こんにちは/こんばんは。
気がつけば六月と化していました。もうあと三週間もするとJonsmessaヨウンスメサとも呼ばれる夏至になります。日が長くなる頂点に達するわけですが、アイスランドではレイキャビクのような南部にあってもこの時期は既に「暗闇」はやって来なくなっています。
私の好きな時季で、いつもならもう少し楽しんでいるはずなのですが、今年はそれにすら今まで気がつかずに過ごしてきました。なんでかな?高齢者の常で、早く就寝するようになってるのかも?
清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir André_filipe@unsplash_com
さて今回は、ブログのお休み中にあった出来事を思い出話し的にひとつ。それはラジオ放送用の日曜日の礼拝(教会での集会のことです。カトリックでいうところのミサと考えてください)についてです。
アイスランドは伝統的にキリスト教文化の国なので、毎日曜日の午前11時から礼拝の様子がラジオで放送されてきました。某国営放送RUVのライブ配信です。
ちなみに、周囲のスカンジナビア諸国では、ラジオだけでなくテレビでも礼拝が放送されているそうです。アイスランドではテレビ放送はクリスマスだけですね。それに「生」ではなくて収録済みのもの。
ラジオでの礼拝は、以前は普通の礼拝に放送用のマイクを設置し、長ーいケーブルを楽屋のような準備室を通して外まで伸ばし、そこにスタンバイしている器材満載のバンに繋げていました。
ところがコロナによって、変化が生じました。しばらくの間日曜礼拝そのものがクローズドになってしまいましたから。それでも日曜礼拝は必要、とRUVは判断。いや、むしろコロナのような時期こそ礼拝の放送は、とりわけ外に出られない高齢者の方々に望まれているものだろう。
とうわけで、その時期は(集会制限に引っかからない)少人数での礼拝を平日に録音し、それを日曜日に流す、という仕方になりました。
ところが、これに味を占めたのか、はたまた「この方が楽だ」と発見したのか、以来コロナ収束後も日曜礼拝は「実は平日の録音」で流されるようになりました。
ラジオ礼拝の録音開始前の様子
どこの教会の礼拝が流されるのか、ということはRUVと教会の担当部署が事前に連絡を取り合って予定が組まれます。アイスランド全国を回るようになっています。
私自身はこれまで二回、ラジオで流された礼拝のお話しを担当したことがあります。生(ナマ)。ですが、特定の教会に属さない形での「特別職」である私は、自分自身の集会からのラジオ放送は経験したことがありませんでした。
それが八年前くらいから始めた「難民の人と共にする祈りの会」が、だんだんと定期集会としてまとまってきて、今では普通の教会のようになっていることが認知されたのか、今回ラジオ放送のスケジュールに組み込まれたのです。だから、まあポジティブなことなのでしょう。
実際には、このスケジュール編成に関わっている人たちの、いろんな損得計算が背後にあるのですが、教会のイメージダウンになるので、まあいいや... (^-^;
スケジュールが決まったのが二月の後半くらいで、礼拝の放送は4月30日、録音はその四日前の4月26日ということになりました。礼拝の録音とは、実はそれほど普段と変わるものではなく、ただクワイヤはきちんと練習してくるのと聖書朗読担当の人がよそ行きの声で読み上げるくらいのことです。フツーは。
ただ、私と同僚のアニー牧師が担当しているインターナショナル・コングリゲイション(「難民の人と共にする祈りの会」から発展)はフツーではないのです。
まず第一に私たちの礼拝では原則英語。必要に応じてペルシャ語とかの通訳をつけることもあります。第二にクワイヤという贅沢なものがありません。加えて讃美歌はオルガンではなくピアノの伴奏で歌います。
ラジオ、という媒体を鑑みると、このふたつは検討を要するトピックです。おそらく聞き手の90%くらいはアイスランド人、しかも高齢のアイスランド人と推測されますので、英語オンリーでの礼拝は無理があります。
ブレイズホルトゥス教会のクワイヤ
大体RUVには昔より基本方針があり「すべてのプログラムは美しいアイスランド語によって構成されなくてはいけない」となっています。この方針は戦中くらいからの「アイスランド語保護」を目的に作られたものですが、その後、移民を遠ざける「悪法」と化した一面もあるのでうが、それはまたの機会に。
また、ラジオ礼拝を構成するメインのパーツは、実際は音楽です。オルガンの演奏とクワイヤのコーラス、時には独唱やバイオリンやフルートなどの奏楽も加えて録音用プログラムを組む教会が多いのです。
というわけで、三月から四月にかけての二ヶ月で、このふたつの課題をいかに克服するかを考え、ベストな礼拝プログラムを組み立てることになりました。
