の祈りの声が届く。みんなが二度と悲しまないように避難路にハナミズキを植えてと。復興を願い、命のつながりを祈る絵本。

 

絵本を通して伝わる想い

 

小学校高学年、および中学生に向けて紹介しました。

 

東日本大震災から、3年。
日々の生活とともに、子どもたちはもちろんおとなである私たちも
薄れゆく記憶。

 

そんななかで、この絵本は、命とは、生きるとは、悲しみとは、苦しみとは、そして乗り終えるとは・・・
寄り添うように伝えてくれているように思います。

 

生まれ育った大好きな町、ふるさとを守るために
津波から逃れる避難路に沿って、ハナミズキの木を植えてほしい。

 

淺沼さん親子の想いや願いは、
絵本を通して子どもたちの心に響いたように感じました。
(ゆきぽんずさん 40代・ママ 女の子10歳、男の子6歳)

小学校高学年、および中学生に向けて紹介しました。

東日本大震災から、3年。
日々の生活とともに、子どもたちはもちろんおとなである私たちも
薄れゆく記憶。
そんななかで、この絵本は、命とは、生きるとは、悲しみとは、苦しみとは、そして乗り終えるとは・・・
寄り添うように伝えてくれているように思います。
生まれ育った大好きな町、ふるさとを守るために
津波から逃れる避難路に沿って、ハナミズキの木を植えてほしい。
淺沼さん親子の想いや願いは、
絵本を通して子どもたちの心に響いたように感じました。

黒井健さんの挿絵が、文章のイメージにとてもあっていて、よかったです。
何より印象的だったのは、当時、テレビの映像でも何度も映し出されていた震災後、あの津波を乗り越え立ったいた「一本松」のシーンでした。
この絵本の見返しの部分にもモノトーンで描かれている一本松がありますが、そちらも心に残る情景でした。

読めばわかると思いますが、この作品はあの東日本大震災の津波で、ご子息を亡くされた方が書いています。
悲しみもたくさん伝わってきますが、生前の息子さんの思いを胸に、一生懸命前に動き出そうとされているのが感じられまました。

とても素晴らしい作品だと思う半面、この作品をただ「素晴しい」という理由で、何かの伝道書のように子どもたちに読み聞かせるのはちょっと嫌だな~と、思い、評価は微妙な☆四つにしてしまいました。

この本を子どもたちに手渡すなら、私なら読み聞かせよりもブックトークを選びそうです。
他の震災に関連の書籍と一緒に、小学校高学年くらいのお子さんたちから聞けるような内容でまとめておすすめしてみたいなと、思いました。

カバーにある著者紹介を読んで、思わず涙が出そうになりました。
絵本の中で語っているのは、あの大津波で亡くなった自分の息子さん。
亡くなる直前に会っていながら、その後の行動が生死を分けました。
浅沼さんのの無念はいかほどのものでしょうか。
悲しみを乗り越えるためにこの絵本はあるのでしょうか?
死んだものの願いとしてのハナミズキの道は、とてもシンボリックです。
息子さんがまだ少年だった頃の思い出を語りながら、浅沼さんが自分に 言い聞かせるように、同じ悲しみが繰り返されぬように、祈りを込めて語ったお話です。
黒井健さんが見事に語りを絵に写し変えています。


法に触れるパワハラ

2019年08月30日 22時40分33秒 | 社会・文化・政治・経済

ハラスメントは「組織の病」

~うつ病も組織で早期対応を~
パワハラ相談窓口にパワハラとは言えないようなものも含めて様々な相談が入ります。内容の程度に合わせてどのように対応したらよいか分類してみました。

<レベル1>は殴るなど暴力・脅迫などの刑法上の問題や、詐欺まがいの営業を強いるなど商法、税法上の違法行為など強要する問題です。誰が見ても問題があることは明らかで、放置すれば企業の存続にかかわるような事態を引き起こしかねません。こうした問題を見聞きしたり、自分が受けたりしたら無視したり我慢したりすることなく法令順守(コンプライアンス)上の問題としては早急に対処する必要があります。

通報者は公益通報者保護法によって、通報したことで不利になることがないように守られています。

<レベル2>は、気に入らないからと言って突然解雇するなど不当な解雇や不当な業務命令など労働法関係の問題です。それが違法かどうかは分かりにくいところですが、その事実があれば使用者(企業)は責任を免れません。同じ事実でもパートタイマーや派遣社員、契約社員などの雇用契約によっても解釈が変わってきます。人事部などと相談して対応を改善する必要があります。

