さて「日本一小さな大学でのホコホコ」の続きです。なんとなく展開が「老人の思い出話し」的になってきてしまいましたが、それは老人の特権です。(*^^*)
さて、長〜い前置きが終わってようやく書きたかった本題に入ります。それは我が「同窓の友」についてです。
日本一小さい大学と謳われた日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)-ここでは併設の日本ルーテル神学校を含めて話していますが- の中にあって「神学校」に属する生徒はさらに小さなグループでした。
私が在籍した1980年代後半の頃は、神学大学の三年次が神学校の第一学年とされていました。今はシステムが違うと思います。ですから、神大の三年生に編入した私は、その時点で神学校の一年生でもあったわけです。
神学校には含まれていない神大の一二年次生を含めても「神学コース」には、そうですねえ、二十人くらいだったでしょうか?不思議ではないですよね、今の時代に牧師になろうとか、神学を勉強しようなどというのは、相当な変わり者でしょうから。(^-^;
さて、その神学コースの学生で、かつ「牧師になる」と決意を固めていた生徒はさらに一回り小さくなって二十人弱だったと思います。この生徒たちの大半は寮に入り生活していました。
少人数の集団なので、もともと特に問題なくまとまっていましたが、それでも気が合う仲間が自分たちでグループを形成するのは人の常です。神学校、またはルター寮でも、そのような仲のいいグループがいくつか出来上がっていました。
(すみませんが、女子の神学生の生活ぶりの方は触れられません。そこまで深く知る術がありませんでしたので...)
平均して学生たちは皆、真面目で、かつそんなに固くない連中でした。勉強や実習はにはきちんと取り組むが、夜は時間があれば野球見たり、寮の部屋で鍋をやったり、という感じ。フツーですよね。
ラグビーが好きな連中や、バンドを組んでいる生徒もいましたが、各グループはただ気の合う連中が集まってる、というだけでそれ以外の区別の基準はなかったと思います。
現在のルーテル学院大学のチャペル
-写真は学院大学のFacebook Pageより転載-
それとは別にいわゆる「優等生」と「はみ出し者?」の区分も自然となされていたように思います。これはすべての学校生活でありえることでしょうが、そういう区分があるという現実と、その区分が「公正」なものであるかどうかとはまったく別モンです。
で、仲のいい悪いはこの「優等生」「はみ出し者」の区分を超えていたと思います。多少の差があったとしても、所詮は「神学生」という変わり者集団の中でのことですから。
また話しが長くなってきました。はしょります。私は優等生でした。実際成績は良かったですし、後輩の恋愛相談にもよくのっていましたから。自分には煙も立たなかったのに...
で、早い話が私は卒業真近になって、ようやく遅い春が来たのですが、それがもとで牧師になってわずか二年でアイスランドに越してしまいました。これは多くの人を失望させましたし、ヒンシュクも買いました。まあ、無理はないですね。この辺の顛末はまたの機会に残しておきます。
ポイントは、二年間でアイスランドへ来てしまったが故に、私は同窓生たちがどんな牧師さんになったかを知ることなしに、その後の長〜い年月を過ごすことになったのです。
当時はスカイプなどもないですし、こちらはこちらで新地での生活を確立するのに必死で、日本を懐かしんでいる余裕などもありませでした。
それがここ三四年です。ご多分に漏れずFacebookによって、懐かしい同窓生の皆さんと再会することができたわけです。ほぼ例外なく、アイスランドへ越した1992年以降一度も会っていない連中です。二十三年以上会っていないことになります。
わずかな例外は同期で三年次に編入したA牧師先生で、この方には十八年くらい前に一度、そして今年の夏に帰国した際に東京の教会でお目にかかりました。
さてFacebookで再会した同窓の牧師さんたちなのですが、総じて言えるのはみんな「おっさん」になったなあ、ということです。私は全然変わっていませんが。
ところがです。その「おっさん化」した牧師さんたちは、皆さん、大そう立派な牧師さんたちになっているのです。さらに付け加えると、この方たち、学生の頃はどちらかというと「はみ出し気味?」だった皆さんなのです。
全身びっしょりになりながら、奇声を発してでっかい水鉄砲を振り回してスタッフの子供達と遊んでいた(遊んでもらっていた)神学生たち。バンド漬けだった神学生、女の子を部屋へ呼んで謹慎になった神学生、その他諸々。
FBでフォローできる範囲では、地区の父兄会の会長さんや、幼稚園の組長じゃない園長先生、刑務所の教誨師等々を本職のかたわら務めていらっしゃいますし、本業の方でも「いつ眠るんかい?」というくらいご多忙の方が多いようです。
大したものです、と感服。
ですからねえ、学生の頃どうだったか、というのは何も物事の根拠にはならないということでしょうね。あっちこっちはみ出て、どうもしっくりいかない、とフラストレーションを持っている若い方もいらっしゃると思います。
でも、そんなこと気にしないで。そのうちまとまるところにまとまってくるでしょう。その際に夢をなくしていると小さくまとまってしまいますが、夢をしっかり放さずにいれば、周りが驚くくらい大きくまとまるかもしれませんよ。「おっさん」のアドヴァイスです。(^_-)☆
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
さて、長〜い前置きが終わってようやく書きたかった本題に入ります。それは我が「同窓の友」についてです。
日本一小さい大学と謳われた日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)-ここでは併設の日本ルーテル神学校を含めて話していますが- の中にあって「神学校」に属する生徒はさらに小さなグループでした。
私が在籍した1980年代後半の頃は、神学大学の三年次が神学校の第一学年とされていました。今はシステムが違うと思います。ですから、神大の三年生に編入した私は、その時点で神学校の一年生でもあったわけです。
神学校には含まれていない神大の一二年次生を含めても「神学コース」には、そうですねえ、二十人くらいだったでしょうか?不思議ではないですよね、今の時代に牧師になろうとか、神学を勉強しようなどというのは、相当な変わり者でしょうから。(^-^;
さて、その神学コースの学生で、かつ「牧師になる」と決意を固めていた生徒はさらに一回り小さくなって二十人弱だったと思います。この生徒たちの大半は寮に入り生活していました。
少人数の集団なので、もともと特に問題なくまとまっていましたが、それでも気が合う仲間が自分たちでグループを形成するのは人の常です。神学校、またはルター寮でも、そのような仲のいいグループがいくつか出来上がっていました。
(すみませんが、女子の神学生の生活ぶりの方は触れられません。そこまで深く知る術がありませんでしたので...)