まずは音楽関連。私たちのオルガニストのアルニーさんは、私たちが間借りしているブレイズホルトゥス教会のオルガニストでもあり、そこのクワイヤの指揮者でもあります。そこでブレイズホルトゥス教会のクワイヤにまずもって「助っ人」依頼をし、快諾してもらいました。
讃美歌はいつもの通り英語のものをピックアップし、クワイヤの皆さんには英語でのパフォーマンスを練習してもらうことに。ピアノの伴奏だけでは、ちょっと耳に寂しいということで、コントラバスの奏者の方も特別に依頼。
あ、そうそう。英語の讃美歌のひとつには、イラン由来のものがあり、これは英語半分、ペルシャ語半分で歌うことに。私たちの集まりでは以前より使っていた曲なのですが、今年発行された国民教会の「新讃美歌集」にも納められています。
音楽以外のプログラムは、聖書朗読や信条などあらかじめきちんとした英語版を準備できるものとお話しはアイスランド語とし、教会の祈りは集会のメンバーから募って、ドイツ語、ペルシャ語、日本語、タミル語等を交えたマルチ言語ですることになりました。英語は全体をカバーするというか、あちらこちらで必要十分的に挟んでいきます。
というようにして、準備には予想外の手間暇がかかりました。特にクワイヤの皆さんはかなり長時間の練習をしてくれたようです。感謝。
RUVの番組紹介より
Myndin er ur RUV.is
4月26日の礼拝の録音は無事終了し、30日の日曜日の午前11時からRUVによりアイスランド全土へ流されました。評判はかなり良かったです、ありがたいことに。普段から慣れ親しんでいる国民教会の礼拝からはかなり異なったものであったことは確かだと思います。
おそらく通常のラジオ礼拝では、担当の教会が普段の礼拝に多少お化粧を施し着飾らせて臨むような感じでしょう。今回の私たちの場合は、普段の礼拝からは70%くらい変化した「新プログラム」でしたし、「やらせ」といえば「やらせ」だったかもしれなかったですね。
でも、それくらいのダイバーシティのアピールはないと困るのですよ、教会には。
あ、そうそう。礼拝の中の説教(キリスト教的な講話と思ってください)は、私がアイスランド語で担当したのですが、これはこれでいろいろとお話ししたいことがあるので、別の回に改めて「じっくりと」書いてみたいと思います。「苦闘記」ですよ。(^-^;
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
気がつけば六月と化していました。もうあと三週間もするとJonsmessaヨウンスメサとも呼ばれる夏至になります。日が長くなる頂点に達するわけですが、アイスランドではレイキャビクのような南部にあってもこの時期は既に「暗闇」はやって来なくなっています。
私の好きな時季で、いつもならもう少し楽しんでいるはずなのですが、今年はそれにすら今まで気がつかずに過ごしてきました。なんでかな?高齢者の常で、早く就寝するようになってるのかも?
清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir André_filipe@unsplash_com
さて今回は、ブログのお休み中にあった出来事を思い出話し的にひとつ。それはラジオ放送用の日曜日の礼拝(教会での集会のことです。カトリックでいうところのミサと考えてください)についてです。
アイスランドは伝統的にキリスト教文化の国なので、毎日曜日の午前11時から礼拝の様子がラジオで放送されてきました。某国営放送RUVのライブ配信です。
ちなみに、周囲のスカンジナビア諸国では、ラジオだけでなくテレビでも礼拝が放送されているそうです。アイスランドではテレビ放送はクリスマスだけですね。それに「生」ではなくて収録済みのもの。
ラジオでの礼拝は、以前は普通の礼拝に放送用のマイクを設置し、長ーいケーブルを楽屋のような準備室を通して外まで伸ばし、そこにスタンバイしている器材満載のバンに繋げていました。
ところがコロナによって、変化が生じました。しばらくの間日曜礼拝そのものがクローズドになってしまいましたから。それでも日曜礼拝は必要、とRUVは判断。いや、むしろコロナのような時期こそ礼拝の放送は、とりわけ外に出られない高齢者の方々に望まれているものだろう。
とうわけで、その時期は(集会制限に引っかからない)少人数での礼拝を平日に録音し、それを日曜日に流す、という仕方になりました。
ところが、これに味を占めたのか、はたまた「この方が楽だ」と発見したのか、以来コロナ収束後も日曜礼拝は「実は平日の録音」で流されるようになりました。
ラジオ礼拝の録音開始前の様子
どこの教会の礼拝が流されるのか、ということはRUVと教会の担当部署が事前に連絡を取り合って予定が組まれます。アイスランド全国を回るようになっています。
私自身はこれまで二回、ラジオで流された礼拝のお話しを担当したことがあります。生(ナマ)。ですが、特定の教会に属さない形での「特別職」である私は、自分自身の集会からのラジオ放送は経験したことがありませんでした。