<レベル3>はうつ病など社員が病気になった場合などで、「上司のハラスメントや職場環境の悪さが原因である」と、明らかに因果関係が証明されればやはり企業側の責任が問われます。以上3つのレベルは法律に抵触するので、「我が社ではその程度は教育として当たり前だ」という主張は通らないのです。部門の中で丸く収めようとするのではなく、組織の問題として明らかにし、改善していく必要があります。

<レベル4~6>はそれを黙認するか、改善するかはその会社ごとに基準が違い、放置した場合の損失の考え方も違ってくるので、各社に判断が任されるところです。

<レベル4>は加害者が何らかの悪意を持って行っている場合で自分の感情や自分の都合で相手を排除したり、攻撃したりする場合です。

<レベル5>は必ずしも悪意があるわけではなく、「おれについてこい」と上司も頑張りすぎて職場がピリピリしていたり、部下に対して過度な期待をしていたりする場合がこれにあたります。

<レベル6>は部下が上司の怒りを買うような行動ばかりするのでパワハラを受けてしまっているという場合です。4-6の場合でも段々とエスカレートして1や2へとエスカレートしていく可能性は十分にあります。

4―6については職場のマネジメントによって解決していく問題ですので具体的なケースごとに、対応を考える必要があります。

(株)クオレ・シー・キューブ 岡田 康子(2008)


日本型組織の病を考える

2019年08月30日 22時17分18秒 | 社会・文化・政治・経済
 

内容紹介

公文書改竄、セクハラからパワハラまで……繰り返す不祥事の本質は何か。

なぜ日本型組織では、同じような不祥事が何度も繰り返されるのか? 2009年に自身も「郵便不正事件」で検察による冤罪に巻き込まれた村木氏が、この病理に対して初めて口を開いた。


どうして、当時の検察は証拠を改竄しなければならなかったか? あの経験を踏まえ、頻発する公文書改竄やセクハラ、パワハラなど日本型組織の不祥事を「建前と本音」というキーワードで読み解いた時、何が見えてくるのか?


さらには、冤罪のち厚生労働事務次官まで務めたからこそ知ることのできた、硬直化した日本型組織を動かす「静かな改革」とは? 退官後も「若草プロジェクト」などで世直しを続ける村木氏が、諦めずにこの国を変えるために世に問うた渾身の書。


解説:猪熊律子氏(読売新聞東京本社編集委員)

〈内容例〉
2009年6月14日、まさかの「たいほ」/話をつまみ食いして作られる供述調書/フロッピーの記録から崩れた検察のストーリー/証人喚問で次々と明らかにされたでたらめ/まさか検事が証拠を改竄していたとは/勾留期間中、読み通した一五〇冊の本/あどけない少女たちが薬物に染まる悲劇/決裁文書の改竄は前代未聞の出来事/軌道修正できない組織の「共通点」/官僚は本当に「劣化」してしまったか/糾弾するだけでは問題は解決しない/「『連立方程式』を解く」のが公務員の仕事/「同質性」の弊害を打破する「他流試合」/公務員を「褒めて」伸ばせば市民も得をする/日本初の「セクハラ研究会」を作った理由/事務次官の仕事の要諦は人事と危機管理/「若草プロジェクト」が誕生したきっかけ/「公的支援はJKビジネスに負けている」/地域の中で更生する仕組みをどう作るか/「諦めない」ことが、日本を変える力になる……ほか

内容(「BOOK」データベースより)

財務省の公文書改竄から日大アメフト事件まで、なぜ同じような不祥事が繰り返されるのか?かつて検察による冤罪に巻き込まれ、その後、厚生労働事務次官まで務めたからこそわかった日本型組織の病の本質、そして変わらないこの国を変える「静かな改革」とは。

著者について

●村木 厚子:1955年高知県生まれ。高知大学卒業後、78年、労働省(現・厚生労働省)入省。女性や障害者政策などを担当。2009年、郵便不正事件で逮捕。10年、無罪が確定し、復職。13年、厚労事務次官。15年、退官。困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」呼びかけ人。累犯障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」顧問。伊藤忠商事社外取締役。津田塾大学客員教授。著書に、『あきらめない 働くあなたに贈る真実のメッセージ』(日経BP社)、『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社)などがある。

 


 
 
 
 