平均して学生たちは皆、真面目で、かつそんなに固くない連中でした。勉強や実習はにはきちんと取り組むが、夜は時間があれば野球見たり、寮の部屋で鍋をやったり、という感じ。フツーですよね。
ラグビーが好きな連中や、バンドを組んでいる生徒もいましたが、各グループはただ気の合う連中が集まってる、というだけでそれ以外の区別の基準はなかったと思います。
現在のルーテル学院大学のチャペル
-写真は学院大学のFacebook Pageより転載-
それとは別にいわゆる「優等生」と「はみ出し者?」の区分も自然となされていたように思います。これはすべての学校生活でありえることでしょうが、そういう区分があるという現実と、その区分が「公正」なものであるかどうかとはまったく別モンです。
で、仲のいい悪いはこの「優等生」「はみ出し者」の区分を超えていたと思います。多少の差があったとしても、所詮は「神学生」という変わり者集団の中でのことですから。
また話しが長くなってきました。はしょります。私は優等生でした。実際成績は良かったですし、後輩の恋愛相談にもよくのっていましたから。自分には煙も立たなかったのに...
で、早い話が私は卒業真近になって、ようやく遅い春が来たのですが、それがもとで牧師になってわずか二年でアイスランドに越してしまいました。これは多くの人を失望させましたし、ヒンシュクも買いました。まあ、無理はないですね。この辺の顛末はまたの機会に残しておきます。
ポイントは、二年間でアイスランドへ来てしまったが故に、私は同窓生たちがどんな牧師さんになったかを知ることなしに、その後の長〜い年月を過ごすことになったのです。
当時はスカイプなどもないですし、こちらはこちらで新地での生活を確立するのに必死で、日本を懐かしんでいる余裕などもありませでした。
それがここ三四年です。ご多分に漏れずFacebookによって、懐かしい同窓生の皆さんと再会することができたわけです。ほぼ例外なく、アイスランドへ越した1992年以降一度も会っていない連中です。二十三年以上会っていないことになります。
わずかな例外は同期で三年次に編入したA牧師先生で、この方には十八年くらい前に一度、そして今年の夏に帰国した際に東京の教会でお目にかかりました。
さてFacebookで再会した同窓の牧師さんたちなのですが、総じて言えるのはみんな「おっさん」になったなあ、ということです。私は全然変わっていませんが。
ところがです。その「おっさん化」した牧師さんたちは、皆さん、大そう立派な牧師さんたちになっているのです。さらに付け加えると、この方たち、学生の頃はどちらかというと「はみ出し気味?」だった皆さんなのです。
全身びっしょりになりながら、奇声を発してでっかい水鉄砲を振り回してスタッフの子供達と遊んでいた(遊んでもらっていた)神学生たち。バンド漬けだった神学生、女の子を部屋へ呼んで謹慎になった神学生、その他諸々。
FBでフォローできる範囲では、地区の父兄会の会長さんや、幼稚園の組長じゃない園長先生、刑務所の教誨師等々を本職のかたわら務めていらっしゃいますし、本業の方でも「いつ眠るんかい?」というくらいご多忙の方が多いようです。
大したものです、と感服。
ですからねえ、学生の頃どうだったか、というのは何も物事の根拠にはならないということでしょうね。あっちこっちはみ出て、どうもしっくりいかない、とフラストレーションを持っている若い方もいらっしゃると思います。
でも、そんなこと気にしないで。そのうちまとまるところにまとまってくるでしょう。その際に夢をなくしていると小さくまとまってしまいますが、夢をしっかり放さずにいれば、周りが驚くくらい大きくまとまるかもしれませんよ。「おっさん」のアドヴァイスです。(^_-)☆
応援します、若い力。Meet Iceland
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