それが八年前くらいから始めた「難民の人と共にする祈りの会」が、だんだんと定期集会としてまとまってきて、今では普通の教会のようになっていることが認知されたのか、今回ラジオ放送のスケジュールに組み込まれたのです。だから、まあポジティブなことなのでしょう。
実際には、このスケジュール編成に関わっている人たちの、いろんな損得計算が背後にあるのですが、教会のイメージダウンになるので、まあいいや... (^-^;
スケジュールが決まったのが二月の後半くらいで、礼拝の放送は4月30日、録音はその四日前の4月26日ということになりました。礼拝の録音とは、実はそれほど普段と変わるものではなく、ただクワイヤはきちんと練習してくるのと聖書朗読担当の人がよそ行きの声で読み上げるくらいのことです。フツーは。
ただ、私と同僚のアニー牧師が担当しているインターナショナル・コングリゲイション(「難民の人と共にする祈りの会」から発展)はフツーではないのです。
まず第一に私たちの礼拝では原則英語。必要に応じてペルシャ語とかの通訳をつけることもあります。第二にクワイヤという贅沢なものがありません。加えて讃美歌はオルガンではなくピアノの伴奏で歌います。
ラジオ、という媒体を鑑みると、このふたつは検討を要するトピックです。おそらく聞き手の90%くらいはアイスランド人、しかも高齢のアイスランド人と推測されますので、英語オンリーでの礼拝は無理があります。
ブレイズホルトゥス教会のクワイヤ
大体RUVには昔より基本方針があり「すべてのプログラムは美しいアイスランド語によって構成されなくてはいけない」となっています。この方針は戦中くらいからの「アイスランド語保護」を目的に作られたものですが、その後、移民を遠ざける「悪法」と化した一面もあるのでうが、それはまたの機会に。
また、ラジオ礼拝を構成するメインのパーツは、実際は音楽です。オルガンの演奏とクワイヤのコーラス、時には独唱やバイオリンやフルートなどの奏楽も加えて録音用プログラムを組む教会が多いのです。
というわけで、三月から四月にかけての二ヶ月で、このふたつの課題をいかに克服するかを考え、ベストな礼拝プログラムを組み立てることになりました。
まずは音楽関連。私たちのオルガニストのアルニーさんは、私たちが間借りしているブレイズホルトゥス教会のオルガニストでもあり、そこのクワイヤの指揮者でもあります。そこでブレイズホルトゥス教会のクワイヤにまずもって「助っ人」依頼をし、快諾してもらいました。
讃美歌はいつもの通り英語のものをピックアップし、クワイヤの皆さんには英語でのパフォーマンスを練習してもらうことに。ピアノの伴奏だけでは、ちょっと耳に寂しいということで、コントラバスの奏者の方も特別に依頼。
あ、そうそう。英語の讃美歌のひとつには、イラン由来のものがあり、これは英語半分、ペルシャ語半分で歌うことに。私たちの集まりでは以前より使っていた曲なのですが、今年発行された国民教会の「新讃美歌集」にも納められています。
音楽以外のプログラムは、聖書朗読や信条などあらかじめきちんとした英語版を準備できるものとお話しはアイスランド語とし、教会の祈りは集会のメンバーから募って、ドイツ語、ペルシャ語、日本語、タミル語等を交えたマルチ言語ですることになりました。英語は全体をカバーするというか、あちらこちらで必要十分的に挟んでいきます。
というようにして、準備には予想外の手間暇がかかりました。特にクワイヤの皆さんはかなり長時間の練習をしてくれたようです。感謝。
RUVの番組紹介より
Myndin er ur RUV.is
4月26日の礼拝の録音は無事終了し、30日の日曜日の午前11時からRUVによりアイスランド全土へ流されました。評判はかなり良かったです、ありがたいことに。普段から慣れ親しんでいる国民教会の礼拝からはかなり異なったものであったことは確かだと思います。
おそらく通常のラジオ礼拝では、担当の教会が普段の礼拝に多少お化粧を施し着飾らせて臨むような感じでしょう。今回の私たちの場合は、普段の礼拝からは70%くらい変化した「新プログラム」でしたし、「やらせ」といえば「やらせ」だったかもしれなかったですね。
でも、それくらいのダイバーシティのアピールはないと困るのですよ、教会には。
あ、そうそう。礼拝の中の説教(キリスト教的な講話と思ってください)は、私がアイスランド語で担当したのですが、これはこれでいろいろとお話ししたいことがあるので、別の回に改めて「じっくりと」書いてみたいと思います。「苦闘記」ですよ。(^-^;
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
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