沖縄「平和の礎いしじ」

2019年08月30日 21時55分43秒 | 社会・文化・政治・経済

平和の礎(へいわのいしじ)は、沖縄県糸満市の平和祈念公園内に設置されている慰霊碑。 高さ1.5m 全長2.2kmで、刻銘されている人数は24万1525人(2018年6月1日現在)であり、敵味方関係なく沖縄戦などでの戦没者全ての氏名を刻んで記念するものである(後述)。

「沖縄戦での戦没者全ての氏名を刻んでいる」と紹介されることがあるが、実際には以下のような基準に則って刻銘されている。
国籍・軍人・民間人を問わず、沖縄戦で亡くなられた一人ひとりの氏名を刻む。
沖縄県出身者については、
1931(昭和6)年の満州事変から、1945(昭和20)年9月までに亡くなられた方(空襲や徴用船、疎開船、引揚げ船の遭難、退去命令や疎開によりマラリア又は栄養失調などにより亡くなられた方を含む)。
戦争が原因で終戦後概ね1年以内に亡くなられた方。
原爆被爆者は、期限を定めず刻銘する。
となっている。
沖縄県出身者については沖縄戦での戦没者に限らず海外への出征、南洋群島や満州など移民先での戦災、対馬丸などでの船舶遭難や疎開先での戦災による犠牲も含んでおり、この数は決して少なくない。
このため、「平和の礎」の刻銘者数をもって沖縄戦の戦没者数とすることは誤りである。 なお、現在でも新たに判明した戦没者や遺族・関係者から申請のあった戦没者の追加刻銘受付は沖縄県によって続けられており、毎年6月に合わせて刻銘作業が行われる。
刻印記載
日本人名の刻印記載は都道府県別で、沖縄県人は市町村別になっている。
外国人は国別で、米国、英国、台湾、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の国別である。また設立後判明した人々の名前は、判別年度別に追加されている


「内省的思考」を限りなく深化させる

2019年08月30日 21時30分34秒 | 社会・文化・政治・経済

▽多種多様な個性から互いに学び合い、触発し合いながら、地球社会の創造的英知を広げていく。。
▽大学は<壁の内側>で発展させた学識を地域社会へ持ち運んで、民衆の生活と人生に恩恵をもたらすべきである。
▽自他共に智慧と慈悲があることこそ真の喜びである。
▽人類の融合を広げゆく対話の開拓者に。
▽たゆまぬ対話の継続によって、あらゆる差異も互いに尊重しつつ、民衆の幸福のため、世界の平和のため、人類の融合の潮流を高めていくことだ。
▽人類の崇高な偉業を成し遂げようとする「共通の熱意」に立って、粘り強く対話を重ねることによって、やがて対立は解消され、止揚されていく。
▽教育の目的は「いかなる差別もなく、文化的創造と内省的思考の発達を刺激すること」である。
▽「内省的思考」を限りなく深化させていく力もまたた、「対話」の精神ではないだろうか。


八重洲地区の会合

2019年08月30日 21時20分27秒 | 日記・断片

八重洲地区の会合が午後7時から中田宅で開かれた。
土日に勤務している人に会わせて金曜日の会合にしているが、参加したのは6人であった。
大野さんは家族で日光へ行った話をする。
お子さん、奥さんが(北海道出身)なので、初めての日光観光。よい思い出になったそうだ。。

「華厳の滝は気温23度で、とても涼しかった」と言う。
大野さんは小学校の修学旅行以来の日光であり、東照宮の長い階段について「あんなに階段の段数が多かったとはね」と振り返る。
奥さんは階段を見て、登らず下で待っていたそうだ。
渡辺さんは消費税の対応に追われた話をする。
大型量販店では、既に冬もの製品製品が売れているそうだ。
また、お母さんが認知症になって対応に苦慮している話をする。
夜中の徘徊や火を使うことが心配と言う。
「あんたは誰、いつまで居るんだ」と母親から言われたことがショックと顔を曇らせていた。
中田さんはお孫さんたちが夏休みでやってきたそうで、写真を見ながら笑顔となる。
「孫が彼女を連れてきた。これから結婚だね」と言う。
中田夫妻は20代前半で結婚しているので、ひ孫の顔を見ることになるだろう。
染谷さんは、茨城国体について説明した。
取手では自転車(トラック)競技、エアロビック、武術太極拳、ボウリング競技、ダンススポーツが開かれる。
仕事の帰りで8時過ぎにエリちゃんが駆け付けた。
会合後の歓談、富田さんの大分のお土産と梨をいただく。
韓国問題などを話題にする。


