ここ一週間ほどこちらではドバイに滞在中のノルウェー人女性のことがニュースになっていました。
この女性はカタールにある会社の職員でここ三年間ほどカタールに滞在していました。この会社はもともとスェーデンの会社で近年アラブ首長国連邦の投資家に買われたようです。
さて、この女性がドヴァイ滞在中に会社の同僚によりレイプされるという事件が起こりました。彼女は警察にレイプ事件として訴えて出たのですが、「婚姻外性交渉」とアルコール飲酒の故に16ヶ月の有罪判決を言い渡され、パスポートも押収されてしまいました。
イスラム教、そしてイスラム法ではレイプ被害者の女性も「有罪」になるということはよくイスラム外世界からの批判の対象になります。「有罪」の理由は夫や親の名誉を傷つけるという点では「婚外性交渉」と同じだから、ということのようです。
この女性の事件はこちらでは大きく取り上げられ、有罪撤回と本国帰国を求める署名運動などが行われました。ノルウェー外相も積極的に動いたようです。
その甲斐があってか、週明けにこの女性はアミール(アラブ社会の尊称で地域を治める人)によって「罪」を許され本国への帰還が認められました。
この時の報道は女性がアミールによって「Nadud」されたというものでした。「Nadud」というのはNadaという動詞の変化形なのですが意味は英語のPardon、日本語でいえば「恩赦」です。実際、Nadaの姉妹語はNadで「恵み」を意味し、これは教会では「神の恵み」などのように年中使う言葉です。
この女性が罪を帳消しにされノルウェーに帰れる(もう帰国していると思いますが)ことは良いことだと思います。が、これって「恩赦」の対象なのでしょうか?
恩赦というのは言うまでもなく、「お前はそれに値しないし権利はないのだが、恵みとして放免してやる」という性格のものです。日本でも戦前は天皇が恩赦を与える権利を持っていましたし、現在でも恩赦はあります。もっとも今では内閣がきちんと論じて決定する仕組みになっているようですが。
私は - 個人としての意見ですが – レイプ被害者の女性を「有罪」にするなどということは、そもそも根本的に見当はずれのことだと思います。ですからもちろんこの女性がアミールから「恵み」を受けたとも考えません。もともとそうあるべきところに戻っただけのことのはずです。
いや、それどころか被害者としての賠償請求などができなかったり、被った精神的苦痛を考えれば非常なマイナスがまだ残っているはずです。本人は「ノルウェーに帰れるのがとても嬉しい」とだけインタビューで語っていたようですが。
折しもアイスランドではレイキャビクでのモスクの建設を巡って、イスラム反対の人たちが声を張り上げています。私は教会から「諸宗教対話フォーラム」という委員会に送られていますので、モスク建設には当然賛成しています。権利は権利ですし、過敏なイスラム嫌いやフォービアは非建設的です。
しかしイスラム教の考え方やイスラム法のあり方の中に、現代の人権をベースにした考え方や個人の尊重という基本点と相容れない部分があることも確かに現実だと思います。
キリスト教、仏教もそうですが、宗教というものは決して不変のものではありません。その保持している教えの中に「不変の真理」というものが含まれているということは、実際に人間の社会に現れる宗教体系が変化しないということではありません。
ですから現代のキリスト教(全てを均一に語ることは出来ませんが)は100年前のキリスト教と全く同じではありません。成長すべきところでは成長しなくてはならない。
同じことをイスラム教に関しても思います。自分が属していない宗教のことを何やかと口出しするのは好きではないのですが、この「地球丸」に乗り合わせている以上、私たちの誰もがイスラム教に多かれ少なかれ関係せざるを得ません。ですから、イスラムの人たちにも考えてもらいたいと願います。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori アット gmail.com
この女性はカタールにある会社の職員でここ三年間ほどカタールに滞在していました。この会社はもともとスェーデンの会社で近年アラブ首長国連邦の投資家に買われたようです。
さて、この女性がドヴァイ滞在中に会社の同僚によりレイプされるという事件が起こりました。彼女は警察にレイプ事件として訴えて出たのですが、「婚姻外性交渉」とアルコール飲酒の故に16ヶ月の有罪判決を言い渡され、パスポートも押収されてしまいました。
イスラム教、そしてイスラム法ではレイプ被害者の女性も「有罪」になるということはよくイスラム外世界からの批判の対象になります。「有罪」の理由は夫や親の名誉を傷つけるという点では「婚外性交渉」と同じだから、ということのようです。
この女性の事件はこちらでは大きく取り上げられ、有罪撤回と本国帰国を求める署名運動などが行われました。ノルウェー外相も積極的に動いたようです。
その甲斐があってか、週明けにこの女性はアミール(アラブ社会の尊称で地域を治める人)によって「罪」を許され本国への帰還が認められました。
この時の報道は女性がアミールによって「Nadud」されたというものでした。「Nadud」というのはNadaという動詞の変化形なのですが意味は英語のPardon、日本語でいえば「恩赦」です。実際、Nadaの姉妹語はNadで「恵み」を意味し、これは教会では「神の恵み」などのように年中使う言葉です。
この女性が罪を帳消しにされノルウェーに帰れる(もう帰国していると思いますが)ことは良いことだと思います。が、これって「恩赦」の対象なのでしょうか?
恩赦というのは言うまでもなく、「お前はそれに値しないし権利はないのだが、恵みとして放免してやる」という性格のものです。日本でも戦前は天皇が恩赦を与える権利を持っていましたし、現在でも恩赦はあります。もっとも今では内閣がきちんと論じて決定する仕組みになっているようですが。
私は - 個人としての意見ですが – レイプ被害者の女性を「有罪」にするなどということは、そもそも根本的に見当はずれのことだと思います。ですからもちろんこの女性がアミールから「恵み」を受けたとも考えません。もともとそうあるべきところに戻っただけのことのはずです。
いや、それどころか被害者としての賠償請求などができなかったり、被った精神的苦痛を考えれば非常なマイナスがまだ残っているはずです。本人は「ノルウェーに帰れるのがとても嬉しい」とだけインタビューで語っていたようですが。
折しもアイスランドではレイキャビクでのモスクの建設を巡って、イスラム反対の人たちが声を張り上げています。私は教会から「諸宗教対話フォーラム」という委員会に送られていますので、モスク建設には当然賛成しています。権利は権利ですし、過敏なイスラム嫌いやフォービアは非建設的です。
しかしイスラム教の考え方やイスラム法のあり方の中に、現代の人権をベースにした考え方や個人の尊重という基本点と相容れない部分があることも確かに現実だと思います。
キリスト教、仏教もそうですが、宗教というものは決して不変のものではありません。その保持している教えの中に「不変の真理」というものが含まれているということは、実際に人間の社会に現れる宗教体系が変化しないということではありません。
ですから現代のキリスト教(全てを均一に語ることは出来ませんが)は100年前のキリスト教と全く同じではありません。成長すべきところでは成長しなくてはならない。
同じことをイスラム教に関しても思います。自分が属していない宗教のことを何やかと口出しするのは好きではないのですが、この「地球丸」に乗り合わせている以上、私たちの誰もがイスラム教に多かれ少なかれ関係せざるを得ません。ですから、イスラムの人たちにも考えてもらいたいと願います。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori アット gmail.com