歴史的に考えるとはどういうことか

2019年08月30日 10時37分11秒 | 社会・文化・政治・経済

南塚信吾 (編集), 小谷汪之 (編集)

 

内容紹介

 

歴史家と考えよう、「歴史」のとらえ方・描き方
学校で習う日本史・世界史はもちろん、マンガやゲーム、小説、映画、ドラマのなかにも「歴史」との接点はたくさんある。横溢する「歴史」にどう向き合うべきか? 6人の歴史家による問題提起。

市民講座、自分史、歴史小説、映画、テレビ、漫画、ゲーム……私たちの日常には「歴史」があふれている。一方、学校現場では歴史教育に苦労している。
学生が減り、制度も変更され、学習指導要領では「(暗記ではなく)歴史的思考力を」と求められる。過去についてもあらゆる情報が氾濫し、誰も信憑性を保証しない今、一人ひとりの「歴史的思考力」が問われている。
本書は歴史をとらえる力をいかにして養うか、どのような点に留意して歴史をみるべきかを考える書。


[目次]

はじめに 

第I部 歴史像ができるまで 

第1章 歴史と出会うとき(南塚信吾) 
1 与えられる多様な「歴史」 
2 「歴史は大切だ」と人は言うけれど 

第2章 歴史の中で「他者」と出会う(小谷汪之) 
1 歴史の中のさまざまな「他者」 
2 「土人」とは、どのような「他者」なのか? 
3 歴史の中で「他者」と出会い、「他者」を「知る」 
4 歴史の中の「他者」を通して、自己を「知る」 

第3章 史料から歴史へ(秋山晋吾) 
1 史料を読み解く 
2 ミクロな世界からマクロな文脈へ 
3 土地と現在——歴史を歩く 
4 史料から読み取れること、読み取れないこと 

第4章 歴史を意味づける(割田聖史) 
1 歴史に問いかける 
2 「フランス革命が起こった」——教科書に見るフランス革命 
3 歴史研究におけるフランス革命 
4 日本にとってのフランス革命 
5 歴史の意味づけはさまざまに変わりうる 

第5章 「歴史の見方」に潜む落とし穴(小谷汪之) 
1 「西洋中心主義」という落とし穴 
2 「近代化」にかかわる「歴史の見方」 
3 「領土」にかかわる「歴史の見方」 
4 「西洋中心主義」の落とし穴から脱出するために 


第II部 歴史を教え学び、考える 

第6章 「歴史的に考える」ことの学び方・教え方(日高智彦) 
1 初めて「歴史」に出会うとき 
2 初めて「歴史的に考える」ことに出会うとき 
3 「歴史的に考える」ことは教えられているか 
4 「歴史的に考える」ことはどう学ばれているか 
5 「歴史的に考える」ことが促されるとき、阻害されるとき 
6 「歴史的に考える」ことの教え方・学び方 
7 「歴史」に出会い続ける 

第7章 大学で歴史を学ぶということ(鹿住大助) 
1 大学の授業で歴史と出会う 
2 大学生は「歴史的に考える」ことができるのか 
3 「歴史的に考える」ために大学で何ができるのか 

第8章 日常の中で歴史的に考える「七カ条」(南塚信吾) 
1 「おもしろい」「ためになる」は卒業しよう 
2 自分の「偏見」を自覚しよう 
3 この歴史を書いているのは「誰か」と問おう 
4 「史実」を重んずる本かどうかをまず見よう 
5 史実の作られ方を警戒しよう 
6 歴史についての「判断」は慎重にしよう 
7 未来への「展望」を持って過去を見よう 


読書案内 
おわりに 
索 引

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

歴史家と考えよう、「歴史」のとらえ方・描き方。学校で習う日本史・世界史はもちろん、マンガやゲーム、小説、映画、ドラマのなかにも「歴史」との接点はたくさんある。横溢する「歴史」にどう向き合うべきか?6人の歴史家による問題提起。

著者について

《編著者紹介》*本情報は刊行時のものです

南塚 信吾(みなみづか・しんご)
1942年 生まれ。
1970年 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
1967年 国際学修士(東京大学)。
現 在 NPO歴史文化交流フォーラム付属世界史研究所所長、千葉大学・法政大学名誉教授。


小谷 汪之(こたに・ひろゆき)
1942年 生まれ。
1972年 東京大学大学院人文科学研究科東洋史博士課程中退。
現 在 東京都立大学名誉教授。